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経済・政治・国際

2017年6月28日 (水)

それはまるで、すべてのことが、大いなる意思のもとに起きているかのようです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

この歌はもともと、『新勅撰集』(八四九番)に撰入され、詞書(ことばがき)に「建保六年内裏歌合恋歌」とあるものです。

しかし、政治家である藤原定家が、職名・権中納言を記した上で、百人一首の97番に紹介している。

つまりこの歌は、彼が、恋歌に託して、自分の考えを述べたものだ、と解釈すべきでありましょう。

ーー

藤原定家と同時代を生きた人であれば、この歌を読んだ瞬間に、恋とは別の意味があることを察したはずなのです。

同時代を生きていた人たちは、当時の社会情勢や人間関係、定家の人柄や考え方をよく分かっているからです。

けれど千年の時を超えて定家の歌に触れる私たちには、それが分かりません。

ーー

何か他の手がかりが必要になります。

それが歴史であり、「百人一首」の歌の配列であり、歌人名の表記方法であるわけです。

この歌の前には、参議雅経、前大僧正慈円、入道前太政大臣の歌が配されている。

それぞれの歌は、いずれも貴族政権から武家政権への移行により、世が乱れることを憂い悲しむ歌です。

ーー

さらにいえば藤原定家自身も、まさに時代に翻弄される人生を送った人でもあります。

定家が生まれたのは、平清盛の全盛期です。

20代の前半に「源平合戦」があり、その後、鎌倉幕府の成立と相次ぐ内乱がありました。

ーー

それまで日本の歴史は、和を貴ぶ歴史です。

「和」は、「のぎへん」に「口」。

「のぎへん」は、穀物を指します。

つまり、穀物をみんなの口で分け合う、それが「和をもって貴しとなせ」と言うときの「和」の意味なのです。

そして日本は「おおいなる和の国」大和(やまと)です。

ーー

それが平安時代であった。

ーー

ところが保元の乱(1156年)以降、領地を巡って殺し合うという、武家が台頭する時代になります。

藤原定家をはじめとした、当時の朝廷の貴族たちは、もとの平和な時代を恋い焦がれた。

平和な日々を、なんとしても取り戻したい。

けれど、そう思うそばから、世の中がどんどん崩れて、戦乱の時代に移っていく。

彼らの願いに反して乱れていく。

ーー

定家は、平安を取り戻したいという思いを恋歌に託して詠(よ)んだ。

それは、まるで来ない人を夕方の海辺で待っているような情況です。

その思いは、藻塩(もしお)を焼いて塩を取り出すように、「身をこがす」ほどだ、と。

ーー

日本人は、古来から、平和で、安心して安全に暮らせる社会を目指してきました。

いまの日本人も、その思いは、まったく変わっていない。

その社会は、一部の権力者が富を独占する社会とは、対極をなすものです。

ーー

独裁者が、富と権力を独占し、民衆を虫けらのように利己的に利用する社会。

鬼怒川の河川敷に設置した太陽光発電施設が原因で堤防が決壊して大きな被害が出ました。

これは、民衆のことを考えないで、自分の利益だけを得るためにやったことが引き起こした事件でした。

ーー

さて私たちは、定家が70歳から74歳に掛けて「百人一首」を編纂したこと、そして定家が亡くなったわずか23年後に、元寇(1274年)が起きていることを知っています。

保元の乱(1156年)以降100年以上もの間、日本国内では、武士が台頭して血なまぐさい領地争いが続き1192年に源頼朝が征夷大将軍に任じられ、ようやく武家社会が完成される。

その間に、武器の改良・製造、兵馬の養成と訓練、10万人以上の兵を動かすという実戦経験が積まれていた。

そうした争そいの経験が、十分に積まれたときに、「元寇」が起きた。

だからこそ、当時世界最強であった「元寇」が2度も押し寄せても、鎌倉武士集団によって撃退された。

それはまるで、保元の乱以来の戦乱が、日本の神々が日本人に課された、訓練と薫陶であったかのようです。

ーー

幕末も同じです。

1853年に浦賀沖に黒船がやってきました。

しかし、当時日本は、江戸幕府250年間に、すでに西欧社会に負けないほどの学問力を育てていた。

だからこそ日本は、1905年には世界最強の軍事国家と言われていたロシア帝国と堂々と近代戦を闘って勝ち、世界の強国となっているのです。

黒船来航以来わずか50年のことです。

ーー

日本の歴史を振り返ると、このような不思議な流れが随所に見受けられます。

それはまるで、すべてのことが、大いなる意思のもとに起きているかのようです。

ーー

明治以降の日本は、近代化を急ぐあまり、日本古来のあらゆるものを捨ててきました。

特に戦後は、連合国・占領軍によって旧体制の破壊という名目で、これが加速的になされました。

それはまるで、あたかも「古い着物を脱ぎ捨てる」という言葉どおりのものでした。

ーー

ところが最近になって、「和をもって貴しと為せ」という日本文化が、世界中の人々から注目され出した。

ーー

保元の乱以降の武家の台頭が元寇から国を守った。

江戸幕府250年の間に育まれた武士道が日本兵を作り上げ、その日本兵の活躍が、世界から植民地支配を駆逐した。

いままた日本は、西洋由来の政治思想に代わる、「浪費せずに謙虚に譲り合って生きる」そんな生き方を世界に提案しつつある。

この「和の心」が世界に広がったとき、人々は、大東亜戦争で日本が原爆という大きな犠牲を払って敗けた意味に気づく。

そんな日がやってくるのではないか、と私(ねず)は思っているのです。

2017年6月27日 (火)

武士道とは、卑怯なふるまいをせずに、正々堂々と正しきを行う道です

いま世界中で、世界戦Ⅱ後の秩序への挑戦がなされ、新たな秩序への模索がなされるような出来事が起こっています。

思えば、日清、日露の戦いは、朝鮮が原因で起こった戦争でした。
世界戦2も、蒋介石が米国を支那に引き込んだのがその原因でした。

このような歴史を千年に渡って俯瞰できる国は日本しかないことが、ようやく多くの日本人に理解されるようになってきています。

ねずさんが、その千年の歴史を俯瞰しておられるのでお目に掛けたいと思います。

それにしても、すごい話です。

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

推古天皇の時代に天才政治家である聖徳太子が摂政となりました。

聖徳太子は604年に「十七条憲法」を制定し、そこに

第1条 以和為貴(和を以(も)って貴(とうと)しとなせ)

第11条 明察功過(功過(こうか)を明察せよ)

と記しました。

そして飛鳥、奈良、平安のおよそ600年間の統治は、十七条憲法の基礎の上になされたのです。

ーー

「和」を大切にするということは、争いをなくそうということです。

と申しましても、人が集まれば、常に対立はあります。

対立が起こったとき、現代の欧米の対処法は、まず「話し合い」、それがだめなら「戦争」で解決するしかありません。

二者択一の、これが現代国際政治の実情です。

ーー

それでは、日本は、戦争せずに、どのようにして、人々の対立を解決したのでしょうか。

その方法が、「功過を明察せよ」だったのです。

人が大勢いれば、それぞれの利害が錯綜して必ず問題が起きます。

けれど、利害が対立を生み、話し合ってもまとまらず、最後は喧嘩になって殺し合うというのは、下の下です。

そこで喧嘩になり殺し合う前に、「明察せよ」と説かれたのです。

ーー

「功過」と言うのは、功(良いこと)と、過(わざわい、良くないこと)を意味します。

それを「明察しなさい」そして対処しなさい、ということです。

日頃から例えば、火の功(有用性)に対して、火の過(火事)に備えて、消防署をおくことです。

仁徳天皇は、民のかまどの煙で、民衆の生活の窮乏を察せられています。

ーー

現代社会は法治国家の名のもとに、悪人をあらかじめ同定し、彼らが犯罪を犯さないようにすることはできません。

「犯罪が起きてから犯人を探し」ます。

しかしそれでは、被害者が出てしまうことに成り、民に被害が及んでしまう。

ーー

私達の祖先は、民が苦しまないように、あらかじめ対策を講じておきなさいという「明察功過」を守ってきたのです。

そしてその「察する」能力を、鍛えるために、楽しんだのが和歌です。

作者は、和歌では、真意を直接書かない。

読者は、書かれていることから作者の真意を読み取らなければならない。

つまり、「明察」する訓練になる。

ーー

飛鳥奈良平安の貴族たちは、和歌ばかり詠んでいたのではありません。

そうではないのです。

仕事をするうえで、「察する」ということが大事にされたからこそ、和歌を学んだし、自らも歌を詠んだのです。

和歌とは、「明察する」技術であり文化であり芸術です。

ーー

こうして「明察する」文化に基づいた飛鳥、奈良、平安の600年は、平和と安定と繁栄をもたらしました。

すべての民を天皇の「おおみたから」とし、政治権力者は天皇によって親任されるものでした。

これにより、民衆は権力者の私物ではなくなり、無用な使役を受けることがなくなりました。

つまりわたしたちの国ではすべての民衆が、天皇という存在によって権力者からの自由を与えられていたのです。

ーー

もちろん、政争や権力争いはありました。

能因法師(のういんほうし)は、

 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
 竜田の川の錦なりけり

と詠みました。

神々が降臨する「三室の山」に「嵐吹く」とは、神々の戦い、つまり中央政権内部の政争を意味します。

けれどそれさえもまるで「竜田の川の錦」だと詠んでいるのです。

ーー

支那では、現にいま習近平政権内部で起こっているように政争は殺し合いです。

しかも近代になるまでは、支那の王たちは、直接刃を交えるのではなくて、民衆を兵として動員して戦わせたのです。

ーー

わが国では、十七条憲法第三条に「承詔必謹(詔(みことのり)を受けては必ず謹しめ)」と書かれています。

これは、天皇が、中立の立場に立たれており、天皇お言葉に対しては、争そう両者は、素直に耳を傾けるべきだというのです。

天皇が間に立たれることによって、争そう両者が殺し合いにまで発展することを防いできたことが分かります。

ーー

こうして平安中期には、清少納言、紫式部、和泉式部など、女流歌人達が光り輝く時代を迎えています。

女性達が輝く社会というのは、平和な社会でなければありえません。

11世紀という、中世において、女性達がこれほどまでに深遠な文学を残した民族ないし国家というのは、世界中、どこを探したって見当たりません。

そういう国を、私達の祖先は、築き上げたのです。

ーー

ところがこうした600年の平和と繁栄の時代は、12世紀の中頃に、終わりを迎えます。

天皇経験者である崇徳院が、武力によって都を追われ讃岐に流されるという事件が出来(しゅったい)したのです。

保元の乱(1156)です。

そしてこの事件をきっかけに、急速に武家が勢力を増していきます。

1167年には、平治の乱を勝ち抜いた平清盛が太政大臣に就任する。

ところがその平氏も壇ノ浦で滅ぼされ(1185)、滅ぼした源義経も頼朝によって倒れる(1189)。

1192年には、京都から遠く離れた鎌倉に鎌倉幕府が築かれます。

ーー

この鎌倉幕府も、二代将軍源頼家が、頼朝普代の家臣たちを片端から殺し、三代将軍源実朝の時代になって、都との政治の融合化が図られる。

その実朝も鎌倉の鶴が岡八幡宮で源公暁によって刺殺されてしまう。

ーー

600年の平和が破られ、騒乱の世になって、藤原定家たちは、なんとかしてもとの平和な社会を取り戻そうとして、まさに血を吐くような努力の日々を送ります。

けれども、まるで手ですくった砂が、手のひらの隙間からこぼれていくように、時代がどんどん社会を変えていく。

式子内親王は、その悲しみを詠んでいます。

 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
 忍ぶることの弱りもぞする

「玉の緒」は、玉(精神)としい(肉体)を結んでいる緒、これが絶えると「玉」と「しい」がバラバラになり、死んでしまう。

つまり式子内親王は、平和を望むあまり「自分の命がどうなっても構いません」と詠んでいるのです。

ーー

式子内親王は1201年に薨去(こうきょ)され、藤原定家も1241年には亡くなりました。

そして世の中は、武家の時代へと移ります。

「明察する」ことで争いを防いできた社会から、武士が武力を行使する時代へと変化したのです。

和歌(明察)の天才、藤原定家も、武家社会への変化には逆らいようがなかったのです。

ーー

ところがです。

定家が亡くなった、33年後に、大事件「元寇」が起きるのです。

ここでもし、武力を持たない貴族政治が継続していたら、日本は元の兵たちによって蹂躙されていたはずです。

このときに日本にやってきたのは「モンゴル族となった高麗人と、モンゴルの支配下に入った高麗人」たちなのです。

「モンゴル族となった高麗人」というのは、モンゴルが高麗を攻略した際に、高麗王は、真っ先に江華島に逃げてしまった。

無政府状態となった半島内では、三別抄という強盗団が暴れ回りました。

ちなみに、宮脇淳子先生によりますと、大陸や半島では「軍とヤクザと暴徒」は同じものです。

その時・治安を維持したのが、モンゴル兵であった。

その結果、高麗人の多く(一割)が、モンゴル兵について、いまの通化市あたりに移住してしまった。

そしてそこで農業や牧畜をしながら、モンゴル人となる、これが「モンゴル族となった高麗人」なのです。

ーー

そして元寇では、この「モンゴル族となった高麗人」たちが、高麗人たちを兵にして、壱岐、対馬を襲撃し、島民を皆殺しにし、食料にしたうえで、博多の港にやってきたのです。

彼らは人間の肉を食料にする連中だったのです。

このとき、もし日本が貴族政権のままだったら、どうなっていたことでしょう。

高麗人兵らは、上下関係と支配と隷属、文字通り弱肉強食の人食い族です。

ーー

その頃の日本は、保元の乱以降、すでに100年に及ぶ内乱の世を経験し、さらには源平合戦では、数十万の兵を動かしていたのです。

用兵から兵站、褒賞に至るまで、すでに完全に完璧に戦える体制を確立していました。

元寇と言えども、これら戦乱の世を勝ち抜いてきた鎌倉武士に勝てるはずはなく、2度にわたり、完敗し敗退しています。

ーー

日本は保元の乱、いやそれ以前の前九年の役、後三年の役から、十二分に当時の世界に通用するだけの軍事経験を積んできていたのです。

しかも、国内の「民のために治世がある」というわが国の大原則を崩さずにです。

後世に生きる私達は、千年前の出来事については、まさに「神々の目線」で歴史を俯瞰(ふかん)することができます。

そういう眼で時代の大きな流れを見ると、私にはなんだか八百万の神々の大いなるご意思が働いたとしか思えないのです。

ーー

そしてこのことは、続く時代においても確信できます。

ーー

元寇を撃退したのは鎌倉幕府ですが、その鎌倉幕府は結局滅んでしまいます。

そして室町幕府ができる。

ところが室町幕府は、正長の土一揆、山城の国一揆などの民衆の反乱が絶えず、ついには1467年には応仁の乱が起きてしまいます。

そしてこのあと日本は、群雄割拠の戦国時代となります。

ーー

1543年、鉄砲(種子島)が日本に伝えられます。

この10年前、1533年には、スペインが、たった150丁の鉄砲でインカ帝国を滅ぼしています。

この60年前、1482年には、アフリカのコンゴ王国にポルトガルが入り、1568年には、完全にポルトガルの植民地にされ、コンゴ人全員が奴隷にされています。

アフリカに奴隷国が誕生した、同じ時代に、インカ帝国が滅ぼされ、植民地化の波は東洋にも及んできていたのです。

ーー

種子島が日本にやってきたとき、日本は群雄割拠の戦国時代でした。

ここで確認しておかなければならないのは、当時の大名も、江戸時代の大名も、領主として君臨していましたが、持っているのは領地だけです。

民衆は、あくまでも「天子様の民」、つまり天皇のおおみたからであり続けたし、そのように認識されたのが日本です。

ーー

西洋や支那の皇帝や王や貴族は、領土だけでなく領民も私物化し、モノとして扱っていました。

ーー

そうして世界の有色人種は、欧米の植民地(奴隷)となっていったのです。

ところが日本は、信長や秀吉の時代には、世界最大の鉄砲大国、つまり世界最強の軍事大国になっていました。

そしてその軍事大国のまま、日本は江戸時代のはじめに、キリシタンが日本人を奴隷として売り飛ばしていたことに激怒し、鎖国しています。

鎖国した徳川270年の治世の中で、何がおきたかといえば、勝てば良いだけだった戦国武者が、武士道を重んずる統治者へと進化していたのです。

ーー

そして1853年、ペリーが浦賀にやってくる。

日本は開国し、戊辰戦争を経て、1868年、統一政府である明治政府ができあがります。

全国が三百諸侯によってバラバラに統治されていたものが、ひとつの政府のもとに、すべての国民が結集するという国民国家が、作られたのです。

そしてそのときに、明治人の精神として、身分の上下なく徹底されたのが、まさに武士道でした。

武士道とは、卑怯なふるまいをせずに、正々堂々と正しきを行う道です。

ーー

そして日本は、ただ一国、植民地の解放のために立ち上がり、3年8か月に及ぶ大戦の末、ついには世界から植民地を無くしてしまった。

ーー

歴史を大きく俯瞰してみると、日本は、なにか大きな神々の御意思のもとにある国としか見ようがありません。

終戦後も、日本中が焼け野原となったのに、わずか19年後の1964(昭和39年)年には、独自でオリンピックを開催しています。

ーー

現世界は、英国が世界の金融を支配下におさめ、その下で米国がかつての貴族のように、世界の軍事覇権を担っています。

その下には、反目する貴族(ロシア、フランス、支那)があり、その他の各国はこれら貴族に支配される民という構造になっています。

世界は21世紀になっていますが、そういう意味では人類社会は中世も現代もあまり大差ありません。

ーー

その中に、二カ国だけ、王からも貴族からも、民からも「憎むべき敵」とされている国があります。

それが「ドイツ」と「日本」です。

とにかく現在の世界秩序というのは、そういう構造になっています

連合国(国連)内では、今も日本は敵国なのです。

ーー

戦後の日本は、化け物のような扱いをされて、一切の武力を封じられた。

しかも、占領軍(連合国軍)により支配された日本メディアは、いまだに連合国側に立って情報を支配しているのです。

例えば、日本には米軍基地があり、米軍は、その基地から朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などに兵を送り出しています。

その米軍基地の様々な経費は、ほぼ全額を日本が負担しています。

世界の目から見れば、あきらかに日本はすでに現実に集団的自衛権を行使しているし、外国への攻撃もしているわけです。

ところが肝心の日本人には、その現状が知らされていない。

ーー

また、憲法9条は自衛権を否定しているのではありません。

従って核武装についても、岸内閣のときに、日本は核武装可能であるという公式答弁がなされています。

それは昭和32年(1957)年5月7日の参議院予算委員会でのことでした。

当時の岸信介首相が、「核兵器という名前がつくだけでみなが憲法違反であるというが、そうした憲法解釈は正しくない」と明確に述べているのです。

また昭和43年(1968)2月10日には、同じく参議院予算委員会で、高辻内閣法制局長官が、次のように述べているのです。

「核兵器はもってはならず、通常兵器はもっても良いと憲法に規定されていない。憲法には戦力を保有しないという規定がある。しかし現在、自衛隊法にもとづいて自衛隊が存在している。自衛隊が憲法上容認されるという解釈、まさにそれが兵器にたいする解釈でもある。すなわち核兵器とその他の兵器は、憲法上では何の区別もない」

さらに昭和53(1978)年3月2日には、衆議院外務委員会で園田外相が、「憲法の規定自体に拘束されて日本が核兵器を保有できないとするものではない」と明確に述べています。

近いところでも平成10(1998)年6月に、大森政輔内閣法制局長官が、「核兵器の使用も、わが国を防衛するための必要最小限にとどまるならば、可能ということに論理的になろうかと考える」と答弁しています。

ーー

要するに集団的自衛権にしても、核武装にしても、とっくに答えは出ているのです。

現実論としても日本に米軍基地があり、そこに核兵器がある以上、日本はすでに「集団的自衛権の枠内で核武装している」わけです。

にもかかわらず、日本メディアは、「集団的自衛権を認めるべきか否か、核武装を認めるべきか否か」と、あいも変わらず見当違いな意味のない議論を繰り返しています。

つまり、憲法9条、集団的自衛権、核武装については、日本メディアが、情報操作することによって、国民を「あきめくら」状態にしているのです。

ーー

ただ、そうした言語空間を奪われた状況の中で、日本人は、アニメやマンガの中で日本の常識を、つまり日本に古くからある概念を描いたのです。

そして気がつけば「人として対等」という、これまで世界になかった新しい概念を、全世界に広めていた。

北斗の拳やワンピースは、全世界で10億部売れてたそうです。
世界の7人にひとりが日本的な世界観を知ってしまったのです。

ーー

日本が、世界戦Ⅱに敗れたことで、「人間は対等」という文化が、世界に広がりました。

一部の特権者が、自分の特権を守るために、武力を用いることが、常識になっているのが、21世紀初頭の世界です。

おそらく神々は、それをいま打ち破ろうとされている。
そこでも大きなはらたきをするのは、日本です。

それが世界の大きな潮流だと、私は思っているのです。

ーー

ところが、世界が大きく変わろうとしているときに、その変化が読めない国があるのです。

それが南北朝鮮であり、共産支那です。

朝鮮は、明治時代から、いまとまったく同じ調子で、権力争いを繰り返し、日本に飛び火させた。

日清戦争も、日露戦争も、もとをたどせば朝鮮人たちが、どちらの大国に付くかで争い、日本を戦争に巻き込んだのです。

日本は、こんどこそ、朝鮮人の権力争いには絶対に介入しないようにしなければなりません。

新しい世界秩序は、すでに動き出しています。

2017年6月26日 (月)

日本の歴史は、とても長くて古いのです

正しい歴史認識3月22日ブログ」によると、在日・反日勢力は日本の歴史教科書の記述を変えようとしているらしい。

聖徳太子を厩戸王に、鎌倉幕府の成立年を1192年ではなく、1185年に書き換えようとしていたようだ。

しかし、【厩戸皇子】なら『日本書紀』(720年)に記載されているが、【厩戸王】などは江戸後期の1文献に見えるだけ。

古代の主要な資料には一切記載なし!1000年以上前から【聖徳太子】が一般的!

また幕府というのは、征夷大将軍が開くものであるから、鎌倉幕府の成立は、「源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命された」1192年が正しい、と。

ーー

そして読者の意見欄には、次のような投稿があった。

ーー日本の輝かしい歴史に嫉妬をしまくる朝鮮人。

聖徳太子・仁徳天皇陵・大化の改新などは、日本が独立国であった証拠。

それに対し朝鮮人は、かつて自力で独立国を持ったことが無い。

李朝は明国や清国の、大韓帝国は日本の属国であったし、南北朝鮮は、世界大戦Ⅱ後に米ソによって作られたものだ。

だから朝鮮人らは、日本の歴史が、「羨ましい」。

なんとかして、その『歴史』に傷をつけようと必死に工作しているんだと思います。笑。

2017/03/22(水) 08:38:11 | URL | 椿 #-

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ねずさんはそんな日本の特徴を7つ上げて、日本は希少だとしておられる。

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

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1 天皇の存在
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諸外国の王や皇帝は、政治上の最高権力者です。
しかし天皇は、その最高権力者の上位に居られる。

世界中の国の最高権力者は、国の最高権威者でもあります。同一人物がこれをつとめます。

諸外国では、権力者(王や皇帝)と民衆との関係は支配と隷属の関係です。妻や娘は夫の所有物であり、その夫妻も娘も権力者の所有物なのです。

ところが日本では、その権力者の上位に天皇が居られた。権力者が権力を行使するためには、必ず「権威(天皇)による認証」が必要だった。

日本では、はるかな昔から、「権威」と「権力」が分離されてきた。

そしてすべての民は、権威(天皇)の「おおみたから」とされてきたのであります。

こうなると権力者は、民にたいして、勝手なことはできません。つまり天皇の存在は、究極の民のための政治の形だと言えるでありましょう。

日本では有史(記録されて)以来ずっと、それよりもずっと前からこの形が守られてきたのです。

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2 神話
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天皇の権威は、アマテル神直系のお血筋であることに由来します。

アマテル神が神話に登場する神であることから、日本という国が、有史(記録された)以前から存在し連続していたことを物語っているのです。

支那にも黄帝、炎帝、堯舜、羿禹などの神話はあります。

けれども、いまの支那人とその神話は無関係なのです。

人種、民族が異なっており、現在の支那人らは歴史も民族も断絶しているのです。

歴史が連続している国としては、
一番目が日本で2677年
二番目がサンマリノ共和国1300年
三番目がデンマークの1000年
四番目が英国の900年です。

しかも日本の2677年ですら、神武天皇以来のものです。

一説によれば神武天皇以前に約600代にわたる天皇が上方様(うわかたさま)と呼ばれた時代があったと伝えられています。

一代を20年としても、600代ということは1万2千年遡ります。

人類の始祖は
1 猿人(約600万年前〜130万年前)
2 原人(約150万年前〜20万年前)
3 旧人類(約20万年前〜約2万年前)
4 新人類(約4万年前〜現代)
と大別されています。

日本列島では、
11万年前には、石器が使われ
3万年前には、加工した石器(磨製石器)が使われ、
1万6500年前には、世界最古の土器がつくられ、
1万3000年前には、人の形をした土偶がつくられ、
1万2500年前には、漆が栽培され、使われていたわけです。

日本の歴史は、とても長くて古いのです。

ーー

古事記には出雲神話があります。

そこに出てくる大国主神にしても、たとえば国譲りが行われたのが何時の事だったのかわかりません。

しかし確かに出雲大社からは巨大な神殿の遺構が見つかっているのです。

伊勢神宮は、アマテル神をお祀りする宮ですが、いったいいつからあるのか、それもわかりません。

つまり神話の存在は、日本という国が、「わからないくらい古い昔から存在している」ことを示している。

その、「わからないくらい古い昔」のことを記したのが神話です。

ーー

日本以外の民族の神話に登場する神々は、そのほとんどが完全で万能な存在として描かれています。

これは完全で万能な神が「ある日、突然やってきた」としか考えられない。

ところが日本の神々は、互いに余ったところや足りないところがあったり、もとは暴れん坊の泣き虫であったり、あるいはいじめられっ子であったりしています。

そして周囲の協力や本人の努力で神へと成長します。

これはつまり、日本の神々は日本で神に成られたということでもあります。

それは、日本人に、周囲の協力や本人の努力で神に成れると言う、希望を与えてくれる。

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3 天皇のシラス国
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大日本帝国憲法の第一条は、「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す」と書かれています。

ここにある「統治す」は、訓読みすると「シラス」となります。

「統」は、スメラフです。漢字で書いたら「統メラフ」となります。
スメラフは、シメラフからきています。

「シラス」は、古事記の大国主神話の国譲りの抄に出てくる言葉です。ここで「ウシハク」と対比する言葉として「シラス」が登場します。

「ウシハク」は、権力者が民を私有する社会システムです。これに対し「シラス」は、最高権威が民を「たから」とする統治制度です。

「シラス」国においては、権力者は権威の下にいますから、権力者は民のために尽くすことが役割となります。

ここに日本の統治の根幹があります。

ーー

「シラス」国においては、商店や会社などにおいても、従業員は天皇の「おおみたから」を預かっている立場となります。

かつての吉原のような遊郭においても、遊郭の主人たちは、女性達を6歳位から店で預かりました。

お店に娼婦として出すためではありません。

6歳から16歳までの10年間、読み書き算盤から日舞、着付け、小唄、三味線、琴、華道、茶道に至るまで、ありとあらゆる芸事を仕込むためです。

費用は全部店主が持ちました。

ーー

娼婦をするのは、24歳までの10年間で、25歳になったら、退職します。退職後、読み書き算盤から日舞、着付け、小唄、三味線、琴、華道、茶道のどれかを教えることで食べていけれるように、仕込んだのです。

ーー

売春は世界最古の商売と言われるほど、歴史の古い商いです。

けれど、その娼婦たちが、読み書き算盤から日舞、着付け、小唄、三味線、琴、華道、茶道で仕込まれるのは、日本だけなのです。

日本だけが違う。

なぜ違うかといえば、日本の民は、たとえどんな職業の人であっても、すべて「おおみたから」と誰もが認識していたからです。

─────────
4 天皇の「おおみたから」
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シラス国であるがゆえに、日本では社会秩序としての身分制度は置きましたが、全ての民は人として対等とされました。

貴族も武士も百姓も、等しく天皇の「おおみたから」です。

ただし、等しいというこは「平等である」ということとは異なります。
「対等」なのです。

英語では、平等も対等も、どちらも「イコール(Equal)」ですが、日本では「平等」と「対等」は明確に区別されました。

ーー

平等は、運動会の駆けっこで、全員揃って一等賞というのが平等です。

対等は、あいつは勉強では学年で一番だけど、駆けっこだったらおいらが一等賞だい、というのが対等です。

対等は、彼我の違いを見極め、そこから自己実現を図ろうとする概念です。

そこから「分をわきまえる」という考えも生まれています。

それぞれが互いの役割分担の違いを意識して、その役割(分)に応じて最大限の努力をする。

交響楽の演奏では、それぞれの楽器が、それぞれの特徴を活かしてバイオリンならバイオリンとして(分をわきまえて)音作りをしています。

丁度日本という曲を奏でる演者のように、日本人は、それぞれが日本社会にとって掛け替えのない働きをしている。

それが日本人にとっての対等観なのです。

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5 「以和為貴」和をもって貴しとなせ
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聖徳太子の十七条憲法の第一条の冒頭にある言葉です。

この「和をもって貴しとなせ」は、善悪二元論のもとでは成立しません。

片方が善であり、片方が悪であるとする善悪二元論のもとでは、常に互いに対立し闘争することが求められます。

ところが日本社会では「和をもって貴しとなせ」という教えがあり、これが共同や協調の元となります。

対立するのではなく、互いに違いをわきまえて、まずは協力し合うことです。

十七条憲法(教えの中の教え)は、神話にある十七柱の創世の神々に由来します。

最初の神様が天之御中主(あめのみなかぬし)です。

その名は、天空のど真ん中の点を意味します。
点にはかたちも大きさもなく、極小であって極大。
聖徳太子はそれを「以和為貴」と書かれた。

「以和為貴 無忤為宗」

「忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」

「忤う」の語源は「呪道具の杵(きね)」で、これをつかって悪霊から身を護る。転じて邪悪なものに拮抗し抵抗することを意味します。

聖徳太子は、敵対し呪詛する者に対して、相手と同じように敵対し呪詛するなと教えておられる。

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6 「明察功過」功過を明察せよ
─────────

同じく聖徳太子の十七条憲法の第11条に出てくる言葉です。

「功」は功績、「過」は、あやまちのことです。

江戸時代、徳川将軍吉宗の治世の享保年間の20年、江戸の小伝馬町の牢屋に入れられた囚人の数は、無しです。

これはお役人がサボっていたからではなくて、お役人がそれだけ一生懸命仕事をした結果です。

火事に例えるとわかりやすいです。
火事の多い消防署は、常に大忙しです。
消火をし、人命救助にあたる消防士は、民衆のヒーローです。

けれど、本当は火事そのものがないほうが良いのです。
消防署の仕事は、消火よりも、火事の発生の抑止です。

そのためには、火災防止の啓蒙運動をし、
防火体制や万一のときの消火設備の点検をし、
放火しそうな人間を見つけ、監視する。

けれど、そんな消防士は「うるさい奴らだ」と敬遠されます。
それでも予防処置をする。
そうすることで民衆の暮らしを守る。
それこそが消防士たちに与えられた最大の仕事です。

消防だけでなく、警察も、お役所も、災害対策も学校教育も、すべてあらかじめ対策を講じる。

ーー

ほんのわずかな徴候も見逃さない。
それが「明察功過」です。

ーー

飛鳥奈良平安の貴族たちも、鎌倉以降の武士たちも、明治大正昭和の軍人たちも和歌をこよなく愛しました。

和歌の作者は言いたいことを直接書かない、読者が作者の言いたいことを察する。

和歌を詠むことは「明察功過」をしていくための良き訓練となりました。

だからこそ和歌は「あらゆる日本文化の原点」と言われています。

─────────
7 「修理固成」つくりかためなせ
─────────

イザナキ、イザナミの神が、天の沼矛(ぬぼこ)を預かったとき、神様から言われた言葉です。

大切なことは、その「つくる」という言葉に「修理」という漢字を当てていることです。

はじめに「つくる」という日本語があって、その日本語の意味を明らかにするために、漢字で「修理」という言葉が「後から」当てられた。

「修理」は、「理(ことわり)を修(おさめ)る」で、そこから曲がったものを真っ直ぐに立て直す意となり、「つくる」という語にもなりました。

人もモノも、ただ新しく生まれてくるのではありません。

つまり日本人にとって、「つくる」という言葉は、この世に誕生したものを、ほんとうに役に立つように、つくりかためるという意味を持っていたのです。

この思想は、使い捨て文化の対局に位置するものです。

ーー終わり

ーー

民衆を「たから」として国を築いてきたのは、世界中で日本だけです。

つまり日本で生まれたから日本人ではないのです。
天皇の存在のありがたさを自覚し感謝の心を持つこと。
日本人はそこから始まります。

そんな日本や日本人を絶滅危惧種にしては絶対にいけないと思います。

たとえ、日本に生まれ、日本で育ち、日本で生活し、日本語を話し、日本国に税金をおさめていても、天皇のおおみたからであることに感謝の心をもてない人は、それは日本人とはいえないでありましょう。

そして日本人でないなら、
日本の選挙権を与える必要などさらさらないし、
日本の議員になっていただく必要もないし、
日本人としてのパスポートを発行してあげる必要もないし、
まして生活保護の支給をしてあげる必要もない。

そういうことを、まじめに考えていかなければならい。そんな気がします。

お読みいただき、ありがとうございました。

2017年6月25日 (日)

45の助言

小生は、自分の持つ見識などたいした事はないと考えており、ネットから素晴らしい考えを、いわばお借りしている。時々自分の書いたものを読み返しては、世の中には何と素晴らしい見識の持ち主がいるものかと感心している。

傲慢な人は、それだけ人から教わることが少ないだろうから馬鹿者が多いのが普通だ。徹底的改造計画その壱さんは、その過激、独断的な内容からとても傲慢な人物だと思い込んでいたのだが、今日のブログを読むと、そうでもないようなのだ。まあ時々引用するだけの事はあったわけだ。

リジャイナ・ブレット氏、米オハイオ州在90歳の「45の助言」を、徹底的改造計画その壱さんは、7月5日付けのブログで絶賛紹介している。英文からの翻訳のため、原文のままでは意味不明になるところがあるので、少々変更してご覧に入れる。http://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t

ーーーーー

1. 人生は公平では無い。それでもいいものだ。
2. 疑念があり決断できないときは、まず小さく試してみることだ。
3. 人生は誰かを嫌っているうちにも終わってしまう。人生は短すぎる。
4. 若くて健康な時は仕事が面倒を見てくれる。病気になると仕事は面倒をみてくれない。病気の時のために友人や家族と連絡を取っておこう。
5. 借りは毎月全額支払っておくものだ。

ーーーーー

6. 口論の全てに勝とうとするな。反論にも賛成してみると意外にも視野が広がる。
7.一緒に泣こう。一人で泣くより楽になる。
8. 人は、一つや二つの怒りを胸の奥深くに隠しているものだ。なぜなら怒りをぶつけることで、下手をすると、人生を台無しにしてしまうからだ。しかし神になら怒りをぶつけても良い。彼なら受け入れてくれる。
9. 初めての給料から、老後の蓄えを始めよう。
10. 美食に関しては抵抗は無駄だ。しかし食べ過ぎないことだ。

ーーーーー

11.平和が続けば、現在の生活態度が、未来の生活を切り開いてくれる。

12. 大人になったからと言って泣きたいのを我慢していることはない。自分の子供に泣いているところを見られたってよい。
13. 他人がどんな人生をたどったのかなど、分かりはしない。他人の人生と比べるな。
14. もしそのことが法に反するのであれば、決して関わるべきではない。
15. すべてのことは一瞬のうちに変わるが、心配しなくてもよい。なるようになるものだ。

ーーーーー

16. 深呼吸をしよう。心が落ち着く。そしてもう一度やってみよう。
17. 使えないもの、美しくないもの、楽しくないものは、何でも取り除こう。
18. もし重病になり、それでも死なずに助かったときは、以前より強くなっているものだ。
19. 幸せになるのに遅すぎるということはない。幸せは子供時代は他人任せのところがあるものの、大人になれば、幸せになるかどうかは自分次第である。
20. 自分の好きなことを追い求めるのであれば、結果については全て受け入れろ。

ーーーーー

21. 部屋をきれいにし、敷布を替え、清潔な下着をつける。そうして毎日を大切に過ごせ。
22. 準備は念入りに、そして、後はなるように任せるのが良い。
23. 今、変人だといわれようと好きなことをしておくことだ。歳を取ってから、紫色の服を着なくてもよくなる。
24. 夜の秘め事に一番大切なのは脳の働きである。
25. 幸せになる上での責任は、自分以外ない。

ーーーーー

26. 「5年続くことはない」どんな災いも、この言葉で乗り切れ。                                  27. どのような時にも「生きよう」を選ぼう。
28. 何でも誰でも許そう、と考えておくべきだ。世間が広くなる。
29. 他人を害さない限り、他人の評価は、放置しておいてもよい。
30.人生で起こることは何でも、時間が癒してくれるものだ。時間を与えよ。

ーーーーー

31. 良いことも悪いことも、必ず変わる。喜びも落胆もしすぎてはいけない。
32. まじめ過ぎる必要はない。少々息抜きをしても、誰も気にしてはいない。
33. 願っていれば、奇跡は起こるものだ。
34. 自分は幸運に恵まれていると信じて生きよう。                                      35. 人生は損得では測れない。参加して楽しもう。

ーーーーー

36. どんどん年齢を重ねることは、若くして死ぬよりずっといい。
37. あなたの子供の子供時代は一度きりだ。
38. 最終的に真に大事なことは、どれだけ愛情を注いだのかということになる。
39. 毎日外に出よう。奇跡はあちこちで待っている。
40. 皆、問題を山のように抱えているものだ。自分だけが問題を抱えているのではない。自分の問題に勇気を出して立ち向かおう。

ーーーーー

41. うらやましがることは時間の無駄である。考えてみると分かる、もうすでに必要なものは全て持っている。
42. 人生最良の時はこれから来る、といつも考えているべきだ。それだけで心豊かに暮らせる。
43. どんなに気持ちがふさいで居ても、起き上がって、着替えて、そして姿を見せよう。
44. 与えなさい、愛情を注ぎなさい。
45. 人生はリボンで飾られてはいないが、それでも素晴らしい贈り物である。

2017年6月24日 (土)

私(円仁)は、書類を提出して還俗したうえで、日本に帰りたいと請願した

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

円仁(えんにん、794-864)『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』

平安時代の遣唐使・円仁が唐での体験を綴った本です。

円仁は、栃木県出身の僧で、後年、比叡山延暦寺第三代天台座主の慈覚大師(じかくだいし)になっています。

『入唐求法巡礼行記』は、世界的に、僧正玄奘(げんじよう)の『大唐西域記』、マルコ・ポーロの『東方見聞録』と並んで、中世東アジアの三大旅行記とされているのです。

そこには、承和5(838)年から、承和14(847)年の唐の状態が記されている。

当時の皇帝は武宗(ぶそう)で、道教に入れ込んで、仏教を弾圧しています。

円仁は、唐滞在中に、百回近くにわたって日本への帰国願いを出しています。

が受理されず、ようやく外国人僧追放令によって帰国しています。

ーー

この書は、当時の唐の状況を客観的に描写しており、世界の研究者から、高く評価されているのです。

筑摩書房の古典日本文学全集〈第15〉仏教文学集、入唐求法巡礼行記(漢文、堀一郎訳)をもとに、ねずが、現代語訳にしました。

ーー前略(以下ねず訳)

討伐軍は、州の境界線で、反乱軍の激しい抵抗にあって膠着状態となり、多くの日数が費やされています。

皇帝が「軍に反乱軍を征討する能力が無いからではないかとあやしんでいる」らしいというのです。

それを知った征討軍は、戦線付近の牛飼いや農夫たちを捕まえて、これを反乱軍の捕虜と偽って、都に送りました。

皇帝は、その捕虜たちを処刑するように命じ、わざわざ処刑の為の儀礼刀を下賜(かし)された。

捕虜たちは、街頭で三段に斬られ、あるいは左右両軍の兵馬が、彼らを取り囲んで撲殺しました。

前線からは、続々と捕虜たちが送られて来るようになり、兵馬は休みなく往来し、市街で殺された死骸は道路に満ち、血は流れて土を濡らし泥となりました。

ーー

これを見物する人も道にあふれました。
皇帝もときどき見物にやって来ます。

人々は、「送らされてくるのは叛乱軍ではなくて、近隣の牛飼いや農民ばかり、罪もないのに叛徒に仕立てあげられて捕らえられて来たものだ、皇帝の軍隊はまだ州の境界線を突破できず、皇帝に戦果の上がらないのを怪しまれないようにするために、むやみと罪もない人民を捕まえては都に送っているのだ」と、言っています。

捕虜が偽者であることは、もう誰もが知ることなのです。

にもかかわらず、そんな捕虜たちを、軍の兵士どもは、斬り殺しては、その眼肉を割いて食べています。

だから人々は、いずれも今年はなんと不吉な年かと言っています。

ーー

山西省の太原府の三千の軍は、三年間ウイグルとの国境守備に任じられ、ようやく今年、ウイグルを破って凱旋してきました。ところが太原府に帰ってまだ日も経たないうちに、節度使はこれを再び四川方面の叛乱軍討伐に出発させようとしました。

将兵たちは「三年もウイグルと戦って苦しい思いをし、疲れきって帰国してきたばかりです。故郷に帰って、まだ父母にも妻子にも会っていません。どうか他の軍隊を派遣していただきたい」と固辞しました。

ところが節度使は「皇帝の命令である」と聞き入れません。

このため三千の軍が暴発して太原府城に押し寄せ、節度使を攻撃しました。節度使は、この事態を皇帝に報告しました。

都から尋問使がやってきました。調査の結果、尋問使たちは、「この者らは、ウイグルを討伐した功績をあげており、言い分はもっともである。当然、死罪にすべきではない」と、詳しく理由書をつけて上奏しました。

けれどもその上奏は聞き入れられず、三千人は東市の北街の塚のほとりで全員、斬り殺されました。

ーー略

9月にはいって、四川方面の叛乱軍がようやく大敗しました。叛乱軍の軍団長らは、捕虜として都に護送されました。彼らへの処刑は67回に及びました。

後に叛乱軍の首魁の劉従簡(るうじゅうかん)の首が長安の都に送られて来ました。都では、この首を三叉の槍の頭に差し抜き、三丈あまり(10m弱)の竿(さお)の先に名前をしるして、東西の市(いち)を巡回して、内裏に行進しました。

皇帝は銀台門の楼上に坐して、この行列を見て大いに笑いました。その後数十日のうちに、叛乱者たちの財産や宝物、家具などの一切を政府に没収し、毎回7〜8台の金で装飾した車が、これらを満載して都に入り、宮廷の倉庫に納めました。

ーー略

8月に太后(たいこう)が薨去(こうきょ)されました。姓は郭(かく)で、太和皇后といいます。
太后は、仏教をとても篤(あつ)く信仰していました。

皇帝は道教を信仰しています。その皇帝から、僧侶や尼僧を淘汰せよという条例が出るたびに、いつも皇帝に諫止(かんし)していたのが太后でした。皇帝は、そんな太后を、薬酒をすすめて毒殺してしまいました。

また義陽殿(ぎようでん)におわす皇后は(皇帝の実母)たいへんな美貌の持ち主でした。皇帝は、その母を後宮に召し入れて妃(きさき)にしようとしました。あたりまえのことですが、皇后は拒絶しました。すると皇帝は弓で皇后を射殺してしまいました。

ーー略

道教の道士である趙帰真(ちょうきしん)らは、皇帝に、「仏教はインドで生まれて『不生』を説いているが、『不生』とは、単に死のことである。仏教はまた、さかんに無常や苦、空を説くが、これはまことに奇っ怪な妖説であって、道教にいう無為長生(無駄に長生きしない)の原理を理解していない。老子は、無為自然にあそんで仙人となり神薬を練った。この神薬を飲めば、不老長寿となり、神仙界の一員となることができる。その功力は無限である。そこで願わくば、宮廷内に神仙台を築き給え。身体を練磨して、神仙界にのぼり、九天に逍遥し給え。必ずや陛下の聖寿万歳となり、もって長生きの楽しみを保ち得られることでしょう」と奏上しました。

ーー

皇帝はこの奏上を聞いておおいに喜びました。

ーー

左右の近衛兵に命じて、宮城内に、神仙台として「望仙楼」を築かせました。それは、高さ45メートルの楼閣でした。皇帝は「望仙楼」ができあがることを、とても楽しみにされ、毎日左右の近衛兵三千を動員して土を運ばせ、築造させました。

皇帝は、一刻もはやく完成させたい意向でした。毎日、できあがりを催促されました。左右両軍の近衛兵の団長も、指揮棒をとって監督にあたりました。

ある日、皇帝が視察に赴きました。皇帝は宮内長官に向かって、「あの棒を手にしているのは誰か」と問いました。長官は、「軍団長みずからが築台の指揮をとっています」と答えました。すると皇帝は、「汝、棒を手にして指揮する必要はない。自分で土を担って台を築け」と命じました。

またある日には、「望仙楼」の工事現場に出かけた皇帝は、自ら弓をひいて、何の理由もなく将校のひとりを射殺しました。

ーー略

3月3日、仙台の築造が完成し、皇帝に引き渡しの儀が行われました。その日、皇帝は、仙台に登りました。両軍の司令官や道士たちも、登りました。

その途中、両軍の司令官が、道士の趙帰真に、「今日、仙台の引き渡しが行われますが、あなたがた道士は、不老不死の仙人になれますか?」と問いました。趙帰真は、うなだれたまま、何も答えませんでした。

皇帝は「望仙楼」に七人の道士を招き、神薬を練り、空を飛んで仙人となる術を行わせました。皇帝が「望仙楼」に登った日、皇帝は同行した楽師に、「左近衛師団長を建物から突き落とすように」と命じました。ところが屈強な師団長を前に、楽師はこれができません。

皇帝は、「朕が突き落とせと命じたのに、なぜ命令に従わぬのか」と問いました。楽師は、「軍団長は国家の重臣です。これを故なく突き落とすことなどできません」と答えました。

すると皇帝は怒り、楽師の背中を杖で20回殴りつけました。

ーー

望楼の上で皇帝は、そこにいる道士たちに、「朕は、ここに二度足を運んだが、汝たちにまだひとりも登仙した者がいないのは、どういうわけか」と問いました。

道士らは、「国中に仏教がはびこり、その邪気がたちこめているために登仙になることができないのです」と答えました。

皇帝は、宮城内の僧道奉行に対し、「朕はお主らを必要としない」と宣言しました。そして数日のうちに、国中の僧侶や尼僧で、年齢が50歳以下の者は、すべて強制的に還俗させ、そのまま本籍に返せとの勅令が発せられました。

ーー

実はこれには裏話があります。

皇帝は当初、「仙台を築くために掘った土の穴が極めて深く、人民に恐怖と不安を与えている。朕はこれを埋めたい。ついては仙台の落慶供養の食事会を催すといつわって、近隣の僧侶や尼僧をことごとく、無理やりにでも左近衛軍営内に集め、その首を斬り、その死体で穴を埋めよ」と命じたのです。

これにおどろいた卜(ぼく)某が、「僧尼といえども、もともと国家の民です。せめて還俗させて各自生産を営ませれば、国家に利益があがります。穴に追い込むようなことはせず、還俗させて、すぐに地方に帰し、役夫にでもさせればよろしい」と申し上げ、皇帝が「もっともである」とこれを受け入れたために、先の勅命となったのです。

さりとて僧尼たちは、どうしてよいかわからない。

ーー

私(円仁)は、書類を提出して還俗したうえで、日本に帰りたいと請願したのですが、奉行もこれを受け取ったきりでまだ返事がありません・・・。

ーー以下略

話はまだまだ続くのですが、ここまでお読みいただいて、いかがお感じになりましたでしょうか。

責任を伴わない権力というものの恐ろしさが、いやというほど書かれていることにお気づきいただけたのではないかと思います。

ーー

円仁が帰国した47年後の寛平6(894)年、菅原道真は、遣唐使を廃止しました。そしてその13年後の907年に、唐は滅亡しています。

唐の滅亡は、当時の東アジア全体をゆるがす大事件でした。

それは、東アジア秩序の崩壊でもあったし、支那本土内で、大混乱、大虐殺は、周辺国へも多大な影響を与えたのです。

ところが日本は、この唐滅亡の13年前という、絶妙の時期に遣唐使を廃止し、事実上の鎖国をしています。

当時の政治家たちの先見性には、ほんとうに驚かされます。

ーー

支那の場合は、現在に至るも、ずっとウシ(大人、権力者)が国をハク(支配)していたのです。

歴史的に支那ではウシハク(大人支配)が常態化している。

つまり、王朝が代わっても国のウシハク(大人支配)というカタチ(国体)は変わらなかったのです。

支那は、王朝交替毎にその王朝が正統であるという物語を作った。

つまり支那人は、自分たちの神話と歴史(自分たちの言葉で書かれた物語)を失ってしまった。

支那人とは、こうして、自分たちの言葉で書かれた物語を失った人々なのです。

支那人にとっての権力とは、ウシ(大人、権力者)のものでしかなく、自分たちを治める、自分たちによる、自分たちのための権力(政府)など、まったく知らないし、知ろうともしないのです。

ーー

日本では、ウシ(大人)ハク(支配)について、

ウシ(大人)が権力をふるうためには、権威(天皇、オオキミ)による「認証」が必要とされるのと、ウシには「権力を行使した結果責任」があるとされているのです。

これがシラスという統治体系であり、この国体によって、日本は西洋以外のアジアで唯一民衆政治を実現しています。

しかもその民衆政治は「オオキミのシラス」という日本独自の「統治の仕組み」なのです。

(参考文献)
筑摩書房『古典日本文学全集』第15巻・仏教文学集
産経新聞社『国民の歴史』西尾幹二著

2017年6月23日 (金)

日本語が強力である秘密は、多くの人が使えると言うことに尽きる

「株式日記」のtoraさんが、日本語の持つ可能性を熱く語っているのでお目に掛ける。

日本語が強力である秘密は、多くの人が使えると言うことに尽きる。多くの人が使いこなせればそれだけ多くの知恵が生まれることになる。

一つの学問を理解するためには、多くの専門用語を覚え、使いこなせるように訓練するという壁があるのだが、日本語のその壁は、割と簡単に乗り越えられる。

つまり日本語が使える人は、より簡単に学問に触れられる。

例えば、朝鮮人にとってのその壁は高い。呉善花氏は、「日本的精神の可能性」の中で、「朝鮮文字使用で思考が幼稚化、語源への手掛かりも失う」として、以下のように書いている。http://qazx.blog.eonet.jp/docdoc/2008/03/post-f5ea.html

ーーー

朝鮮語では、水素H(hydrogen)のことを「suso」という。「水素suso」は、日本人が作った和製の漢語なのだが、私の受けた学校教育の場では、化学用語として、とにかく「スソ」というのだと教えられただけで、それは漢字で「水素」と書くのだとは、教えられていない。

(略)現在の南朝鮮のように、漢字を排除して殆ど朝鮮文字だけを使っていると、言葉に漢語や日本語の持つイメージが全く浮かばない。語源の手掛かりも失う。

漢語や日本語に由来する言葉であっても、全てが固有語であるかのように錯覚してしまう。だから、「スソ」は日常世界とは何ら関係する事のない純学術用語以外のものではなくなる。

しかし、日本語では「水素(スイソ)」という単語を教われば、誰の頭にも「みずのもと・水の素」という訓が浮かんでくる。

このように純粋な化学用語でも、日常的な和語の世界に抵抗なく入る事が出来る。

そのため日本では、朝鮮や欧米(ラテン語から引用)のように、学術用語が専門的な教育を受けたものにしか解らない、日常世界から遊離した言葉になる事も、それほど多くはないのである。

ーーー引用ここまで

朝鮮文字で書かれている文章は、いわば日本語を仮名だけで表記するようなものなので、内容が読み取れない。

それで朝鮮の人口の30%の人たちが、機能的文盲になっていると言われている。

朝鮮文字で書かれた朝鮮語の文章が、グーグル翻訳で、理解できる日本語に一発で翻訳されてしまうことから、小生は、その原本は日本語ではないかと考えている。

恐らく、朝鮮人知識人は、朝鮮語では経済や政治や法律の問題は議論できず、日本語で考えているのだろう。

この日本語が強力な言語である理由については日本語が理解できる朝鮮人知識人は知っていて、以下のようなことを書いている。

しかし、この内容は、日本語を知らない多くの朝鮮人には理解できないと思う。

ーーー

「翻訳力は国家競争力だ」2月5日 カン・チョルグ培材(ペジェ)大日本学科教授 http://blog.livedoor.jp/kana2013/archives/23957251.html

ーーー以下抜粋編集qazx

2008年1月、イ・ミョンバク政権は、結局断念したのだが「英語没入教育」を掲げ発足した。小中から英語を始めて高校を卒業するだけで英語を自由に駆使できるようにしようということだった。

英語教育は国家競争力を増強するのか。

日本は、国家競争力が世界最上位にある。しかし日本人の英語力は思わしくない。日本は明治維新以後、多様な文化を翻訳を通じて大衆に供給してきた。

日本は数多くの西洋書籍を大々的に翻訳し全世界を一つの巨大な教室としてあたかもス ポンジが水を吸うように西洋文明を受け入れた。

これが学問の広がりと発達につながって日本の経済発展を支えてきた証拠がある。すなわち重要なのは、英語自体ではなく、世界の知識であったと言うことになる。

筆者は今日、日本が19人というアジア最多ノーベル賞受賞者を輩出した原動力をまさに高度に累積した翻訳力に求めたい。

フランス の文学社会学者ロベール・エスカルピは「翻訳は反逆だ」といったが、筆者はこれを「翻訳は国家繁栄の近道だ」と言いたい。

ーー(以下toraさんのコメント)

科学は専門用語が理解できなければ分からない。

多くの新興国はアメリカに留学生を送り込んで人材を育成している。

つまり、アメリカで英語(専門用語)を学びつつ専門分野を研究している。

最近、日本人科学者が次々とノーベル賞を受賞しているが、アメリカの日本人留学生は減り続けている。

しかもノーベル賞を受賞したひとたちも、英語を話す能力は、そんなに高くない。

彼らは日本語を使って研究していることになる。

これは、日本語が科学をする際の言語として、とても強力な言語であるからだと思います。

ーー

日本はDRAMや液晶パネルやリチウムイオン電池や電磁鋼板や、数が多すぎて書ききれない程の、技術仕様書のすべてが、社内文書であり当然日本語で書かれています。

アメリカの製造業は空洞化して、宇宙航空産業やコンピューター産業くらいしか残ってはいない。それに対して日本は製造業大国であり、民生用の製造技術に関しては世界のトップなのです。

アメリカやロシアは高性能ジェット戦闘機は作れても自動車が満足に作れないと言うのはどうしてなのだろうか?

ボーイング社は事故で新鋭機が飛べないでいます。GMの電気自動車ボルトは電池の不具合で製造が止まってしまった。

アメリカ企業がリチウムイオン電池の技術を、南朝鮮企業を通じて手に入れようとしたからだろう。

このリチウム電池の技術は、日本企業が開発した技術であり、まだまだ完成された技術ではなく改良していかなければならないのですが、それは日本企業にしかできないのです。

ーー

ボーイング社の新鋭機の機体は炭素繊維でてきているのですがこれも日本の技術です。

このように製造技術に関しては日本は世界の最先端を行っているのです。日本は、原発の発電技術や省エネ技術も世界の最先端を行っています。

日本の学界でも、英語論文が無いと、評価されないのですが、多くの技術に関しては、アメリカ留学する必要は全くないと言っていいでしょう。

ーーー

「日本国語大辞典」は50万語でありますが、Webster's Third new Internationalは45万語なのです。

造語競争ですが、日本語は漢字・カナ・ひらがな・アルファベットを使えるので、いわば、無限に造語できます。英語はアルファベット27文字しか使えないので勝敗は明らかです。

カン・チョルグ教授が言うように、日本語には翻訳能力や造語力があり、英語が新しい言葉を作り出しても、すぐに日本語に翻訳されてしまうのです。

逆に日本語を英語に訳すのは、難しく、結局音訳になってしまう。それでは意味不明のままになってしまうのです。

これは科学技術分野でも同じ事が言えるのではないだろうか?

ーーー 

ーーー以下は2009年7月4日付けの「株式日記」より、抜粋編集qazxhttp://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/2c3c568bbf79c268406a20095348d35b

日本では麻生総理が漢字を読み間違えて話題になりましたが、日本では未だに英語よりも漢字の読み書きで知性が判断されていると言う事の証明でしょう。

他の発展途上国のように欧米に留学しないとトップレベルの文化や技術が学べないと言う事はなく、自国語で最高レベルの教育ができる。

それは世界の進んだ文化が日本語に翻訳されているからであり、わざわざ留学しないと学べないと言うことがないからだ。

日本人学者の中には、アメリカの大学で博士号をとっているのに英語で会話ができない人がそれこそたくさんいる。

どうして英語の博士論文を書いたのかというと、業者に翻訳を任せたのだ。

ーー

日本の殆どのニュースキャスターは英語が出来ないので、外国での独自取材は出来ないのだが、少しも困らないようだ。

多くの日本企業のトップも英語はしゃべれない、ノーベル物理学賞取った人ですら英語が出来ない人がいる。

これは、日本社会においては、英語が出来なくても仕事が出来るということだ。

ーーー

欧米人が使っているアルファベットは、表音文字であるフェニキア文字に由来している。

日本人は、表音文字である「カタカナ」と「ひらがな」、それに表意文字である漢字を使っている。

日本人は漢字で日本語の発音を表示しようとして万葉仮名を発明した。

「カタカナ」と「ひらがな」は万葉仮名を略すことで発明された。

しかし「カタカナ」と「ひらがな」だけだったら、青森と鹿児島では、通じなくなっていた事だろう。

漢字を使っていたから通じた。

ーー

言葉は地方にいくと訛ってしまい、中央と地方では違ってくる。英語も米語と豪語などに分かれている。

時間が経てばラテン語がイタリア語やスペイン語やフランス語になっていったように別の言葉になっていく。

発音は地域や時代で少しづつ違ってくる。そして意味も変る。

やがて言葉の意味が分からなくなってくる。

ーー

ところが漢字が使われていると、ある程度意味が維持される。

日本には古事記以前にオシデという表音文字で書かれた文章があるのだが、意味が分からなくなって放棄された。

日本書紀はその漢訳だが元の意味が十分理解されて翻訳されたとは言えない状態だ。

我々の祖先が漢字を導入した理由は、表音文字だけでは意味が維持できないと考えたからなのだろう。

ーー

いま日本人は、日本語でほとんど全ての学問を学ぶことができる。

それは、高等教育が日本語で出来ると言うことだ。

たとえば、日本人は、人体のすべての部位を日本語で理解することができる。

しかも、当用漢字が分かれば素人でも、体のどの部位かが分かる。

英語では、こうはいかない。

専門用語を覚えるのに一苦労しないといけない。そしてその専門用語は素人にはわからないのである。

ーー

22世紀には、日本語は、意味が簡単にわかり、簡単に使える言語として、重要な存在になっていることだろう。

2017年6月22日 (木)

朝鮮人らは、国家存立のためには、国家間条約は、どんなことがあっても果たさなければならないということさえ理解できていない

ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集qazx

Robert.e.Kelly、釜山大学・政治学・准教授が2015年「Why South Korea is so obsessed with Japan(南朝鮮はなぜこれほど日本にとりつかれているのか)」という記事を書いた。

Kelly氏は朝鮮人の反日をAnti-Japanismと呼んで、それがなぜ生じているのかを客観的に論じている。

ーー訳qazx

It is immediately obvious to anyone who has spent substantial time in South Korea that its people and its elites have an extraordinary, and negative, fixation with Japan.

朝鮮民衆やその支配層は日本に並々ならぬ否定的な執着心を持っている。この事実は、ある程度南朝鮮で時間を過ごしたことのある人にはすぐに分かることである。

ーー

Korea’s media talks about Japan incessantly, usually with little journalistic objectivity and in negative terms: as a competitor for export markets which must be overcome, as a rival for American attention, as an unrepentant colonialist, as a recipient of the ‘Korean Wave’ (watch Korean analysts triumphantly argue that Japanese housewives are learning Korean), as a lurking military imperialist just waiting to subdue Asia again, and so on. 

朝鮮メディアは、日本をひっきりなしに話題にする。
しかしその報道には客観性は無く、否定的な言辞が使われる。

例えば、
輸出市場での打ち負かすべき競争相手として
アメリカの注目を巡る競争相手として
全く反省の色を示さない植民地主義者として
再びアジアを征服する時を待ち構えている軍事帝国主義者として、
「朝鮮熱Korean Wave」に熱狂する消費者として
(朝鮮の評者らが勝ち誇ったように日本人主婦が朝鮮語を学んでいると論ずるのを見よ!)

などだ。

ーー

またKelly氏は、朝鮮人が
リアンクール岩礁Liancourt Rocks竹島に異常に執着していること
独立記念日に子供達が日本軍人形に水鉄砲を撃ったりすること
などにも触れ、これらはきちんと説明されなければならないと言う。

Kelly氏の「説明」は、以下だ。

ーー

South Korea’s nationalism is negative, defined very much against Japan and, importantly, not against North Korea. The reason, I hypothesize, is that North Korea so successfully manipulates Korean nationalist discourse that South Korea cannot define itself against North Korea

南朝鮮の愛国心の程度は、どれだけ反北かではなく、どれだけ反日かで決まる。この理由として私が考えているのは、北が、反北では自己規定出来ないように南の言論を操作し、それに成功しているからだ。

ーー

北が、「主体思想」に基づいて「朝鮮民族」の優越性を基礎とする政治思想によって成り立っていることは日本でもよく知られている。

Kelly氏は、これが南に影響し、南は反北出来なくなっているのだと言う。

ーー

This would not matter if South Korea’s political identity were democratic and post-racial, but it isn’t. The minjok myth is in fact deeply resonant. South Korean education teaches it (the resultant racism is a huge problem); government media campaigns and commercials stress it; my students write about it in glowing terms; until a few years ago the national pledge of allegiance was to the minjok, not to the democratic state.

もし南朝鮮の政治体制が、民衆政治かつ人種差別のないものであれば、北の影響は問題にならなかっただろう。しかしそうではなかった。南では学校で「民族minjok」(優越の)神話を教えており、政府系メディアが広報し、民間広告もそれを強調している。「民族minjok」(優越の)神話が実に深く行きわたっているのだ。(その結果人種差別が大きな問題となっている)私の学生達も「民族minjok」について熱い言葉を使って書く。最近まで忠誠誓約は国家に対してではなく「民族minjok」に対してなされていたのだ。

ーー

Kelly氏の「朝鮮人らの反日」の理由についての仮説は、反日が「民族minjok」の自己規定(確認)に使われているというものだ。

親日では朝鮮「民族minjok」ではなくなってしまうと言うのである。

これからすると、朝鮮人らは、国家というものがまだ分かっていないということが分る。

ネット情報によると、朝鮮半島にある国家は歴史上一度も自力では独立国となったことが無い。

朝鮮人が大量に入り込んでいる日本メディアは、朝鮮人が「自力では一度も独立国を持ったことが無い」という情報を隠し、日本国民に伝えなかった。

ーー

それゆえ、日本の知識人でさえ、朝鮮人の反日に対してKelly氏ほどの理解もないように思う。

たとえば、「哀れなことに南朝鮮人は北朝鮮人に比べて「民族」としての純粋性において劣っているという自覚を持っており、従って「民族」としての責任を果たすためには日本を叩き続けるしかない」と。

ここには、朝鮮人には国家というものが分かっていない、という認識は見られないのである。

朝鮮人には、国家というもの(公の精神)がないので、「愛国心」が分らないということが分れば理解が進む。

それで国家の代わりに「民族」を持ち出してきたものの、例えば「民族の英雄が一人もいない」のである。

つまり朝鮮人らは、「反日」以外に、朝鮮人であるという自己規定(確認)が出来なくなっていることがわかる。

ーー

しかも朝鮮には、民族を鼓舞するような栄光の歴史が無い。

日本は支那やロシアそれにアメリカと正面から戦争をした歴史がある。

しかし朝鮮にはそのような歴史が無く、1885年までは、支那・清国の属国であった。

その様な状態で民族を鼓舞するためには、他民族を非難して朝鮮人の方が優れているという他ない。

しかし優れたところが一つもない。

それで自分たちが日本軍の一員であったことを隠し、「日本軍の被害者」の立場を捏造し、日本を非難することで優位に立とうとした。

と言うのも日本では被害者というだけで特権が得られる稀有な国だからだ。

しかし普通、他民族を非難すれば仕返しされる。

ーー

ところが朝鮮にとっては有り難いことに、日本は、敗戦で占領軍に、その戦争責任を一身に背負わされていた。

そして、「国軍不保持、交戦権放棄」の憲法を強制されているので、絶対に反撃してこない。

しかも、敗戦時に連合国軍の占領政策に協力することで、敗戦利得者となった勢力がその社会を支配している。

その勢力は、「国軍不保持、交戦権放棄」の戦後体制を守らなければ、敗戦利得者としての利権を失う。

それゆえ彼らは、慰安婦や性奴隷そして南京大虐殺を捏造し、日本人に自虐史観と、護憲を強制している。

彼らが日本のメディアを支配している限り、日本を叩いても日本人は反撃してこない。

ーー

だから朝鮮人指導者らは、絶対に反撃してこない日本を叩く事で、民族を鼓舞してきたのだった。

ーー

しかし今回の日韓合意は、アメリカが仲裁に入って成立している。

それで日本は、合意が守られていないとして、アメリカの了解を得て制裁を加えた。

すると、南朝鮮は、国家としての機能が麻痺する事態となった。

ーー

これらの状況は、朝鮮がこれまで一度も自力で独立国となったことが無いということに起因している。

朝鮮人には、いまだに国家というもの(公の精神)が理解出来ないのだ。

そう考えない限りうまく説明できない。

つまり朝鮮人らは、国家存立のためには、国家間条約は、どんなことがあっても果たさなければならないということさえ理解できていないのだ。

このことからも、朝鮮人には独立国の経営は無理だということが分る。

ーー

さてそれでは、このような、いわば幼稚な国家とどのように付き合っていくべきなのだろうか。

結論から言えば、共産支那が採用している、属国扱いが一番であろう。

つまり、国家として扱うことは出来ないと割り切ることだ。

そして、朝鮮人がなす個別の事項に対して、日本人に不利益をもたらした場合には、被った損害の数倍の罰を課すと言うものだ。

ーー

朝鮮人は、国家というものを持ったことがなく、したがって愛国心というものが理解出来ない。

このことが分れば、朝鮮人が、なぜ反日するのかが分かる。

それは日本が国家であるからなのである。

朝鮮人らの反日は、朝鮮人が唯一国家を意識出来る、道具なのだ。

それにしても情けない人たちである。

ーー

しかし朝鮮人の反日は、皮肉にも日本人の間に、愛国者を続々と誕生させてしまった。

その結果、今、日本国内では、日本人に自虐史観と護憲を強制してきた在日や反日勢力が、窮地に陥り出している。

2017年6月21日 (水)

彼等には、もはや国益、つまり日本国民の生命や財産などどうでも良いのである

ーー以下「鈴木傾城ブログ」より抜粋編集

日本には、日本人や日本国の名声を貶(おとし)め、その繁栄を毀損しようとする在日・反日勢力が存在する。

彼等は、世界戦Ⅱに負けた日本が占領下にあったとき、占領軍の旧体制破壊政策に協力することで敗戦利得を得た人たちなのである。

占領軍は、旧体制を支えていた人たち20万人以上を公職から追放した。

その際、追放すべき人物の名簿を作成し、代わりに彼らがその公職に就いたのであった。

それゆえ彼等にとっては、安倍首相に「日本をとりもどす」ことなど、されてはならないのである。

ーー

在日・反日勢力が支配するメディアは、それゆえ、朝から晩まで、手を変え品を変え、捏造や歪曲や強弁でずっと現政権批判を続けている。

今や自国だけで、侵略戦争から自国を守ることは不可能な状況なので、どの国も、集団的自衛権を行使するとして、軍事同盟関係にある。

ところが日本メディアは、集団的自衛権は憲法上認められない、というような世論操作に明け暮れていたのである。

彼等には、もはや国益、つまり日本国民の生命や財産などどうでも良いのである。

ーー

またテロ等準備罪も、この法が整備されていなければ、組織犯罪を防止するための国際条約・パレルモ条約を締結することができず、日本の国益を毀損してしまうところだったのである。

というのも、2008年にOECDの金融活動作業部会FATFがパレルモ条約を締結出来ないのなら、国際金融業務から日本を排除するとの勧告を出したからなのである。

ところが、日本共産党は、党の綱領に暴力(テロ)による政権奪取をかかげており、テロ等準備罪に抵触してしまうのである。

そのため、国益などもともと考えていない共産党は、反日メディアと一緒になって、テロ等準備罪に共謀罪とレッテルを貼り反対したのであった。

在日・反日勢力も、日本国益を毀損しようとして、劣化左翼や工作員に共謀罪反対デモをさせた。

在日・反日勢力が支配するテレビでは、自分たちに都合の良いことを話す人間たちに反対させたのだった。

ーー

ところが、ネットでは、日本の多くのメディアが、在日・反日勢力の支配下にあり、支那・南北朝鮮の利益のために世論操作をしていることが知られている。

そしてネット上では多くの日本国民から、「マスゴミ」と吐き捨てられている。

日本人は、メディアで、在日・反日勢力が垂れ流す偏向報道に、もはや爆発寸前だ。

ーー

例えば、ネットでは報道されているのに、メディアが報道しない情報がある。

つまりメディアは、「報道しない自由」を行使しているのである。

朝日新聞や毎日新聞は、人権を守れだとか、人種差別をなくせとわめくのだが、支那人が、チベット人やウイグル人の人権を無視し、人種差別をしている事実を報道しない。

一億人以上を餓死や虐殺した文化大革命、あるいは反対する学生を戦車でひき殺した天安門事件には言及しようともしない。

これでは反日メディアは、支那共産党から、宣伝活動費をもらっているのではないかと疑われても仕方あるまい。

ーー

あるいは韓国人が、世界各地で日本人に成りすまして悪事を行って、日本人の名誉を傷つけていることも報じないのである。

韓国人の反日というのはまさに日本人に対する公然とした差別なのだが、それを問題視することもない。

さらに北朝鮮内部で起きている国家規模の国民弾圧や強制収容所における人権侵害も報道しようとしない。

北朝鮮の政権がどんなに人権侵害しても、日本メディアは無視する。

そんなことは全く起きていないかのようである。

逆に、日本メディアは、従軍慰安婦や南京大虐殺を捏造して、日本人に罪悪感を抱かせようとしているのである。

狂っているとしか言いようがない。

ーー

日本国内の犯罪に関しても、日本メディアは、それが、在日がらみだと、すぐに報道しなくなる。

たとえば、2013年5月22日、大阪府大阪市生野区新今里で発生した、在日朝鮮人による通り魔事件があった。

康桂善という在日男が「生粋の日本人ですか?」と尋ねて次々とナイフで突き刺す凄惨な事件だった。

これは日本人に対する凄まじい憎悪犯罪(ヘイトクライム)であった。

にも関わらず、マスコミは後追い記事も出さなければ、2013年11月に殺人不起訴になったことも報道しなかった。

ーー

朝日新聞は在日が犯罪を犯しても、それを日本名(通名)で報道する。

朝日新聞を読むと、日本人が犯罪を犯しているように見える。

しかし、実際はそうではない場合が多いということだ。

ーー

2016年12月11日、大阪浪速区JR新今宮駅ホームで日本人女性を突き落とした男がいた。

朝日新聞は「中川晃大」という名前で報じた。

しかし、この男の本名は「裴晃大」という在日であった。

では通名を持たない在日が犯罪を犯すと、どうするのか。

朝日新聞は、記事にしないのである。

たとえば、大阪生野区で偽ブランドを販売していた姉妹が2016年5月2日に逮捕された。

この姉妹が通名を持たなかったために、朝日新聞は記事にしなかったのである。

ーー

朝日新聞記者は、自らサンゴを傷つけて「日本人は精神が貧困だ」とか「心がすさんでいる」とか書いて悦に入っていたりする。

(全く狂っている)

吉田清治のような「背乗り疑惑」のある男の作文、「日本軍人が朝鮮女を強制連行した」を垂れ流したのも朝日新聞だ。

日本人の多くがもう朝日新聞記事を全く信用していないのである。

ーー

日本のメディアは、在日・反日勢力に支配されているのである。

テレビ局には、日本人ではない人間が大量に紛れ込んで、番組を作っている。

彼等は、スポーツの世界大会で日本人が優勝しても、国歌斉唱・国旗掲揚を見せようとしない。

そして彼らは、ネット上に何度も証拠の写真と共に指摘されているように、自作自演、やらせ、仕込みで世論操作をしているのである。

ーー

しかもこうした狂ったメディアは、朝日新聞だけではない。

毎日新聞も、東京新聞も、各種地方新聞にも、多くの在日・反日記者が潜んでいて、日本の国益を毀損し続けているのである。

ーー

芸人のなかにも、在日が大勢いて、在日を引き上げ、日本人を下げるようなことをやっている。

ニュースは、支那、南北朝鮮上げの意図のもとに作られており、北朝鮮のミサイル発射を繰り返し報道し、進んだ技術だと絶賛するようなことをしている。

討論番組では、支那・南北朝鮮上げを繰り返し報じている。

これまで多くの日本人は大人しくそれを受け入れてきた。

しかし、ネットから情報を得ているような20代から50代の人々は、このような報道に対して、反撥している。

日本人は特定アジアの工作員たちが垂れ流す偏向報道にもはや爆発寸前なのだ。

ーー

4. 名無しさん、2017年06月20日 16:57

  • 一見、「政権対野党とメディア」の構図で延々報道されてるけど、本当はずっと「国民対メディア」なんやで。
  • メディアはガセでも何でも醜聞(スキャンダル)に仕立て上げて報道する。
  • 失言を誘い「ほら失格」と煽る。
  • しかもメディアは市民の声など無視したままだ。
  • こんなことをされては、どんなに国民の為に成る政権であっても、長続きできない。
  • 自民党政権は、ずっとメディアには批判されっぱなし。
  • メディアがよいしょした民主党政権は国民に地獄をもたらした。

    国民は投票で政治には関与できる。
    それで国民は選挙で民主党政権を野党に叩き落とした。

    国民がメディアを批判する方法は、
    テレビなら見ない(宣伝している物を買わない)こと、
    新聞なら購読しないことだ。

    国民を幸せにしないメディアは、つぶすしかない。

    2017年6月20日 (火)

    民進党は、「約束は相手に守らせるもの。自分達は約束を守る必要はない」と考えているのです

    ーー以下「鈴木傾城ブログ」より抜粋編集

    1、自分勝手で他人に注意されるのを嫌う
    2、気に入らなければ暴言を吐き、暴力をふるう
    3、自分の都合で約束を破り、裏切る
    4、横柄で、わざと相手を怒らせたり、物を壊したりする

    社会にはこのような人間が一定数存在する。

    ーー

    こうした人間は普通の社会生活が出来ない。

    社会が彼らとは共生できないとして受け入れないからだ。

    彼らの居場所はどこにもないのである。

    ーー

    ところがそんな人たちが現実には存在している。

    いわゆる犯罪者集団として存在しているのである。

    彼等だけの組織も存在している。

    自分勝手で粗暴で他人を裏切る人達の組織とはどのようなものなのか。

    ーー

    その組織は、共生できない人間を、共生できる人間に変えたということになる。

    1、上位には絶対服従という明確な上下関係
    2、「上位に従わなければ殺す」という明確な規則
    3、それ以外は自由

    これだとあれこれ考えなければ誰にでも守れる。

    こうして作られているのが、裏社会の組織なのである。

    ーー

    裏社会では自分の都合で「裏切り、関係を切ってくる」のである。

    ーー

    ところが、そういった人は、見せしめに殺される。

    一言で言うと、「淘汰」される。

    人間社会では、共生できない者は、生きていけないのだから、遅かれ早かれ「淘汰」されることになるのだ。

    ーー

    人間社会も、そこに順応できない人間を「淘汰」しながら成り立っていることが分かる。

    裏社会の組織が「淘汰」の仕事を請け負っていた。

    なかなか気付かないことだが、社会の「異物排除」はこのようにして自然に回っている。

    ーー

    ーー以下「Ttensanブログ」より抜粋編集

    民進党は他党と約束をしたら他党に対しては徹底的に約束を守れと言います。

    そして他党が約束したではないか守れと民進党にいうと、「約束を信じる方が頭がおかしい」と言い開き直ります。

    ーー

    民進党は、「約束は相手に守らせるもの。自分達は約束を守る必要はない」と考えているのです。

    ーー

    朝鮮人koreanも、このように考える人たちなのです。

    日韓合意には、米国の立会いの下で「最終的かつ不可逆的」という文言が入れられました。

    この不可逆的というのは、韓国側が言い出したとされています。

    つまり、日本側にとっては慰安婦の存在は変えられないものであり、韓国側にとっては何度でも賠償を請求できるという意味だった。

    ところが、国際的にはそんな韓国側にのみ都合の良い考えは通用しなかったということに成ります。

    ーー

    さて、この朝鮮人と同じきわめて自分勝手な民進党の話。

    昨日、民進党と共産党によって金田法相と山本地方創生担当相の問責決議案が提出されました。

    テロ等準備罪法案の審議を妨害するためです。

    民進党の議員が質問し、共産党の議員が質問を終え、維新の党の東徹議員が質問を始めた途端に民進党の真山勇一議員が東徹議員の質問を遮って委員会の解散を言い出したのです。

    自分達だけ質問したからあとは審議を妨害するために問責決議を出した。

    問責決議を出した事を小川敏夫に耳打ちされた真山勇一が委員会審議を中止するように一方的に言い出す。

    議員以前に人としてクズだと言ってよい行動です。

    が、民進党や共産党にとってはなんの問題もない行動なのでしょう。

    ーー

    民進党や共産党は、「約束は相手に守らせるもの。自分達は約束を守る必要はない」と考えるような人達であることが分ります。

    我々は、彼らが政権の座に就くようなことが決して無いようにしなければならないのです。

    2017年6月19日 (月)

    国民の間で「韓国側への謝罪は不毛だ」とする認識が広まってきた

    ーー以下「頂門の一針、阿比留瑠比コラム」より抜粋編集

    韓国は、本当に面倒くさい国だなあとあきれていた。

    が、百田尚樹氏の『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社)を読んで自分の浅慮に恥じ入った。

    百田氏はいう、「日本が朝鮮人に対して行った非道の数々は、私の想像を絶する」「現代に生きる日本人のほとんどが、70年以上前に、祖先が朝鮮半島でいかにひどいことをしてきたか知りません」と。

    そして百田氏は、日本の悪行を次のように例示している。

    ▽朝鮮人の子供たちに義務教育を課し自由を奪った
    ▽朝鮮文字を広めそれまでの漢字文化を変えた
    ▽はげ山に5億9千万本もの植林をして景観を変えた

    また、朝鮮半島の至る所に鉄道網を敷き
    河川の護岸工事で川本来の原始の美を壊し
    現在も電力源となっている多くのダムを造り、傷痕を今に残した。

    朝鮮半島は日本統治時代に耕地面積は倍近くに増え
    人口も2倍となり
    平均寿命は24歳から42歳にまで延びた

    百田氏は「そんなものを朝鮮人たちが望んだわけではありません」と指摘し、こう問いかける。

    「私たちの先人が朝鮮半島で行ってきたふるまいを反省すべきではないでしょうか」

    義務教育
    朝鮮文字教育
    植林事業
    新田開発
    鉄道網整備
    護岸工事
    ダム建設

    …みんな懺悔に値する、と。

    なるほど、朝鮮人が今なお反日なのは、先人が朝鮮人を人間扱いした所為だったのか。

    ーー(論説委員兼政治部編集委員)

    また古森義久氏はJBpressに6月17日付けで以下の様な小論を書いている。

    ーー以下抜粋編集

    文在寅大統領はこれまで政治家として北朝鮮を無法国家とみて糾弾したことがほとんどない。

    むしろ北朝鮮を脅威だとか無法だとみる側に対して非難を浴びせてきた政治活動家だったのである。

    そんな彼にどう対処すべきなのか。

    ーー

    日本側は年来、韓国側に同調し、譲歩を示し謝罪をすれば、韓国側が態度を軟化させ当面の摩擦状態は改善されるはず、という前提に立っていた。

    慰安婦問題などでの宮沢喜一氏の連続謝罪、河野洋平氏の「河野談話」などが分かりやすい実例である。

    だが、この前提は間違っていた。

    日本が謝罪した後の韓国側の態度や日韓関係の実際の展開をみれば、その結果は明白である。

    ーー

    米国オークランド大学の日本研究学者、ジェーン・ヤマザキ教授は、日本の韓国に対する謝罪外交は外交としては完全な失敗であり無意味だったと総括している。

    (同教授は日系米人男性と結婚した女性)

    教授は自著で、1965年の日韓国交正常化以降の日本の国家としての謝罪の数々を列記している。

    「主権国家がこれほどまでに過去の自国の行動を悪事だとして他国に謝ることは国際的にも珍しい。だが、その謝罪によって韓国側の対日姿勢が改善することはなかった」

    「謝罪が効果をあげるには、受け手側にそれを受け入れる構えがなければならない。しかし韓国側には、日本の謝罪により自国の言動を変えるという態度はまったくうかがわれない」と書いた。

    他の米国人政治学者、ロバート・ケリー教授やジョージタウン大学のビクター・チャ教授も、日本側の謝罪は日韓摩擦を解消しないという趣旨の見解を明らかにしている。

    最近は日本側でも国民の間で「韓国側への謝罪は不毛だ」とする認識が広まってきたようである。

    ーー抜粋ここまで

    ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集

    占領軍は、旧体制を破壊するために、旧体制に協力していた人たちを公職から追放した。

    世界戦Ⅱで、日本の都市を空爆し一般市民を大虐殺し国際法を犯したことにたいする批判に対して徹底的な言論弾圧を行った。

    そして占領軍は、戦争責任を日本に一方的に押し付け、東京裁判史観を日本人に強制した。

    このとき、米軍の占領政策に協力した人々は、敗戦利得を得たのだった。

    これらの人々が、戦後の政財界、学界、教育界、言論メディア界、法曹界を支配した。

    歴史学界などは、未だに反日勢力が支配している。

    だから、本当の歴史を書くと、学会から批判された。

    ーー

    日本の支那・朝鮮に対する謝罪外交は、一般国民から見れば不可解なものである。

    それで国民の多くは、それは日本の意思ではなく米国の意思によってなされてきたと考えていた。

    ところが、ネット環境が整備され、多くの人がネットに情報を発信するようになり、在日・反日勢力の存在が指摘されるようになった。

    真っ先に従軍慰安婦が誤報であるとして、朝日新聞などがやり込められるようになった。

    そして、朝日新聞は、従軍慰安婦の誤報を認めざるを得なくなったのだった。

    ーー

    閣僚の靖国神社参拝ができなくなっているのも、朝日新聞が、閣僚の靖国神社への参拝を、国際問題にしたからだった。

    在日・反日勢力が、メディアと一体となって、日本人の利益を毀損し続けていたのだ。

    ーー

    日本人は、ネット環境からそのことを知ったのだった。

    例えば、在日・反日勢力は、以下の様な行為をしているのである。

    各地の弁護士会が、朝鮮学校への補助金支給を行えとの声明を出し
    従軍慰安婦を捏造し、国連でそれを性奴隷と発言して、日本国を貶め
    反共デモに対し、【ヘイトデモ禁止仮処分申立書】を申し立てた

    これらをネットで知った日本国民が、いま反撃を開始している。

    ーー

    2017年6月15日に国会で、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律」いわゆる共謀罪が成立した。

    この法によって、綱領に暴力(テロ)による政権樹立を掲げる党などは、処罰されることに成る。

    メディアは、この法が、組織犯罪を防止するための国際条約・パレルモ条約(既に187か国で締結されている)締結の為に、必要な法であることを隠してきた。

    それは、メディアが、「綱領に暴力(テロ)による政権樹立を掲げる党」を、かばってきたからだ。

    つまり、日本のメディアは、在日・反日勢力に牛耳られていると言えるだろう。

    ーー

    そう考えれば、91年にソ連が崩壊し、冷戦が終わった後、日本メディアが、日本の成長を非難し、円高を演出していた理由が分かる。

    円高は、日本企業の支那への進出を促し、日本の工業力を削ぐ狙いがあったのだ。

    そして2009年にメディアは、よってたかって、ようやく民主党政権樹立に成功する。

    その時、円は70円台まで釣り上がったのだった。

    2012年、イ・ミョンバク韓国大統領は、日本支配が完成したと言った。

    ーー

    こうした事実を、日本メディアは報道しなかった。

    しかし、ネット上では、取り上げられ、炎上した。

    そして、2012年12月の総選挙で、自民党大勝利、第二次安倍政権が成立したのだった。

    安倍政権となり、日銀の国債「買い介入」、ゼロ金利政策によって、円安へと進み、それは、支那・韓国没落への合図となった。

    こうした中で、2015年12月28日の慰安婦に関する「最終的、不可逆的」日韓合意がなされたのだった。

    いま、在日・反日メディアの没落と引き換えに、日本の再生が始まろうとしている。

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