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2020年3月30日 (月)

とりわけ我が国は、昔から「神国」と呼ばれてきた国柄を持ちます

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

『万葉集』より柿本人麻呂の長歌

葦原瑞穂国(あしはらの みずほのくに)は 神(かん)ながら 言挙(ことあげ)ぬ国 然(しか)れども わが言挙(ことあげ)ぞ 言幸(ことさき)く 真幸(まさき)く坐(ま)せと 恙(つつみ)なく 幸(さき)く坐(いま)さば・・・

柿本人麻呂は、全ては神々の思し召しのままにあるというけれど、皆が幸せに生きることができるためにこそ和歌があるのですと、この歌を通じて述べているわけです。

ーー

この長歌の反歌(かへしうた)(反歌というのは、その前の長歌などの意味を補強するもの)

しきしまの 日本(やまと)の国は 言霊(ことだま)の たすくる国ぞ ま幸(さき)くあれと

ーー

「随神(かんながら)」は、「随」が「〜のままに」という意味のなので、神々の思し召しのままに、という意味になります。

「惟神(かんながら)」の場合は、「惟」が「忄(りっしんべん)+隹」で、この場合の「隹」は「維」と同じ「つなぐ」という意味ですから、「神々と心とつなぐ」ことです。

つまり「かんながら」とは、神々と心をつなぐことだ、という意味で用いるときは「惟神」、心をつないだ結果として神々の思し召しのままにあることが「随神」だというわけです。

ーー

私たち日本人は古くから、「森羅万象、あらゆるものは、神々によって創(つく)られた」と考えてきました。

たとえば目の前にある机は、なるほど人が作ったものかもしれませんが、そのための原材料となる鉄も木も、もともと神々が造られたものです。

私たち人間は、神々が造られたものを、使いやすいように加工して用いているにすぎません。

ーー

もともとは神々のものなのですから、使い終わったらもとへ戻さなければならないし、お返しするときには、ちゃんと神々にお礼をしなければならない。

針供養などといったことも、要するに「すべては神々のもの」という考えの上に成り立っているわけです。

ですから、日本人には、物を使い捨てることができないのです。

大切に使い、終わったら神々にお返ししなければならないと考えてしまう。

ーー

そういう考えを持たず、俺のもの、おまえのものも俺のものと考える人々もいます。

人々がこうした考えをする国では、たとえば風光明媚な観光地、あるいは多くの人々が集まる海水浴場なども、まるでゴミの山となって、異臭を放っています。

そのゴミが海流に乗って日本にまで流れ着いて、たいへんな迷惑をかけていても、知らん顔です。

そういう行動しかできない人たちのことを、世界では一般に「未開人」と呼びます。

未開人の逆が文明人なわけですが、彼らは背広を着てスマホを持っていても文明人ではないのです。

ーー

日本では学問をするということは、自然の法則を知るつまり神々の知恵を知ることですので、学ぶときは、神の知恵に敬意を示す意味で姿勢をただすべきこととされてきました。

すくなくとも、昭和30年代くらいまで、小中教育において授業が始まる前に礼をして姿勢を正して授業を受けることが行われてきたのも、これが理由です。

神々の知恵をいただくのです、教師はその手助けをしているにすぎないと考えられてきました。

ーー

要するに坐骨から頭の天辺までが真っ直ぐに整ったときに、肉体と魂と神々が一体となると考えられてきたのです。

姿勢が大切であるということに対して最近では、体の中にあるとされる7つのチャクラ(車輪)が活性化するなどと説明する人もいます。

日本では上古の昔から、教えを受けるときには、背筋を伸ばして師匠の話を聴くべきだとされてきた。

これには、やはりそれなりの意味があった(その意味というのは、必ずその国の文化的背景を伴うものなのです)。

ーー

この「かんながら」という考え方は、古事記でも出てきます。

それが「諸命以(もろもろのみことをもちて)」です。

イザナギとイザナミのお話の冒頭に出てきます。

ーー

ここにおひては 天つ神(あまつかみ)もろもろの 命(みこと)をもちて いさなきのみこと いさなみのみこと 二柱(ふたつはしら)の 神に詔(の)らさく、「このただよへる くにをつくりて かためなせ」天の沼矛(あめのぬぼこ)を 賜(たま)はれて言(こと)に依(よ)せて 賜(たま)ふなり

 於是天神 諸命以 詔伊耶那岐命・伊耶那美命 二柱神 「修理固成是多陀用幣流之国」 賜天沼矛而 言依賜也   

ーー

この「諸命以(もろもろのみことをもちて)」は、すべての思考や行動は、ことごとく神々の命(みこと)のままにあるということを意味します。

つまり「かんながら」です。

ーー

戦後占領軍は占領政策として日本文化の破壊をもくろみました。

この占領政策に協力して敗戦利得者となったのが在日・反日勢力と呼ばれ、戦後の日本社会を支配してきた人たちです。

彼らは言論・メディア・教育界を支配し、日本人に「護憲、東京裁判史観、侮日」を強制してきた。

そのため日本人は、「かんながら」と聞いて、神と聞いただけで、あたかもそれが「インチキ、いい加減なもの」であるかのような先入観を埋め込まれてしまった。

しかし、我々が属す社会を考えてみれば、それはもう人間以上の存在であることが分かります。

それはもう神というべきものを想定しないと理解不可能なのです。

ーー

例えば日本の列車運行の環境などは、もちろん人が作り上げたものでありますが、それは世界中のどの社会も築き上げられないような人知を超えた存在になっていることに気づく筈です。

ーー

つまり人間以上の存在(かみ)を想定しないと、なぜ日本社会の秩序が維持されているのかを理解することができないのです。

とりわけ我が国は、昔から「神国」と呼ばれてきた国柄を持ちます。

謙虚に、神々の存在に気づくことが、日本的精神を取り戻す、第一歩であることがわかります。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>神の国日本の再生
20年位前に、当時だった森さんが「日本は神の国だ」と言ったら、新聞が大騒ぎして、非難囂々の態になりましたが、果たして安倍さんが同じ事を言っても、おなじことになるのかに、わたしは、興味がありますね。

当時と比べれば、現状の日本人は「日本に、目覚めだして居る」と私は、実感する事がこの頃、私の周辺で多いのですが、何より、現在日本が武漢肺炎と言う世界的危機の真っただ中に置かれているからです。p

私が住んでいる居る神戸周辺では、マスコミが騒ぐような、集団ヒステリー状の現象は見られず、寧ろ、家族皆で、春の陽気を楽しんで居る暢かな光景の方が、目に入ってくる。

然し、皆の「見え無い危機」に対する警戒心は、しっかり持って居る様で、何時もウォーキングで通る、いつもは観光客やアベックで一杯のメリケンパークもかんさんとしていま閑散としています。

之は、安倍政権の出した「不要不急の外出は避けてできるだけて、家の中に居て下さい」という要請を、ちゃんと守っているからで、之は特別に、法的な規範が無くとも自然に、集団行動の基本出ある「指揮者の指示に従う」が出来ていると言う事なので、それを指摘したのです。

すると、なんと「それは全体主義じゃないか?」と言う指摘を受けました。 それをコメントしたのは、明らかにマスコミ関係者と思しき文体の人だったので、よもや、現在は死語に近い、全体主義=ファッショだ「」を聞いて、吃驚しました、おそらく、そういう世代の人なんでしょうね。

私が思うに、この世代「=団塊の世代」の人達は、輸入物の思想の右や左しかしらず、肝心の日本人としての思想を学んだ事が無い人が多いので、私の茄ずし異体験だけの範囲ですが、然も、形而学上の事は「とどのつまりは、プロパガンダに過ぎない」と思って居るカラ、勿論、肝心の神道と西洋宗教の区別も着かない人が普通にいますね。

こう言う人の特徴としては、前述の方の様に、何でもレッテル貼りで済まして終う処で、特に、宗教や政治思想にも、そうした姿勢で臨むので、相手から呆れられて、そういう議論や材をしても、結局、貼り付けたラベル以上の掘り下げは出来無い、薄ぺらな知識のママで終わって居る。

だから、前述の人の様な、耳を疑う様な話も出て来るのでしょうね。 でも、こういう世代の人でも、「やはり日本人だなぁ」と感じる光景を、この頃体験して居ます。

それは、ウォーキングの最中に、ゴミ袋とトングを以て、ゴミを拾って居る人達を、よく見かけます、之は「私益に拘らずに、公共の為に汗を流す人達」ですね、日本には「精力善用」と言う金言も存在します、それをやって居る人達は全て、団塊の世代と思しき人達で、然も殆どが男性ですね。

こうした、自発的な善行は、それを横目で見て居る若い世代の中にもキット居る「金儲けより、より善く生きたい」と願って居る人の、心の指標になれば、「皆の為の社会を大事にする日本人の心を、行動で伝えた事に成る」ので、望外の喜びになるのではないかと、思います。

こうした社会の変化に出遭うので、私は、ウォーキングを止められないのですが、お陰で、75kgあった体重が、60kg前後に落ち着き、血液検査の数値も、殆ど全部向上して居て、定期検診も、毎月が、3ヶ月に一回になり、失明した左目と、失聴した左耳以外は、健康体を取り戻しつつ有ります。

然し、4年前に患ったMRSA「=黄色ブドウ菌感染症」に、敗血症を併発して意識不明のママ、あの世に処を、救って頂いたのは、近代医学の所為もありましょうが、「私には、未だ、この世にやり残した事が沢山あるぞ」と言う、神様の御引き留めだったと思って「おまけの人生」だと思って、ねづさんの言う、随神「=神様のご意志通りに」の毎日を送っています。

>戦後占領軍は占領政策として日本文化の破壊をもくろみました。

GHQによるWGIPやプレスコードも去ることながら、公職追放や3S教育の影響は未だに残っていると思います。

公職追放による教育関係の日本の教育者が追い出された後に反日・侮日の教育者が入ったことと、日本人に日本人としての教育をさせなかったことによる影響は現在にも残っており、文化的な悪影響ははっきり残っています。

判りやすいことで並べれば暫く前までは、スポーツのテコンドーの日本協会代表者は在日(帰化)人だったと思いますし、ボクシングの日本連盟だってそうだったのではないかと思っています。
スポーツに限らず文化的な団体でもどうなのかと思います。

団塊の世代は終戦後の中で生まれ、戦後ややや落ち着き始めた頃に義務教育を受けたのですが、日教組華やかなりしころでして、小学生が遊びで安保反対のデモごっこをしていたのです。良いか悪いかはともかくとして、テレビでは60年安保のことを放送していたので、その影響を受けないはずがないのです。
さらに、高校卒業の頃には70年安保でベトナム戦争中ですから、その影響もあります。

アジアの植民地が独立運動(戦争)をしていて、戦争反対と言えば誰だって戦争反対です。

その頃に、誰が南京事件はなかったなどと言っていたのでしょうか。
シベリア出兵は教科書に1行書いてあっても、授業では説明を覚えていません。尼港事件は教科書に掲載されていませんし、通州事件も通化事件も同じです。

そして、日本は支那に侵略したと教えられたら、それを信じるでしょう。
それを信じて、大学へ進学した人達が共産主義にかぶれた教員に教育されたら、日本は悪いことをしてたと思うのも、無理はなかったとも思います。
困ったことに、日本はサンフランシスコ条約の後に、GHQによる占領政策から脱皮することが出来なかった。
そして、背乗りを特異とする民族が日本を占領しようとするのに、これに反日・侮日集団が同調したのです。(どちらが先か判りませんけれど)


しかし、今のアメリカなら、この占領政策を後悔しているのかも知れないと思っています。
だって、朝鮮戦争では日本は後方支援基地異常にはならなかったです。
ベトナム戦争でもそうで、アメリカの戦争に参加した韓国軍は、民間人を相手には強かったけれど、ベトコン相手には勝てなかったと思います。
朝鮮人(韓国人)は国のために戦うという意識が希薄ですから、戦争には役に立ちません。(日本人の教育によって、幾分かは国のためと言うことが理解されましたが、その反面、終戦と共に総てが自分のためとの元に戻りました。

日本から3S教育の残滓をなくす教育をしなければならないし、反日・侮日勢力を愛国心を育てる教育に戻さなければならないと思います。

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