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2020年3月18日 (水)

日本人は、日頃は地味でおとなしいけれど、やるときには断固としてやり抜く精神をいまも失っていません

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

徳川家康の個人資産は、およそ800兆円で、これは当時にあっても(おそらく現代にあっても)、世界屈指の大金持ちであったといえます。

しかし家康自身は、その莫大な資産を「自分のもの」とは思っていなかったのです。

それは民衆のためにあると彼は考えていた。

ーー

どうしてそのことが分かるのかというと、家康が遺訓を残していたからです。

たいへん有名なもので慶長8年1月15日に記されたことが分かっています。

いわゆる『徳川家康公遺訓』です。

ーー

「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」

「不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし」

「堪忍は無事のいしずえ、怒りは敵と思え」

「勝つことばかりを知って負くることを知らざれば、害、其の身に到る」

「己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるに優れり」

ーー

家康は、今川義元が桶狭間に斃(たお)れるやすぐに信長方に付き、あるいは武田信玄の大軍を前にこれを三方原(みかたがはら)で迎え撃ち殺されかけ、あるいは関ヶ原ではまるで丁半博打のような天下分け目の戦いを行っています。

果敢に戦いを挑み、時には殺されかけるような経験をしてようやく「堪忍は無事のいしずえ、怒りは敵と思え」「己を責めて人を責めるな」と言えるようになったのでしょう。

また戦のあとの賞罰にも極めて厳正であったことも知られています。

ーー

そもそも彼が拓いた江戸が、手つかずの荒れ地として残されていたのは、利根川が毎年のように洪水を繰り返しており、土地は水はけが悪いためにぬかるみ、誰も手を付けていなかったからでした。

そこに城を作り、堀を掘って水はけを良くし城下町を作り、利根川を霞ヶ浦に流し、その流域を穀倉地帯とした。

考えてみれば力づくの強引な都市造りを行っています。

そしていつの間にか当時の江戸は世界一の大都市となっていた。

ーー

こうしたところから、「日頃は謙虚に地味に人としての成長を目指しながらも、やるときには断固としてやり抜き、やり遂げるまで決して手を抜かない」という家康の生き様が見えてきます。

ーー

まったく逆な人たちもいます。

日頃は大言壮語で、態度も大きく、人としての成長よりも、どちらが上か下かにしか興味がない。

ところがいざというときになると「アイゴー」と叫んで武器を放り出して逃げてしまうような人たちです。

ーー

戦時中、どうしても軍で働きたいというから、軍属として仕事を与えたけれど、敵がやってきたら一目散に逃げ出す。

それどころか、そくさくと米軍の側について、日本の軍の拠点のある塹壕の場所や兵力を米軍に教え、なまりのある日本語で、

「にほんのみなさ〜ん、投降しなさ〜い」とスピーカーで大声をはりあげる。

ーー

戦傷のために身動きが取れずに実際に捕虜にでもなろうものなら、自分たちの裏切りをなじられるのが怖くて、米軍に媚を売って傷ついた日本人の兵隊さんを殺す手伝いをする。

戦争が終わると、「自分たちは戦勝国民だ、進駐軍だ」と言い張って、日本人の民間人に対して、好き放題の乱暴狼藉を働く。

ーー

まったく人間のクズ、というより果たして本当に人なのか、と疑いたくなる行動です。

人間も動物の一種であり、環境に適合するために、さまざまな種類に進化しましたが、民族というものも、実は、環境適合のためにそれぞれが違った形で進化することで生まれたものです。

歴史をたどれば、支那帝国の隅にあって、「二度とあいつらとは付き合いたくない」と周辺国から嫌われることで国としてようやく生き残りを果たしてきた人々です。

それこそが彼らの民族性です。

ーー

たとえばハリネズミは全身が針で覆われていますが、ネズミの天敵である蛇が丸呑みすると、口内や食道、胃袋などで針が刺さり、飲み込んだ捕食動物の側が死に至ります。

こうしてハリネズミは、他の捕食動物から嫌われることで、独自の進化と生存を遂げ、いまやヨーロッパ、アフリカ、中近東、東アジア、ロシア、インドなど、世界中で繁殖をしています。

生き物の種の中には、このように嫌われることで生存を図る種もあるのです。

ーー

そうかと思えば、助け合うこと、愛情をもって他者に接すること、自分が努力することで生存を図ってきた種もあります。

ところがそのような種の中に、上か下かしか興味関心を持たないハリネズミ種や、争ったり共食いしてでも繁殖を図る種が大量に紛れ込んだら、どうなるのでしょうか。

はじめのうちは、彼らは傍若無人に、まさに自分たちの天下を謳歌することでしょう。

ところが、日本という、天然災害の多い国では、共存共栄を拒否するような彼ら流のやり方では生存できません。

結局彼らは自滅の道をたどることになります。

ーー

日本人は、一見おとなしくて従順です。

日頃から謙虚に地味に人としての成長を目指す日本人は、そのように見えますし、実際、おとなしいです。

しかし、やるときには断固としてやり抜くのが日本人です。

そしてやり遂げるまで決して手を抜かない。

ーー

誰もが家康公のようになることはできません。

けれど日本人なら誰もが家康公と同じ精神を持っています。

こうした日本精神は、実は戦前の日本も戦後の日本もまったく変わりありません。

ーー

戦前の日本は、人種の平等を高らかに掲げた国是とし、植民地支配をする西欧諸国と戦い、世界の被植民地を開放し、世界の諸国を独立に導きました。

戦後の日本は、そうして発展途上国となった諸国にODAを通じて技術援助や学校建設、あるいは砂漠の大地となっている土地に灌漑を行ってこれを農地へと転換するなどの援助を惜しみなく行い続けました。

そしてこうした行動は、官だけでなく、民間部門においても国際協力団や、個人による学校建設、井戸の掘削、橋梁の建設など、様々なかたちで取り組みが行われています。

ーー

西欧諸国の文明が、一部の大金持ちに利をもたらすために、他から収奪をするという形態であるのに対し、日本は、過去も現在もずっと、民衆こそがたからであり、民衆が豊かに安心して安全に暮らせる社会の構築を希求し目指し続けています。

けれど、残念ながらそうした日本人の行動は、メディアではまったく扱われません。

テレビをつければ、そこに出てくるのは、前髪を垂らした頬骨の高い「二度と付き合いたくない」男や女たちばかりです。

ーー

このたびの武漢伝染病でも彼らの民族性がよくわかります。

自分だけ助かろうとして、大声で検査を要求し責任を押し付けあって感染を広げ、我先に病院に駆けつけ医療崩壊を招いています。

彼らが自分の事しか考えていないことが広く世界に知られる結果となってきています。

彼らと関わってはいないことをいやというほど見せつけられました。

ーー

日本人は、日頃は地味でおとなしいけれど、やるときには断固としてやり抜く精神をいまも失っていません。

日本人は目覚めようとしているのです。

つらいことがあっても、それを乗り越えていく強靭さを持つのが日本人です。

その心は、千年前の日本人も、数千年前の日本人も、そして現代日本においても、まったく変わっていないのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>伝統日本を蘇らせ、守る為に
読んで居て「成程、このタイミングだから、武漢肺炎が流行したのか」と、腑に落ちました。 つまり、神のお仕組みであったと言う事ですね。

抑々、人類史上で一番、人類を死滅させたのは、戦争だと言われて来ましたが、それは全くの人を戒める為の大嘘で、史実に残っている記録からなら、伝染病が圧倒的に多くの人々を死に追いやっていますし、それに次ぐ、或いは、それを上回るのは、自然災害でしょう。

短期的には、大型台風や集中豪雨、大風による、河川の決壊や大規模な山崩れ・地滑りで、多くの人が、無差別に犠牲になっています。

そして、日本人の歴史は、こうした絶え間無い自然災害との戦いで、それは現代も続いて居るし、この30年間には、毎年の風水害に加えて、雲仙普賢岳の大爆発が起こり、多くの死傷者を出したり、Mg7以上の地震が、全国で10度もおこり、裡、数千~数万人規模の大災害が、2度も起こって、その裡の1つは、直後に大津波が発生して、東北地方や北関東地域に大きな被害を齎しました、つい、9年前の事です。

明らかに、数百年に一度の天災が集中して起きる時期なのですね。

これは歴史の記録を読めばすぐに解ります、何故なら、こうした大災害の後には、必ずと言って良い程、冷夏等が続いて、凶作を齎し、それが複数年に亘ると、蓄えの乏しい地方では飢饉が発生して、都度、数百万人が犠牲になった大飢饉が、宝暦、天明、天保、と3度も起
江戸期260年間には、こうした大飢饉が、3度も、起って居て、それが、この施枚日本列島の中ですカラ、普通なら、江戸時代は、飢餓と動乱の暗黒時代になって居て当たり前のはずです。 処が、日本はそう言う危機からの復興が、驚く程早い、そして、「元に戻すだけ」の復興・復旧ではなく「2度と、同じ様な犠牲者を出さなくても良くする」事を目指しての工夫を加えた改良、改善を含んだモノで

つまり、其処には、太古の昔から日本人が行ってきた「自然原資を良く観察し、記録に止めて『経験知』として積み重ねて、より効果的な改善・改良の方向や、タイミングを探って行く」と言う、極めて冷静で、科学的、且つ、合理的な手段と時期を策定するのです。

西洋人の戦いは、欧州半島そのものが高緯度にある為、氷河が晩く迄、山岳部に残っていた所為で、平野部の肥沃さをので、齎す筈の、表土を削り去って終い、後には、石ころだらけの荒れ地しか無かったにで、人口を増加を支える二は、他の地方からの、武力に拠る収奪・略奪を必須とした、つまり、強い武力こそ、生存の条件であり、価値観の筆頭に挙げられるモノだった。

だから、彼らに取って、自然との戦いは、ほんの一部の農耕民だけで、その多くは、その生産物を横取りし湯とする侵略者との戦いですから、相手は同じ人間です。

ですが、放って置けば、自分の生存権すら奪われて終い、全滅の目に遭います。

少なくとも、其処には、侵略相手に対する相互扶助や人権思想が入る余地は、絶対にありません、強盗や泥棒相手にそうした思想は身を亡ぼしだけでㇲ。

ですから、キリスト教の言う隣人愛の範囲が、同民族、同宗門に限られているのも、この所為でしょうね。

彼らキリスト教徒にとって、異民族、異教徒は、侵略者でしかあり得ません、そうい環境だったので、その環境に合わせる様に変化したと思われます。

処が、砂漠の一神教の神様は、契約に拠る神ですが、契約の中に「自分を崇め、戒律を守るものを加護し、福音を授ける」とありますが、そうでない入に対する加護も福音も約束されて居ません。だから、異神を崇める異民族も、異教徒も、あくまであり、人間では無い事になるのです。

そして、更に残念な事に、かれらが、そうした道徳的な規範を持ったのは、つい、千年ほど前でしかないので、東の文明にく比べて、圧倒的に経験知が不足しているのです。

是で、大陸島の東西の違いの発生原因が判、現在のシナ・朝鮮人の非文明的な、まるでルールを自分の敵だとしか、認識出来ない醜態は、如何説明するのか?

それは固より、現在、シナ人や朝鮮人を名乗り、あたかも5千年もの昔から文明を持って居るかの様に、大言壮語しているが、中身は、「国家の存在意義と言う事からして、為政者側も、国民も、まるで理解していない」レベルなのです。

だから、人類の最大級の脅威である「治せず、死に至る疾病」に対する、我先の態度が、事態をさらに悪化させて、世界の嘲笑を買って居るのです。

だって、彼らの本当の正体は、文明生活を経験していない未開人なのです、例えば、多くの朝鮮族は、未だ100年未満、シナに至っては、未だその恩恵に与って居無い人々が大半であろう。

何故なら、彼らの大元は、内陸の厳しい気候の中、食糧減となる、農業を水の恩恵が安定して居ないが故に、非文明的遊牧民集団からはみ出した、流浪の民だからです。

自分の命を護のが、精一杯で、仲間意識とか団結心を育る余裕がないカラ、その延長にある国は、弾圧と収奪の象徴でしか無い。

だから、公と言う存在も、自分や家族を護ってくれる存在では有りえないのですね。 だから、顕在する危機には、我先に逃げだす事に成る。

然るに、危機に立ち向かう人間には、最初から決死の覚悟が必要です、その覚悟があやふやな人間が、混じって居ると、予想外の危機が発生して全滅の原因ともなりかねません。 ダカラ、決死隊を編成するには、勿論、肚の座った人で、平生から人を良く観察して居る人が、必要なのですね。

この点も日本人は、戦国時代カラ積んできた経験知を持っていますから、日本軍兵士は、敵を感動させる程、世界一強かったのです。

我々現代の日本人は、行き過ぎた平和主義に狎らされて、この武の心を忘れて居ると思います。

幾ら、外交が上手くなって、民主主義が身についても、子の部の心を忘れては、国や伝統は、護れないと私は思います。

ねずさんの言う日本人の特性は、戦争に負けたからといって、50年や100年でなくなるものではありません。
日本人の特性は、すごいと思います。

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