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2020年4月13日 (月)

たったひとりであっても、なすべきことを果たすためにしっかりと生きていく

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

もろともに哀れと思え山桜 花よりほかに知る人もなし

これは、小倉百人一首第66番・前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)が詠んだ歌です。

行尊は園城寺(おんじょうじ)の僧で、やがて天皇より大僧正に任じられた人です。

ーー園城寺の起源についてwikipediaによると、

大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていた。

が、生前にはその志を果たせず、大友皇子(弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没した。

しかし、大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒菩薩像を本尊とする寺をようやく建立。

ーー

壬申の乱では大友皇子と敵対した天武天皇ではあるが、朱鳥元年(686年)この寺の建立を正式に許可し、「園城寺」の寺号を与えた。

「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑(田畑屋敷)」を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。

なお、園城寺が「三井寺」と通称されているのは、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われ「御井(みい)」の寺と言われていたものが転じたものという。

ーー抜粋ここまで

仏教と神道を融合させた園城寺の僧らは、修験道の流れをくみ、自(みずか)ら滝に打たれたり、険しい山に登り降りする荒行をしながら霊力を得、お堂に篭(こも)って念仏することで、それを高めていた。

なかでも行尊は人並み優(すぐ)れた霊力を身につけ、白河院や待賢門院(たいけんもんいん)の病気を平癒したり、あるいは物怪(もののけ)を調伏するなどした人としても知られます。

行尊(ぎょうそん)は、第67代三条天皇の曽孫で、12歳で出家し園城寺(おんじょうじ)に入ったのでした。

ーー

行尊が青春時代を過ごした、そのお寺が、行尊26歳のとき、比叡山延暦寺の荒法師たちによって焼き討ちにあった。

なぜかというと、延暦寺も園城寺も、ともに天台宗でありながら、互いに不仲だったのです。

遣唐使の学問僧・最澄がインドから唐に渡ってきていた天台仏教を習得し日本に伝えた。

延暦寺はその最澄が天台宗の総本山として開いた寺院です。

ーー

これに対し園城寺は、この天台の教えを我が国古来の神道と融合させようとした宗派です。

天台の教えを、修験道の方法つまり厳しい修行を通じて会得していくというのが園城寺のやり方でした。

これが延暦寺の僧たちにとってはおもしろくない、園城寺の修行法は邪道だというのです。

ーー

当時の延暦寺はたくさんの荒法師(あらほうし、僧兵)を抱(かか)えています。

その僧兵たちが調子に乗って園城寺を焼き討ちしてしまったわけです。

それは、行尊たち若い修行僧たちにとっては、青春のすべてを焼かれてしまったに等しいことです。

しかもそれだけではなく、寺に備蓄してあった食料も失われてしまう。

行尊たちは、ただ焼け出されただけではなくて、その日から、着替えもなく、飯も食えない状態になってしまったわけです。

ーー

行尊ら僧たちは、全員で、近隣に托鉢(たくはつ)に出ました。

托鉢というのは、各家を回って寄付を募る精神的にも肉体的にも過酷な修行です。

そして行尊は、托鉢のために吉野から熊野にかけての山々を歩いているときに、山中で一本の山桜を見つけます。

ーー

その山桜は、ポッキリと折れていました。

前年の秋の台風で風になぎ倒されたのでしょう。

けれど折れたその山桜は、倒れながらも、見事な花を咲かせていたのです。

ーー

『金葉集』(521)には、「大峰にて思ひがけず桜の花を見てよめる」と詞書(ことばがき、説明)されて、二首が掲載されています。

(山桜が)風に吹き折られて、なほをかしく咲きたるを

 折りふせて後さへ匂ふ山桜 あはれ知れらん人に見せばや

 もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし

ーー

この二首目が百人一首66番に採用された。

ーー

深い山中で花を咲かせても、誰の目にもとまらないであろう、けれどこの山桜は、嵐で倒れてもなお、あのように花を咲かせている。

自分たちは、誰も見ていないところで厳しい修行に明け暮れてきた。

寺は焼き討ちに遭って無くなってしまったが、苦難に遇(あ)っても咲き続けているあの山桜を見習って、俺達もまた焼け野原から立ち上がっていこうではないか。

ーー

たった一本の山桜の姿に、心を動かされた行尊は、仲間たちとともに立派に園城寺を再建します。

そして行尊は、数々の功績によって園城寺の権(ごん、副)僧正にまで上(のぼ)りました。

ところが行尊67歳のとき、園城寺は再び延暦寺の僧兵たちの焼き討ちにあってしまう。

このときもまた行尊は、一門の僧たちとともに、全国を歩いて托鉢(たくはつ)し、再び寺を再建しています。

ーー

そして数々の功績を残した行尊は、天皇から僧侶の最高位である大僧正の位を授かるにまで至る。

81歳で亡くなるとき、行尊はご本尊の阿弥陀如来に正対し、数珠を持って念仏を唱えながら、座したままの姿であの世に召されて行ったといいます。

まさに山桜のごとき最期です。

ーー

行尊は、延暦寺の僧兵たちに焼き討ちに遭ったからといって、報復や復讐を考え行動に移すようなことはしていない。

彼はむしろよりいっそう修行に打ち込み、世間に自分たちの「まこと」を示そうとした。

ーー

理不尽な仕打ちを受けたからといって、仕返しをしてはいないのです。

全てを失った、そこからまた一層努力してすべてを回復していく。

これは、イザナキとイザナミの神語(かんがたり)から続く日本人の行動です。

ーー

イザナミが死ぬと、イザナキは嘆き悲しみ黄泉(よみ)の国へ追いかけていきます。

そこでウジに食われるイザナミを目にします。

イザナミは自分の醜い姿を見られそれを恥じ、激怒します。

イザナキは追いかけてくるイザナミから逃げ、黄泉平坂(よもつひらさか)で妻のイザナミと千引石(ちびきいわ)をはさんで向かい合います。

このときイザナミは、「おまえさまが私にこのような恥をかかせるのなら、私はおまえさまの国の人々を毎日千人くびり殺します」と言います。

ーー

普通なら、そう言われたのなら相手を先制攻撃をするか、報復攻撃をすることになる、戦争か平和かの二者択一なのです。

ところがこのときのイザナキの返事は、第三のものでした。

「愛する妻よ、おまえがそのように言うのなら、私は毎日千五百の産屋(うぶや)を建てよう」

ーー

縄文時代の遺跡に行かれたことがある方ならおわかりいただけると思いますが、当時の家屋は草葺き屋根の竪穴式のひと間建てです。

そのひと間しかない建物で出産するわけにいかないので、お産(さん)のときには、普段住む家の他に、産屋(うぶや)と呼ばれる出産専用の家を建てたのです。

千人殺すというのなら、千五百人の子をつくろうというわけです。

失っても失っても、それ以上に築いていく。

ーー

この思想が、たとえすべてを奪われたとしても、また一から努力してそれらを再び築いていこうとする日本人の思考の根幹になっています。

ーー

現実問題として、天然の災害が多発日本では、誰かに被害を受けたからといって、永遠に報復を繰り返している余裕などないのです。

何があっても、どんなにつらかったとしても、またそこから立ち上がるという強い気持ちがなければ、災害からの復興もままならず、貧困と飢えと寒さが待っているだけなのです。

だから日本人は、どんなときにも困難に果敢に立ち向かい復興を図ってきました。

そしてそのことが神話にも描かれ、歴史の中に行尊たちの振る舞いともなり、その精神は現代日本にもなお続いているのです。

ーー

実際、原爆を落とされたから、報復に原爆を落とそうなどというひとは、日本人の中にはおそらく誰もいません。

そのようなことは冗談にも言ってはならないし、思うことも許されないくらいに思うのが日本人です。

報復するだけの余裕があるのなら、その分を復興にまわす。

みんなで力を合わせて、以前よりももっと良い街を築いていく。

ですから広島にしても長崎にしても、戦前よりも今のほうがずっと美しい街です。

それが日本人です。

ーー

誰も見ていなくても、誰からも評価されなくても、山桜のようにただ一途に「自分のなすべきこと(まこと)」を成し遂げていく。

人は、生きていれば、耐え難い理不尽に遭うことが必ずあります。

何もかも失って、生きていても仕方がないとまで思いつめてしまうようなことだってあります。

けれど、たとえそんな辛さを知る人が自分一人しかいなかったとしても、心が折られてしまったとしても、自分のなすべきことは成し遂げなければならない。

幹も折れて知る人もいない山桜だって、それでもなお美しい花を咲かせているのだから。

ーー

「花よりほかに知る人もなし」

たった1人であっても、自分には成すべきことがあるはず、それをやり遂げるために立ち上がる。

山桜が花を咲かせるように、それをやり遂げるためにしっかりと生きていく。

何があってもあきらめずに立派な日本人になれるよう努力し続ける。

そこが大事なのだよ、と行尊のこの歌は教えてくれています。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>至誠の人大僧正行尊
ご紹介の文章を読みながら、感極まって幾度となく、溢れる涙を止められませんでした。
良いお話、本当に有難うございました。

行尊さんは、12歳で僧門を潜られたわけですが、三条帝の4代末と言う御血筋も、影響しているのでしょうか、白河院だとか侍賢門院だとか出て来ると、丁度、藤原氏全盛の世から武家の台頭が始まって、貴族達の行き場が無くなっていた時代だった様に記憶して居ます。

確かこの後に、保元・平治の乱が起こって、源氏が凋落して平氏の世の中になるのでしたね。。

私見に過ぎませんが、この頃の日本の行政は、それ迄の大伴氏等の神武帝以来の譜代の忠臣ではなく、渡来系との噂がある蘇我氏と一緒に渡来して来た中臣氏(後の藤原氏)といった、非日本人の人々が帝の周辺を固めて居たが、本質的に「民の為の政治」等はする気が無かったものとみえて、その執権は、凡そ、200年以上に及んで居ますが、天武帝薨去の後、女性天皇が続いて、混乱した皇室の動きを、藤原氏が治めた以外は、際立って優れた政治は行ってなっていません。

これはまるで、現代の政策は苦手だが、政局は得意の帰化人政治家と同じですね、非日本人には、日本の政治や国が本質的に民の為にある、と言う事が理解出来ないのだと思います、因みに、彼ら渡来系の出自は長江遺民だと思います。

さて、焼き討ちに遭った円城寺は、実は、神仏習合の御寺だったわけで、是が、考えの浅い、延暦寺の僧侶「もどき」の癇に障ったのでしょうが、この時点で、最澄以来の比叡山延暦寺の天台宗は、仏教では無くなって居ると思いますし、是が、後世の信長に拠る比叡山焼き討ちの原繋がって居ると思います。

何故なら、釈迦牟尼は自身の教えは、宇宙の真理で有って「ありとしてあるものである」から、宗教ではなく、人が真理に目覚めるのを援けける知恵である」と言うニュアンスの事を仰って居られるカラです。

日本古来の山岳神道を経験もしないで、邪道だ、邪教だと、騒ぎ立てて挙句に、焼き討ちを懸けるに至っては、唯の無法者の犯罪者集団でしかない、この僧兵に武装集団が意にも、信長の時代には、大名を脅かす勢力に、成って居たと言うのですカラ

行尊和尚が、その生涯を通じて、行動で示した事は、天然の難住の地で有る日本列島に、3万年の永きに亘って棲み続け、生き延びてきた日本人が「与えられた環境で、与えられた能力を十二分に使って、様々な力を養い、以て、この難住の地を地上天国とし、病貧争災の無い人の心も天国化せよ」という、神道の理想、即ち、日本人の理想に沿った、自然由来の仏教の原点に還ったものだと、私は思います。

これが、修験道なのでしょう、曰く「自然を良く観察して、出来れば、その自然を体感して、その中に秘められた神の真理に気付きなさい」。すると、自ずと霊力が高まって「=波動強度が高まって」、歪んだ波動や弱くて消えそうな波動を、干渉現象で矯正したり、増幅したりして、病気を治す事が出来らのでしょう。 これはイエスも、釈迦牟尼にも、出来た事だと、伝えてられています。

其れにこうした聖人は、自分の死期を、正確に知って居て、じぶんがいなkあってからの事を知って居て、その為の用意をする事が出来る様ですね。

ですが、人の心は人の命が有限ですし、例え、輪廻再生したとしても、持ち越せる阿頼耶識は、僅かなものに限られているので、殆どの経験知は失われ、亦、一からやり直しですから、歴史を経験知に出来ない民族には、進歩が生まれないので同じ過ちを何回でも繰り返す。

すると、自然の理が働いて「環境を活かせない生物種は、この世に存在出来無くなる」のです。

こうした、同じ由来の科学に繋がる、自然の理の警告を疎かに考えて居る、現世界の民族が、どれ程多く居るだろうか?

この状態を続ければ、今世紀末には、地球の人口は今の半数以下になり、白人文明は、白人種の少子高齢化がさらに進んで、世界の希少しゅになっている可能性があります賀、すべて、自然の理=神の法則の結果です。

行尊和尚の感動的で貴重なお話、有難うございました。

とても良いお話しですね。
日本の心を持っていたいし、それに沿った国家としての生き方を追求したいと思います。

しかし、周囲は蛮族に囲まれています。きちんとした法体系を備えた民主主義国家は日本国周囲にはほぼ皆無といってよいでしょう。
いや、この地球ではどの国も四方八方を同じ価値観をもつどころか隙あらば侵入するのが当たり前となっています。これが地球の常態でしょう。

ねず様はまさか現時の憲法を平和憲法だといって崇めておられるわけではないでしょうね。

元ウクライナ大使の馬淵様がご著書の中で言っておられます。
この純な平和志向の日本国民がもし中国などに責められて、まかりまちがって交渉すればその場は収まるだろう、などと思うことが間違いであると。自衛隊員が捕まえられてウイグル送りになるのがせきのやまだということです。

日本の心は持つ。しかし他国にそれが伝わるかどうかは別のことです。

覚醒婦人さん  ポッポと言います

ねずさんは平和を愛する人ですが、現憲法を崇めている人ではありません。
改憲を主張している人です。

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