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経済・政治・国際

2017年10月17日 (火)

スペツナズとはロシア軍の特殊部隊であり、ロシア語で「特殊任務」を意味する

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

M・ガリオッティ著、茂木作太郎訳『スペツナズ』(並木書房)

著者は英国人で、ロシア軍の研究者である。

スペツナズとはロシア軍の特殊部隊であり、ロシア語で「特殊任務」を意味する。

徴兵の中から選抜される軽歩兵部隊である。

これはロシア軍の特有な運用形態であり、隊員は、即応能力が高い訓練を積んで練度高く、任務に忠実、規律に厳正に従う。

ロシア最強の特殊部隊と言われている。

ーー

クレムリンが軍事介入するときには『槍の穂先』『尖兵』として1920年代から活躍してきた。

淵源をたどると中央アジアの反乱鎮圧に派遣されたボルシェビキ部隊で、スペイン戦争にも極秘に参戦し、1979年にアフガニスタン侵攻では、先頭に立った。

90年代のチェチェンには歩兵部隊の代わりに投入され、2014年のクリミア併合では半島占領作戦に従事した。

こうみると大規模戦争よりも、局地戦に特殊任務を果たしてきたことが分かる。

ーー著者はこういう。

「1999年の(第2次)チェチェン紛争で、陸軍の一般部隊が実戦に耐えうる態勢になっていなかったという理由から、スペツナズが歩兵部隊の代わりに戦闘に投入された」

このことからは「スペツナズ部隊に託された大きな期待がうかがえる」。

「スペツナズは本来、戦場での偵察、敵の指揮系統の混乱、補給線の遮断、北大西洋条約機構(NATO)の戦術核兵器の無力化などを主要な任務としてきた」

「ここから分かるのは、スペツナズは一般の軍偵・諜報部隊と情報・保安機関の隙間を埋める存在だということだ」

ーー

「現在、スペツナズは再びその規模を拡大しており、クレムリンの政治軍事の実行手段として、課せられた任務もまた増大している」

ーー

このスペツナズ部隊は西側の特殊部隊とは異質で、その秘密を探った珍しい本である。

米国のデルタフォースや、英国軍のSAS(特殊空挺部隊)は、エリート兵士で構成されている。

それに対して、スペツナズが徴兵の中から選抜された兵であることがまず強調される。

ロシアは、このスペツナズのような特殊部隊を使って、世界政治に介入してきた。

そのスペツナズが規模を拡大している。

これは、ロシアが何かを仕掛けているということを示すものだろう。

巻末にはスペツナズが使用している最新鋭の武器も解説されている。

2017年10月16日 (月)

日本人は誰も、支那・朝鮮人やロシア人に支配されたいなんて思わない

産経新聞は朝刊一面に、「戦後72年弁護士会」という特集記事を掲載している。

その10月15日付け記事は「憲法解釈栄えて国滅ぶ」と題されている。

というのも、安倍内閣が、安全保障関連法案を国会に提出したとき、大多数の憲法学者らが違憲だと騒いだからだ。

安保法は、支那・朝鮮の武力による脅しに対抗して、日本国を守るために集団的自衛権の限定行使を容認するものだ。

ーー

自衛権や集団的自衛権の行使は、独立国存立のための安全保障上の当然の権利である。

それを何故憲法学者らは、憲法違反だとして認められないなどと主張するのか。

ーー

この疑問への答えは、現在の日本国憲法が占領軍によって書かれたものだからだ。

連合国・占領軍は絶対に復讐出来ないように、日本人に「国軍不保持、交戦権放棄」の憲法を強制した。

そしてその憲法が機能するように、東大法学部に、いわば護憲派を養成したのだ。

そして「宮沢・芦部」らは戦後の憲法学会を支配し敗戦利得者となったのだった。

ーー

しかし常識的には、誰もが、国があっての憲法だろうと考える。

だから日本国民は、国を護るための議論が「国軍不保持、交戦権放棄」の憲法を護れでは、納得しない。

「国軍不保持、交戦権放棄」の憲法では、国軍である自衛隊は違憲の存在に成り、自衛隊が侵略者を射殺すれば殺人犯に成ってしまう。

日本人は誰も、支那・朝鮮人やロシア人に支配されたいなんて思わない。

自衛隊が違憲の、いわば機能しない状態で、どうして侵略者から国を護るのか。

そんな議論が護憲派の憲法学者からは一言も聞かれない。

ーー

(恐らく政府は、有事には戒厳令を出し、憲法を停止し自衛隊を国軍として使うつもりなのだろう)

ーー

護憲を主張している憲法学者らは、彼等の本来の仕事であるはずの、どのような憲法にすれば国が守れるのかについては一切発言してこなかったのだ。

敗戦利得者としての利権を守る為なのだろう。

「自衛隊は国軍であり違憲だ」と主張するばかりでは、国が無くなってしまう。

本当の憲法学者であれば「国軍不保持、交戦権放棄」の憲法では、国が亡ぶと考えるはずなのだ。

そう考えた人が居て、彼は「憲法解釈栄えて国滅ぶ」と言った。

元大阪弁護士会会長・小寺一矢(今年3月死去、享年75歳)氏だ。

ーー

中韓を知りすぎた男」のブログ主人も同様の意見を書かれていた。

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集

ーー余命

有事における外患罪適用下の裁判は平時とは大きく異なる。

有事では、国家の対外存立が、なにものにも優先するからだ。

余命は竹島問題をはじめとする日韓関係や拉致問題からミサイル実験を続ける北朝鮮との関係は、すでに有事状態であるとしている。

それゆえ、両国に関する事案について昨年10月から告発を始めている。

ーー

司法汚染の状況下では、告発状はすべて返戻されている。

弁護士(諸悪の根源日弁連)は朝鮮人学校補助金支給要求声明に対する懲戒請求を無視し続けている。

これは憲法第89条違反をものともしない異様な状況だと言えよう。

ーー

しかし、いかなる判決であろうと、日本人、日本国家として法に基づいたものであれば異を唱えるものではない。

が、最近、日本人として容認、看過できないかなりの数の常識外判決が頻繁に見受けられるようになった。

裁判官については法によらぬ判決が堂々とまかり通っているのが実態である。

最高裁については裁判官の資格と構成に問題があり、異様な判決が出るのはその関係が大きい。

ーー

従来の法律では明らかな法違反でも告訴、告発は困難だった。

が、8月10日、いわゆる共謀罪とパレルモ条約発効により環境が激変している。

検察官、裁判官、弁護士のすべてに国民のメスを入れることが可能となっているのである。

ーー

「日本の常識は世界の非常識」この逆も可である。

「世界の常識は日本の非常識」

ーー

日本では少なくとも問題にされていないが、世界では国際テロリストあるいはテロ企業と認定されるいくつかの例を挙げよう。

ISに同調する有田や山本は国際テロリスト。
このお仲間の神原や上瀧も国際テロリスト。
これらを支援し行動する組織もテロ組織。

これらの支援道具として利用されているツイッター社も是正なければテロ企業。

日本では、これら個人、組織の告発の敷居は高い。

が、直接ISと対決して大きな犠牲を払っている欧米では認定にいささかの壁もないのである。

ーー

日本では「有田は国会議員だから...」という話は欧米では通じない。

テロリストがどんな職業であろうと全く関係はない。

日弁連が日本における唯一の弁護士組織であろうとも北朝鮮制裁決議に反するものはテロリスト組織である。

そこには日本国憲法第89条違反も関係がないのである。

2017年10月15日 (日)

どんな才人であろうとも、人ひとりの努力の成果などたかが知れている

ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集

姓・嬴(えい)、氏・趙(ちょう)、諱・政(せい)は、紀元前221年に史上初の支那統一を成し遂げ、始皇帝と称し、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。

始皇帝が君臨した秦は、彼の死とともに崩壊し、その中から、項羽と劉邦という2人の人物が頭角を現す。

項羽は、楚の将軍の家に生まれ、優れた体躯を持ち、兵学を学び、万夫不当の猛将、部下に慈悲深く、惚れた女に一途。

劉邦は、農民の出で本名すらよくわからず、武勇拙(つたな)く、兵法にも政略にも政治にも疎く、強者にはへつらい、弱い者には傲慢で、女にだらしない。

しかし現実に天下を獲ったのは劉邦だった。

ーー

大元帥の韓信が劉邦に曰く、

「項王(項羽)は、彼自身が万夫不当の猛将(将才)なれど、それゆえに優れた将軍を信じてこれに任せる(君才)ということができません。これはただの匹夫の勇にすぎませぬ」

この「将才と君才」について、あるとき、劉邦が「自分はどれほどの将の器であるか」と韓信に問うた。

韓信、答えて「陛下ならざっと10万といったところでしょう」と。

では汝は如何にと劉邦は続けて問うた。

「私なら100万の兵であろうが自在に操れます」

「余が10万で、そちは100万か。ならばなぜそちは余の臣下に甘んじておる?」

「私は兵を操るのに長けた“兵の将”にすぎません。しかし陛下は、将を使うのに長けた“将の将”です。兵の将では、将の将に及ぶべくもありません」

ーー

つまり、「兵に将たる才(将才)」と「将に将たる才(君才)」はまったく別物なのである。

ーー

項羽は、范増・陳平・韓信という錚々たる人材を擁していた。

にもかかわらず、ひとり、またひとりと項羽の下を去っていった。

なぜ項羽から、人が去っていったのか?

項羽は、敵に対しては冷酷・残忍・無情で、敵からは鬼神の如く怖れられていた。

一方味方に対しては、礼儀を以て臨み、慈悲深く、ときにやさしい言葉もかけ、思いやりも見せた。

しかし項羽には、致命的な欠点があった。

ーー

韓信曰く、「彼は、いざ褒賞を与える段になると、途端に、これを渋る。これは致命的です。大王(劉邦)が天下を望まれるならば、彼の逆を為せばよろしい」と。

つまり「家臣に仕事を任せ、功に対して惜しみなく恩賞を与える」ことだ。

ーー

どんな才人であろうとも、人ひとりの努力の成果などたかが知れている。

しかもその成果は、春先の雪の如く、減ることはあっても増えることはない。

それを、我が物とすれば、必ず、周りの協力者がひとりまたひとりと去っていく。

項羽はこの愚を犯して、その身を亡ぼした。

ーー

与えよ、さらば与えられん

得たものは、必ず周りの人の助力、援助、支援があっての成果なのだ。

ならば、報酬は入った先から、お世話になった人に惜しみなく与えよ。

得たものはなくなり、与えたものは増える

ーー

劉邦は、なるべく戦わぬことを心掛け、戦わざるを得なくなったときもなるべく敵に降伏を促し、降伏した者には所領を安堵し、功を成した者には、得た領地を惜しみなく与えた。

そのため、全国から優れた人材が集まり、各地の諸侯が忠誠を誓うようになり、与えた財が何倍何十倍にもなって劉邦の下に還ってきた。

ーー

「希望の党」が「失望の党」に変わってしまった。

小池氏の都民ファーストの会自体が、小池氏の豊洲移転中止の独断によって、機能不全状態になっている。

その癖が「希望の党」にも出てしまった。

「希望の党」の人事も小池氏の独断で決まるといった不透明なものになった。

それを嫌って小池氏の周りには優秀な人材が集まっていない。

つまり女史には君才は無いということに成る。

一方の前原氏は、「武勇拙く、兵法にも政略にも政治にも疎い。強い者にへつらい、弱い者には傲慢で、女にだらしない」と言うところは劉邦に似ている。

しかし、政党助成金を我がものにしようとしている。

彼もまた君才の持ち主ではないということだ。

2017年10月14日 (土)

人生で重要な時期を振り返って説明を求められたとしたら、誰でも『信頼できなく』なりがちです

ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集

『日の名残り』は、イギリス貴族の主人への忠誠心と義務を優先して生きてきた老執事が、アメリカ人富豪の新しい主人を得て、過去に思いを馳せる内容になっている。

アンソニー・ホプキンス主演で映画化もされ、イシグロの名前は一躍世界に知られるようになった。

ーー

イシグロの作品は「信頼できない語り手(unreliable narrator)」で知られている。

つまり、語り手自身が自分の人生や自分を取り囲む世界についてかならずしも真実を語っていないのだ。

現実から目を背けている場合もあれば、現実を知らされていない場合もある。

ーー

だが、読者は語り手の視点に頼るしかない。

物語が進むにつれ、馴染みある日常世界の下に隠されていた暗い深淵のような真実が顕わになってくる。

そこで、読者は、語り手とともに強い感情に揺すぶられる。

ーー

『浮世の画家』と『日の名残り』はイシグロ自身が何度か語っているように、設定こそ違うが「無駄にした人生」をテーマにした同様の作品である。

前者はアーティストとしての人生、後者は執事としての職業人生と愛や結婚という個人的な人生の両方だ。

どちらの語り手も、手遅れになるまで現実から目を背けてきた。

ーー

イシグロは2015年のガーディアン紙のウェブチャットで読者からの質問にこう答えている。

ーー

「『信頼できない語り手』について特に考えたことはありませんでした」

「私は、自分自身が現実的だと感じるかたち、つまり、たいていの人が、自分の体験について語るとき普通にやっているように語り手を描いているだけです」

「というのは、人生で重要な時期を振り返って説明を求められたとしたら、誰でも『信頼できなく』なりがちです」

「人は、自分自身に対しても『信頼できない』ものです」

「というか、ことに自分に対してそうではないでしょうか」

「私は(信頼できない語り手)を文芸的な技術だとは思っていません」

ーー

イギリスはナチスドイツとの戦闘では勝ったが植民地の大部分を失ってしまった。

日帝により香港要塞やシンガポール要塞が陥落し、大英帝国としての権威が失われてしまったからだ。

最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズは日本の連合艦隊によってあっけなく撃沈されている。

ーー

チャーチルは日本を戦争に引きずり込むことでアメリカを参戦させた。

イギリスはドイツとの戦いでは勝利したが、アジアではボロ負けしてインド洋では日本海軍から逃げまくった。

これはアジアで従来の白人優位思想を崩壊させるものとなった。

ーー

当時のイギリスにおいては、ヒトラーの人気は大変なものであり、特に中年女性に圧倒的な人気があった。

チェンバレンのように時間稼ぎをしておけばヒトラーはロシアに攻め込んで自滅していたかもしれない。

何も日本を戦争に巻き込む必要はなかったのだ。

ーー

そうすれば香港もシンガポールも失う事はなかった。

しかし、チャーチルは戦争を選び、結果的に覇権国の地位を米国へと譲り渡したのだった。

しかしこのような事実を指摘することは現代ではタブーだ。

それをイシグロ氏は、小説という形で書いた。

ーー

「日の名残り」は名門中の名門のイギリス貴族の家庭が舞台だ。

名門貴族は世界帝国としてのイギリスの気概を持っていた。

現代のイギリスの貴族は当時のような気概を持ちようがない。

ーー

イシグロ作品は、私たちが自分自身や自分の人生について抱いている幻想や、自分についている嘘についても考えさせてくれる。

ーー

誤解されていることだが、ノーベル文学賞は、文芸賞として権威があるブッカー賞などとは異なり、「最も優れた小説」に与えられるものではない。

(イシグロ氏はブッカー賞も受賞している)

「文学の分野において理念をもって創作し、最も傑出した作品を創作した人物」が対象であり、「世界で最も優れた作家」でもない。

これまで重視されてきたのは「理念」の部分だ。

ーー

ノーベル文学賞を与えたスウェーデン・アカデミーは、イシグロについて「強い感情的な力を持つ小説を通し、世界と繋がっているという我々の幻想に潜む深淵を暴いた」作家と説明した。

また、アカデミーの体質なのか、正統派の文芸作家や人気作家よりも意外性を重んじているように感じる。

過去10年間の受賞者の国籍は、フランス、ドイツ、ペルー、スウェーデン、支那、カナダ、フランス、ベラルーシ、アメリカとほとんど重ならない。

昨年のアメリカ人の受賞者ミュージシャンのボブ・ディランにしても、社会性と意外性を感じる。

2017年10月13日 (金)

今後「希望の党」は共産・立憲民主の票を削りながら支持率が下がるような、そんな主張ばかりを行うかと思います

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集

ーー読者「半角スペース」

「希望の党」が激しい動きを見せています。

しかし私は「希望の党」は自民党の別動隊であり、「希望の党」の行動にはブレがないと考えています。

ーー

当初「希望の党」はメディア対策でテレビによって影響される層を取り込み改憲勢力を増やす予定だった。

しかし、小池人気を餌に民進党が予想以上に釣れてしまった。

そして民進党の在日・反日勢力を分離することに成功しました。

ーー

「希望の党」が元民進党員を大量に受け入れ、その残渣を立憲民主党へと弾いた。

その時、立憲民主党へ移動した在日・反日勢力を落とすためならば多少変なのが混ざるのもやむなしか、と思っていました。

ですが今の、「希望の党」の動きを見ると、どうやら容赦しない様に見える。

「希望の党」が、民進党の後釜・第二民進党である事を隠さなくなった。

つまり、民進党員を「希望の党」もろとも沈める路線に入った。

ーー

ということは、今後「希望の党」は共産・立憲民主の票を削りながら支持率が下がるような、そんな主張ばかりを行うかと思います。

投票の1週間前くらいに「希望の党」のスキャンダルが連続して出てくる様なら完全に予定通りの動きだと思われます。

ーー

さらなる路線変更がある可能性も否定できません。

が、ともかく「希望の党」は日本が直面している国難を突破するために働いている。

自民党の別動隊として票の調整をする役目を果たしているのです。

ーー

「希望の党」の主義主張で一喜一憂する必要はまったくありません。

何だったら叩くのが正解です。

今度の選挙は自民党一択は変わりません。

選挙動向であまり気をもまないよう皆様お気をつけ下さいませ。

ーー以下「宮崎正弘ブログ、読者の声」より抜粋編集

チャンネル桜「討論・倒論・闘論」で防衛省OBが出演した国防戦略会議の3時間目でOBが「砲弾が足りない・足りない」と繰り返しておられました。

そして株式市場で、その砲弾の製造の豊和工業(6203)が爆上げしました。

「討論・倒論・闘論」の議論と宮崎先生も防衛関連銘柄をご推奨していらっしゃいましたので、すこしばかり持っておりました。

良いボーナスになりました。
ありがとうございます。

ーー

上昇材料はブラックロックという世界最大のアメリカの機関投資家が豊和工業の株式を大量購入していたというニュースです。

石川製作も同様の動きをみせています。

ウォール街金融資本が日本の砲弾製造企業株式の5〜9%程度まで投資したということは、アメリカが日本再武装の方向で圧力を掛けてくると予想しています。

ーー

今後は、時価総額の大きい重工や川重、日本製鋼、新明和などへの米系資本の買いが目立ってくる可能性もあるのでは。

(私の予想はよくはずれるので信用しないでください)

ーー

確実に言えることは、仮に今回の衆議院選で自民が負ければ、日本株は大暴落するということでしょう。

日本も韓国と同じ運命を辿るということです。

思えば91年にソ連が崩壊するまで、欧州で緊張が高まっていましたが、場所的に遠く実感はありませんでした。

それが今は極東が一番危ない。

ーー

「前近代独裁国家」支那に「前近代独裁覚せい剤国家」北朝鮮。

とても憲法前文が成立する環境ではありません。

90年代に日本国を隣国に売るような行為をしていた宮沢・細川・村山・橋本辺りの責任は大きいと思います。

しかし当時は、ネット環境が無く、メディア・言論が在日・反日勢力に支配されていた。

そんな状況では、日本国を隣国に売るような人しか首相にはなれなかったのでありましょう。

(R生、ハノイ)

2017年10月12日 (木)

その中を日本兵たちは、ほんの数人の塊となって英国軍と戦い続けています

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

昭和19年3月から6月にかけて、日本帝国陸軍はインパール攻略作戦を発起し、日本兵は勇戦しました。

インパールが、ビルマ(現在名ミャンマー)からインド北東部の要衝だったからです。

しかし帝国軍は、補給の無い状況で、武器弾薬が尽き、飢え・衰弱した体でマラリアや赤痢に罹患し、退却する他なかった。

この退路には、延々と日本兵の腐乱死体や白骨が折り重なっていたことから、白骨街道と呼ばれました。

ーー

生還した兵の記録に次のようなものがあります。

小田敦巳著『白骨街道生死の境』

 道ばたに腰掛けて休んでいる姿で小銃を肩にもたせかけている屍もある。

 手榴弾を抱いたまま爆死し、腸わたが飛び散り鮮血が流れ出したばかりのものもある。

 たいてい傍らに飯盒と水筒が置いてある。

 ガスが充満し牛の腹のように膨れている屍も見た。

 地獄とは、まさにこんなところか。

 その屍にも雨が降り注ぎ、私の心は冷たく震える。

 そのような姿で屍は道標となり、後続の我々を案内してくれる。

 屍を辿った方向が分かるのだ。
 皆これを白骨街道と呼んだ。
 屍の道標を頼りに歩いた。

ーー

英国軍はこの退路にもしばしば現れ、容赦なく銃弾を浴びせています。

日本兵の死体のみならず、負傷し罹患して動けない兵をも生死を問わずガソリンを掛けて焼きました。

こうした酸鼻(さんび、むごたらしくいたましい)な敗戦だから、作戦を指導した牟田口中将は、戦後あらゆる罵声を浴びせられました。

ーー

負ければ賊軍は世の習いです。

しかし、幾ら牟田口中将を非難しても失われた生命が帰ってくることはありません。

この事実から我々は、「何が学べるか」が大切だと思います。

ーー

不思議なことが幾つかあります。

昭和18年9月の御前会議で

絶対国防圏として千島、小笠原、マリアナ、西部ニューギニア、スンダ、ビルマを含む圏域と定めます。

そして、この外郭線において敵の侵攻を食い止めようという戦略が決定された。

その基本戦略に反してインドに撃って出ようというインパール作戦は、最初に書いたようにその翌年3月のものです。

ーー

どうしてこの時期にこういう作戦を立てたのか。

大本営は当初反対していました。

しかし、当時日本に滞在していたチャンドラ・ボーズの強い要請を受けて作戦の実施を認めたのです。

ーー

大東亜戦争は退勢が濃くなって来ていました。

日本が掲げた戦争目的は欧米による殖民地支配からアジアを解放することでした。

この目的を改めて世界に訴えるためにはインドの独立に火をつけることだと考えられたのでした。

ーー

守る英国軍は15万です。

攻める日本軍は9万、他にインド国民軍4万5千がいました。

加えればほぼ並ぶのに、日本軍はそのインド国民軍をまるごと温存しています。

つまり作戦遂行にあたって「置いてきた」のです。

ーー

世界の普通の国ならこうした場合、インド軍を寧ろ前に立てて自国軍主力の犠牲を少なくしようとします。

ましてインド独立のための戦いです。

インド国民軍を前に出して何が悪いと考えるのが普通です。

ーー

ところが日本軍はそれをしなかった。

自分たちが戦いの先頭に立っています。

個別に少数のインド兵を配属された日本軍の下級将校も皆そうしています。

戦闘のプロである日本軍の幹部は、これがどういう困難な戦いになるかは分かっていたのでしょう。

だからインド兵は後ろに置き、自分たちが先頭に立ってインドを目指しています。

ーー

日本軍の心意気は必ずやインド兵に伝わり、インドの決起を促すであろうと。

或いは、虐げられたアジアの尖兵として戦うという本能的なアジアの心は、大東亜戦争の日本軍将校が共有していたのではないかと思います。

ーー

果たしてインドは独立しました。

ということは、インパール作戦は成功したのです。

その意味を知ればこそ、戦後の東京裁判に独立間近のインドは歴史の証人としてパル氏を判事として送り込んだのではないかと思われるのです。

ーー

二つ目の驚きは、こういう惨烈な戦いに終始日本兵の士気が高かったと聞くことです。

インパールは補給を無視した無謀な戦いであったと戦後の反日言論界では誰もが書いています。

が、もともと国力の隔絶している日本がやむを得ず世界を相手に広いアジア全域で正義の戦いを始めているのです。

第一線への補給の困難は分かりきった話です。

ましてアラカン山脈に分け入る進撃です。

そこはジャングルの中です。

ーー

食料乏しく、弾薬も尽き、医薬品は最初から不足し、マラリアやテング熱、赤痢も猖獗する日々を、遠路はるばる二ヶ月を戦い抜いた。

かのワーテルローの戦いはたった1日です。

戦いの二ヶ月というのは、ものすごく長い期間です。

後方との連絡の細い山道は常に上空からの銃爆撃にさらされて、命令も情報も伝わってこなかったに違いありません。

ーー

その中を日本兵たちは、ほんの数人の塊となって英国軍と戦い続けています。

しかも誰ひとり降伏しない。

誰も勝手に退却しない。

軍の形は崩壊しても、一人一人の日本兵は弾の入っていない歩兵銃に着剣して、後退命令の来る最後まで戦い抜いています。

そうした闘魂の積み重ねで一時はインパールの入り口を塞ぐコヒマの占領まで果たしています。

つまり前半戦は勝ってさえいたのです。

ーー

三つ目の不思議はその軍規です。

餓鬼や幽鬼のような姿で山中を引き揚げる日本の将兵たちが、だれ一人、退却途中の村を襲っていない。

既に何日も食べていない。

負傷もしている。
病気にも罹っている。

けれどビルマ人の民家を襲って食物を奪い、家畜を殺し、ついでに女を犯すといったことは、まったく伝えられていません。

ーー

銃を持った敗残兵がそうのようなことをするのは世界史の常識です。

戦場になったビルマ人たちは戦中も戦後も、日本軍に極めて好意的であったと聞くのは、そういう不祥事がなかった証拠です。

ーー

戦後のインパール戦記は沢山書かれました。

しかし驚くべきことには、民家を襲うようなことはしなかったと誇る記述を誰一人残しておられないのです。

戦争に関係のない民家を襲わないなんて日本兵にとっては「当たり前」のことだった。

むしろ、退却途中でビルマの人に助けて貰った、民家の人に食事を恵まれたと感謝を書いている例が多いのです。

そういう生き方が我々の祖父や父の若き日であったのです。

ーー

最後の不思議です。

この戦いは英軍15万と日本軍9万の大会戦です。

有名なワーテルローの戦いはフランス軍12万、英蘭プロイセンの連合軍は14万ですから、ほとんどそれに匹敵する歴史的規模の陸戦です。

にもかかわらず、英国はこのインパールの戦いの勝利を誇るということをしていない。

ーー

戦いの後、インドのデリーで、英国に胡麻すりのインド人が戦勝記念式典を企画していますが、英国軍の上層部が差し止めたと伝えられています。

ーー

以上の戦いの回顧をして、私は英国軍がそうしなかった理由が、何となくわかる気がするのです。

自分たちは野戦食としては満点の食事を摂り、武器弾薬も豊富に持ち、次々と補給される。

そして植民地インドを取られないために、つまり自国の利益のために戦っている。

ーー

それなのに日本兵は、ガリガリに痩せ、誰しも何処かに負傷し、そして弾の入っていない銃剣を握りしめて、殺しても殺しても向かってくる。

それが何と、インドの独立のため、アジアの自立のためです。

そんな戦いが60日以上も続いたのです。

ーー

第一線で戦った英国軍は勝った気がしなかったのではないか。

ーー

ようやく日本軍の力が尽きた後に、何万もの日本兵の屍が残っていました。

英国人たちは、それを見たとき、果たして正義がどちらにあるのか、これまで考えてきた正義の根底を揺さぶられたのではないでしょうか。

インドを植民地支配している自分たちに、はたして正義があるのか、と。

ーー

実際、インパールで日本軍と戦った後、インドに起きた独立運動に対する英国駐留軍の対応は、当時の帝国主義国家の植民地対応としては、あまりにも手ぬるくなっています。

やる気が感じられないのです。

ガンジーたちの非暴力の行進に対して、ほとんど発砲もしないで通しています。

以前の英国軍なら、デモ集団の真ん中に大砲を打ち込むくらいのことはしていたのに、です。

ーー

そして、戦後の東京裁判で、英国は、インドがパル判事を送りパルが日本擁護の判決付帯書を書くことについて容喙していません。

そこに私はインパール作戦が世界史に及ぼした大きな、真に大きな意義を感じます。

戦後反日勢力はこのインパール作戦について、補給もなく多くの兵を死なせており、無謀であり間違っていたとの広報・宣伝に努めています。

しかし、現実にはその後、インドに独立運動が起き、不可能とさえ考えられていた英国からの独立がなしとげられた。

このような史実を公平・客観的に記述する方が余程説得力があると思うのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

2017年10月11日 (水)

いわば朝敵の藩の元祖だから明治新政府からは徹底的に無視された

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

中村彰彦『保科正之 歴史の裏に真あり(2)』(自由社ブックレット)

保科正之については最近まで無名に近い扱いを受けてきた。

ところが江戸時代には大宰相と言われた人物であった。

ーー

「藩政と国政には、現代政治の先を行っている点が多々ある」

「貴賎男女の別なく九十歳に達した会津の領民には終生一人扶持を与え続ける、と発令しました」まさに国民年金制度の先駆けである。

ついで「旅人が病みついたときは医者を呼んで治療させよ、その旅人が手元不如意なら経費は藩庁長が出す」とした。

これは「一種の救急医療制度」だったわけである。

ーー

「国民年金制度と緊急医療制度を養老保険・傷害保険とみなすなら、これを初めて国家政策として採用したのはドイツ第二帝国のビスマルク首相」だった。

つまり欧州より220年も早かった。

明暦の大火でも、『疾風に勁草を知る』が如くに沈着冷静にことにあたり、難民救済、江戸の再興計画を建て実行した。

そして犠牲者の慰霊事業をてきぱきと行った。

ーー「疾風に勁草を知る」《「後漢書」王覇伝から》

激しい風が吹いてはじめて丈夫な草が見分けられる。苦難にあってはじめて、その人の節操の堅さや意志の強さがわかるということ。

ーー

何故そんな人物が今まで忘れられていたのか。

第一に明治維新以来、日本人が古き時代の改革に興味を失ったこと。

第二は明治以降の支配者となった薩長が徳川幕府の歴史を徹底的に無視したこと。

第三は占領軍が占領政策として日本の歴史を破壊したこと。

ーー

占領軍は、戦争責任が日本あるという教育と、メディアを使っての東京裁判(自虐)史観を日本国民に強制した。

それによって日本の歴史は自虐史観一色となり、公正で客観的な日本の歴史は長い間、顧みられなかったのである。

ーー

ネット環境の出現によって、占領軍の占領政策に協力し、敗戦利得者となった在日・反日勢力の存在が明らかになる。

そして、在日・反日勢力によって破壊された日本の歴史が見直されるようになった。

そんな中で中村彰彦は、保科正之を再発見したのだった。

氏の『保科正之』(中公新書)はベストセラーとなった。

次いで氏は、保科正之をモデルに小説も書いて高い評価を得た。

ーー

保科正之は二代将軍秀忠の側室が産んだ庶子であり、高遠(たかとお)の保科(ほしな)家に預けられた。

それが三代将軍家光の知るところとなる。

家光は、正之を中央に招き、幕政を彼の手腕に託した。

正之は、将軍家の血筋であることをうまく使って、政治を行うことができた。

さらに四代将軍の助言役となって、以後四半世紀、事実上の日本の宰相として数々の偉業を成し遂げた。

ーー

その手柄によって、保科正之は、山形から会津へ配置換えされ、会津藩の主(あるじ)となった。

幕末には、幕府側となった会津藩は京都守護職として薩長に敵対し、官(新政府)軍と会津戦争(戊辰戦争)を戦う。

会津は、会津城籠城戦(慶応4年8月23日 - 明治元年9月22日(1868年10月8日 - 1868年11月6日))を1カ月間戦い、ついに降伏したのだった。

いわば朝敵の藩の元祖だから明治新政府からは徹底的に無視されたのだ。

ーー

本書は、保科正之の行った政治に現代的解釈を施しており、分かり易くなっている。

とくに若い人に読んで欲しい本である。

2017年10月10日 (火)

電子レンジも、パソコンも、ネットも軍事技術から発展したものだ

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

ケント・ギルバート『平和の夢に支配された日本人の悲劇』(自由社ブックレット)

このところ、ケント氏の活躍がめざましい。

氏の発言は、反日勢力をぶった切るものだが、鋭く本質を突いている。

それが新鮮に思えるのは、メディアが反日であり、ケント氏のいうような意見を取り上げてこなかったからだ。

ーー

愛国勢力の間では常識的な内容であるが、ケント氏独自と思える視点は以下だ。

第一は沖縄について、米国人のケント氏は、米軍基地問題が切迫したものになっているとしている。

第二は平和論について、反日勢力の護憲では平和を維持できないと言うものだ。

米知識人の間にはむしろ日本核武装容認論が急速に拡がっていると。

第三は日本の安全保障について、軍事技術を維持・高度化せよという。

ーー

したがって、本書の第九章は「技術立国、日本を守れ」となっている。

一方日本学術会議は軍事的な研究を行わないという声明を出した。

これに対してケント氏は、そもそも「軍需産業は、国の技術と経済をめざましく発展させます。これは経済の常識です」と書いて、反論している。

ーー

軍事技術というのは、経費を度外視して国家の生存を掛けて研究開発されるものだからだ。

ーー

「零戦(零式艦上戦闘機)の高度な技術に散々痛い目にあったアメリカは、戦後、日本の飛行機製造を禁止しました」

「1952(昭和27)年にサンフランシスコ講和条約で日本が再独立すると、民間企業による飛行機の運航や製造の禁止は解除されました」

しかし航空機産業は米国の監視下におかれ、独自の技術的発展に足かせが嵌められたのだった。

ーー

歳月が流れ、日本は自動車産業からカーナビを産んだ。

米専門家が「これは、もう、アメリカの軍事用GPSと同じじゃないかって、びっくりしていました。日本の方が発達していた」。

電子レンジも、パソコンも、ネットも軍事技術から発展したものだ。

日本学術会議が、「こんな基礎知識を知らないわけがありません」。

「つまり彼らの正体は、日本経済を発展させたくない人々です」

日本学術会議が「軍事的研究を頭ごなしに否定することは、すなわち世界の技術から取り残され、日本が技術的後進国に陥没する」ことになる、と。

2017年10月 9日 (月)

老子に曰く

古来難解とされた概念も、近代になって様々な西洋語の概念を知るようになってみると、思いのほか簡単に、理解できることがある。

日本での「道」についての概念は、その言葉を使っている当人は理解していると思われるのだが、その意味内容を伝えきれているかというと、むしろ非常にわかりにくくなっているというべきだろう。

もともと人が歩(ある)く「みち」であったものが、「ひとの歩むべきみち」になり、そして「老子に曰く」となると、時代が古いせいもあるだろうが意味不明の道となった。

以下の「老子曰く」で語られるのは「道」なのであるが、小生は、近代語での自然と訳して記述してみた。

原文を書いた天才である徹底さんは、顔をしかめているに違いない。

ーーー以下抜粋編集qazx

【徹底的改造計画1/6】自然の性情、あるいは玄徳http://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t/e/d7f944a072ddcd16632083229ac7a721

老子に曰く

自然は万物を生じさせしめて
しかしてこれを微塵も我物として有せず
衆生に無限の施しをなして
しかしてこれを一切誇らず示さず
万物をその性情に応じてあるがままに長ぜしめて
なおこれを寸毫も主宰すとせず

これを自然そのものの性情すなわち玄徳と称す

ーーー

形ある存在としての万物を各々万物あらしめている自然というものは、万物のもつ各々個別の性情の総和そのものでもあります。

万物は自然により形を与えられることで生じ、その与えられた形に沿ってその性情は自ずから個別具体的に定まりますが、しかしその形を失えば個々の性情の差異もただちに失われ、そのまま元の自然へと還えってしまうものなのです。

そうであるがゆえに万物はことごとく例外なく自然より生じているといえるのです。

しかし人間は、分別知を持ち、万物を自身の都合思惑において見てしまいます。そしてこの分別知というのは言葉の持つ働きとしてのみ存在します。

これとあれ、自分と客体、このような言葉の上で仮構された分別知のうえでのみ、はじめて自分があれを得るこれを失うという関係性がでてくるのです。

ーーー

我々は、自身の心の中に、本来・不断に変化しているものに、形を認め、さらに部分を見出し、その部分によって再構築された観念上の世界をも作り上げています。

これを妄想といい、この妄想に無自覚な状態の心を蒙(もう、暗くて見えない状態)と言います。

つまり言葉で表現されたものは、それがいかに尊き存在の権威を僭称し美辞麗句に満ちたものであったとしても、畢竟(ひっきょう、つまるところ)人間の都合や必要において妄想されただけのものであるにすぎません。

だからその神の教えとやらが人間と社会にとって不都合不必要であるなら、それを打ち捨て焼き滅ぼすのもまた人の自由なのです。

ーーー

そもそも万物を生み出し、万物に形を与え、万物を各々の性情のままに万物たらしめている自然とは、迷信じみた作用や意志の示し方をすることは一切ありません。

すなわち自然は万物を生じ、育(はぐくみ)みますが、自然は万物と不可分一体であり、決して自然が万物を有しているわけではありません。

生きとし生けるものを互いに関わらせ恵合(めぐみあわ)わせ施(ほどこ)させ・あうのは、自然の作用であり、そこに与える者受け取る者の区別分別も一切ありません。自然が、これを自身の手柄であると誇ることもありません。

万物が各々個別具体的な形で、それぞれの働きをなすのは、与えられた形に応じた性質の表れに過ぎません。ここに主宰する者それに従う者の区別分別もありません。

ゆえに万物は自然においては斉同(みなおなじ)であり、不可分であるといえるのです。

これを自然の性質、玄徳(もともとのとく)と呼びます。

玄徳(もともとのとく)の意味は、受ける側がそれを与えられているということさえ一切感覚することはないが、しかしそれによってこそ生かされている、それなしでは何者も生きられない自然の絶妙な作用のことです。

ーーー

世界は、この自然の絶妙な作用が欠ければ、成立しないのです。

にも関わらず、自然の産物である個人が自らをこの世界を作った神と称するのであれば、そのようなものに向かってはただ「汝去れ!」と命じ、どこまでも無視するべきでありましょう。

そのようなものに関わるほどに、本来自然の絶妙な作用の一部であるべきどこまでも自然なる自身の心を、言葉の分別知によって汚してしまうことになります。

ーーー

しかしこの俗世間には、宗教や宗教家が理もなき妄想を垂れ流しており、自然なる自身の心を汚してしまうことが多いため、心を能(よ)く統(す)べ治(おさ)められる人間もまた少ないのです。

人は自然の一部にすぎません。その人が自身を神であると称し、自分こそが自然を作ったというような根本的倒錯(とうさく、逆)を正すために、あえてここで言葉による説明を試みているわけであります。

しかしてもちろんこれもまた言葉の分別の働きを借りて行う説明にすぎませんが。

ただ言葉に仮構されたところに耽溺するだけの、多くの知恵無き宗教及び宗教家たちの過ちを些かでも改め、人々が向かい目指すべき方向を正しく指し示す一助になれば幸いと存じ、試みている次第です。

2017年10月 8日 (日)

台湾原住民世界では種族によって言語が異なっていたが、それが日本語が共通語となった

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

菊池一隆『台湾原住民 口伝(オーラルヒストリー)』(集広舎)

25年ほど前、評者(宮崎)が台北のホテルに滞在中、佐々木理臣氏が台湾の山奥には日本語だけの集落があるという。

(佐々木理臣(故人)は当時東京新聞北京特派員『魔都上海』という名著を残した)

それで、そこへ一緒に行かないかと誘われたのだが、他に先約あって合流できなかった。

評者(宮崎)は、別便でバスを乗り継いで、山奥の集落にあがると歓迎され、一晩泊まっての体験記を書いた。

ーー

佐々木氏とは、その後共に、馬祖諸島に飛行機で飛んだことがあった。

氏は、現地での取材を大切にする記者だった。

本書の著者菊池氏も、この日本語だけの集落(タイヤル族の集落、桃園県復興軍角板山)に通うこと十年、その都度取材を繰り返してきた。

本書はその現地取材の集大成である。

著者には好評を博した前作『台湾北部タイヤル族から見た近現代史、日本植民地時代から国民党政権時代の「白色テロ」へ』(集広舎)がある。

ーー

さて台湾には原住民がいて、日本では彼らのことを「高砂族」と呼称してきた。

台湾の原住民には大きく十六族がある。

彼等は国民党が勝手につけた「高山族」などの命名を嫌がる。

彼等の内、タイヤル族の先祖は、もとカフカス、黒海付近にいた。

それが、東への移動を始め、長江で合流し、さらに北上して黒竜江省あたりで、暮らした。

やがて台湾へ移住し、最初は平原で暮したが、オランダと鄭成功がくると平地を追われ、丘陵地帯から山岳へ、そして山奥へと移動した。

タイヤル族は支那人らと争ううちに三つの流れとなり、タロコへ移動した人たちもあるが桃園角板山のタイヤル族が「純タイヤル族」と言われる(pp171~172)。

ーー

タイヤル族は勇猛果敢、武装ゲリラ闘争を得意とする。

日本は、1895年、日清戦争に勝ち、下関条約で清から台湾を割譲された。

その統治に際しては、日本軍は、タイヤル族の武装ゲリラに苦戦を強いられた。

一転して日本贔屓となるや、タイヤル族は、「高砂義勇軍」として日本に協力した。

ーー

タイヤル族には独自の言語があっても文字がない。

そこで日本語教育と遭遇し、日本語を喋るようになり、いまでも、彼らの集落内では北京語や台湾語よりも日本語が通じる。

ーー

「50年間に及ぶ日本植民地時代に、台湾では日本語教育の強制、徹底化が図られ、戦争末期には、よくも悪くも日本語で話し、書き、考える人々が増大した」

「台湾原住民世界では種族によって言語が異なっていたが、それが日本語が共通語となった」

「その結果、多くの原住民は原住民語をその単語などを除いて、ほとんど忘れてしまった」(p277)

ーー

日本語だと微妙な意味(ニュアンス)も心情も表現できるというので、彼等は、ラブレターも、哲学も日本語ですることになった。

ーー

さて本書の内容である。

台湾が戒厳令下、蒋介石独裁下に少数民族(タイヤル族)に嫁いで一家をなした奇特な日本人女性がいた。

国際文通で知り合い、愛を育み、台湾へ嫁入りしたのだ。

その一家と親戚が「あの時代」つまり日本統治時代について活き活きと語った。

時代環境、生活、風景が再現される。

文献資料からは想像も付かない歴史が口承によって甦(よみがえ)る。

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