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2020年6月20日 (土)

熟田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 

ーー以下「ねずブログ20/6/18」より抜粋編集

熟田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 月待(つきまて)ば
 潮(しほ)もかなひぬ 今はこぎいでな

万葉集を代表するこの歌は、百済有事による出兵に際して、額田王が詠んだ歌として知られています。

【原文】熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜

熟田津尓   篝火(かがりび)の焚かれた田んぼのわきの船着き場に
船乗世武登  出征の乗船のために兵士たちが集まっている
月待者    出発の午前二時の月が上るのを待っていると
潮毛可奈比沼 潮の按配も兵たちの支度もいまは整った
今者許藝乞菜 さあ、いま漕ぎ出そう

ーー

この歌には次のような説明がなされているのです。

【補記】右検山上憶良大夫 類聚歌林曰 飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑九年丁酉十二月己巳朔壬午天皇 大后幸于伊豫湯宮後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔壬 寅御船西征始就于海路 庚戌 御船泊于伊豫熟田津石湯行宮  天皇御覧昔日猶存之物。当時忽起感愛之情所以因製歌詠為之 哀傷也 即此歌者天皇御製焉 但額田王歌者別有四首。

(右の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林(るいしゅかりん)で検(しらべ)てみると、第三十七代斉明天皇が詠まれた歌であって、このたびの伊予の宿所が、かつて夫である第三十四代舒明天皇とご一緒に行幸された昔日(せきじつ)のままであることに感愛の情を起されて、哀傷されて詠まれた歌である)

つまりこの歌は、本当は斉明天皇が詠まれた御製であり、しかも「出征兵士を送る歌」などではなく、「哀傷歌」であることが分かります。

ーー

「哀傷歌」というのは、哀しみの歌です。

どういうことかというと、歌の場所となっている「熟田津」とは、篝火(かがりび)のたかれた田んぼのわきの船着き場のことを言いますが、その歌われた場所は、今の四国・松山の道後温泉のあたりであったとされています。

昔、後に皇極天皇となられた宝皇后(たからのおほきさき)は、夫の舒明天皇(じょめいてんのう)とともに、(おそらく)道後温泉に湯治(とうじ)に来られていた。

そのときは、まさに平和な旅で、女官らとの楽しい旅であったし、地元の人たちにも本当によくしていただいた。

誰もが平和で豊かな日々を満喫できた、行楽の旅であったわけです。

そしてそれは夫の生前の、楽しい思い出のひとつでもありました。

ーー

ところがいまこうして同じような場所に立ちながら、自分は大勢の若者たちを、戦地に送り出さなければならない。

あの平穏な日々が崩れ去り、若者たちを苦しい戦場へと向かわせなければならないのです。

もちろん戦いは勝利を期してなされものの、勝ったとしても、大勢の若者たちが傷つき死ぬ、その家族の者たちにはとてもつらい日々になるであろうと悲しんでおられるのです。

ーー

けれど、時は出征のときです。

若者たちの心を鼓舞しなければならないことも十分に承知しておられる。

だから皇極天皇は、そばにいる、日頃から信頼している額田王に、「この歌は、おまえが詠んだことにしておくれ」と、そっと手渡したのです。

ーー

平和を愛し、戦いを望まず、日々の平穏をこそ幸せと想う。

そして出征する兵を鼓舞するには不適切な歌なので「私が詠んだ」ことにしないでほしい、だけども私は戦わざるを得なくなった事態を決して良しとしているのではありません。

と哀しんでいる心情を歌に詠まれた、そのような陛下を、古代からずっと戴(いただ)き続けているのが日本人なのです。

ーー

この歌が詠まれた「後岡本宮馭宇天皇七年」というのは、斉明天皇7年、つまり西暦661年のことです。

いまから1359年も前の事です。

日本人の心、そして天皇の大御心は、昔も今も、ずっと変わっていないということが分かります。

ーー

ちなみに初句の「にぎたづに」は、大和言葉で読むならば、「にぎ」は一霊四魂(いちれいしこん)の「和御魂(にぎみたま)」をも意味します。

和御魂(にぎみたま)は、親しみ交わる力です。

本来なら、親しみ交わるべき他国に、いまこうして戦いのために出征しなければならない、そのことの哀しさもまた、この歌に重ねられているのです。

ーー

ずっと後の世になりますが、第一次世界大戦は、ヨーロッパが激戦地となりました。

このため、ヨーロッパの産業が途絶え、その分の注文が、同程度の技術を持つ日本に殺到しました。

日本は未曾有の大好景気となり、モダンガール、モダンボーイが街を歩く、まさに大正デモクラシーとなりました。

ーー

戦争が終わったのが1918年の出来事です。

ところがその5年後の1923年には関東大震災が起こり、日本の首都東京が壊滅してしまうのです。

さらに凶作が続いて東北地方で飢饉が起こり、1936年にはたまりかねた陸軍の青年将校たちが226事件を起こした。

そしてその翌1937年には、通州事件が起こり、支那事変が勃発しています。

ーー

第一次世界大戦からわずか20年のことです。

日本国内は戦時体制となり、モダンガールたちは、モンペに防空頭巾姿、モダンボーイだった男たちは国民服になる。

そして1945年の終戦直後には、住むに家なく、食うものもなし、それどころか着るものもない、という状況に至り、陛下は「私は皆さんと共にある」と全国を回られ国民を励まされました。

そのわずか19年後の1964年に、日本は、昭和の陛下が臨席されるもとで、東京オリンピックを盛大に開催しているのです。

ーー

20年という歳月は、天国を地獄に、地獄を天国に変えることができる歳月でもあります。

そして時代が変わるときは、またたくまに世の中が動いていく。

まさにいま日本は、コロナショックで、激動の最中にあります。

ーー

平成の陛下は令和に替わる前日(2019/04/30) 国民に向けて「 即位から三十年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした」「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」とおっしゃった。

令和の陛下は、武漢伝染病にたいする緊急事態宣言が出されてから、自らマスクを着けて公務をしておられる姿を国民に示された。

陛下と共に、勇気を持って前に進む、そこに本来の日本人の姿があります。

勝つとか負けるとかいうこと以上に、私たち日本人にとって大切なものが、そこにはあると私(ねず)は思っています。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>古代から続くスメラミコトの恩愛
この有名な、額田王作と伝えられる歌が、実は岳母に当たる、斉明帝の詠まれた歌で、然も、場所は、現在の愛知県の熱田ではなく、瀬戸内の豊後水道の何処かだったとは、全く予想も着かない話ですね。

然し、半島有事に対する出兵の為の船出ならば、寧ろ、愛知県であろう筈がありません。 ねずさんの着眼点や調査力には、脱帽・敬服するしかありません。

「汐時を待って居る」のは、流れの早い関門海峡を順流で北上する為に、通過時間を逆算して汐目が変わるのを待って居た事になりますし、月が上天に懸るのは、この季節二は、偽前2時で有る事も、既にこの時代に知って居たし、その土地の潮汐の変化に事にも通暁していた事が分ります。

然も、時間と速度を手元で計測できた事になり、流石に、海人族の国だけありますね。

ダカラ、息子の天智帝は、時計を採用した事で、何故か6月4日が「時の記念日」に早くから制定されています。

この時間に対する概念は、潮流の様に定時変化を起こす現象で、読み間違えると間違い無く命にかかわる事から、海を生活圏にして来た民族は、太古の昔から観測した経験知の中から、規則性を見出して、そのタイミングを図れる様に、時間を刻む事にも目覚めたのでしょう。

全て、自然由来のもので、自然を観察して得られた神様からの贈り物ですね。

さて、人間の一生は今でこそ、100年にも届こうか、と言うレベルになっていますが、ついこの間迄は、70歳が古希「=古来希なり」の節目で有った様に、60歳代が平均寿命であったのですカラ、魂消た話です。

その時代の20年と今の20年はおそらく比べるべくもない感覚差があると思いますね。 それだけ「時間の密度が濃い」のだと思います。

戦後のGHQがWGIPを日本人に刷り込む為に、恰も、戦前日本が太古の昔から、軍国主義であったかの様な歴史教育をしています。

然し史実は、そんな時代は昭和6年の柳条湖事件を起因する満州軍閥と日本軍との紛争から、昭和20年の戦の迄の約15年間だけで、実際に戦争をして居た期間である。
戦争に勝つ為に、国民と国力を総動員していた時代ですが、これを軍国主義と言うなら、中世欧州の400年間は、全て、侵略戦争を主催して常に戦時中だったので、日本の15年戦争処の騒ぎではありませんよね。

以下は、私の独断と偏見でしかありませんが、白人文明は日本に比べれば、精神面で、はるかに遅れて居て、丸で幼児の如く段階に有ると云えましょう。

その典型例が、人種差別、性差別、階層差別で、然も、役割分担での差別では無く、先天的な範囲にまで踏みこんで差別しているのでは、神の領域まで犯して居ると言って良い。

彼らが、戦後進駐して来て日本人を評価するに「まるでⓂ中学生の少年の様だ」と打ったそうだが、では、ご自分の精神年齢は、日本人の大人からみて、一体幾つに見えたと思って居たのか?

精神年齢は、IQの指標でもあり、日本人の平均値は100~110辺りであるが、この数字は、全人類然程の差はないから「日本人は、中学生並み」と言う評価は、明らかに白人特有の偏見と差別感の産物で有ろう、この辺りの社会常識が、全く客観的では無いww

その原因は、やはり、彼らの社会に道徳規範になる、神や仏と言った、絶対的な崇敬の対象となり、人倫と正義の基準となるものを持って、未だ千年にも満たないカラだろう。

然も、そキリスト教すら、自分達の欲望の赴くまま、都合よく改竄、分裂して、キリスト教徒同士で、お互いを異端扱いして殺し合って居る、果たして、そんな処に、平和と愛を司る神様は居らっしゃるだろうか?

その疑問は、このキリスト教に20億人もの信者が、その戒律を強化したムスリム「=イスラム教」に16億人の信者が居るのだが、いずれも、人々の争いのネタになって居るダケで、平和も愛も顕現させて居無い事で、その不在は明らかだろう。

それは、「力が全て」と言う価値観が伊までも続いて居る事を見ればわかる。

彼らは自分達で決めた事でも、都合が悪くなると、平気で無視して、後付で、歴史事実を改竄する、その癖、その改竄を、証拠を挙げて批判すると、今度は、歴史修正主義者と言い始める。 これでは、歴史に学べない、シナ・朝鮮人と大差はない。

然るに、日本では、武装勢力化しないのであれば、信仰は昔から自由だったのである。

然し、日本人は、固より、災害が多い上、耕地に恵まれ無い島国に在って、自然の脅威の中で生き延びる為に、自然を神とし、自然の変化を観察して、その変化を前兆に、何が起こるのかを、そして、その対策を、子々孫々に伝えて来た。

だから、惧れ畏む対象は、自ずと猛威を揮う 自然そのモノで有ったし、同時に、観察の対象でもあった。

ダカラ、日本人に取って、神とは自然であり、異なるものではなく、自分達の隣にいる「親しきモノ」でもあった。

だから、「我らは神の子」と言う発想が自然に受け容れられたし、神が創りし物は「全て等しく、神聖なのだ 」という結論に結びつくのです。

更に言えば、スメラミコトも、その神に与えられた役割に拠って、時別なのであって、それが、2678年経ると、107世代超すが、等しく神の子孫であり、皆、兄弟、親戚、同胞なのだ、家族なのだと言っているのですから、地球上で最も、争いの少ない関係だと、云えるでしょう。

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