南洲翁遺訓抜粋
ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集
1 廟堂(びょうどう)に立ちて大政(おほひなるまつりごと)を為(な)すは天道(あめのみち)を行(をこな)ふものなれば、些(いささか)とも私(わたくし)を挾(はさ)みては済(す)まぬもの也(なり)。
「天道(あめのみち)を行(おこな)う」ということは、行政や様々な組織で権限権力を持つということです。
西郷は、権限や権力を持った者は、それを行使するときにはそこにいささかも私情を交えてはなりません、と言っているのです。
ーー
2 賢人百官を総(す)べ、政權一途(いちず)に帰(き)し、一格(いっかく)の国体を定(さだ)めしめ無ければ、縱令(たとひ)人材を登用し、言路(ことのはのみち)を開き、衆説(もろもろのせつ)を容(い)るゝ共(ども)、取捨(しゅしゃ)に方向無く、事業雜駁(ざっぱく)にして成功有(ある)べからず。
「格」というのは、核となるべきもののことです。
「一格の国体」とは、国の核となるべきもののことになります。
国の核を決めておかなければ、つまり敵が誰なのかが分からなければ戦略も戦術も立てられない、どんなに優秀な人で有っても、何をすべきかが分からなければ何もできないのです。
どんな事業も成功しない、と西郷は述べています。
ーー
3 政の大體(おほきもと)は、文(ふみ)を興(をこ)し、武を振(ふる)ひ、農を励(はげ)ますの三つに在り。其他(そのた)百般の事務は皆此の三つの物を助(たす)くるの具(ぐ)也(なり)。
政治は、文・武・農の3つであり、その他は枝葉末節にすぎないと西郷は言う。
文は學問のことで、客観性・公平性・公共性を身に着けることをいいます。
また武とは、世の不正(ゆがんだもの、斜めになったもの)を、力で竹(たけ、武)のように真っ直ぐにすることを言います。
なおかつ誰もが豊かに安心して安全に食べていかれるようにする。
このことこそが政治の根本だと。
ーー
4 萬民(ばんみん)の上に位する者、己れを愼み、品行を正くし、驕奢を戒め、節儉を勉め、職事に勤勞して人民の標準となり、下民其の勤勞を氣の毒に思ふ樣ならでは、政令は行はれ難し。
然るに草創(さうさう)の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。
今と成りては、戊辰の義戰も偏へに私を營みたる姿に成り行き、天下に對し戰死者に對して面目無きぞとて、頻りに涙を催されける。
ーー
8 廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我國の本體を居(すゑ)風教を張り、然して後徐(しづ)かに彼の長所を斟酌するものぞ。
否(らず)して猥(みだ)りに彼れに倣ひなば、國體は衰頽し、風教は萎靡(ゐび)して、ただ救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。
外国に学ぼうとするなら、まずは日本のことをしっかりと学び、その上で外国の良いところを取捨選択しなさいという教えです。
そうでなく、ただ外国の言う事ばかり聞いていると、国の力は衰退し、風俗は乱れ、ついには、日本が外国に蹂躙されることになってしまうぞ、ということです。
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11 文明とは道の普く行はるゝを贊稱(さんしょう)せる言にして、宮室の壯嚴、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふには非ず。
世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蠻やら些ちとも分らぬぞ。
予嘗て或人と議論せしこと有り、西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと爭ふ。
否な野蠻ぢやと疊みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、實に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、
左は無くして未開矇昧の國に對する程むごく殘忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、其人口を莟(つぼめ)て言無かりきとて笑はれける。
ある人と議論したとき、文明というのは、華麗な宮殿や、美しい衣装などのことを言うのではない、文明というのは、「道が正しく行われているか否か」で見るべきものだ。
「西洋は野蛮だ」と言ったら、「いや西洋は文明社会だ」と言うから、重ねて「野蛮だ」と言ってやった、すると「どうしてそれほどまで言うのか」と言うから、
「西洋が文明社会だというのなら、未開の国に対するとき、慈愛を根本にし、人々を教化して開明に導くべきなのに、彼らは相手が未開の国であればあるほど、残忍なことをして、自分の利益ばかりをむさぼっている」「だから野蛮だと申しておる」と言ってやった。
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13 租税を薄くして民を裕ゆたかにするは、即ち國力を養成する也。
税というのは、できるだけ軽いものにして、民衆を豊かにすることを第一としなければならない。
それが国力を養成する最善の道なのだ、と。
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17 正道を踏み國を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。
正義をつらぬき、国のために死ぬくらいの覚悟がなければ、外国との交際などできるものではない。
相手の傲慢に萎縮して、ただ円満にと、正義を曲げて相手に従順すれば、必ず相手に侮(あなど)られ、ついには彼らに征服されてしまうことになる。
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21 道は天地自然の道なるゆゑ、講學の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。
學問をするにあたって大切なことは、「敬天愛人(天をうやまい、人をおもふ)」です。
その心を涵養(かんよう)するためにこそ、学びがあるのです。
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25 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを盡(つくし)て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
常に天の道とともにあれ、というのです。
そのことが大事だと、このことを『古事記』は「諸命以(もろもろのみこともちて)」と書いています。
もっというなら、天の道から外れていれば、いまこの瞬間にはいい思いができたとしても、必ず最後にはそのすべてを失うことになる。
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30 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり。
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39 今の人、才識有れば事業は心次第に成さるゝものと思へ共、才に任せて爲す事は、危くして見て居られぬものぞ。體有りてこそ用(はたらき)は行はるゝなり。
才能などというものは、まさしく危ないものでしかない。
後段の「體(からだ)ありてこそ」、これは何を言っているのかというと、要するに行動のない口舌の徒では事を為すことができないということです。
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41 身を修し己れを正して、君子の體(体)を具ふる共、處分の出來ぬ人ならば、木偶人も同然なり。
いくら身をおさめて、おのれをただして君子をよそおったとしても、処分ができない人はただのデクノボウだ、という意味です。
ここでいう処分というのは、まさに処分で、このことは童子教に、同じ意味の言葉があります。
それが、以下です。
畜悪弟子者 悪しき弟子を畜(やしな)へば
師弟堕地獄 師弟地獄に堕(を)ちるべし
悪人を処分できない者は、施政者の名に値しないという意味です。
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以上、はなはだ簡単ながら、南洲翁遺訓をご紹介させていただきました。
古来、我が国では、権力をかさにして威張る人は決して尊敬されることはないし、口をひらけば罵詈雑言しか出てこないような馬鹿者は誰からも相手にされなかったのです。
そういえばかつて半島にあった新羅国の人たちは、自分が言ったことでも平気で裏切るし、百済や高句麗の朝貢の使節は襲う、とんでもない人たちでした。
目先の自分の利益しか眼中にないから、そうなるのですが、そんな新羅を形容した言葉が「栲衾(たくぶすま)」です。
「栲衾(たくぶすま)の新羅(しらぎ)の国」などというように使われます。
「栲(たく)」というのは叩くという意味。
「衾(ふすま)」は、和室の間仕切りのフスマ(襖)のことです。
フスマをバンバン叩くような人たちの住む国、「意味のないことで大騒ぎして人を困らせる国」という意味です。
そんな人が、我が国の国会にもいますね。
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今日はどなたも書いていらっしゃいませんので私でも良いかな?と。昨年戸袋に仕舞ってある掛軸を捨てたり直したりしたとき困ってしまう物がありました。落款は南州(笑)
幾歴辛酸志初堅
丈夫玉砕愧甎全
一家遺事人知否
不為児孫買美田
(幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、丈夫玉砕して甎全を愧ず、一家の遺事人知るや否や、児孫の為に美田を買わず)」との七絶を示されて、若しこの言に違いなば、西郷は言行反したるとて見限られよ、と申されける。
と言う多分五番目の訓だと思います。ナニセ孫に美田を買わずですから我が家も金目のものが何もなく古いだけで財無し。
それでも表具店に図々しく持っていきました。「偽物ですか?」「はい 偽物です」
とアッサリ肯定されましたが、印刷は明治時代の物だと思うとのこと。
「明治の頃に印刷出来るの?」「本物を写真にとりそれをもとに印刷します」「は~」
それでも表具しなおして床の間に掛けています。中々立派な字を書かれる人なので、生きて居る本人に出会ったらさぞやパワーとオーラに溢れた人かと思わせる字でした。詰まらない話で申し訳ありません。
投稿: ゆうこ | 2020年2月20日 (木) 19時37分
こんばんわ、ゆうこさん。
文意を素直に感じられるのであれば、良い物なのかと思います。
それと、心暖まる投稿をして頂き、どうも有り難う御座います。
ポカポカしてきました。
投稿: 中道ウハウハw | 2020年2月20日 (木) 21時06分
西郷南州翁は没年50歳だから現代なら翁という年でもなかった。
明治維新期に於いて最大の偉人、権力者は西郷隆盛と勝海舟でした。
なぜって、江戸時代までの戦争の勝負は敵の本拠地の主城が落ちるかどうかでした。江戸城無欠開城を決定できた勝と西郷が当然、その時点での最高権力者、天下人です。
不運重なり西南戦争の悲劇を迎えますが、今でも上野で日本を見守っていますよね。
その西南戦争では熊本城攻城で後の大将になる乃木少佐が軍旗を奪われた事件もありました。
投稿: 本瀬 豊 | 2020年2月21日 (金) 04時20分
>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>西郷南洲翁遺訓
本日は、素晴らしい先人のエッセンスを紹介いただきまして、その天啓共思しき言葉に思わず合掌して感謝の涙をこぼしました。
現代は丁度歴史の分節点に有る様で、古いものが廃れ、新しいものが隆る時代が始まって居る様に感じますが、それは、規模が違いますが、極東の島国で、永らく外国との付き合いを最低限度に止めて、2千年も昔の漢籍の神髄を訪ねて、それを体現しようとしていたのが、日本の文明が辿って来た道では無かったか?
然るに、その原処となった、シナ文明は、とっくの昔に。換骨奪胎されて跡形もないのは、昨今のシナの官民双方の言動を見て居れば、「この国の先は永くない」事が分る、そして、そのシナを利用して来た英米も、その野蛮さは、維新の頃と丸で変わって居ませんね。
翁の言う様に「天の道を行う」のが、為政者の使命であるならば、安倍政権は、この7年間、実は未曽有宇の国難で有った極東情勢の大変動の中、喪毎に是を斬り抜けたのみならず、米国による、政治・外交・軍事の支配下にあるに等しかった物を、米国内部の変質が昂じての争いが、米支戦争と言う、外交上での経済冷戦となり、旧来の勢力かに有った日本は、難しい対応を迫られた。
然も、日本の国内は、戦後の70年間にも亘る米国の影の施政勢力の影響で、是に阿る、功利主義者が中枢を占め始めて居た為に、敢えて、「日本を取り戻す」というすろーがんを掲げなければならなかった、そして、あべせいけんがたんじょうするまで3年3ヶ月に亘って、日本の政治を壟断し、国益を敵性国にゆだねる、国家k三つを垂れ流しにした、民主党政権は下野したが、最初は「欧米並みの2大政党体制になった」と言って居たが、国会の論戦でも、野党に云って居る事は、自民党の揚げ足取りでしか無く国民の支持は得られなかった、
それは、「政党支持率の低下」と言う形で現れたが、出て来た数字は、現実感に乏しいモノで有った、それは、マスコミは戦後体制の中枢であり、マスコミこそ、その改革すべき最たるものだったからである。
然し、国政選挙を繰り返す毎に、各野党は、当選議員数を減らし始めて、2年前の衆議院選、ああ九年の参議院選 の後、野党の総数が、自民党+日主勢力の数に敵わなくなり、国会を欠席して審議を成り立たなくしたり、所謂、「モリカケ桜」と呼ばれる、根拠になる証拠も呈示出来無い話を、でっちあげて、その追及で審議を遅らせるという、呆れた行動を採る様になって、国民に増々見放されている。
然し、国民への欧米式の功利主義や恣意的な分断統治の影響や浸透は、かくかいにみられる、それが一番顕著なのが官僚界であり、就中、法務省、文科省、総務相、外務省、あおして財務省は、国益よりも省益、つまり、自分たちのしょうらいn欧米利益を図る事に法を優先して居る野かと、疑われる様な振る舞いが多い、しかも、その多くは内部告発である。
この原因は明らかで、戦後のGHQによる公職追放令や大学改革で、戦前の要人を下野させた代わりに、マルキシズムに凝り固まった、役人、大学教授を大量に入れ替えるべき、登用したからである。
戦前に米国は、1910年農民ロシア革命を端緒にした、世界での共産主義流行の影響をうけて、政治界で、ハザール系移民が力を持ち始め、セオドア・ルーズベルトが、そして、1930~31年の大恐慌後には、甥のFDルーズベルトが大統領になって、米国は一気に、容共国家に変身した。ダカラ、終戦時のトルーマン政権の閣僚は、全て、1945年3月に急死した、容共政権FDルーズベルトの忘れ形見で有り閣僚は全て、コミンテルンの細胞のままだった。
ダカラ、GHQのメンバーもコミンテルンの細胞だったが、米国内では。反共のマッカーシズムが吹き荒れて、暫くすると今度は、反共政策一辺倒になって、ちょっとした言葉の雪違いで、朝鮮戦争迄始まったが、実は何の大義も無い戦争だった。 そして、このときk現れた米国の政治は元通りに、WASPが実権を取り戻したと、見るべきだろう。 それが大きな原因となって、米国の文明は西郷翁が言う処の「野蛮なママ」になって、非WASPノジョン・F・ケネディは暗殺され、その後を継ごうとした弟まぇ、暗殺されると言うやばんさ なのに、その真相は50数年を経た今でも不明である。
西郷翁が、文明論で討論をした相手とは、大久保利通で有ろう、我々は、寧ろ、さいgy翁よりも、大久保の見識の方を疑って終う、何故なら、、大久保が、仮に薩英戦争で鹿児島市内を焦土にされた事がトラウマになってと考えても、同じ体験をした筈野、村田新八の欧米社会を見た藩の兎は西郷翁と寸分違わないからだし、祖の野蛮さの証明は100年後に米国自身の手で為されているでは無いか。
思うに、物の道理と言うのは、時代が変わっても、早々変わるものでは無い、何故なら、社会を築いて居るのは、たった100年も生きない同じ人間だからである。大久保は英才であったが、目先の現実を重視するあまり本質を忘れて居る事を、気付き乍ら、改める前に凶刃に倒れてしまったと、私は思いたい。
然し、日本の公的な評価では,大久保は維新に行があった功臣だが、西郷翁は後に、明治大帝に拠って、名誉を回復して居るが、一度はお上に、刃を向けた、反逆者扱いされて居た死、彼に従った村田新八も桐野年秋藻、名誉回復されて居無い、然し、公的な評価が如何で有れ、日本人は、利よりも義に生きた人が好きである。
その原因としては、楠正成の様に、敗軍の衝なのに「七生報国」と、自分の生き方を貫く、と言う意味だが、、外国人は自分の人生は一回こっきりだと思って居るので、意味が通じない、つまり、死生観が日本人と外国人では、まるで違うのだと考えるべきでしょうね。
西洋とシナ・朝鮮を除く、東洋のこの差は、なかなか埋まらないと思いますね。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2020年2月21日 (金) 07時41分