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2020年4月26日 (日)

日本文化というのは、とても奥が深く素晴らしいものです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

万葉集の額田王の歌の原文は以下です。

茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

これを戦後「あかねさす紫草野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」と読んで、天智天皇が額田王に袖を振って求愛してる、つまり弟の大海人皇子(後の天武天皇、額田王の夫)との三角関係を証明した歌だと主張してきたのです。

もちろんそんなことを主張してきたのは戦後社会を支配し、ひたすら日本文化を貶(おとし)めてきた在日・反日勢力でした。

ーー

額田王は、天智天皇の弟の大海人皇子(天武天皇)と結婚して一女を産んでいます。

その額田王が夫の兄と不倫関係にあったことにするために「君(天智天皇)が(額田王に)袖を振っている」と読んだと考えて間違いないでしょう。

在日・反日勢力の卑劣な作為が感じられます。

ーー

そもそも万葉集は、日本の文化、つまり日本の良い国柄を広く知らすために編纂された歌集です。

そういう目的をもって編纂された万葉集に、皇族の不倫の歌を、果たして登場させるでしょうか。

冒頭に記しました原文をご覧になれば分かるように、誰がどう読んでも「君の袖振る」なのです。

ーー

この歌には【天智天皇ご主催の蒲生野での遊猟のときに額田王が作った歌】と説明がなされています。

この遊猟会(ゆうりょうえ)は668年5月5日(いまの6月中旬梅雨が始まる前くらい)に行われた、天智天皇主催の蒲生野での遊猟会を指しています。

ーー

白村江の戦い(663年)の五年後に天智天皇が遊猟会を開かれた。

ーー

こうした背景のもと、遊猟会の後の直会(なおらい)、つまり懇親会の席で、額田王が披露したのが、冒頭の歌です。

事が一段落したときに、宴会いわゆる直会をするのは、「よろこびあふれる」を国造りの根幹に置いてきた日本の慣習であり特質です。

(直会(なおらい)とは、神社に於ける祭祀の最後に、神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事(共飲共食儀礼))

ーー

まず歌い出しが「あかねさす(茜草指)」です。

茜の開花時期は8〜9月で、この遊猟会はいまでいう6月ですから、ここでいう茜(あかね)は、茜の花のことではないとわかります。

その茜草は、染料として用いられている、つまり「茜色に染めること」を想起させます。

では、何を染めたのでしょうか。

ーー

続く「むらさきのいき(武良前野逝)、しめのいき(標野行)」では、同じ「いき(いく)」に、「逝」と「行」が使い分けられています。

「逝」はバラバラになること、「行」は、進むことです。

つまり、茜色に染めたのは、バラバラになった何かで、それをもとに戻すための道標に向けて何かが進んだと解釈できます。

ーー

バラバラになったことは、「むらさきの(武良前野)」でも示されています。

なぜなら「武」は「たける」で歪んだものをまっすぐにすることですし、「良」は良いことです。

「野」が、白村江の戦いで被害を受けた地方豪族と考えれば、息子を出兵で失った地方豪族たちと国(朝廷)の絆(きずな)が途切れてバラバラになっていたこととわかります。

その紐帯(ちゅうたい)を取り戻すために、朝廷は5年間努力された。

そして天皇は、その紐帯を取り戻され、「君の袖ふる」で人々に明確な道標を与えられた、ということを述べているとわかるわけです。

ーー

そして「のもりはみずや(野守者不見哉)」の「野守」では、野原の番人と地方豪族を掛けています。

「みずや(不見哉)」の「哉」は言葉を断ち切るときに用いる字で、見ないことを断ち切ることから、「見るでしょう」という意味になります。

「きみのそでふる(君之袖布流)」は、「国をひとつにまとめて、唐の侵攻に備える」という天皇の意思を示しているのです。

その天皇の意思を実現すべく国の最高権力者として夫の大海人皇子が辣腕をふるってきたことが「君の指揮=君の袖振り」として描かれていることも読み取れます。

ーー

あかねさす紫草野逝き標野行き 野守は見ずや君の袖振る

(白村江の負け戦でバラバラになった地方豪族たちも天皇の「再びまとまろう」との意思を茜色に染まるように受け入れていくことでしょう)

この時代に、苦労を重ねて国をひとつにまとめようとしてきた朝廷の人々なら、誰もが、「そうだよね」とわかる内容になっています。

ーー

額田王は、政治上の最高権力者である大海人皇子の妻で、しかも霊力を持つ女性です。

そういう額田王の歌はいわば「お上(神)の声」と受け入れられたはず。

ひとことでいうなら、「君が代の政治はとてもうまく行っている」ということになります。

そしてさらに額田王のこの歌は、天智天皇の権威の下で実権を振るっていた夫の大海人皇子の政治が、順調に進行していることを含んでいます。

ーー

つまり額田王は、「夫がちゃんと仕事をしていますから、帝はどうかご安心くださいませ」と詠んでいるわけで、まさに見事な内助の功といえます。

ーー

古代というのは、歴史の始まりの時代のことを言います。

ですから西洋史なら、古代ローマ帝国の時代、古代ギリシャの時代などと言われます。

古代以前が先史時代です。

つまり考古学的な史料しかなかったり、神話の時代が先史時代です。

ーー

ですから、少し前までは、我が国では古代は「古代大和朝廷の時代」のことを言い、縄文時代、弥生時代が先史時代とされていました。

古代に続くのが中世で、飛鳥、奈良、平安時代が中世とされていたわけです。

ーー

ところが戦後日本社会を支配した在日・反日勢力は、日本人に「護憲、東京裁判史観、侮日」を強制し、あらゆる日本文化を矮小化し貶(おとし)めてきました。

そのため近年の文科省を中心とした歴史学会は、3万年以上も続いてきた日本の歴史を底の浅いものとするために飛鳥、奈良、平安時代が古代だといい、鎌倉時代から戦国時代までが中世なのだという。

これは、歴史認識を近隣諸国に配慮した結果なのだそうです。

ーー

しかし支那・朝鮮諸国は、国民が存在し、客観性・公平性・公共性を理解し、その自由な意思が国家意思となるという、近代国家ではないのです。

そういう国に、自由、民衆政治、法治を国是とし、近代を知る日本が配慮する必要などないでしょう。

例えば現代の支那人らは鮮卑人が建てた唐の時代にどのような言葉を使いどのように発音していたかを知らない、朝鮮人など何度も異民族の侵略を受けていて千年前の古語でさえ全く分からないのです。

ーー

つまり日本人は歴史を持たない支那・朝鮮人らとは同じ土俵での歴史の議論はできないのです。

ーー

それに歴史というのは、政治ではありません。

記録された文字資料を偏見なく純粋に読み解く学問です。

そこに政治をからませるような行為は、まだ近代を知らない支那・朝鮮に任せておけばよいのです。

ーー

つまり支那・朝鮮を相手にして歴史を語る場合は、記録(歴史)を提示し「彼らの主張する歴史が全く根拠のないのでたらめであることを広く世界に発信する」必要があるのです。

ーー

さて日本は、7世紀に記されて現在もその意味が理解できる額田王の冒頭の歌に代表されるように、古くからきわめて高い文化を持った国です。

残念なことに、現在市販されているどの万葉集解説本にも、例えば額田王の歌を「君の袖振る」だと解説しているものがない。

ないから自分(ねず)で書くしかなかったのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>是から解明される古代史の影響
額田王のこの歌は、確か学校では、相聞歌=恋愛歌だと習いましたが、家に帰って、夕食の時にその事を母に話すと、「誰が云ったの? それは違うよ」と、たしなめられました。

裡の母親は、大学で国文学を専攻していたし、記憶力がとても良くて、歴史でも教科書に書いて居無い事迄、知って居ましたね。 つまり、私の歴史好きは、母親の影響ですねww

世に、曲学阿世と云う言葉がありますが、現在、文科省に強い影響力を持つ「歴史学会」とか称する、東大閥の学会は、そう言う学者の集まりの典型だそうですね。

現在の70代でも、大学生の頃と言えば、昭和40年代前半でしょうから、所謂、全共闘世代で、少なくとも全員「心情左翼」で、マルキシズムの洗礼を受けて居る世代ですね。

この世代が東大の教授に収まって、日本の歴史教育を出鱈目に書き換えてきた、そして、その東大で、記憶力エリートの学生が、授業内容に何の疑問も持たず、自分の頭で考える事が出来ない文科省官僚になった訳ですね、元事務次官だった前川某なんてその典型でしょう。

然し、私は此処へきて思うのですが、あの頃の大学生は、今の様に通信手段やPCの様なものが発達して居無かったので、得られる情報量自体が不足して居たかもしれないけれど、結構好い加減な理屈を振り回して、序に人生を棒に振る様な重大犯罪を犯して居た様に思います。

結局「マルクス信仰者」と云うしかない状態にあったモノが殆どの様に感じますね、所謂、「狂気の時代」だった。 あの時代に東京や大阪に、大学生として居なくてよかったと、真剣に思います。

戦後の日本で一番壊されたのは、なんと言っても教育でしょう。

就中、歴史コンプレックスを持つ欧米人に取って、日本の悠久の歴史は、壊す処か 触り様が無かったから、結局、家永三郎さんの様な、教科書編纂に携われる「左側の人」に頼る他は無かったが、出来上がった歴史教科書は、家永さんが学者だったカラ、今ひとつ迫力に欠けて居た。

其処で、朝鮮史に詳しい人を呼び、その差別と汚辱にまみれた歴史が日本でも繰り広げられらたかの様に書いたが、なにせ、未だ江戸時代生まれの人が沢山残っていた時代だし、が衣知で暮らして居て、朝鮮人やシナ人の実態を知って居る引揚者も沢山いた。 だから、維新までは詳しく、後は、意図的に曖昧にした。

特に、昭和帝のお命を狙った、数多の大正期の赤色テロ事件の事は詳述を避けて、政府の「一方的な政府の弾圧」と言う形で記述した。

これは、戦前の治安維持法を無効化する為に必要だったと思われますが、完全に国債費違反です。

何故なら、終戦まで収監・服役中だった共産党幹部はすべて、治安維持不違反では無く、刑法犯罪者だったカラです。

こうした、文系教科書の書き換えが、大正生まれで大連育ちの母親の持っている認識と大きく違っていた原因でしょう。

この書き換えられた歴史教科書が、最近、少しづつ元に戻りつつ有ったのですが、これを文科省の左翼官僚が再び元に戻す動きをして居る様ですね。

そりゃあ、次第に科学が進歩して来て、世界中の色んな歴史上の嘘がバレ始めて、世界史、特にシナの歴史を大きく書き換える必要が出て来たのですカラ、世界史が現在のママで無いと困る連中は、蒼ざめるでしょうね。

しかも、現在其れを阻止しているのは、世界から信用を失ってあ、後は、政権崩壊するしかない 共産シナですから、左翼官僚や歴史学会の危機は、モゥ、目前に迫っているのですからwww

この日本の官僚界のドタバタを観て、現在の米政権が何か口を挟む事は無いでしょう。

何故なら、全て「歴史は恣意的に書き変えて良い」と、思って居た戦前の米国の指導者達の低次元の歴史認識の結果だからです。

科学の進歩が、古代や先史時代の嘘を暴いて行くとは、夢にも思わなかったでしょう。

然し、人類は、こうして現れた、真実の歴史の流れを俯瞰して看て、神の時間の視点を以て、神様が人類に望んで居る事の真意を考えて、現状の自分達の為し事、そして価値観で、この先、地球が50億歳と言う天寿を全う出来るのか、に迄、思いを馳せねばイケないと思います。

縦椅子様

 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
 
 万葉集は日常のことを思いつくまま歌う。心の中だけで収めきれなくなったものを出すのが歌で、リズム感や、トータルで判断された。当時のひとは朝からばんまで歌漬けであったという。
 なぜ古代のひとは即興で歌を詠んだのか。文字がなかったし、相手に届く表現が歌であり、短く印象的な言葉を相手に伝えたいとのことで全国千百か所以上で読まれたものが、50年封印されたあと、ご万葉集誕生。
 奈良大仏建立の時代の頃、大友家持に歌を集めさせ、国をよくしようと聖武天皇が命じたものとされる。
 聖武天皇が世を去った時、藤原氏に対抗して、都を追われて世に出せないまま忘れ去られたものを、平安時代に、平城天皇が世に出し混乱した世をまとめたいと復活したラブソング。七割が政治的。恋する人々で世の人の気持ちを幸せにする意図で。
 なかでも額田王は、謎に満ちた浪乱の人生を送ったとされる―飛鳥時代のプロフェッショナル。
 (私は個人的には余り政治的にとらえず、おおらかな美しい絵のような情景の広がりと恋する嬉しさが伝わってきます。)
 皇太子(後の天武天皇)の答へませる御歌
21むらさきのにほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
ーここに載せたものは、以前万葉集を過去ログでとりあげていただいた時?か何かの時メモっていたものです。なぜかしらポロリとでてきました。見苦しいメモをお許しください。
本当に日本文化は奥がふかいものですね。 感謝!!

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