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2020年8月21日 (金)

20世紀における最大の出来事とは、それは「500年続いた植民地支配の終焉」です

ーー以下「ねずブログ20/8/17」より抜粋編集

占領軍のGHQ(General Headquarters)は日本人に先の大戦を太平洋戦争(The Pacific War)と呼べと命じた。

クリストファー・ソーン(Christopher Thorne)やA・J・P.・テーラー(Alan John P. Taylor)など英国の歴史家たちは、以下を指摘しています。

「先の大戦は、日米間で使用されている太平洋戦争では、戦争の地理的・地政学的側面の性格づけが、とくにその広範囲にわたる影響に関してはほとんどなされていない」

「日本はアジアにおける英国の勢力を駆逐するために戦争を始めたのであり、結果として英国は植民地を失い敗北したのだから、極東戦争、あるいは日本が用いている大東亜戦争と称することが適切である」

ーー

また日本においても、国際政治学者の柳沢英二郎氏や、加藤正男氏などは、言う。

「日米戦争は西太平洋の覇権をめぐる闘いとしての戦争であり、日本にとっては東南アにおける勢力圏確立のための手段であったのだから、『アジア・太平洋戦争』と呼ぶべきである」と。

ーー

そもそも戦争というのは、単一の目的によって行なわれるものではありません。

さまざまな事象が折り重なって、外交上の最後の手段として行われるものです。

そしてこの時期、タイは独立を保っていたとはいえ、ほぼ完全に英国の指揮下にありましたから、すでに完全な独立国とは言い難かった。

一方日本は有色人種として、唯一の完全な独立国であり、かつ国際政治上、きわめて大きな勢力を持つ国になっていました。

ーー

日本が欧米諸国から追い詰められるようになった原因は、第一次世界大戦後に開催されたパリ講和会議(1919年・大正8年)において、日本が国際連盟憲章に「人種の平等を入れるべし」との案を正式に国際舞台に出したことに起因します。

これは人道的には正しい議論です。

しかし、植民地支配によって富を得ていて、かつ政治的な影響力が大きい欧米諸国の経済人すべてを敵に回す発言であったわけです。

それまで世界最強の海軍国である大英帝国と対等な同盟関係を結んでいた日本は、これによって欧米諸国(の大金持ちたち)にとっての明確な「敵」となりました。

ーー

一方で有色人種諸国からの日本への期待も高まりました。

これも加瀬英明氏が述べられていることですが、昭和5年(1930年)当時、独立を守ろうとしていたエチオピアの王子が、日本の華族出身の黒田雅子さんと婚約に至ったことがありました。

それだけ日本に対する期待が高かったのです。

ーー

しかし、当時大評判になったこの婚約は、残念なことに欧米諸国の猛烈な反対によって破談になりました。

なかでもイタリアのムッソリーニは、強硬に反対を唱えていたのですが、なんとそのムッソリーニは、破談の5年後の1935年(昭和10年)にエチオビアに侵攻、毒ガスを用いてエチオピア軍を壊滅させ、エチオピアを植民地にしています。

ーー

こうした欧米列強による理不尽が次々と行われる中、日本は大東亜共栄圏構想を打ち上げ、東亜諸国の独立と発展を標榜していき、ついに先の大戦に至るわけです。

500年続いた植民地支配を守ろうとする欧米諸国と、結果として植民地の解放を意味する人種の平等を目指す日本。

この両者の溝は、ますます深まっていったのです。

そして昭和16年、ついに戦争になる。

ーー

戦争は、日本国中が焼け野原になって、昭和20年8月15日に日本は自主的に戦闘を終結させました。

けれど、それで大東亜の戦いが終わったわけではありません。

東亜諸国は、日本が敗れたあと、再び自国を植民地支配しようと戻ってきた欧米諸国と果敢に戦い、ついにそれぞれの国が独立を手にしています。

ーー

並べてみると以下のとおりです。

インド、パキスタン、インドネシアの独立が昭和20年年8月17日
ベトナムの独立が昭和20年9月2日
フィリピンの独立記念日が昭和21年7月4日
ビルマの独立記念日が昭和23年1月4日
スリランカの独立記念日が昭和23年2月4日
韓国の独立記念日が昭和23年8月15日
北朝鮮の独立記念日が昭和23年9月9日
台湾の独立記念日が昭和24年12月7日
カンボジアの独立記念日が昭和28年11月9日
ラオスの独立記念日が昭和29年7月19日
中共の独立記念日が昭和29年10月1日
マレーシアの独立記念日が昭和38年9月16日
シンガポールの独立記念日が昭和40年8月9日
バングラディッシュの独立記念日が昭和46年3月26日

ーー

ここで韓国は米国の占領により、北朝鮮はソ連の占領により独立とされたのです。

他の諸国は、日本の終戦以後、再び舞い戻ってきた欧米諸国とそれぞれ独立記念日以後も果敢に戦い、勝利し、そしてようやく独立を果たしました。

ーー

たとえばインドネシアでは、独立宣言は日本が戦いを終了した翌々日ですが、オランダはこれを認めずに再植民地化を図ろうと英国の協力を得て軍事侵攻しました。

この戦いは、昭和24年(1949年)12月のオランダ-インドネシア円卓会議によるオランダからの無条件での独立承認の日まで、まる4年間も続いています。

そしてこの戦いで、インドネシアに残留した日本軍人3千人のうち、およそ千人が命を失ないました。

ちなみにこのとき、インドネシアにいた華僑は、むしろオランダ側に加担してインドネシア人に銃を向けたのは有名な話です。

ーー

国というものは、軍事的な戦いによって独立を勝ち得たとしても、それだけで国ができあがるわけではありません。

国が国として成立するためには、国を営むための行政機構の整備や法整備、経済的繁栄を支えるための経済、財政政策などが必要です。

これは例えていえば、生まれたての赤ちゃんに、母親がいないと子が生き残れないのと同じです。

ーー

ひとあし早く戦争を終結させていた日本は、まさに東亜諸国の母となって、各国の支援を行い、それぞれの国の法整備、行政機構の整備、企業誘致、観光資源開発などに、莫大な援助を行ないました。

そしてその行動は、まさに母と同じく、無償の、ただ一方的な愛情によるものでした。

ーー

東亜諸国のこうした独立への動きは、そのままアフリカの黒人諸国や、中東諸国にも伝播していきました。

1900年のパリ・オリンピックの参加国は、世界24カ国です。

これは参加しなかった国が多かったのではなくて、世界にそれしか国がなかったからです。

ーー

たとえば、いまのカンボジアからベトナム、ラオス、などのあたりは、フランス領インドシナという名の、フランスの一部の地方であり、インドは英国領のなかのインド地方でした。

ーー

ところが今年行われるはずだった東京五輪では、参加国は207カ国です。

これは、世界中のそれぞれの有色人種諸国が独立を果たした結果です。

そしてその独立の背後には、日本による無償の、また無私の努力と、日本人の激しい戦いがあったのです。

ーー

20世紀における最大の出来事とは、それは「500年続いた植民地支配の終焉」です。

そしてこれを実現したのは、間違いなく日本です。

ーー

もし、日本の戦いがなければ、おそらく21世紀となったいまでも、世界は欧米列強による植民地支配のままに置かれていたことでしょう。

いまなお、白人の贅沢のためだけに存在する、私権の認められないただの家畜、それが有色人種に与えられた地位となっていたことでしょう。

ーー

日本は世界の良心ともいえる国です。

その日本人が、どこかの国の真似をして、アコギな道に進んだとしても、日本にはそのような歴史も伝統も有りませんから、アコギな道では、おそらく日本は世界に敵いません。

そうではなく、日本と日本人は、個人であっても国であっても、どこまでも良心と誠意という善の道を進む。

ーー

清らかであたたかかくて、明るい、それが日本書紀に書かれた「清陽(すみてあきらか)の道」です。

そして男は、いくつになっても、そのような国柄を守る清潔で正義感あふれる日本男児であらねばなりません。

それが「日本男児(ますらを)の生き方」なのです。

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コメント

縦椅子様

 今日も素晴らしいブログ有難うございます

マルグリット・デュラスという作家がいます。アジア植民地時代を深く描写した作家です。彼女と華僑のことが気になりましたので、紹介します。
 「彼女の経歴は、植民地アジアの黄色い光に包まれたジャングルの蒸し暑さの中、街や田畑を横切り引き裂くアンナン語のわめき声の中、苦力たちの騒音のおさまる夕の静けさの中で始まる。
 将来の作品の坩堝となる。この盛りだくさんの少女時代に、マルグリット・デュラスは飽きることを知らない。
 数学の教師で、コのーチシナ校長に任命された父親がいる当時は豪華な官舎を住まいとしていたが、父親が行ってしまった後すべてが一変した。
 彼女とその家族は現地人のランクに格下げされたのだ。
母親はいまだに、植民地開発という壮大な計画、フランスによる救済を信じている。 彼女は、学校で出会うフランス本国の娘たちや、母親を訪ねてくるフランス人たちに対する軽蔑感を募らせていく。彼らのフランスの再生の仕方に、無意識のうちに嫌悪をおぼえるのだ。
 家庭という石棺から出て、死の支配から逃れるために、また母親に愛されていないことが、彼女を街へ放り出し、売春に委ねてしまうかのように。
 ある日サイゴンへ行く際、彼女はフェリーを利用する。この船での往復、-彼女の小説「愛人」(ラマン)の中国人に出会う。おそらく華僑であろうその中国人は、金持ちでハンサム、性的快楽、欲望のみだらさへの手ほどきをし、どうやら書くようにしむけるのも彼である。
 その最後の別れ場からにげだし、メコン川の堤をさまよう女乞食のたどる道をたどる道を追跡することになる―彼女自身もまた、諸国遍歴を続ける、みじめな女乞食となっていくのである。-その映画、インディアナソング画面に流れる歌は素晴らしい。
 彼女の作品ーモデラート・カンタービレは男女の愛と孤独どけだるさを書いて秀逸だ。≫-参照河出書房新社マルグリット・デュラス「愛の生涯」-

 「華僑」という実態そのものを我々は、しらない。しかし、むかし
から、世界中の地域を浸食し、中華街などを形成し、その音無しの構えは、不気味な様相を呈している。怖い存在だと思う。

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>これからの世界と日本人の有るべき生き方
米支戦争も最終段階、大詰めの観が出てきましたね。 然し、米国葉、シナのデカップリングを進めて居るし、シナも、米国との縁を断とうとして居る様に見えますから、表向きは罵しり合って居ても、目指して居る世界は一つだったりしますね。

けれども、シナは勿論、一枚岩では無いが、愚かにも、事、此処に至っても、共産シナの大国意識を捨てられない長老達やそれを囃すことで、なんとか、大規模熱戦に持って行き、一儲けしようと、目論むDS勢力の動きが見え見えなのに、未だに「共産主義の可能性を信じて居る」愚かな人々が、こんなに沢山居るのか? と、私は呆れると同時に、その理性の低さに吃驚しています。

マァ流石に、現在の日本の共産主義は、何処かの新興宗教の如き、政治集団を纏める「ご本尊」でしかありませんから、長くは続きません。支持層が加齢とともに減って居る野が名に拠りの証拠でしょう。

自分の信じた理想を他人に伝える際、自分が知った時以上に、気付き「=革命した」を加えたものでなくては、つまり、変化する現状に併せて進化させなくては、その「信仰」は、所詮は利得を求める集団でしかありませんから、利益がなくなれば、それで消えて終いますから、後、50年もすれば、共産主義は、完全に「歴史」になって居るでしょう。 それも、十億人単位の犠牲者を出した悪魔の思想として。

この先来たるべき世界が、殊更に、共産主義の成分を排除したモノになるでしょうが、固より、共産主義を実現できた政体は、歴史上も存在しなかったのですから、人類に取っては、悪夢以外の何物でも無い、と、いう事ですね。

然し、同時に終焉に向かうのが、原始時代から続いてきた「対立と支配の社会構造」ですね。でもこれは、人類の道徳観念が進化したのでは無く、生物としての地球の耐性が、そろそろ限界だからです。

人口が80億人を超した付近に「降伏点」があって、人口が、先進国を中心にドンドン減り始めますが、開発途上国は、逆に次第に増えるので、全体としては50億人辺りに落ち着くくでしょう。 然し、人種構成は、がらりと変わるでしょう、勿論、青人の劣性遺伝種に過ぎない、白人種が劇的に減少するのは言うまでもありません。

すると、この500年間世界を支配して来た、白人支配が消えて、同時に「砂漠の一神教」と呼ばれる三宗教「=ユダヤ教、キリスト教、イスラム教」の裡、白人の多いユダヤ、キリスト教の信者が激減して、逆に先鋭化して「メシアの降臨」を促す為に、破壊活動を奨励する、フランキズムが台頭する可能性もありますが、ユダヤ教徒しか救わない神様が出てきた時点で、白人文明はお終いです。

その先は、では、神とは何者かと言う原点への疑問が再燃して、自然の力を再評価する動きが出て来るでしょう。 その結果、人類に危機を齎す最大の要素は、人類自身なのだと言う処に気が着けば、利己主義で対立と支配続けて行けば、人類は絶滅するしかない事を悟ります。

そして、人類が直面して居る「物理的な地球環境の危機」に、全人類で対応するべく、まず危険を世界中に周知して、飢饉を避ける為に、公正な食糧価格と備蓄を、現在の国連に代わる国家で構成する中立機関が管理して、同時に、その機関が持つ災害救助・復旧・復興の能力がある、国際救助隊を多国間で構成し、世界中の災害に人類皆が関わって、人種も国境も超えた「援け合い」を行うが、同時に、世界秩序をビンランさせる勢力には、強力な強制力を行使出来無ければ、こういう体制維持も難しいでしょうね。

すると元に戻る可能性もありますが、人類はそういう試行錯誤を続けて、戦前日本が掲げた様な「差別無き、相互扶助と団結心に富んだ、公正で、客観重視の法治二守られ秩序を持つ、国民国で構成される世界」を築いて行くべきだと思います。

まぁこれは、現実的な根拠に基づくものでは無く、私の妄想に過ぎませんがね。

>占領軍のGHQ(General Headquarters)は日本人に先の大戦を太平洋戦争(The Pacific War)と呼べと命じた。

日本は先の大戦を「大東亜戦争」と呼びましたが、これは昭和16年12月8日の開戦後、昭和17年1月に内閣でこれを作成し、2月に閣議で決定したものです。また、このとき大東亜戦争は支那事変、対蘭戦、対ソ連戦も、大東亜戦争に含むとされました。

しかし、GHQは大東亜戦争の呼称の使用をプレス・コードなどで避けるように指令し、公文書において「大東亜戦争」の使用を禁止し、「太平洋戦争」とさせました。

考えてみれば、アメリカと戦ったのは「太平洋」を中心とする地域ですからアメリカにすれば「太平洋戦争」でしょうけど、日本は支那とも戦っていますし、東南アジアの英国の植民地(マレーシア、ビルマ、シンガポール」においても戦っています。その東南側のオランダの植民地(インドネシア)でも戦っていました。
これを、太平洋と一括りにするのは、余りにもアメリカよりすぎる考え方ではないでしょうか。
従って、「大東亜・太平洋戦争」が正確なのだと思いますが、「大東亜戦争」が分かりやすいと考えます。

しかるに日本では、戦後75年、サンフランシスコ平和条約を締結してからでも70年を経過した現在でも、「太平洋戦争」を呼称することが多く、日本が法律で定めた「大東亜戦争」の呼称を使わないのは、意図的なものがあると感じます。


この戦争は、アメリカを主敵として戦った結果敗北しましたが、日本の考える八紘一宇を前にしたときには、アジアを植民地として利益を得るとともに、アジアの人々を人間扱いしていなかった西欧諸国は、戦後に植民地を手放さなければならなくなったし、日本兵が植民地のために終戦後も戦ったという、歴史上あり得ない戦争の姿を見せたものです。
こう考えるとき、日本が侵略戦争を行ったとの認識は、否定したいと思います。


>ちなみにこのとき、インドネシアにいた華僑は、むしろオランダ側に加担してインドネシア人に銃を向けたのは有名な話です。

これは、華僑の本質を突いていると思います。
インドネシアにいようが、シンガポールにいようが、華僑は支那人でありますが、アジア人としての連帯感はなく、我が利益のために其処に住んでいるだけです。
そして、支配者の配下となって、原住民を押さえ込む側の立場を得ようとするのですから、その存在は原住民から見れば敵の一部でしかありません。

日本の国会議員にも、自分は華僑だと言っている議員がいたことを思い出しました。
国家のあり方は、それぞれの国民が理想を目指して判断していくものだと思います。
外国人が帰化して日本のあり方の判断に寄与したいと思うのなら、日本のあり方を十分に勉強し、その日本の運命に従う覚悟が必要なのです。
日本の状況が良いときだけは、日本とともにあるとして、日本の状況が悪くなったら、日本の一員を放棄してより強いところとともにあると考えるのなら、日本の一員にあると考えずに、自分の命を託せる国と共に生きれば良いのです。

日本は終戦後に、それまでは日本人と言っていたのが自分たちは戦勝国民であり、日本人は4等国民といった民族を知っています。
そんな都合の良い生き方をする輩など、日本人だとは考えません。

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