いつまでも過去に捕(と)らわれていてはいけない
4月11日と4月18日にタモリと女子アナで日本各地や海外を見て歩くNHKテレビ番組ブラタモリを見た。
4月11日は丁度女子アナが、林田理沙さんから浅田里香さんに替わった時で、法隆寺が1400年もの間大切にされてきた理由を探るものだった。
浅田アナは、法隆寺の鐘が鳴ったときに、タモリが「柿食えば」と言うと、「鐘が鳴るよ 法隆寺」と応えた。
テロップには女子アナが間違えたかのように「がんばれ浅田アナ」と励ます文字が出たが、私は浅田アナがわざとそう詠んだのだと思っている。
正岡子規が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだのを咄嗟に「鐘が鳴るよ」と変えた女子アナの機転には感心するばかりであった。
その方が、子規の句を知っていて、なおかつ今鳴った鐘の音を聞いて詠んだという感じが出る。
ーー
現存法隆寺には聖徳太子の等身大の釈迦如来が祀(まつ)られており、いわば聖徳太子がお祀りされている。
タモリはそれでは仏教寺院にならないと疑問を呈する。
ところが2004年、周辺の発掘調査によって聖徳太子が建てた五重塔と金堂を持つ法隆寺があって、それが焼失したことが分かった。
そちらには本来の仏像があったと考えられたのだ。
そして番組は、法隆寺が1400年間も大切にされた理由を、聖徳太子がお祀りされているためであろうという。
ーー
ただ私は、法隆寺については、古くから伝えられている資材帳には勢至菩薩と記載されたクスノキ製(つまり日本製)の像を何者かが百済観音と命名したことが許せないでいる。
(勢至菩薩とされていた像の頭部に阿弥陀の化仏の印があったことから観音像とされた)
ーー
4月18日の回にタモリと女子アナが見て歩いたのは「飛鳥(あすか)」であった。
だが番組の中身よりも、数え1411歳になる飛鳥大仏を見る前に、来迎寺に旧飛鳥寺の建物の礎石を見に寄るときタモリが門前の掲示板を見ての話が面白かった。
そこには「過去と相手は変えられないが、未来と自分は変えられる」とあった。
ーー
タモリは今このような説法に興味があると言い、この内容はまあまあだが、俺はこんな話を聞いたと話した。
かつて、ある僧が駅の窓口に行き、行き先と乗車時刻を言い新幹線の指定席切符を買いたいと言うと、「のぞみはありませんが、ひかりはあります」と言われたというのを聞いたのだという。
その時僧は「人間は多くの望みを抱いて挫折を繰り返すが、どんな時でも御仏(みほとけ)の教え(光)はあるということだ」と思ったそうなと。
ーー
私は夕食を5時までには済ませて13時間以上の絶食を日課にしている。
するとケトン体が増えるせいか明け方近くになると過去の記憶がこまごまとよみがえる。
おそらく釈迦やイエスが絶食をして開いた境地もこのようなものだったのではないかと。
そしてつくづく過去を振り返ってそれにいつまでもとらわれていてはいけないのだと思う毎日だった。
ーー
このことはしっかりと古事記に記されていた。
ーー以下は過去ログから引用。
理不尽な仕打ちを受けたからといって、仕返しをしてはいないのです。
全てを失った、そこからまた一層努力してすべてを回復していく。
これは、イザナキとイザナミの神語(かんがたり)から続く日本人の行動です。
ーー
イザナミが死ぬと、イザナキは嘆き悲しみ黄泉(よみ)の国へ追いかけていきます。
そこでウジに食われるイザナミを目にします。
イザナミは自分の醜い姿を見られそれを恥じ、激怒します。
イザナキは追いかけてくるイザナミから逃げ、黄泉平坂(よもつひらさか)で妻のイザナミと千引石(ちびきいわ)をはさんで向かい合います。
このときイザナミは、「おまえさまが私にこのような恥をかかせるのなら、私はおまえさまの国の人々を毎日千人くびり殺します」と言います。
ーー
普通なら、そう言われたのなら相手を先制攻撃をするか、報復攻撃をすることになる、戦争か平和かの二者択一なのです。
ところがこのときのイザナキの返事は、第三のものでした。
「愛する妻よ、おまえがそのように言うのなら、私は毎日千五百の産屋(うぶや)を建てよう」
ーー
縄文時代の遺跡に行かれたことがある方ならおわかりいただけると思いますが、当時の家屋は草葺き屋根の竪穴式のひと間建てです。
そのひと間しかない建物で出産するわけにいかないので、お産(さん)のときには、普段住む家の他に、産屋(うぶや)と呼ばれる出産専用の家を建てたのです。
千人殺すというのなら、千五百人の子をつくろうというわけです。
失っても失っても、それ以上に築いていく。
ーー
この思想が、たとえすべてを奪われたとしても、また一から努力してそれらを再び築いていこうとする日本人の思考の根幹になっています。
ーー引用ここまで。
以上が私が「過去と相手は変えられないが未来と自分は変えられる」という掲示板に記された言葉から思いついたことでした。
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コメント
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縦椅子様
今日も素晴らしいブログ有難うございます。
収録した過去の「ぶらタモリ」を、息子が食事時に見せてくれるので楽しんで、見ていますが、現在進行中の番組に行き着くのはまだまだの巻があります。
聖徳太子のお寺-法隆寺を過去ログでも取り上げてくださり、
いつも物差しを持っている聖徳太子像が心に浮かんでまいります。絵を入口の階段のところに座って無心に描いたのが身体に残っています。私にとって愛着のあるお寺です。
入口の掲示版に書かれている言葉ー「過去と相手は変えられないが、未来と自分は変えられる」-は奥深いことばです。
「蛆に食われているわが身の醜さを恥じて、いった言葉をも覆すような愛ある未来志向の言葉を返すイザナギは日本人の思考の根幹をなすものである」に、感銘いたします。
そして、今のコロナウィルスにより、愛する人のご遺体に近づくことすら禁じられている昨今の緊急事態をかんがみますと、なみだを禁じえません。
人の生きている現在、生きてきた過去の軌跡を容赦なく消し去る人類の敵ーに人類は力を合わせ立ち向かっていかなければならないでしょう…そうするしかありません。
戦前の焼け野原だったころから、ずっーと両親手助けをし、店をきりもりし、壮絶な人生を送られていた方が残されたものは、何も自分のために残されたものはなく、その無私な生き方に頭が下がります。」
日本国という大切な国、大阪という愛する土地を守ってこられた方々があって今、私たちは生きていられる・・・本当に感謝です。
「人間はのぞみを抱いて挫折をくりかえすが、どんな時でもひかりはある」はいい言葉ですね。
いまはひきこもることを余儀なくされていますが、こんな時こそ家族が一丸となれるときです。時間がたっぷりある。ゆっくりと未来のことをかんがえられます。
縦椅子様・・・あまりやせすぎないでください!いつかお会いすることがあっても、どなたであるかわからないと困りますから・・・
ご無理をなさいませんように!
投稿: ばら | 2020年5月 9日 (土) 09時52分
>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>気づく事で進化する日本文明
然し、法隆寺は1400年も前に建て垂れた事は、学校で習いましたが、多くの仏像を焼失していた事はしりませんでした。
然も、勢至菩薩を百済観音に差し替えると言う不届きな真似は、オソラク、百濟からの帰化系豪族の仕業でしょう。
親百濟色が濃かった天智帝時代か、もしかしたら、先祖が百濟系帰化人を疑われる藤原氏の仕業かもしれませんね。 何れにしても、怪しからぬ事ですね。
固より、大陸系の信仰の在り方は、崇拝されるものが、崇め敬うものを支配・庇護する形を取りますが、日本もその点は、基本的には同じで有っても、農耕民の日本文明に取って、神は自然そのモノであると言う考えなので、「神人一体」と言う考えに行き付く処があります。
仏と神は違うのでは無いか!? と反論する向きもありましょう。
然し今、宗門宗派に拘泥せず、現実的に考えれば、神も仏も、人間が智慧を身に着け、理性を磨いて、この世から病貧争災の四つの問題を自ら克服し、世界の人々を苦しみから救い出して、人々が平和に暮らす大切さに共感出来る社会を築く事ではあるまいか?
則ち、共に困難に立ち向かう共助の心、進んで苦難を引き受ける勇気と使命感、そして、明日へ好いモノを遺そうと言う人類愛が、人の心に栄える事こそ、神は仏が、御望みになられる事だと言うのは、1400年前処か、何万年も前から同じでしょう。
我々は、歴史が人類を進化させるための経験知の蓄積でなければ、その意味を成さない事を、ようやく知りました。
成程、過去に犯した罪に、何時迄も悩んで居ても、過去は、変えられないし、それを知って居る人も変えられない、だから、その秘密を神に告解して許しを乞うのも一つの解決の手段でしょう,
然し、同じ過ちを繰り返さない為には、自分が変わらなければならない、でなければ、社会が未来に貴方と同じ過ちを斬り返す事になりましょう、だから、それでは社会は進歩しませんね。
社会の進歩の為「=貴方のj人生経験を活かす為」には、あなた自身が、自分の過ちに気づく事が不可欠ですね。
そしてその気付きを、行動を起こす契機にする「発心(ほっしん)」に繋がった時、人は初めて変わる事が出来るので有って、神に正直に自分の過ちを懺悔しただけでは、全て許されるのでは、ありません。
人間の社会が獣たちと違うのは、こうした「気付き」で、過ちを具体的に改めるダケの時間的余裕を、自ら作り出せる処に有ります、人間も、そして社会もそれで、少しづつ進化して行くのです。
なぜ進化が必要なのかと言えば、生物も、人類も、そして、この地球も、否、宇宙すべてが、何れ、終わる日が来るからです。だから進化し無い、生物種は、自然淘汰されるのです、是は、自然の理であり、誰も変えられません
困難は、次々にやって来ます、その試練を乗り越える為には、経験知を生かして、例え、未知の事でも、起こりうる現象を経験知から導きだせる可能性や精緻な現状認識と忍耐強い観測・観察から、僅かな変化に隠された、未知の巨大な危険な兆候に気づく事が出来るかもしれないのです。
そう言う叡智を養いなさいと、神仏=大霊は言って居るのです。
つまり、人間同士で目先の利己的な利益の為に争って居る場合では無く、当に、地球の危機なのです。
武漢肺炎禍は、大霊が人類に与えた警告で、人類はシナに報復するよりも、この経験知を、如何にして、将来の危機に生かすかを考えるべきでしょう。
この先も、未知のウィルスに遭遇した時に、国家や社会は、どのような措置・態度を取るのが正解だったのか、こんな時に、リベラリズムや民主主義を喚く事の無意味さ、否、有害さを、人々は、冷静に検証・検証しなくてはイケなせんね。
其処には、集団より個人の方の利益が大事だと言う、tpoを弁えない、単に、自分勝手で、非常識なだけの間抜けな文化人の姿が露わになっていますね。
「劣化した日本人」だと、言う他は無いが、こう云う人間を持て囃す風潮のマスコミが、NHKを先頭に、為政者である安倍首相を何とか引き摺り下ろそうと形振り構わなくなって居るのが現状ですね。
彼らの共通しているのは「自分達は選ばれた上級国民である」と言う、根拠のないい唾棄すべき、優越意識ですね。
投稿: ナポレオン・ ソロ | 2020年5月 9日 (土) 10時54分