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2020年2月 2日 (日)

ミーちゃん帰ってきたの?

ーー以下youtubeより抜粋編集

私が嫁いで家を出てしばらくして夫と実家に帰ると、キジトラ猫が砂場のある大きなケージの中に入れられていた。

がりがりにやせていて所どころ毛が抜け赤くなった皮膚がむき出しになっている。

そこにいた父にどうしたのと聞くと、この前スーパーへ母さんと一緒に買い物に行ったら、その途中にこいつがいて、母さんにニャーニャーと、すり寄ってきたのだという。

母さんはこのまま放っておいたら死んでしまうので飼いましょうと言って、すぐに運搬用のかごや砂場それに大量の猫餌を買い、この大きなケージを持ってきてくれるように注文して、帰りに、かごにこいつを入れて持って帰ってきたんだ。

汚いし、野良猫は家猫と違って懐かないと言ったのだが、母さんは聞かなかった、今はミーちゃんて呼んでるけどね。

連れ帰った後、洗ったり、獣医に診(み)せたり一生懸命に世話しているし、母さん以前より元気になったので、俺も手伝って世話しているのだと言った。

「これでもずいぶん元気になったんだ」

ーー

その3年後に父が突然心筋梗塞で亡くなったので、葬式に出るために実家に行ってみると毛並みの良い可愛いキジトラになっていた。

猫はすっかり母に懐いていて母の回りを離れずについて回っていた。

寂しくなるねと言うと、涙ぐんだ母だったが、「ミーちゃんこれからは二人きりになるね」と猫に話しかけていた。

ーー

それから7年ほどしてミーが老衰で死んでしまったと電話があった。

寂しがってるだろうとすぐに子供連れで行った。

母が見るからに寂しそうなので、また猫でも飼ったらと提案したけど、こんな悲しみは二度と味わいたくないと言って拒否した。

それから2年ほどして母から電話があった。

声に張りがあったのでどうしたのと聞いたら、ミーちゃんが戻ってきたのよという。

ーー

母がいつものようにボーと縁側に座って外を眺めていたら、子猫がやってきたのだと。

キジトラ猫だったので、ミーちゃん帰ってきたのというとニャーと鳴いた、それでミーちゃんが帰ってきたのだと思うと言った。

以来母はすっかり元気になって、ミーちゃんのことを電話してくるようになった。

ミーちゃんを近くのスーパーのペットショップに預けて、息子や娘の結婚式にも出てくれた。

ーー

その母が82歳を過ぎてからちょっと弱ったようなので同居しないかと話していたら、83歳の時に、お隣さんが、自宅の寝室で死んでいるのを見つけてくれた。

猫がよく鳴くので不審に思い、尋ねたら玄関の鍵もかかっておらず入ってみると、枕元で猫が鳴いていたという。

葬式に実家に帰った時、ミーちゃんを連れて帰るつもりで、方々探し回ったがどうしても見つけられなかった。

そして母の死後1っか月ほどして親戚の者が実家の様子を見に行ったときキジトラ猫が母が死んでいた寝室で死んでいたと知らせてくれた。

戸締りはきちんとしていたので、猫がどうして入(はい)れたのかわからないと言っていた。

その話を夫にすると「ミーちゃんは大好きなお母さんの元に帰っていったんだな」と夫は言った。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>異種生物同士の魂の交流
もう、亡くなって終いましたが、英国で20年以上ベストセラーを続けた、ジェイムス・ヘリオットと言う作家が居ました。

彼の本職は田舎の獣医で、その体験を本にしたモノですが、西洋人、特に、英国人に有りがちな「敬虔(過ぎる)クリスチャン」で、「人間動物には、魂が無い」と言教えと、実体験の中で出遭う動物たちの心の様を、躊躇いながらも、其れだけに、おそらくは、何の誇張も入れずに書いた事が、読者たちの共感の心をつかんだのだと思います。

私も大好きで、本屋を渉猟して見つけたら買って居ましたね。ww

私も、実体験から人間以外の動物、否、植物や昆虫の類までいれて、生きて居るものには須らく魂が宿って居ると確信して居ます。

然し、下生すれば、自然を構成している理=法則に支配されますから、他の命を日々犠牲にして生きて居るワケで、是こそ「原罪」で有ろうと考えます。

つまり、下生して、容れ物は違うけれども魂レベルでは、同じ地球に棲む、同じ地球の一部同士であると言う潜在意識があるし、言葉で通じ合えない動物は仕草や、時には、心の中に、直截、自分の意思を伝えて来る様は、全く人間と変わらない、いいえ、むき出しの心で語りかけて来るのですから、嘘や誤魔化しがありません、

人間で言えば、丸で、幼児の様なモノですから、子育ての経験の有る年配の女性や男女を問わず子供好きな人は、例外はありますがおペットと心を通わせるのが好きですね。

然し、世の中には、色んな人が居て、居に猫に限らず動物大嫌いな人、病的なペット好きでに見えるけれども、心を通わせる事には、全く興味が無く、動物は只の、支配欲を満足させる対称だったり、おもちゃに過ぎなかったりします

前述のヘリオット先生は、獣医師だけあって、物が云えない動物の苦しさや痛みを、観察と訊きとった状況だけで判断して治してやる。

偶に、300kg以上ある雄牛や馬に足を踏まえ得たり、蹴っ飛ばされたり、散々な目に遭っていますが、牛馬は農家の財産であり、心を通わせたかけがえのない相棒である事を、彼は決して忘れてはいませんでした。

彼が高齢になるに連れて、使役牛馬の数も減った事もあり、往診治療は、次第に回数が減ったものの、決して止めたり、依頼を断ったりはしませんでした。

この辺りは、最近、日本人が馬肉を食べる事を聞いた英国人が「馬は友達なのに・・・」」と、絶句しているのを観て、「馬だけでなく、牛や豚、鶏だって、魂があるし、友達なんだぜ」と、言ってやりたかったですね。

日本人がイルカやクジラを猟の対象にする事を、西洋人は非難しますが、命の価値は、「どれだけ人間に近いか?」では無い事を、理解すべきです。

馬は確かに、賢い生き物で、ややもすれば、犬猫をはるかに上回る知性を持つものも居ます、けれども、祖の評価はあくまで人間から看た人間を基準値した見方でしかない。
つまり、「どれだけ人間に近いか」と言う見方で測っているかですね。

然し、動物の知性を測ろうとするなら、その動物が持って居る、自然の脅威に対応した行動で測るべきで、そこには、人間が失った危険予知力や深い洞察力がある事に気が着くだろう。

即ち、地球上の生物は、一木一草に至るまで、否、単細胞生物に至るまで、生きとし、生けるもの全てに、その生命をこれを護る権利があり、種を存続させようとする意思がある事を明らかにしたのが、ドイツの科学者ローレンツで「動物行動学」と言う新たな学問の領域を開拓して、ノーベル賞に輝いている。

然し、西洋文明は、是を「本能」だとして片付けて終って居るが、自然の理を解き明かす仏教は、是を「遺伝子に刻まれた記憶」、阿頼耶識として、明快に説明して居ます

文明に神様が不在の西洋文明では、説明不能ですから、こうでもしないと、知性のある動物を日々大量に殺害し、食用にして居る云い訳が出来ないからでしょうね、この欠如に、気付けない、或いは、放置して居れば自文明が崩壊すルトはおもwwないのでしょうかね。

こんな結論ありきの暴論なのに、「神が仰有った」事にされて居るのだから、神様も飛んだ濡れ衣を着せられたモノだwww

この問題の正解は「原罪の範囲なら許される」という事です、但し神の理に祖不破ない行為には、必ず天罰が下ると言う事は忘れてはいけませんね。

基本、食用として殺したものは、全て食べ尽くし利用してやらねば、イケないと言う事でしょう。

こうした、ジャポニスムが、世界に拡散沿て行けば、我先の我慾に満ちた、渇仰状態に有る世界も、理想とする相互扶助と独立不羈が併存する社会が生まれて、神が望む理想の世界に近づくと私は思います。

縦椅子様

 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
 私にとって猫は近寄りがたい存在で、手を出してもつんとすまされて、逃げられており、どうしてもなついてくれません。
 その猫は毛並みがとてもうつくしく、私の庭が好きなようで、柵の鍵を上手に開けてはいってきます。ねそべったり、ゆったりしてすごしていますが、こちらが物音をたてようものならすぐにげていきますので、こちらは息をひそめて素早く、水彩で描いたり、なんとか写真に撮っては、それを絵にしたりしています。うまく描けた絵はわたしのお気に入りになっています。
 最近その子の名前が、ルルという雌猫だとわかりました。オス猫だとばかり思っていたのですが…今ではスレンダーになり、オバアチャンになったのに、「ルル、ルルちゃん」と呼んでもすぐにげていくので、遠くから見ているしかありませんが、とても気になる存在です。猫は自分の好きな人にしか愛情を示さないのでしょうか。律儀な猫ちゃんです。だから惹かれるのかもしれません。
 「キリマンジャロは高く19710フィートの、雪に覆われた山でアフリカだいいちの高峰だといわれる。その西の頂はマサイ語で神の家と呼ばれ、その西の頂のすぐそばには、ひからびた凍りついた一頭の豹の屍(しかばね)が横たわっている」ー:アーネスト・ヘミングウェイのキリマンジャロの雪の冒頭の文章から:-
 豹は猫科の動物ですが、本能的に自分の逝くべき場所をしっている・・・象もそうだとテレビで見たことがあります。その場所は人の目につかない場所でひっそりと逝く・・・これが猫の哲学・・・
 本当に猫は、優雅で愛情深く、寄り添ってくれ、癒される、かけがいのない、有り難い存在です。  感謝!!

>ばら様 ソロです
猫好きの私にも、如何しても懐かない猫というのは、時々いますね、食べ物で誘っても大体は徒労に終わりますので、是も前世からの「縁」の為せる業だと思って諦めて居ます。

然し、この「前世の縁」というのは、妙に気になるとか、色んなタイミングで出遭うとか、自分の意図以外の要因で、良く目につくものですが、顔を見ると視線を逸らす仕草をするので、「あぁ、俺の事を警戒しているのかなぁ」と思っていたら、ものの本を読むと逆で、親愛の情を抱いて居る仕草なのだそうです。

マァ、猫にもてても「ペット厳禁」のマンション住まいでは、如何とし難いのですがねwww 言葉では無く、鳴き声や仕草で会話する、犬や猫の面倒を見たりするのは、私自身が、孤独を好む性格だからか、幾つになっても好きですね。

今迄飼ったのは猫10匹に犬1頭かな、何れも子供時代の事で、全て、捨て、捨て猫の類で、猫の半数は、子猫のママ死んでしまいました其れでも、今も強く記憶に残って居る猫が、2~3頭いますね、キットそれも、縁の為せる業なんでし

それにこの世は、極大から極小迄、全て同じ形「=フラクタル」で出来て居ると言いますから、例え猫の子一匹たりとも、縁があると言う事は、私自身の縁の重要な構成要素なのでしょう、世間的には良くも悪くも、評価は色々でしょうが、私に取っては命の大事な構成要素なのだと、この頃、気付いて居ます。

猫に好かれるかも知れない秘策w

こぶしを軽くにぎり、猫の背中や腰、肩あたりをポンポンしてみてください。猫が気持ちよさそうにすることがあります。一度心地よさを覚えると、猫がねだってきたり、コンコンと物音を立てるだけで、自分の方に寄ってきたりします。

ある日、ウチの黒猫のいたずらに閉口したので、頭を軽く小突いてやりました。すると、案外気持ちよさそうだったので、事あるごとに背中をポンポンしていたら、いつの間にか、猫の方から招き手するようになりました。べつの子は、ニャアと合図し、ポンポンしてくれと言わんばかりに、私の目の前に横たわりますwww

ほかの方には言わないでください。内緒ですw
あと、虐待と間違われぬよう、優しくしてあげてください。

ソロ様・匿名さま

 ねこを愛するお二人様から貴重な猫に好かれる方法を聴かせていただいていましたので、予備知識があったせいでしょうか、
今朝、横手を開けますと、あのルルちゃんがいるではありませんか!今回は逃げもせず、可愛い顔で、じっと見てくれているんです!すぐに匿名さんに教わったように、こぶしを軽く握ったんです。ルルちゃんは興味深そうに、みていて、いままででいちばんながく、じっと見ていてくれました。こんなことは初めてです。
余りの嬉しさに、御礼申し上げます。感謝!!

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