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2020年6月17日 (水)

弾正が我が国の歴史の中で唯一機能した事例があります

ーー以下「ねずブログ20/6/16」より抜粋編集

織田信長(1534〜1582年)といえば、「天下布武」を標榜(ひょうぼう)し、比叡山や本願寺などの宗教勢力とも戦い、彼らの武装解除に成功したことで知られています。

その戦いを通して宗教勢力から仏敵、あるいは第六天の魔王などと呼ばれたのです。

また豊臣秀吉が信長を怖ろしい武人として描いたことから、近年では冷酷な武将と描かれます。

ーー

しかし信長の足跡を見ると、ひとつの理念につらぬかれた行動をしていたことがわかります。

それは信長の所属する氏族が負っていた役職、別名「織田弾正(おだだんじょう)」の行動であったということになります。

ーー

8世紀に完成した律令体制は、天皇直下に太政官、神祇官、弾正台の3つの役所から成り立っていました。

太政官は、政治上の様々な意思決定や国政の管理を行う役所です。

そこで決められた新たな政策等は、たとえば新元号の制定なども、おおむね3日もあれば、全国津々浦々にまで浸透したといわれています。

ーー

ではどうして3日で全国に政策を示達できた、それを可能にしたのが神祇官でした。

神祇官は、天皇の祭祀を司るとともに、全国の神社の総元締め的な役割を果たしていました。

この神祇官のもとに、天社(あまつやしろ)と呼ばれる後の官幣大社のような神社、その下に国単位に置かれた国社(くにつやしろ)、その下にいまでいう市町村ごとの神社である神地(かむどころ)、そして末端に、ご近所の氏神様である神戸(かむべ)と系列化されていたのです。

ーー

太政官で考察され、天皇の勅許を得た示達は、こうして神祇官の所轄する全国の神社網を経て、またたく間に全国津々浦々にまで伝えられた。

しかもこの神社網は、示達された結果について、民衆がどのようにこれを受け止めているか、また政策の実施状況がどうなっているのか等について、今度は下から上に情報が示達されていました。

そして全国の民の声は、最終的に天皇直下の神祇伯(じんぎはく)を通じて、天皇に上奏される仕組みになっていたのです。

ーー

さらにこの下から上への情報網は、神社網とは別に太政官が主催した国司網からも上奏される仕組みになっていました。

つまり、下から上への情報網は、二重に確保されていたわけで、これによって民意が常に国家最高権威にまで伝えられる仕組みになっていたわけです。

ーー

ところが、そうした情報網も、あるいは政策的意思決定機関も、内部が腐ってしまっていては、まったく意味を持ちません。

そこで設置されていたのが弾正台(だんじょうだい)だったのです。

ーー

弾正台は、天皇直下にあって、太政官や神祇官の高官で不忠を働くもの、あるいは私腹を肥やして民生を省(かえり)みない者がいた場合、問答無用で斬捨御免の権能を与えられていました。

いわば弾正台は、政治家や行政機関を正すための警察機構であったのです。

(民間に関する警察機能は、太政官の中の刑部省が担いました)

ーー

我が国の歴史を通じて、この弾正台が不正を働いた官僚や政治家を一刀両断のもとに斬り倒したという事例はありません。

だから「弾正台が形式的に置かれていたが、まったく機能しなかった」という研究者もおいでになります。

が、そうではなくて、弾正台という重石があったからこそ、官僚や政治家が不正をせず、弾正台が機能する必要がなかったというのが、我が国の歴史です。

ーー

ただし弾正が我が国の歴史の中で唯一機能した事例があります。

それが織田信長の桶狭間の戦いです。

ーー

信長のいる尾張国に攻め込もうとした今川義元の今川家は、赤穂浪士で有名になった吉良家の分家です。

その吉良家は、もともと足利一族の分家です。

つまり今川氏は、足利家の分家のさらに分家という位置にありました。

その今川氏が、天下を狙って上洛しようというわけです。

ーー

家格からすれば、これは許されるべきものではありません。

ということは、弾正の家柄を持つ織田家としては、これを見過ごすわけにいかない。

たとえ相手が強大な武力を持っていようと、これを打ち倒すのが弾正の名を受け継ぐ織田弾正家の使命です。

そもそも弾正は、相手が強大であるとか、政治権力を持つとか、そういうこととは関係なしに正義を貫くのが役割です。

ーー

職業の誇りというものは、人に勇気と知恵を与えるものです。

刑事さんであれば、どんな悪党の巣窟であっても、そこに出かけていくし、悪と対峙します。

これと同じです。

ーー

主君である信長が、弾正としての職責を果たすとなれば、先祖代々織田家に仕えてきた家臣一同も奮い立ちます。

いまこそ織田弾正の家に生まれた使命を果たすときなのです。

このことを、信長が出陣前に舞った謡曲の「敦盛(あつもり)」が物語っています。

ーー以下wikipediaより

1184年(元暦元年)(平家方の呼ぶ寿永2年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一戦である須磨の浦における「一ノ谷の戦い」で、平家軍は源氏軍に押されて敗走をはじめる。 平清盛の甥で平経盛の子、若き笛の名手でもあった平敦盛は、退却の際に愛用の漢竹の横笛(青葉の笛・小枝)を持ち出し忘れ、これを取りに戻ったため退却船に乗り遅れてしまう。

敦盛は出船しはじめた退却船を目指し渚に馬を飛ばす。退却船も気付いて岸へ船を戻そうとするが逆風で思うように船体を寄せられない。敦盛自身も荒れた波しぶきに手こずり馬を上手く捌けずにいた。

そこに源氏方の熊谷直実が通りがかり、格式高い甲冑を身に着けた敦盛を目にすると、平家の有力武将であろうと踏んで一騎討ちを挑む。敦盛はこれに受けあわなかったが、直実は将同士の一騎討ちに応じなければ兵に命じて矢を放つと威迫した。

多勢に無勢、一斉に矢を射られるくらいならと、敦盛は直実との一騎討ちに応じた。しかし悲しいかな実戦経験の差、百戦錬磨の直実に一騎討ちでかなうはずもなく、敦盛はほどなく捕らえられてしまう。

ーー

直実がいざ頸を討とうと組み伏せたその顔をよく見ると、元服間もない紅顔の若武者。名を尋ねて初めて、数え年16歳の平敦盛であると知る。

直実の同じく16歳の子熊谷直家は、この一ノ谷合戦で討死したばかり、我が嫡男の面影を重ね合わせ、また将来ある16歳の若武者を討つのを惜しんでためらった。

これを見て、組み伏せた敵武将の頸を討とうとしない直実の姿を、同道の源氏諸将が訝しみはじめ、「次郎(直実)に二心あり。次郎もろとも討ち取らむ」との声が上がり始めたため、直実はやむを得ず敦盛の頸を討ち取った。

ーー引用ここまで

どうせ一度は死ぬ命。

ならば堂々と戦って死のうという決意が、この敦盛に象徴されているわけです。

ーー『信長公記』 には以下のように記されています。

此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。

人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度(ひとたび)生を得て滅せぬ者のあるべきか、

と候て、螺(ほら)ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲(かぶと)めし候ひて御出陣なさる。

ーー引用ここまで

覚悟を決めた信長は、同じく主君とともに討ち死にの覚悟を決めた2千の手勢を率いて、桶狭間で今川義元の本陣を急襲して、見事、義元の頸(くび)をあげる。

まさに、弾正としての職責をまっとうしたのです。

ーー

こうして信長は律令時代から続く武門の筋を通そうとしたのでした。

すると信長のもとには、全国から同じ志を持った優秀な侍たちが集まります。

信長は、我が国史上初となる専業武士団を形成しなければならなかった。

それらの侍たちを養うために信長が行った財政政策が楽市楽座だったことは読者の皆様もよくご存じのことで有りましょう。

ーー

先祖代々の弾正としての職責を象徴するのが、「天下布武」の朱印であったことが分かります。

ーー

天下布武が、支那古典にある七徳の武の引用だという説もあります。

が、そうではありません。

「武」は「たける」と読み、ゆがんだものを竹のように真っ直ぐにすることを言います。

つまり「天下布武」とは、「天(あめ)の下に、たけを布(し)く」、もっと現代風にいえば、「日本国をまっすぐに正す」という意味です。

ーー

そして同時代にあって、その歪みの最強のものが、仏教界が持つ武装勢力でした。

本来、人倫を説き民衆の救済をすべき宗教教団が、僧兵を雇い、その武力にものを言わせて、あたかも国内の別勢力を形成している。

それを、朝廷の傘下に戻し、民衆救済という仏教の本義に戻すためには、宗教教団から武装を解除しなければならない。

そこで行われたのが、比叡山の焼き討ちであり、本願寺攻めであったわけです。

ーー

ちなみに信長の逸話として『信長公記』におもしろい話があります。

天正8年のこと、無辺(むへん)という僧侶が石馬寺に住み着いて、不思議な力を持つと人々の間で評判となったのだそうです。

信長が無辺を引見して出身地などいくつかの質問をすると、無辺がわざと「どこの生まれでもない」と不思議な答えをする。

そこで信長は、「どこの生まれでもないということは、妖怪かもしれぬから、火であぶってみよ」と、火の用意をさせます。

すると無辺が、今度は事実を正直に答えたという。

ーー

しかも無辺は信長の前で、不思議な霊験を何も示すことができなかった。

そこで信長は、無辺の髪の毛をまばらにそぎ落とし、裸にして縄で縛って町に放り出して追放しました。

ところが、追放後も無辺は、迷信を利用して女性に淫らな行いを繰り返していたことが判明し、ついに信長は無辺を逮捕し処刑させています。

ーー

宗教の名のもとに人を騙し、あるいは女淫にまみれるなど、もってのほか、ということです。

ここでも弾正信長の本領がいかんなく発揮されています。

ーー

要するに信長は、我が国の歴史を学び、そこから我が国の国民精神を得るとともに、みずからが弾正の家系であるという誇りを大切に生涯を貫いたということになります。

ーー

日本には素晴らしい先人がいたので、彼らが書き残した記録(歴史)を学ぶことは、誇りを育むことになるのです。

そして誇りを育めば、逆に誇り高い先人の精神を身にまとうことになる。

こうして我々は日本人になるのです。

ーー

日本人は、敗戦以来、占領政策に協力することで敗戦利得者となった在日・反日勢力に支配され、「護憲、東京裁判史観、侮日」を強制されてきました。

そして、日本人が日本国を貶(けな)し、素晴らしい先人の記録を無視するように仕向けられたのです。

これでは、日本人になることはできません。

日本人になるためには、先人が書き残した記録(歴史)を知り、現状の時事問題の背後に潜む、伝統文化と日本精神に気づくことが必要であると思っています。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>武士道の原点織田弾正信長
私は永らく「大義に生きる」武士の生き方の原点が判りませんでしたが、このねずさんの、弾上台の説明とその歴史を知って、初めて腑に落ちました、有難うございます。

それにしても、8世紀の時点で、太政官、神祇官、弾正台という、施政の鼎立組織を考案・実施して居たとは、世界的にも凄い事で、戦後、伝統日本を貶す事で飯を食って来た「腰抜けの卑怯者共」共産主義者の「歴史学会」辺りから、ケチが付けられても可笑しくないww

奇襲とは雖も、僅か2千の手勢で2万もの大軍に攻め懸って、敵の大将首を上げたのですカラ天晴れな話ですが、是は、2千人の兵士の心中に、其々「弾正台の大義」があったからでしょう。

ねずさんも文中で指摘なされている様に、使命感を持った人間は強いですね、加えて、出陣の前に、弾正台の家の役目を果たさんと決死の覚悟を敦盛の舞で示したのですから、是に従う、2千人の雑兵に至るまでが「世の義の為に死ぬ=義の為に生きた」つまり、武士として死ねるのですから、奮い立たない筈が無い。

この決死の思意を誘発する使命感は、戦中末期の「神風特攻」に現れています、何故なら、特攻兵士は全員、米国が、日本人を皆殺しにする心算で有る事を、その島嶼戦の結末で、傷病兵まで皆殺しにしたり、病院船を無差別雷撃して居た事で知っていたのですから、て気の軍船に体当たりをして、多くの敵兵を殺し、軍船を沈める事は、非戦闘員迄義さつりくしている米軍に、正義とは何かを示す事は、日本人の義に適う行為ダカラです。

8世紀に制定された時には、武士を名乗るものは居ませんでしたが、時に必要あれば、断固として「不正を糺す」お役目を命懸けで果たすものが世に必要であるということは、認識されていた。

それが後世、荘園の警護に当たる役目の武士の発生で、その武力の使い途を規定したものが、自然に世の不正を糺す武士の本分となったのであろう。

余談ですが、私が、雨天と体調不全時以外、ほぼ毎日続けているウォーキングのコースに、敦盛墳があります、場所的にも、明石海峡の東出口の須磨浦公園の一角にある小さなお社で、入り口に石灯籠とお地蔵さまが立っていて、奥に敦盛の墓が祀られています。

敦盛の首を打った東国武者の熊谷次郎直実は、その後、テイ髪・出家したと聴きます

自分の息子を戦で失った直後に、敵とは言え、同い年の敦盛の首を打たざるを得なかった、戦いの不条理とそのタイミング「=因縁」に、直実の心に無情の思いが発心を呼び覚ましたのかもしれませんね。

それにしても、神戸は流石に平清盛が開いた、港町だけあって、各所にその名残が残っています。

私のウォーキング・ルート沿いだけでも、清盛名残の大和田水門を見下ろす場所に、琵琶塚があり、山手幹線沿いの湊山小学校跡には、雪の御所跡もありますし、2号線沿いの神戸駅近くの湊町には、平経俊墳もあります。

他にも寺社仏閣の存在密度は流石に、近畿圏=畿内だと、感心しますね、菅原道真公をお祀りしている天満宮や天神様は、至る所にあると言っても良い位有りますね。

何時かは、大河ドラマになると思って居たのですが、今の共産シナに忖度している偏向NHKを始めとするクズ・メデァでは、期待すべくもありません、メディア改革を待つしかないでしょう。

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