無料ブログはココログ

« 「この発言はよくない!」などと、この連中は何様のつもりでしょうか?  | トップページ | 中国の経済危機の根本原因は、この腐敗した政治体制にある »

2020年9月16日 (水)

普通の日本人に完璧に否定されるようでは、たいしたことないな

ーー以下「片隅速報20/9/15」より抜粋編集

1: 蚯蚓φ ★ 2020/09/15(火) 13:23:24.24 ID:CAP_USER

百済東城王の死で王位に上がった武寧王は蓋鹵王の息子であり昆支王(困支)の養子だ。462年、倭地にある奈良百済に行く途上にある各羅島で生まれ、名前は隆だ。生まれた後も続けて奈良百済で成長したので日本語でシマ(島)またはサマと呼ばれた。それで彼を斯麻王とも言う。

これは倭地にもう一つの百済があったことが分る部分だ。それが奈良百済だ。奈良百済は近肖古王(クンチョゴワン)の時に建国されたが当時、近肖古王は大陸百済、韓半島百済、倭地の奈良百済の三地域を統治した大帝国の皇帝であった。

大陸と韓半島は距離が近いが倭地は大陸から遠く、当時は海上交通が発達していない時代で倭の奈良百済を自治的に統治する王を置いたが、これを天皇と呼び総督の様なものだった。サマは生まれるとすぐに生母とともに大陸百済に戻ったが、政治的状況が非常に不安で奈良百済にある昆支に再び送られた。

ーー

このように百済王室が王子を勝手に倭地の奈良百済に送ったり連れてきたりしたのは、奈良百済が百済が支配する領土だったからだ。百済は王子だけでなく、百済の文物を倭の奈良百済に伝達するために百済住民を大挙移住させた。403年(応神14年) 2月、百済の縫衣工女が奈良百済に渡り、これが日本列島で衣縫の元祖だ。

工女が一人で行ったわけではなく大移住集団の一員として行ったが、移住集団は日本列島全域120余りの県に散って暮らしながら百済の文物を伝播した。

当時、倭は衣服もない新天地島で、このような先進文化を持つ百済の大民族集団が移住した事実はすなわち百済が日本列島を開拓し、さらには日本列島全域を建設したことを立証する。

ーー

文字もなく衣服もない原始生活をする原住民世界に文字や各種の技術、馬など高度な先進文化を持つ百済の大移住集団が日本列島に上陸したとすれば、当然この集団から統治者である王や天皇が出なければならない。史録によれば、倭の奈良百済・応神天皇も百済住民大移住集団から出た天皇であり、同時に奈良百済初の天皇だった。

475年、高句麗の攻撃で百済の都城が崩れ蓋鹵王が捕えられて死ぬ時、彼の王子はみな死んだがサマ(島)は倭の奈良百済にいたので死をまぬがれて王位に上がることができた。

ーー(中略:半島百済の歴史)

倭地の奈良百済も小王国と戦って領土を拡張しながら日本国建設の土台を用意していった。この時、奈良百済の領域は四国島と向かい合う本州の凸のように出ている奈良県が中心だった。

このような記録を見れば日本の文物は百済が伝播したことは明らかに見える。

クォン・ウサン命理学者・歴史小説家

釜山経済新聞(韓国語)
http://www.bseconomy.com/news/view.php?idx=36358

ーー抜粋引用ここまで

引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1600143804/

2chの反応

5: 神酒@酔っ払い ◆GRtMqdcAzGQG 2020/09/15(火) 13:24:42.69 ID:m/kGG4Gl

李氏朝鮮て、世界の最貧国だったよね

8: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2020/09/15(火) 13:25:38.24 ID:9piYxuG8

世界の認識は、百済は唐・新羅連合軍によって滅ぼされた、つまり今の下朝鮮は当時の百済とは何の関係もない

ーー

15: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2020/09/15(火) 13:27:38.58 ID:cCz342x1

それならなんで日本人は、記録にある1300年前から朝鮮語使ってないんだ?

23: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2020/09/15(火) 13:29:46.82 ID:wH+VwnYM

小説家って、妄想を書くじゃん、でも過去の証拠となる記録を何も提示できなければ単なる妄想語りとして馬鹿にされるだけだよな

25: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2020/09/15(火) 13:30:00.10 ID:2wrzdDhH

妄想小説が面白いことは認めるが、他国の歴史を改竄するのはルール違反、しかも普通の日本人に完璧に否定されるようでは、たいしたことないな。

ーー

36: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2020/09/15(火) 13:31:05.21 ID:hdVyYXsr

>文字も衣服もない

お前らの歴史書「三国史記」ができたのは1145年だろ、今じゃ漢文で書かれているから読めないだろうけど。

衣服?縄文人は3万年も前から冬にも凍死せずに東北地方に住んでいたけど、もちろん縄文人と呼ばれているように衣服を身につけていたよ🎵

いまでは縄文時代は世界屈指の豊かな文化として知られるようになってんのになw

12世紀になってようやく自分たちの歴史書が出来た劣等民族に言われたくないわ

46: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2020/09/15(火) 13:32:27.18 ID:61w5/9ss

>>36
中学生の時、世界史でそれ知って衝撃受けた、鎌倉時代まで半島には「歴史書」なかったのって。

ーー

41: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2020/09/15(火) 13:31:43.79 ID:0q2e0gj9

奈良百済w

43: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2020/09/15(火) 13:32:00.07 ID:6n4jlXaM

また妄想歴史w日本の属国だった百済が何だって?

45: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2020/09/15(火) 13:32:21.03 ID:kKS8r8v7

日帝に併合される前の世界最貧国の暮らしも直視できないで小説がよく書けるな、そうか妄想を書いているのか

« 「この発言はよくない!」などと、この連中は何様のつもりでしょうか?  | トップページ | 中国の経済危機の根本原因は、この腐敗した政治体制にある »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます
>>韓国の嗤うべき歴史認識
いやぁ、精一杯背伸びをして椅子から転がり落ちた小学生が、負け惜しみで「でも、是が史実だもーん」と言って居る様なモノで、恥を知って居れば、例え、小説だといっても、こんな辻褄の合わない妄想の羅列は書けないww

第一百済を韓国の祖の様に書いて居るが、百濟は、シナ王朝の殷の遺臣が、遊牧民の周に追われて、海を超えて半島に逃れ来て、原住民の狩猟採集民の濊族や扶余族を伐り従えて紀元前10世紀頃成立させた国だから、同じ狩猟採集民であっても、謂わば、外来王朝である。

然も、亡命政権で、追っ手を気にしなければ、いけないし、固より、農耕をしらないので、国力が弱く、常に、大陸からの侵略と異常な天候を懼れていた。

韓国のこの物語は、応神帝の御代の日本をベースにしているらしいが、5世紀といえば、勿論、三韓征伐が終わっており、遠征先の戦場で生まれて、九州に凱旋して帰ったものの、肥(クマ)曾於(ソオ)族と言う、九州の海人系の豪族が、倭国大乱の昔から、不穏な動きを見せて居たのです。

抑々、日本武尊の息子である父親、仲哀帝が大和を放りだしてでも、遥々、大和朝廷の故地で有る九州~韓国に遠征に出かけて来たのは、其処に、大和朝廷に取って致命的に重要な利権が有ったからでしょう。

九州の豪族もその利権を我が物にしようと言う企みがあったから反乱を起こして居るので、その阻止を優先しようとしたら、帝は流れ矢に当たりコウ去されてしまい、代わりに同伴していた、神功皇后が先頭にたって、三韓征伐を行っています。

この頃の三韓には、日本に逆らうだけの国力がなく、神功皇后が、征討軍を率いて場っ陸すると、抵抗したのは、僅かに新羅軍だけ出、実は、九州の豪族勢力頼みだった高句麗・百濟は、即降参したので、固より、、謀略があったと思われますれますね.

応神帝は、この戦いの最中にお生まれになったので、九州に帰ってから、母神功皇后と祖父の武内宿祢に養育されたのですが、40歳になった応神帝は、大和朝廷に帰還されました。

然し、九州ではそれ以前の500年以上に亘って続いた、とされる倭国大乱があったし、この三韓征伐も起こっているが、実質は利権の争奪戦であり、大和朝廷の国内の平定である、この期間こそ日本の真の建国期間であったと言えると思います。

日本の建国が完成したのは、諸説有りますが、北海道を除けば、平安時代後期の八万太郎源義家の後9年の役で、蝦夷族の安倍氏を服属させた時でしょうか。

固より、日本列島には、北、若しくは、東の日本海側には、シナの四蛮にいう北狄「=狩猟採集民」が、氷期以前から、氷期明けに大陸沿岸から東夷「=漁労海産、農耕民」が、日本海流に乗って移住して来ていますし、対岸の沿海州からも、ツングース系の民族と古くから交流があった様ですね。

まぁ、奈良百濟という発想は面白いけれども、半島から、どの様にして軍隊を率連れて日本に辿り着き、遥々、渡来系豪族がすむ、中国地方を通り抜け、神武帝を迎え撃った、大和の長脛彦達、先住民勢力を平定出来たのかが、全く書かれて居無い時点で、この小説は妄想歴史の産物としか見做せませんね。

それに、百濟と言えば、新羅と言うライバルの存在を忘れてはいけませんね、百濟は、半島内で新羅に国力で追いつかれ、地理的に危うくなったので、日本に庇護を求めて皇太子を日本に人質に差し出しています。

然し、何故、日本が百濟如き小国を庇護するメリットがあったのかと言えば、百濟が亜矢えた新羅の領内で、鉄が産出したからで、交易の民である、日本はその交易・運搬を引き受けて居たので、船の通り道に当たる百濟沖を安全にする為には、百濟を味方に着けて置く必要があったからでしょう

でも、この頃の日本水軍は、東シナ海に根城を持津、海人族からは、無敵とおそれられていたのですし、新羅も百濟と日本の挟み撃ちにあっては、一堪りもないので、態々王朝が非漢族の唐になるのを待っていた、嫌いがありますね。

紀元前7~8世紀から、紀元4世紀迄の凡そ千年間は、シナ本土は戦争状態が続いて居たので、武器の材料になる鉄は、金よりも貴重な時期もあったので、鉄貿易は濡れ手に粟の商売だった、ダカラ、九州の豪族の反乱は、720年の隼人大乱まで、続きましたね。

歴史小説を、妄想を基に書くとしても、是位は、歴史の裏付けがないと、相手にされませんね、流石に妄想大国可ん国だなぁと思いますが、単なる、マスターベーションではないかと、いう指摘が、耳に痛いレベルですからね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「この発言はよくない!」などと、この連中は何様のつもりでしょうか?  | トップページ | 中国の経済危機の根本原因は、この腐敗した政治体制にある »

2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31