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2020年9月24日 (木)

いくら言論の自由であるといっても、光背が大きな釘でみ仏の後頭部に打ち込まれているという、事実にもとづかない人騒がせな妄説を提出することは、遠慮してもらいたいものである

ーー以下「観仏日々帖ブログ20/5/2」より抜粋編集

梅原氏は哲学者でしたが、古代史の世界にユニークな着想で切り込んだのが本書でした。

梅原猛著「隠された十字架」1972年新潮社刊

この本はベストセラーになり、古代史や法隆寺にちょっとでも関心がある人で、この本を読まなかった人はいないのではないかと思います。

ーー

本書には次のようなことが書かれていたのです。

「再建法隆寺(現存する法隆寺)は、聖徳太子の怨霊封じ込めるために、藤原氏(とくに不比等)によって建てられた寺である」

・聖徳太子の子の山背大兄王とその一族を殺害した黒幕は、中臣(藤原)鎌足であった。

・それゆえに、藤原氏一族は、聖徳太子の亡霊、怨霊におののかなければならなかった。

・再建された法隆寺は、太子の怨霊封じの場ととして造営され、寺僧は怨霊の牢番であった。

・法隆寺についての様々な事実は、このことを明らかにしており、夢殿と救世観音像は太子の怨霊封じのためにつくられた。

ーー

現存する物について1400年ほども前のことが議論されるなどと言うのは世界広しといえども日本だけで有りましょう。

ーー

その救世観音について梅原猛氏は、祟りを封じ込めるために造られたという自説の重要な証拠として、次の点を挙げています。

・救世観音の体は背や尻などが欠如した中空に造られている。
人間としての太子ではなく、「怨霊としての太子」を表現した。

・光背が、大きな釘によって、頭に直接打ち付けられている。
太子の怨霊を封じ込めるために故意になされた仕業なのだ。

ーー

「日本ではふつう光背は百済観音のように、支え木で止められるのが常である」と述べ、救世観音の光背がそのような通例のスタイルをとらずに、頭に直接取り付けられているのは、故意、意図的になされたという主張をする。

「重い光背をこの仏像に背負わせ、しかも頭の真後ろに太い釘を打ち付ける」

「いったい、こともあろうに仏像の頭の真ん中に釘を打つというようなことがあろうか」

「釘をうつのは呪詛の行為であり、殺意の表現なのである」

「今まで、誰一人として、この釘と光背の意味について疑おうとしなかった」

「この仏像は重い光背を太い釘で頭の後ろに打ち込まなければならない運命を持っていたのである」

「これは想像するだに恐ろしいことである」

ーー

「法隆寺に存在する仏像に限って、頭の真ん中に穴があけられているというのでは、疑問を起こすのが当然であろう」

「いかなる理由があるとはいえ、仏様の頭に穴をあけたり、釘を打ったりするのはあまりに恐れ多いことではないか」

「夢殿の救世観音には、この恐れ多い行為がハッキリなされている」

「大きな釘が頭の真後ろから深く突き刺さっている」

ーー

「金堂の四天王においては、釘は金具で止められている」

「しかし夢殿では、まさしく釘は奥深く打ち込まれているのである」

「その例は、金堂の釈迦の脇侍にあるとはいえ、全く恐ろしいことである」

「こうして夢殿と、その本尊の救世観音はつくられた」

「太子の怨霊は見事に閉じ込められ、行信の厭魅は成功し、ここに光明皇后はじめ、藤原氏の血を引く権力者は不安から解放されたのである」

ーー

この説明に対して、何人かの古代史の学者から、痛烈な批判が発表されました。

飛鳥白鳳期の金銅仏では、後頭部に直接光背を取り付けるスタイルの方が一般的だと。

確かに東京国立博物館に陳列されている法隆寺献納宝物・四十八体仏を見てみると、多数の金銅仏に、後頭部に明らかな突起があったり、枘穴(ほぞあな)が空いていたりします。

ここに光背を取り付けていたことが明らかです。

ーー

こうしてみると、光背を支柱で固定するのか、頭部に金具などで取り付けるのかというのは、単純に技術的な技法の問題で、保持する強度などの構造的な観点から選択されたと考えられます。

救世観音像の光背が後頭部に取り付けられているのは、仏像を生かすか殺すかといったような次元の問題とは全く違うものであったというのは、明らかだと思われます。

ーー

救世観音の光背は、釘ではなくて、「L字型の金具を、後頭部の枘穴に差し込むことによって取り付けられている」のです。

一見は、似ているように見えたとしても、「太い釘が、奥深く打ち込まれている」というのと「接続金具で取り付けられている」というのでは、大違いです。

光背には、クネッと曲がったL字型の懸金具が取り付けられていて、その水平部分を像の後頭部に造られた「枘孔」に差込むことによって、像本体とつなぎ合わせ保持しているのです。

ーー

この懸金具のことを、「頭の真後ろから奥深く打ち込まれた釘」というのは、事実に反するといわざるを得ません。

木彫像の光背を後頭部に取り付ける方法としては、金銅仏と違って強度が弱いことから、このような金具が用いられたようです。

法隆寺金堂の四天王像の光背は、二つのL字の組み合わせのように曲げられた金具で、後頭部に取り付けられています。

ーー

直木孝次郎氏は、救世観音像の光背の取り付けが呪詛の行為であるという梅原説が誤解に基づくものであることを、具体的に一つ一つ指摘したうえで、このように語っています。

「いくら言論の自由であるといっても、光背が大きな釘でみ仏の後頭部に打ち込まれているという、事実にもとづかない人騒がせな妄説を提出することは、遠慮してもらいたいものである」

(「法隆寺は怨霊の寺か~梅原猛氏『隠された十字架批判』」 直木孝次郎古代を語る 第9巻~飛鳥寺と法隆寺・2009年吉川弘文館所収)

ーー

また梅原氏は「救世観音の体は背や尻などが欠如した中空に造られている」「それは、人間としての太子ではなく「怨霊としての太子」を表現した故である」と論じた。

しかしこれも事実とは相違する。

救世観音像は痩身の像ではありますが、その肉体はしっかりと造形されているのです。

ーー

梅原氏は「救世観音の体は空洞であることである」「つまりそれは、前面からは人間に見えるが、実は人間ではない」「背や尻などが、この聖徳太子等身の像には欠如しているのである」と語った。

それは救世観音像を明治17年に開扉したフェノロサが、自著「東亜美術史綱」に、「像形は人体より少し大なるも、背後は中空なり」と書いているのを読んでいたからなのかもしれません。

ーー

町田甲一氏は、このように述べています。

「これ(注:フェノロサが背後は中空と記していること)を梅原(猛)氏は、像背を確かめもせずに」「(自説の)「怨霊説」の有力な前提の一つにしている」

「実物をみないでものを書くのならば、せめて写真ででも確かめるくらいの労は当然払うべきであり、真面目な新説の提唱であるならば、その論拠については、前もって充分なる学問的検討が必要であろうと思う」

(「大和古寺巡歴」1976年有信堂高文社刊~のちに講談社学術文庫にて再刊)

ーー

結局のところは、救世観音像の光背の取り付け方は、不思議なものでも、特別なものでも全くなくて、飛鳥時代当時の制作技法として、ごくごく普通の一般的技法であったということが、よくお判りいただけたのではと思います。

ーー抜粋引用ここまで

ところが、ネット上には、今もこの梅原猛の謬説がなされており、救世観音の解説の中にも以下のようなことを書く人まで現れている。

ーー以下「ベルヒュード研究会ブログ」より抜粋編集

海原猛先生が、「隠された十字架」の中で、次のような趣旨のことを述べています。

 「聖徳太子の現し身と言われる救世観音は、光背が直接釘で頭に止められている」

「哀れな太子よ、あなたの子孫を殺した者の子孫は、一族の相次ぐ不幸におののき、太子自身にあなたの子孫達の鎮魂を行わせようとしいる」

「怒れ、太子よ、あなたの内面に鬱積している怨念を、激しい行動を伴う怒りに変えよ」

ーー

「あなたは仏教という理想をもっていた」

「和を以て尊しとなすと17条憲法の中で言っている、あなたの理想は和だ」

「怒り、恨みはあなたの理想に反する」

「しかし、太子よ、あなたは知っている」

「和という言葉は、現支配者にとってはいつの場合も有利であり、被支配者にとってはいつも不利であることを」

「和とは忍従の別名である」

ーー

「あなたの霊を薄暗い八画堂に押し込め、行動の自由を奪い、子孫の鎮魂を行わせようとしているこの残酷きわまる屈辱を、あなたは和を以て耐えようとするのか」

「和の道徳を捨てよ、太子よ、今こそあなたは、和の精神を捨て、忍従を捨て、微笑を捨て、あなたが説いた道徳を、今、あなた自身が弊服のごとく捨てねばならない」

「太子等身大のこの仏像には、救世観音という名がつけれている」

「その名ゆえに、太子は屈辱を受けた人間に許される唯一の権利である怒りすら奪われてしまったのか・・・・」

ーー引用ここまで

法隆寺の救世観音像については、youtubeでも、梅原猛説を引用する形で、面白おかしく取り上げられている。

法隆寺に秘仏として長い間木綿布で何十にも巻かれ保管されており、アーネスト・フェノロサが明治17年に政府の命で調査に訪れた時には、僧侶らは、秘仏で有り誰も見たものは無く、開布すると災いが起こるとして反対したが、フェノロサは聞き入れず開布した。

その状況を事細かに記録に残したのだが、英文の翻訳であったためか、光背が頭部にくぎで打ち付けられているとか、背部が空洞であるとか、現在のお姿からはあり得ない記述がみられる。

ーー

それをそのまま、現物を見ずにあるいは現物を見ながら梅原猛は、フェノロサの記述通りに説明し、あたかも、聖徳太子の等身大に作られたといわれているその像が、太子の怨霊封じのためにそのようにされたのだという自説の補強に使ったのである。

まさに似非学者というべきなのだが、こんな説は実物を見ればすぐにばれてしまう議論なのである。

というのも、例えば光背が頭部に釘で固定されているというのも、現物を見ると、頭部に穴があり、そこに光背を固定する金具が差し込められるように作られていることが分かるからだ。

ーー

この光背の固定の仕方は当時の我が国の多くの仏像や支那の仏像にも例があることから、珍しいものではなかったことも分かる。

そして背部も空洞などではなくきちんと造形されていることも分かるのである。

つまり、梅原猛は自分の謬説をさも根拠があると思わせるために、わざとフェノロサの説を採用したのだと思われる。

ーー

それにしてもなぜ長い間この救世観音像は、秘仏とされ立ったまま木綿布で巻かれ人の目を避けるように保管されていたのだろうか。

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コメント

思わず朝から読んでしまいました。
隠された十字架は読んだことが有りますけど、さらっと読んだだけですから深く考えたことがありませんでした。(本は本棚の中で黴が生えているかも?何十年も手にとって居ませんでした)

https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-205.html

特にブログの中の写真の数々は、書かれた内容と相まって繁々と眺めました(笑)
韓国の仏像も思わずこれも食い入るように眺めました。仏教文化は流れ流れて日本にたどり着いたのか?ガンダーラの仏像とは又趣が違います。
梅原猛さんの本を読んだときに、何故久世観音は秘仏だったのか?ぐるぐると布に巻かれて長い間誰にも邪魔されず眠っていたのか?その方が気に成りました。随分と昔の話を今朝思い出しました。

又奈良を旅してみたく成りました。早くコロナが静まります様に。

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>曲学阿世のポピュリスト梅原猛、
一読して見て、この梅原猛氏なる学者の売らんかな」が故のポピュリズムに、呆れたし、学術に不可欠な客観性の軽視の態には同じ日本人として、恥ずかしさを感じたし、怒りすら湧いてきた。

そして、梅原氏のそんな恥ずべき行為を補強した、明治時代にフェノロサが、聖徳太子と藤原氏の葛藤を如何にも、「和」の重要性を知らぬ外国人らしく「和は、虐げられた方の忍従の思想だ」と、まるで、日本文明を理解出来て、い無い浅薄な解釈が着いていたが、この時点で、私は梅原氏の出自を疑い始めた。

この人達は仏教美術をモチーフに、論じて居るのに、仏教に関する知識は勿論、先人に他いする敬意も払って居無い処から、きっと仏教徒では無い、と思いますね。

それは、日本の先史時代からの「和の思想」に、興味がない大陸からの渡来人と言われる、中臣氏や同じく渡来系の豪族といわれる吉備勢力が、母帝の出自で後ろ盾だった、中大兄皇子も、日本人的な、或いは、仏教徒を的な一生を送っていません。

そこに、身内同士の醜い相克氏かなく、和は欠片も無かったので、最終的には、自分の息子や娘たちまで、政争の具にして終ったのですから。

おそらく、救世観音像が秘仏だったのは、フェノロッサが指摘した様に、蘇我氏排除の天智帝・藤原ラインの意向で、聖徳太子の封じ込めだったのでしょう、彼らは他にも、菅原道真公の怨念退散の礼がありますカラね。

こうした、反日本的な要素が多過ぎるのも、梅原氏の胡散臭さに繋がって居るのでしょうが、なにより救世観音のお身体が空洞だとか、光背を太い釘でこうとうぶにうちyすけているとか「見て来たような嘘」を平気で書いて居る事が、致命的でしょうね。おそらく彼は、法隆寺の現場に臨場していませんね、お粗末の極みです。

だから反論・異論が、山程出て来たわけですが、思うに是に加えて、東大閥の学者で造る「歴史学会」も、「騎馬民族渡来説」で、世間で袋叩きに遭った江上波夫氏と同じ様に、関係しているのでは無かろうかと思いますね。

日本の文系の学会は、愚にもつかない研究内容の上に、歴史軽視の欧米学会に阿る、中身のない権威主義者に要職を独占されていて、彼らの所為で、若年の研究者は、生計を建てるのがやっとの状態だ。

これは工学系も同じで、私が知って居る博士号授与者にしている男は、30代で結婚も出来ない有様でしたね。

なにしろノーベル賞受賞者の山中教授すら、研究資金集めに、マラソン大会に出場していと訊く、彼の研究を心待ちにして居る、不治の病を宣告された患者はたくさんいるのですがね。

財務省や文科省の省庁改革が、早急に必要ですが、此処にも、戦後利得者の反日分子が巣食っていて、身内で補助金を山分けして遊興費に使って居るのを自慢している馬鹿者も、沢山居そうである。

この梅原氏の様な「売れる本を書いて、良い目をしたい」学者は、其処ら中に居ると、思われ、マスコミ・法曹界に続いて、劣化が酷いのは、梅原氏の世代が、日本人的なモラルを商業主義で破壊したからだろう。

では、金にならない分野の学問は廃れても良い? と、当事者たちが思って居るのなら、欧米社会と同じで有る。 独自の文明力は、育てないまま、文明が枯れてしまうだろう。

勿論、是に歯止めをかけ、崩壊の原因を排除し「日本を取り戻す」事こそ、菅政権が、安倍政権から引き継いだ、重要な命題で有る事は、論を俟たない、大いに期待して居ます。

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