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2020年2月26日 (水)

最悪と最善は、実は同時にやってくる

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

神武東征は、古事記では、神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれひこのみこと、神武天皇)と、兄の五瀬命(いつせのみこと)のお二人で行われたことになっています。

ところが日本書紀では他に二人の兄がいたと、つまり神武天皇は、男4人兄弟の末っ子で、神武東征は4人の兄弟で出発したと書かれているわけです。

ーー

長男が五瀬命(いつせのみこと)です。

日本書紀の五瀬命の死については、古事記とほぼ同じ記述でナガスネヒコに襲われて、そのときの矢傷がもとでお亡くなりになります。

他の二人の兄はどうなったかというと、神武天皇がナガスネヒコとの戦いを避け、船で熊野の方に向かったところ、熊野灘(くまのなだ)で大しけにあい、そのときに海の神を鎮(しず)めるために、二人の兄は入水自殺されています。

兄弟4人で仲良く九州の宮崎を出発したのに、ここで神武天皇は兄3人を失ってしまうのです。

ーー

不幸はそれだけではありません。

シケに襲われて船が揉まれ、積んであった食料が全部海に流されてしまう。

さらに神武天皇も、船の乗組員たちも全員、病(やまい)に倒れてしまうのです。

兄弟を失い、食料も失い、さらに病気に襲われる。

ーー

つまり神武天皇は、何もかも失った挙げ句、追い打ちをかけるように、飢えと病に襲われるのです。

ーー

孟子(もうし)は次のように書いています。

「天のまさに大任をこの人に降さんとするや」

「必ずその心志(しんし、こころざし)を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、おこなうこと、そのなさんとする所に払乱せしむ」

「心を動かし、性を忍ばせ、その能(よ)くせざる所を曾益(増益)せしむる所以なり(不可能を可能にするためです)」と。

ーー

志(こころざし)に歪(ゆが)みがあれば何もかも失われていくだけです。

けれど正しい心でいるのなら、それは天の試練です。

天は必ず不幸と同時に、新たな可能性を与えてくれる。

ーー

つまり、最悪と最善は、実は同時にやってくる。

なにがあっても、どんな苦労があったとしても、正しい道を信じて生きていれば、必ず道はひらける。

「道(みち)極(きわ)まって尽(つ)きず」

苦難が大きいほど、そこに大きな可能性(チャンス)が現れる。

それが日本人の生き方だということを、日本書紀の神武天皇記は教えてくれています。

ーー

人は魂の乗り物だというのが、日本古来の考え方です。

魂のことを別名で霊(ひ)と言いますが、その霊(ひ)から身が生まれます。

それは霊(ひ)生(ふ)身(み)世(よ)齋(いつ)無(む)と進みます。

霊(ひ)から身(み)が生まれ、世(よ)を齋(いつ、清浄な心)で、私心を無(む)にして生きなさい、という、これは教えです。

ーー

この対極にあるのが「歪(ゆが)み」です。

「体斜めなら、影斜めなり」

心が歪むと、真っ直ぐなものが斜めに見えます。

ーー

では歪みとは何かといえば「他人の名誉を奪うこと」です。

このことは自己の魂を磨(みが)くことの対局にあることです。

次々と災害が襲ってきている昨今の日本において、伝染病対策、地震・台風対策、昨年実害をもたらした台風は、今年はさらに大きな台風となって必ず日本を襲うでしょう。

ーー

日本には毎年必ず災害がやってくるのですから、それに備(そな)えることこそが大切であることは明らかです。

武漢伝染病について、単に厚生労働大臣の責任を追求しても、ウイルスはなくならない。

国政の場で野党は、単に安倍内閣の名誉を奪うことだけに熱中している。

これは日本人のすることではありますまい。

ーー

民衆政治democracy国にとって必要なことは、国会でその対策を議論し、法を作りそれに従って政治をすることです。

実際米国を見ればそうしています。

国会議員の中には、このことを全く理解せずに、政局つまり与党の失政を暴き政権を奪おうと画策するようなことばかりしている人たちがいる。

これでは、「民衆が豊かに安全に安心して暮らせる日本」にすることはできません。

ーー

これでは、日本が良くなるはずもなく、最悪のときが最善になることもありません。

ーー

個人においても同じです。

正しい心で生きるということは、少なくとも他者を羨(うらや)んだり批判することではないでしょう。

ではどういうことかといえば、その答えはありません。

それは人それぞれに自分で見つけていくことです。

ーー

いま自分が正しいと信じていることさえも、もしかしたら間違っているのかもしれないのです。

何が正しいのかは、神のみぞ知るのです。

だからこそ、他者を批判するのではなく、現状をよくするためには自分に何ができるのか考え、社会に貢献するために精一杯尽くそうとする姿勢が大事なのではないかと思います。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本人的人生観
私は近年30代の出鱈目な生活がたたって、40~50代に様々な病気を遍歴しましたが、仕事に穴をあけた事が無かったのですが、60代担って、廟性はさらに厳しいものになり、、4年前には、脳血栓を、3年前には,MRSAと言う聞きなれない名前の致死率は30%の病気に突然罹患して、左耳の聴覚を失いました。

まぁ、敗血症まで惹き起こしていたのですから、医療関係者に言わせたら、「よく助かったね」と言われます。

まぁ、「九死に一生を得た」感じがして、暫くは、呆然自失の毎日でしたが、或る日、「自分は何の為に、生かされたのだろう、このママではイケナイ」と言う思いが日増しに強くなりましたが、私の現状はと言えば、隻眼、隻耳の身体障碍者でしかありません。

是では、何処の会社も雇ってくれる筈もないし、年金で細々暮らして行くのがやっとの生活ですから、静かに死を待つしかない、様な話になりますね。

でも、心の其処かにお、、は、古の「まだまだっ!」と言う「負けじ魂」が萎えて居無いので「今、出来る事で、少しでも前向きな事をやろう」と決心、取り敢えず家の周辺でウォ―キングをはじめたのが、2年前の7月でしたね。

約半年の入院生活で、すっかり足腰の筋肉が削げ落ちていたので、最初は千歩~2千歩程度で始め、飽きっぽい私は、色んなコースを工夫して、マンネリにならない様にしました。

すると、自然に歩数が伸び始め、昨年の春ごろには、2万~25000歩/日に歩くようになり、知り合いから、「ナンボ何でも歩き過ぎやろ、普通は、その1/3~1/2が標準で、歩き過ぎれば、漢説が摺減って終いには、歩け無くなるで」と、助言を戴きました。

然し、歩く事が、一種の生きがいになっていたので、、今では、更に増やして,3万~35000歩/日,100~125km/週,400~500km/月を達成するべき歩いて居ますが、励みになって居るのは、定期的に行う血液検査で、全ての数値が、セイフティ・ゾーンに収まり始めて居なす。

一時73~74kg (172cm) あった体重が、今では、60~61kg に、150~180mmHgあった、最高血圧も常時140以下に、糖尿病院の状態数である、HeA1Cの値も6.2%と、嘗て、10%台だった事を考えれば、驚くべき数値の改善です。但し、薬は朝晩呑んで居ますがね。

で、体はすっかり健康体になったとまでは、えませんが、自分でも、まだ何かをやれるのでは無いかと言う気持ちが湧き上がって来るのを必死に抑えこんで、「今無理をしたら元も子もない」と自分に言い聞かせて居ます。

然し、月1回だった総合病院の医者の定期検診も3ヶ月に1回になり、町医者も、2週間に1回を、此の度の武漢肺炎の流行で、月1回にして貰う様にする心算です。

私に取っては、此処からが第二の人生の出発点の様な気がして居増すので、今の自分に一体何が出来るのか、を改めみたい、そのために必要なのは、文章を読み書きする、視力を これ以上落とさない事でしょう、聴力・視力の回復は、粗、不可能だと云われているので、いまある視力を大切にするしかないですね。

若い頃は、体力自慢・視力自慢だった私が、人生の後半で、こんな目に遭うなんて、予想だにしなかった事ですが、「人間は、得意なものを失って死んで行くモノだ」とは、剣豪小説に出て来た言葉ですが「そう言うモノかもしれないが、俺は最後まで希望は捨てないぞ」と、密かに思って居ます。

神武天皇成る人物がどの様な他人であるかは知りませんが最初は日向の国から日本を治めていて、それから兵を引き連れて近畿までやってくる。
確か樫原でしたっけ?ご座所を決めたときに紀元として始まった記憶が有ります。
これは昭和15年の小学校の教科書を読んで成る程と思った事。(叔父の教科書だと思います。土蔵に色々積んで有ります)

天皇家のアレコレを批判したり称賛したりするだけの知識が無いのですが、グリムの童話の様に悲しい話もありますね。
自分が読んで切なかったのは、日本武尊(ヤマトタケル)の生涯です。父である景行天皇に命を受け休む間も無く日本中熊襲退治やその他反乱を押さえるために兵を引き連れて戦い帰ってくると、すぐ又鎮圧に出かけて、生まれてから休む間も無く最後熱田の近くで病死しました。天叢雲剣はそのために熱田神宮に納められているのですね。

大和は国のまほろば
青垣山こもれる やまとしうるわし

最後に熱田で亡くなって白鳥に成って奈良方面を目指して飛び立ったといわれています。其の命を下した景行天皇は80人の子持ちで(絶倫男が?)それぞれ日本中に子供を使わし国を納めさせたという話。徳川家康はこれを真似をしたのか?お話はお話として楽しく読まさせて頂きました。

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