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2020年5月 7日 (木)

戦後の不自由言論空間を作り上げてきた朝日新聞に「言論の自由」を語る資格なんてあるわけないだろ

ーー以下「アジアニュース20/5/4」より抜粋編集

1: 2020/05/04(月) 18:18:09.24 ID:CAP_USER.net

●言論封じる力、決して屈しない 阪神支局襲撃33年

朝日新聞阪神支局襲撃事件と言論をめぐる主な出来事
朝日新聞阪神支局で記者2人が殺傷された事件は、1987年5月3日の憲法記念日の夜に起きた。「反日朝日は 五十年前にかえれ」。言論の自由を否定する犯行声明文を残した「赤報隊」は姿を消し、事件は未解決で終わった。あれから33年。言論をめぐる状況はどうなのか。新型コロナウイルスの感染拡大で中止となった「言論の自由を考える5・3集会」に登壇予定だった4人が語った。

■忖度が働く、不自由な社会 元キャスター・村尾信尚さん(64)

社会で分断が進んでいる。匿名性というネット社会の負の面が出ているのだろう。心ない意見を恐れ、心の中で抑制する忖度(そんたく)のようなものが働いている。政治の現場では、安倍政権が、「こちら側」と「あちら側」に分けているように見える。不自由な社会だ。

キャスター時代も不自由があった。テレビは視聴率が命で、そことのせめぎ合いだ。例えば、大相撲の暴行事件。連日トップニュースで、視聴率は高い。でも、米国トランプ大統領の政策など重要なニュースはたくさんあるのに、なぜトップなのかとスタッフと何度もやりあった。

歴史をひもとくと、戦争へと突き進む政府は世論を一つにする。それを防ぐためには、言論、表現、学問の自由が不可欠だ。ただ、こうした点に関心のない人もいて、どう伝えるかが問われている。難しい言葉で伝えても、自己満足で聞き手には伝わらない。僕は人口減少を伝える時、多くの人が身近に感じている宅配便の人手不足から取り上げた。意義が伝わらないとすれば、語り手が工夫を怠っているからだと思う。

むらお・のぶたか 2006~18年「NEWS ZERO」キャスター。近著に「B級キャスター」。

■議論呼ぶ芸術、許さぬ空気 映画監督・天野千尋さん(37)

日本では国の文化的支援が厚くなく、公開映画の大多数が「商業作品」。内容もわかりやすい起承転結が求められ、「笑える」「泣ける」と一言であらわせないと企画として成立しないと言われることもある。制作も配給もバッシングに敏感で、何かあればすぐ自粛する。芸術的な「自由」度が高いとは言い難い。

一時中止となったあいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」問題。不思議だったのは、抗議の多くが主催者や行政に向かったこと。まるで行政に芸術をコントロールしろと求めているようだった。深読みすると、日本における芸術は、見て「気持ちいい」もので、幅広い議論を呼んだり強烈な主張を持ったりすることは歓迎されていないと感じた。

最近はSNSの負の面に怖さを感じる。物事の一面だけが捉えられバッシングがエスカレートし、分断や排除が進む傾向がある。最新作は、騒音を巡るご近所トラブルがメディアやSNSを巻き込んで大ごとになっていく話。他者を一方的に「悪」だと決めつける危うさを描きたかった。

あまの・ちひろ 会社勤務の傍ら映画制作を始める。最新作「ミセス・ノイズィ」は今年公開予定。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14464867.html

ーー

22: 2020/05/04(月) 18:22:54.97 ID:J0h0bG9Y.net

>>1
保守派の言論を封じてるマスゴミが何か言ってんぞw

10: 2020/05/04(月) 18:20:14.06 ID:e/tgmEnH.net

>>1
言論の自由には責任を伴う
朝日新聞は「従軍慰安婦」「南京大虐殺」「サンゴ礁にKY」など
誤報の責任を全く取らない。

朝日記者の仕事は捏造しデッチアゲて侮日することだろ

27: 2020/05/04(月) 18:23:24.78 ID:dS5MS8ux.net

>>1
つまり反日を続けると言う敵対心を示す声明だな?
絶対に許さない。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

縦椅子様

 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
 5月6日の産経新聞朝刊によると「大阪15日に自粛解除判断」とあり、
 「大阪府は5日、新型コロナウィルス対策本部会議を開き、事業者への休業要請や外出自粛要請を解除要請を段階的に解除するための府独自の基準『大阪モデル』を決定した。感染経路不明の感染者数の割合を示す陽性率、医療機関での病床使用率の3つ指標を設定。1週間連続で基準を下回った場合、段階的解除に踏み切る。府は15日に解除の可否を判断し、15日から適用する。」との記事ー
 ここに都構想なるものの弊害が如実に表れていると思います。一番乗りしたものが、正しく、国の方針を無視し、自分たちだけで、自分たちのやり方でやっていく。もしこれが国と抵触するような場合、どういうことになるのでしょうか?疑問です。

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>マスコミ・映画界批判
故津川雅彦さんが言ってp居たが「芸能界、特に映画界は、監督から俳優は勿論、裏方までも、すべて洗脳されて居るかの様に、反日で、グローバリズムが、恰も人類の理想であるかの様に、思い込まされている]と、仰っていた事を覚えている。

この村尾某は、TV界の汚染源の一人だと確信しているので、NTVのニュース・ゼロを見て居て、余りに肚が立ったので、途中でスイッチを切ってから後は、見なかった。

処が、何年かの後に偶々、他の番組を見て居て、続いて「最後の放送」を見たが、相変わらず、反体制・反権力の共産テロリスト的思考しか持ち併せて居無い様だったし、番組アシスタントの桜井翔画、現在の線の兎態勝者の様に見えた。

まぁ、櫻井氏も、もう直、不惑だろうから、自分に中身には自分で責任を持てるのだろうが、芸能界と言う処は、人格破壊や非常識人間を作りだしても知らん顔で、いわば、人間の使い捨て刃だとしか,思えない。

こんな世界で、朝鮮族の支配下で、露骨な差別を受けながら、宝くじの一等を引き当てるよりも、少ない成功確率に、人生を賭けているのだから、その人生の時間の使い方の善し悪しは、兎も角、成功者は、10~100億円の財産を築く事も夢ではない。

その多くは、家庭を壊し、体を壊し、人間関係まで壊して、そして人生を浪費して、手に入れたもので、本当に満族出来たのだろうかと、この2~3年で他界した芸の人の事を思っている。

まぁ、タレントや俳優は、少々変わり者でも、考えが足りなくても、彼らの本分は、中身では無くその虚像に在るのだから、実はどぅでも良い。

然し、映画やTVドラマを造る側が、左巻きなのは、世に害悪を垂れ流す事に成りかねない、だから、現在では、批判を懼れて、判り易いストーリィで、話の進行・展開も起承転結はっきりした、一言で中身を表現出来るものが望まれているのだろう。

それは、ある意味し方がない事で、世には、映画やTVを看て、その中で繰り広げられる過激な事や新たな悪事のヒントになる事を実行に移す、馬鹿者が必ずいるカラで有る。

つまり、貴方の創作作品が悪事の温床になるって事だが、それでも、仕方が無い、自分は関係ない徒、犠牲者の遺族の前で言えるのか?

世人に公開する作品の創作者には、いつでも、それだけの重い責任が付きまとうが、其れが自由である、つまり、表現の自由=無責任を認めなさいと、この人は言って居るが、当然それは、世の政治的な、或るいは、道徳的な非難に曝されるのは、寧ろ、当然だろう。

まぁ、愛知トリエンナーレなんて、世人カラ非難囂々だった、唯の反日展覧会を、正しく評価して居ないとか、言っているが、展示されたものは全て史実ではない、と日本では検証されて居るのだが?

それでも、もし歴史云々いうのなら、批判を受ける日本では無く、韓国でやれば良い、現に、この展覧会開催を主催し、出資した、愛知県知事は、朝鮮系帰化人だし、反日展覧会を課威さKした事自体が「政治利用」で有る上に、公金を出資した事で、大きな非難を浴びて居るカラ、おそらく今季限りだろう

其れだけ、政治色の強い問題だと言う事が理解できれば、この様な政治的に偏向したコメントは、態々公表しないだろうカラ、確信的なコメントだと思いますね。

固より、戦争を題材にしたモノを下芸術的表現の題材にするのには、反対である。

例えば、ピカソのゲルニカは、スペインの内乱に、ナチス・ドイツが、王側に加担して,ゲルニカの街を無差別爆撃した事を非難して書かれたものだ、確かに、無差別都市爆撃は悲惨な結果をもたらすのは、ゲルニカの千倍もの死者を出した東京空襲で、日本刃体験済みである。

然し、戦争と言うものはお互いが自分の正義を信じて、戦って居るのだから、何の恨みもない、見ず知らずの人を、無残にころせるのは、異常者でしか有りえない。

そう言う意味では、平和時に葉、穏やかに暮らして居る人でも、縛りが解発されたら、飛んでもなく残忍な真似をする獣性を潜ませていると言うのなら、一種の芸術なのかもしれないが、ゲルニカは、都市爆撃の結果でしかない。

其処には人間の内面も意外性等、何処にも描けて居無い、唯、残酷なだけだから、報道写真の方が、拠り訴求力
がある。

しかし、たとえ写真で有っても、、人が共感を持てるのは、その表現されたものに、公平性、客観性、公共性があると認められた場合だけだろう

そう言う意味で、端から虚構である映画は、次第にその役目を終えて居るのではないだろうか?

話が複雑だから、芸術性が高くなるとは言えないし、逆に、単純だから芸術性が低いと言うなら、抑も映画芸術とは何か?と言う、疑義が発生しないだろうか?

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