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2020年10月 6日 (火)

西洋史ではいつの時代においても、民衆は常に、「権力からの自由」を望み続けたのです

ーー以下「ねずブログ20/10/1」より抜粋編集

石造りの堅固な城壁を持つ古代遺跡が世界各地で見つかり、その中で人類が文化的生活を育(はぐく)んでいたと思われる痕跡が見つかっています。

しかしそれらは遥か昔に放棄されたもので、その中でどのような人々がどのような文化を育んでいたのかは今や推測するほかないのです。

つまり、恐らくその城壁内で暮らしていた人々は、皆殺しの憂き目に遭ったのであろうし、彼らが住み生活していた場所は略奪と殺戮の後放置されたのでしょう。

ーー

世界中で、このような遺跡がみられるということは、世界中でこのような殺戮と略奪が繰り返されていたと考えられます。

ということは、民族の発生は、外敵を打ち払うために、国をつくり、その中心に権力を置くという社会形態を構築することに由来すると考えて間違いないでしょう。

だから世界には多くの国ができたし、それらの国では王が生まれ、国と国の同盟や冊封(朝貢)なども行われたと考えられます。

ーー

ところが結果として、権力者(王)が民衆を私的に支配し搾取し、民衆は貧困にあえぐということが世界の常態となりました。

さらには権力者が国を維持するためと称して権力に背く民衆を平然と殺害してきたのです。

ーー

最近の事例を挙げると、例えば朝鮮戦争1950~1953では、半島を南北に分割支配した二人の権力者によって戦争という名目で400万人もの朝鮮人らが、虐殺されています。

自国の大統領(主席)による蛮行だったのですが、大統領(主席)は、そうした一連の蛮行を、すべて日本の所為にして、自分たちが虐殺したという事実を隠したのです。

彼(彼ら)は、そう教育することで国民の批判が日本に向かうようにして、なんといまでも政権を維持しています。

朝鮮戦争が日本との戦いであったなど、普通の知力の持ち主であれば「捏造である」と見抜けるのですが、そんなバレバレの捏造を人民に信じさせることができている、これはこれで驚くべきことといえます。

ーー

また、人口20万人の南京で日本軍が40万人もの支那人を虐殺したとの「妄想」宣伝をし続けている北京共産党政府が、1989年6月4日には、民主化を求める自国の丸腰の学生たち5万人以上を戦車で轢き殺しています。

その蛮行さえも、建国の父・毛沢東の億単位の人民虐殺からみたら、可愛いものでしかないのです。

ーー

そして、いまもなお北京共産党政府によって、チベット、ウイグル、内モンゴルで強制収容所に数百万人もの人たちが収容され奴隷労働に従事させられています。

さらにチベット・ウイグル・内モンゴル人らや法輪功信者らが、生きながら臓器を摘出され売られるという残酷な刑(?)を受け続けている。

こうした北京共産党政府から迫害されている人たちが「権力からの自由」を求めるのは当然のことで有りましょう。

ーー

西洋史ではいつの時代においても、1789年に起きたフランス革命にみられるように、民衆が望むものは常に、「権力からの自由」であり続けました。

権力に刃向かい、権力を倒した英雄が、結果として権力者となって人々を支配し続けた。

ですから西洋の人々にとっては、権力からの自由は、まさに見果てぬ夢であり、坂の上にある手の届かない雲であり続けたわけです。

ーー

このことは、19世紀以降に中心をなしたdemocracy(民衆政治)国においても同じです。

なるほど近代民衆政治は、民衆が国の権力者を選挙で選ぶものであり、民衆は国民とされたのです。

フランス革命では、国民の自由、平等、友愛を謳(うた)い上げることで形成されました。

ーー

ところがその近代国は、資本家によって政治家が買収され「資本家の利益のために国が奉仕する」状況となっているのです。

なにしろ選挙は、宣伝に莫大な資金が要るものだからです。

資本家による富の追求の結果が、二度に渡る世界大戦をもたらしたとも言えるのです。

ーー

現在のネット社会では、北京共産党政府や資本家らが、メディアを支配して、自分たちに都合の良い社会を作ろうと宣伝していることは、よく知られた事実です。

ーー

こうした世界にあって、我が国では、一体いつの時代に始まったのかさえもわからないはるか昔から、国の最高の存在を「権威」とし、その権威によって末端の民衆を「おほみたから」とする国作りが行われてきました。

この統治の体制を「シラス」と言います。

シラス社会にあって、政治権力者の下にある民衆は、政治権力者よりも上位にある国の最高権威の「たから」と規定されます。

国の最高権威は、政治権力を持ちません。

こうすることで、民衆は、国の最高の「たから」となり、権力者は常に「民衆のために働くもの」ということが常態化したのです。

ーー

そしてこのことが示すことは、ただ一つです。

それは「民衆が国の最高権威によって権力からの自由を与えられてきた」ということです。

日本人は、太古の昔から、まさに(権力から)自由の民なのです。

ーー

日本書紀の仁徳天皇の記録に、仁徳天皇の減税によって、人々の生活が豊かになったことが記(しる)されています。

減税の結果、皇居が荒れ果てていました。

すると減税によって豊かになった人々が天皇の存在に感謝し、皇居の整備にこぞって馳せ参じたのだと。

ーー

また、平安中期の伊勢神宮の斎主であり、神祇大副であった大中臣能宣(おほなかとみのよしのぶ)は、

 御垣守(みかきもり) 衛士(えし)の焚(た)く火は 夜は燃え、昼はきえつつ、ものをこそ思へ

と歌いました。

ーー

(皇居の門番を、無給であるにも関わらず、進んで買って出てくれている民衆が、一晩中不寝番で篝火(かがりび)を絶やさず、また日中は篝火は消すけれど、その不動の姿勢を崩さない。民は、自分たちが豊かに暮らせる(都までの旅費も宿泊費も食費も全部自前)ことが、天皇の存在のありがたさによって、自分たちが権力からの自由を得、またそれによって豊かに安心して安全に暮らすことができることへの感謝を、こうした門番を含む勤労奉仕で捧げてくれている。その民の思いを、我々政治を担う貴族はしっかりと受け止めていこうではないか)

ーー

一部の貴族や豪族、あるいは政治権力者や富者・長者といえる人たちだけが富や権力を独占し、寡占し、結果として民が搾り取られる搾取社会と、天皇という国の最高権威によって、民衆こそが「おほみたから」とされる社会では、雲泥の差があることが分かります。

ーー

いまでも多くの日本人は、道や電車で財布を拾えば、黙ってそのまま警察に遺失物として届け出をします。

一昔前の日本人なら、たとえば明治時代に日本にやってきたイザベラ・バードは、旅館に大切なものを置き忘れたとき、それを黙って日本人の馬子が届けてくれて、謝礼を渡そうとしたけれど、馬子が決して謝礼を受け取ろうとしなかったことに、たいへんな驚きをもって、その事実を手記に遺しています。

なぜそのようなことが起こるのかといえば、我が国では古来、権力は民衆のためのものという共通認識が根底にあるからです。

ーー

東日本大震災の際に被災地の日本人が互いに奪い合うことなく、自衛隊や自治体の支援物資を整然と並んで受け取り、足らない分は分け合うという行動をしたことが世界から絶賛されました。

国に対する民衆の絶対の信頼が根底にあればこそ、このような行動が自然に現れるのです。

国が信頼できず、権力がただの収奪機関としか認識されない社会では、人々は自分が生き残るために暴動を起こしてでも自分や家族のための食べ物を自分で確保しなければならなくなるのです。

ーー

英国のチャーチルは、「民衆政治は最悪の政治である。これまで試みられてきた、民衆政治以外の全ての政治体制を除けばだが」という有名な言葉を遺しました。

素晴らしい言葉だと思いますが、チャーチルが日本のシラス(統治)を知っていたら、もっと別な言葉になったのかもしれません。

ーー

日本には、上古の昔から続く、究極の民衆政治があります。

それは、民をこそおほみたからとする、シラス(統治)です。

憲法改正論以前に、もともと日本が持っていたこの究極の民衆政治についての理解を、国民的常識にしていくことが必要です。

そしてそれこそが、神々の望む日本の姿です。

ーー

このようなことを申し上げると、「いやいやそんなことはないよ。日本だって歴史を振り返れば問題の連続だったんだよ」などとおっしゃる方がおいでになろうかと思います。

そういう認識自体が間違いなのです。

ーー

と言いますのも問題というものは、なくてはならないものだからなのです。

ものごとが動いていれば、人も物も風景すら変わっていくものなので、それが新たな問題を生むからです。

つまり「問題がある」ということは、「ものごとが動いている」ということの証(あかし)です。

ーー

問題というのは、変化する社会においては、なければならないものです。

そして当事者である我々は、単に解決のために努力をすればよいだけのことです。

そもそも神々は解決不能な問題は与えないのです。

ーー

解決の努力をせずにただいたずらに「問題だ、問題だ」と騒ぐのは、子供のすることです。

大人は、子供と違って、問題に直面し解決するために努力と工夫を積み重ねばならないのです。

それを問題が起きて、それを解決しようと知恵を絞ることなく、ただ「問題だ」と騒ぐのは、責任を取らなくてよい幼児の行動と同じです。

大人がそれをするなら、それは精神の病気でしかありません。

ーー

責任ある大人なら、問題が起きる前に手を打つべきだし、それでも問題が起きたなら、むしろ問題点が明確になったと喜んで、皆で協力しあって問題を解決していくことが大事です。

その意味で、仕事はできるが、よく問題も起こす社員というのは、むしろたいへん一生懸命仕事に打ち込んでいる社員である、ということもできます。

そして問題が起きたとき、皆で協力し、知恵を出しあって問題の解決にあたることによって、問題を起こした者もまた成長するのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本と世界の根本的な違い
日本と世界の違いを人類の歴史を俯瞰して考えて看るに、先ず、隔絶した位置にあることで、生業を同じくするが他民族である集団との生存競争が起り難かったと言う点、然し、海流や風向は、全て、列島に向いて居たから、世界中から日本へ向けて様々なものや人が辿り着き、或いは、流れ着いて居たであろうと言う点、処が、辿り着いた列島は、世界有数の災害多発地帯だった。

平地は少なく、川の流れも急で湖沼も少ないし、危険な火山も
あちこちにある。是では誰が考えても、この地で農耕を始めるのは無謀に思える。

先ず、生存に必須の飲料水を確保するのにも、井戸を掘らねばならないし、どんどん移り変わる自然の中で、食糧を維持して、健康に暮らせる可能性自体、極めて低く思えただろう、ダカラ、他に選択肢があれば、そちらを選択したで有ろう事は間違いありませんね。

然し、凡そ3万年前に南九州では、既に、人々が生活を営んで居た痕跡がみつかっています (種子島、横峯遺跡他=最古3万5千年前、薩摩半島、西多羅ヶ迫遺跡=2万8千年前、同、水迫遺跡=2万年前・・他多数)、列島には、少なくとも、3万年以上も前から人類が自然の中で苦闘して居た事に成りますね。

加えて、この九州南端地帯は、火山帯の真っ只中にあって、火山が三大事吹き飛ぶような、終局噴火を起こして出来るカルデラが、凡そ200kmの間に、6つ「=鬼界、阿多、桜島、霧島、加久藤、阿蘇」並んでいる、特殊な地域だという事が、判って来て、注目されて居ます。

では、何故こんな生存条件の厳しい所に棲みついたのだろうか?

それは、地球が7万前から、氷期に入っていて、水が常に液体である温度域にある地方は、限られていたからでしょう、つまり、温泉が出る火山の近くとか、冬でも比較的暖かい処を目指して居たわけです。

近世、薩摩半島が注目される契機になったのは、田舎の中学生の大発見でした。

事の起りは、大正時代中期に、薩摩半島南端の橋牟礼川付近で剥き出しになった断層の上下から、全く違った土器が発見されて、然も、その間の地層は開聞岳の縄文期の大爆発の噴出物で埋められていたのですカラ、そこに時代の画期がある事がわかりました。

噴火前に居た民族は、滅んだか、その土地を遺棄して移動し、代わりに違う民族が、定住したと、考えられ、前の時代を縄文時代、後の時代を弥生時代と呼ぶ様になっています。

然し、この画期的な発見も、その後の日本が第二次世界大戦という国の興廃がかかった難事を挟んだ事で、凡そ50年以上放置されましたが、最初の発見時に、中学教諭が京都大学に、調査を依頼していたので、資料が散逸する事無く、50年後も調査が継続出来た乃は大きいですね。

何気ない話ですが、この辺りの民間人レベルが持って居る価値観の高さこそ、日本文明の特徴とも言える事で「金になる/ならない」の判断では、こうした発見は、起こらなかったでしょう、それに、異民族が居無いとか、非仏教の死生観の違いもありましょうが、権力者の墳墓も、概ね質素で副葬品もあまり無いので、海外の様に定例の墓荒しも、余り聞きませんね。

日本文明は、その後、東シナ海沿岸に棲む海人族を中心とする勢力の北上・東上で凡そ、500年に亘る、長期の内戦「=倭国大乱」を経て、勝者である大和朝廷の崇神帝が、九州から大和にお戻りになられた先帝の開化帝の後を襲って、10代帝となりました。

.然し、海人族との戦いは、その後も、720年の隼人大乱迄続き、更には、蝦夷族の平定は、凡そ300年後の11世紀の源義家の後9年の役迄続きますた。

日本の朝廷の武力を伴う支配は、凡そ1700年に亘って続いていたと言う事ですが「平和は武力の均衡の結果である」という西洋の言葉通りの部分もありますね。

然し、大和朝廷が行った「平定」は、必ずしも、武力を主体とはせず、調略や話し合いに拠って、民衆の損害を最小に止める事に腐心したのは、戦いの結果、食糧生産設備である田畑野や、労働力で有る農民の被害が大きければ、折角、戦いに勝っても、平和は長続きしないからでしょう。

列島の自然は、現在もそうですが、常に厳しい環境を与え続けて居ますね。

こうした、特殊な気象海象、地理条件が、世界でも稀な日本文明を育んだといえるのですが、元になる人間は同じで、日本人が特別なわけではありません、寧ろ、団結心の強さ、個人が、公の未来の為に命を捧げる奉公心「=無私の心」は、全て、自発的なものですから、愛国心と言う意味では最強でしょう。

自分達の先祖が命懸けで、自然の脅威や外敵から護って来た、この日本の国土を自分たちの世代で絶やしてなるものかと言う、土地に対する価値観は、紛れもなく、3万年続く農耕民のエートスの為せる業でしょう。

そう言う意味で、日本は純粋な自然の産物「=神の民」であると言えましょう。

ねずさんのシラス(統治)はいつも成る程と思います。
そして、日本は昔から豊かな生活を庶民が送っていたと言うことにも納得するのですけれど、私には防人のいた時代のことで分からないことがありました。

それは、防人が任地に向かうときは、自弁で向かわなければならないと言うことです。これは、自宅から任地に向かうのですから、自分で準備できます。

それでは、防人が任務を終えて、自宅に帰るときにはどうするのかと言うことです。
これは、小学校の時に習ったことですが、防人は自分の任期が終わることを知ったら、自分の食事を少しずつ残して貯めておき、これを帰路に食べると言うことでした。
すると、遠いところへ帰らなければならない防人は、食料が足らないことになってしまうのですが、その時は行き倒れになると言うことだったのです。(誰かが助けるとの発想はなかったです。)

これは可哀想だと言うことで終わっていたのですが、貧しい国だったら防人が道で倒れていたら亡くなって終わりだったのでしょうけれど、豊かな国であったら倒れている防人は、村人に助けられて家に帰ることが出来ただろう、倒れなくても一晩の助けを求めれば誰かが助けてくれたのだろうと思います。

つまらない話ですが、貧しい国であれば国を守る防人すら、危険なことだと教えられた記憶でした。

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