なにしろ「朝鮮人」という存在さえまだ無かった時代なのですから、彼らが何をしようとしていたのかさえ不明なのです
ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集
沖縄の翁長氏(元知事)が、わざわざ国連にまで出向いて「琉球民族は日本民族とは異なる」などと発言していました。
では、その琉球民族とは誰のことなのか、というと、特定できない。
沖縄県出身者という意味で言っているなら、東京にも大阪にも札幌にも福岡にも、沖縄県出身者はいます。
いま沖縄に住んでいる人という意味なら、本土から移り住んだ人や、選挙工作やデモのためにアルバイトで入り込んでいる反日工作員たちも琉球民族ということになってしまいます。
ーー
もちろん先祖代々の沖縄出身の方もおいででしょうけれど、ではそういう方が本土の人と結婚したら、生まれた子供は琉球民族なのでしょうか、それとも大和民族なのかというと、これまたむつかしい。
ーー
日本人は、「エスニック(Ethnic)」を「民族」と訳してきました。
もともと西洋社会は支配者が恒常的に被支配者を搾取する社会でした。
このため中世ヨーロッパでは、平均寿命が25歳ぐらいだったのです。
城郭に守られた都市内での生活とその外での生活はまさに安全と悲惨を意味するものだった。
都市には王がいて城郭内居住者と共にその安全を守っていたので、人々は進んで王の庇護下(城郭内)に入ろうとしたのでした。
王は民衆を守る義務があり、民衆はその見返りとして税を払う。
これが、王の主権のはじまりです。
ーー
王の庇護下にある領土領民を守るために、王は進んで主権者として他国と交戦するし、領土を広げ、あるいは植民地をなし、他国から金品を奪って自国の繁栄を図ります。
いいとか悪いとかではなくて、そうせざるを得なかった事情が、西欧社会の歴史にはあったのです。
こういう次第ですから、強い王の下には、いろいろな言語を話し、またときには宗教さえも違う人々が、身の安全をはかるために、集いました。
ーー
たとえばフランスの場合であれば、もともとフランス語を話したのはフランス北部に発生したフランク族だけでした。
映画『指輪物語』に出てくるエルフ族のように、王が髪の毛をロングヘアに伸ばし、他の者は後ろ髪を刈り上げるといった特徴のある格好をした一族がフランク族です。
このフランク族は民族ではなくて、複数の血族が集まった戦闘集団です。
彼らが次第に勢力を伸ばし、オック語やピカルディ語、ブレイス語、アルザス語、フラマン語など、77種類もの異なる言語を話す人々の住む領域を次々併合して行きました。
そして、ブルボン王朝のルイ14世の時代に最大版図となった。
それが今のフランスです。
こうしてできたのがフランス国つまり「国(Nation)」なのです。
ーー
これに対して、フランス国内にもともとあった77種類もの異なる言語を話す人々は「エスニック(Ethnic)」です。
日本語だと「民族」と訳されます。
ーー
けれどこのエスニックは、きわめて曖昧なものなのです。
フランス・エスニックとしてフランス語を流暢に話せる人と定義すると、フランス語を流ちょうに話すアフリカ人もフランス・エスニックになってしまう。
フランス語が流ちょうにしゃべれ、フランス文化への造詣が深い人と定義しても、そんなアフリカ人はいっぱいいるのです。
要するに境界が曖昧なのです。
ーー
フランスに住んで、フランス国籍を持っていれば、フランス語を話せなくてもフランス人だというのは、国民(Nation)の考え方です。
フランスに住んでいて、フランス語を話しても、アフリカ人はアフリカ人だというのなら、それはエスニック(Ethnic)の考え方です。
しかし、そのエスニックが、当該国の内外で、民族自決などと言い出し独立運動をしだしたら、これはもう殺しあうしか収拾がつかなくなってしまう。
ーー
日本語の「民族」の定義はもっと曖昧です。
満州国民(ネイション)という意味でも「民族」という語が使われるし、満洲国民である女真人(エスニック)という場合でも「民族」の語が使われます。
日本語における「民族」という語は、同族意識を持ち、同種の文化・伝統・慣習を有する人間集団として用いられる用語でしかないため、概念として、あまりにも曖昧なのです。
ーー
沖縄の翁長知事が、国連で「沖縄民族(沖縄エスニック)は、日本民族(日本エスニック)によって、意思に反して無理やり併呑されたのだ」などと述べた。
日本語だと一応意味のある文章に聞こえます。
それでは例えば英語で「ethnicは独立すべきだ」というとどうなのか。
ethnicごとに国(Nation)にならなければならないのなら、フランスなどは、それこそ77カ国に分割しなければならないことになる。
フランスよりもはるかに広大な領土を持つ支那など、例えば広東人は北京語が理解できないように、おそらく百以上ものエスニックから成り立っているので百か国以上に分割しなければならない。
アメリカ合州国のように、そもそも多ethnic共同体としてスタートした国は、存在すらできないことになってしまう。
ーー
日本国内でも、会津人、鹿児島人、上州人、関西人、関東人など、それぞれに微妙に異なる文化・伝統・慣習を持っています。
その人たちを異なる「エスニック」と考えるなら、それぞれが民族自決のための独立運動の対象となります。
もっといえば、武家と農家、商家では、文化・伝統・慣習が異なります。
さらに言うなら、お隣のお宅と、自分の家では、文化・伝統・慣習が異なるし、親子兄弟姉妹においても、それぞれに個性があって違いがあります。
要するに「ethnic」を言い出したら、きりがないのです。
ーー
「琉球 ethnic」が独立するということは、国として主権や排他性を持とうとすることを意味します。
それにはまず、どっからどこまでが「琉球 ethnic」なのかという定義をする必要が出てきます。
しかし沖縄に住む人たちは、日本中から来ているでしょうし、沖縄出身者も日本各地に住んでいるでしょうから自分を琉球ethnicとどれだけの人が言うか。
ーー
「民族」が「血族」を示す言葉であれば、「何親等までを血族とする」という線引も可能です。
あるいは氏族であれば、「◯◯家の人々」として特定できます。
けれど「ethnic」は、文化・伝統・慣習を同一にする人々という意味であって、特定ができないのです。
まして日本語の「民族」になると、もはやお手上げです。
ーー
半島人を民族とする見方も同じです。
半島人は、歴史的に血族性の高い人たちであると言われますが、では、どこからどこまでがコリアン・エスニックなのかというと、これまた曖昧なのです。
ーー
そもそもコリアンは、単一民族ではありません。
語族そのものが6種に別れ、民族的にも扶余系、濊族系、高句麗系、百済系、新羅系、済洲系と異なる人々でした。
新羅や李氏朝鮮王朝などもありましたが、これはたとえてみれば、アフリカにアフリカ王国を自称する暴力団がひとつあったという程度のもので、国内が言語的文化的共同体となっていたわけではありません。
それを、ひとつの語族、ひとつの文化にまとめたのは、朝鮮を併合した大日本帝国でした。
朝鮮併合後、大日本帝国は半島ではほとんど使われていなかった朝鮮文字(韓文字、ハングル)を復活させ、標準語と標準表記を確立し、学校をつくり、服飾文化や住居文化、あるいは食文化なども、築いていきました。
ーー
もっというと、それまでの半島の王朝は、むしろ半島内のエスニック相互の交流を分断し、分割支配することによって、政権の安定を保っていたのです。
これを日本は、朝鮮半島の歴史が始まって以来はじめて、コリアンという文化意識を彼らに植えつけたわけで、こうして生まれたのが、実は「コリアン」というエスニックです。
ーー
要するにもともと朝鮮半島では、李氏というひとつの「エスニック」が、朝鮮半島内にある「他の5つのエスニック」を支配し王朝(支配社会、前国民国)を築いていたわけです。
その半島を併合した日本は、李氏朝鮮王朝を国民国(ネイション)として扱い、朝鮮半島にある異なる「エスニック」もまとめてひとつの「エスニック」として統合しようとしたわけです。
朝鮮半島がネイションではなく、日本ネイションの一部となったわけですから、日本はそのようにしたわけです。
ーー
その意味では、これは私見ですが、日本の半島支配は失敗したと思っています。
むしろ半島は、ひとつのエスニックに統合するのではなく、6つの道州に分割して、それぞれのエスニックの文化を蘇生、復活させ、エスニック毎の郷土愛を育むべきであったのではないかと思っています。
ーー
多くの日本人は、いまでも、このエスニックとネイションの区別がついていません。
というのも日本人は万世一系の天皇の下、自分たちが日本国民であるということを簡単に理解できる環境に何千年もの間いたからでした。
だから「民族」という便利な用語で、エスニックとネイションの両方をひとまとめにしてしまっていることに安住し、エスニックの独立という言葉の持つ恐ろしさに気付いていないのです。
それどころか、「民族(ethnic)ごとに独立し、国(nation)をつくらなければならない」などと、欧米では通用しない文章(命題)を主張して平気なのです。
この理屈は、明治維新を成功させ、当然のように国民国を作り上げた日本人を見て、まだ国民国の意味も理解できていなかった「朝鮮人」らが、独立を主張したのに似ています。
なにしろ「朝鮮人」という存在さえまだ無かった時代なのですから、彼ら自身でさえ何をしようとしていたのか不明なのです。
ーー
同じひとつのネイション(国)の中にあって、互いにエスニックが異なるから一緒にやっていくことはできないなどと言い出したら、国など成立しないのです。
日本人は日本国民であるのが当たり前なので、日本語の「民族」には、ネイションという意味と、エスニックという意味の両方が内包されています。
両者が違っていることを明確にしないで、ただ「民族」を言い出すのは、国家解体を唱えているのと同じことなのです。
ーー
ちなみに平安時代の初頭、我が国の人口構成は、なんと人口の3分の1が渡来してきた人達でした。
渡来先は大陸や半島、ラオス、タイ、カンボジア、インドさらには中東やアフリカ、南北アメリカ大陸からまでもあったようです。
と言いますのも当時の日本は、東亜の超大国だったからです。
ーー
けれど平安時代は、みなさま御存知の通り、我が国の文化が爛熟期を迎えた時代です。
渡来人らはことごとく日本国に帰化したのです。
どうしてそうなったのかといえば、平安時代の日本がすでに「国民国(ネイション)」を営んでいたからです。
そして国としての軸になる記紀や、万葉集などの高い独自の文化を定着させ他国を圧倒していたからでした。
さらに広大な農地開拓によって、食料事情にも余裕を持っていたのです。
このことが、どんなに外国人が多く入り込んでも、国内に一点の乱れも生まない強靭な国家を形成する元になっていたのです。
ーー
日本が誇れるだけの国となっていれば、どれだけ外国人が増えても、本当は大丈夫です。
実際、平安時代初期には日本は文化的で平和な国を実現しています。
いま、ごくわずかな数百万人程度の外国人によって日本が壟断されるのは、日本人が日本国民としての自覚と誇りを失っているからに他なりません。
ーー
つまりどのような日本を築くのか。
日本人のその意思こそが、日本をつくるのです。
あたりまえのことです。
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コメント
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>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本文明は多様な民族混淆の結果です。
またまた、ねづさんの独特な史観が、人類に取っての「民族」と言う語義の曖昧さが故に多様な使われ方が、政治的な手段として罷り通って居る現実が明らかにされました。
然しこれは、人々を騙す手口として、とても有効なだけに危険な事で、その先には、今まで平穏に暮らして来た同民族同士が、自身のアイデンティティを、突然別物だと指摘された様なものですから、最初は戸惑いが、やがて混乱が訪れます。
人々は、疑心暗鬼になって、終局、「では、「国は一体誰のものなのか?」という、疑問を国民に生じたさせる事になり、結果,政治が不安定になりますね。
朝鮮半島では、日本の実効支配・統治で現れた、急速な社会の近代化に着いて行けずに没落した旧地主層「=両班や王族」が、自分達の存在が非近代的な愚民で有る事を思い知らされ、日本に対する恨みを醸成して居たのですね。
そう言う意味では、ねずさんの「日本の朝鮮経営は失敗だった」と言う指摘は、当たって居ると思います。
然し、当時の日本も白人主導の世界では、後進国扱いでしたから、とても、朝鮮経営に更なる注力は期待出来無かった、と思います。
固より半島は、シナに南侵して来た北や西の遊牧民の後方勢力の吹き溜まりだと、見るべきです。
ねずさんが挙げた6つの民族集団は勿論、それ以上の雑多な「負け組」が匪賊化して、新羅や高麗の王朝末期の半島は、治安を保持するダケの力が政権にない状態だったと思います。
李氏朝鮮を建てた李成桂の主勢は半弓を使う騎馬軍団で、宗主国元とのかnン連を持った、女真系の部族でしょう。
そしてその事は、日本が日露戦争に勝って、満州利権を手にした時に、大量の朝鮮人が移民しましたが、満州の女真族の中では、朝鮮族の地位は、最低ランクの出自だったので日本名を名乗って、満州人を支配しようとした、と言うのが、史実の様ですね、然も有りなん。
こう言う民族の話になると、昔、未開で野蛮だったが、由衛に、ぶんめいこくから 警戒されて居た、或いは、攻められて奴隷にされて居たが故に、民族コンプレックスを持って居る集団は、東洋よりも、寧ろ、西洋に多く、特に、スラブ系は、文明化して、未だ、千年しか経って居ません。
就中、ハザール人やロシア人は、そのコンプレックスの故に、逆に自民族の選民性を強調する余り「xx地域には、ロシア人が棲むんで無かったので、文明の発達が遅れた」等と、平気で「歴史無視の嘘」を垂れ流して居ますね。ww
マァ、固より、人種の違うローマ帝国を「文明の源、祖先の国」として居る白人文明自体が、欺瞞に満ちた文明ですがね。
その点、東洋文明は、大陸で2万年、列島では3万年以上も前から文明の息吹があった訳で、然も、2つの文明はその文明の淵源を異にして居ると言う事も、DNAの研究に拠って分って来た、すると、血の繫がりだけで語られて来た民族ですが、それは、一つの民族の構成の要素の一つでしかない、と言う事です。
その例示をねずさんは、日本の平安時代の文化を築いた人々 の出自が、世界各地にまたがって居る事を挙げて、居ます。
それは、日本の帝が、数千キロも離れたペルシャのガラス器を手にして、ペルシャの事情を知っていたという、驚くべき話が、何気に語られているのが、現実なのです。
それは、ねずさんの仰有る様に、当時の日本は、世界の文化の中心的存在だったのでしょう。
当時、文化も国力も世界的な大国であった唐を建てた、鮮卑族は遊牧民なので、文字も持たなかったから、唐代に栄えた死な文明は全て長江文明の遺産だと、申せましょう。
現代の世界でも、こうした、真実の歴史をひた隠しにして居る国は、しなd明けでは無く沢山あります。何故か? 本当の事を言っても、金にならないカラ、唯其れだけです。
でも真実の歴史なしには、反省もないので、国家も文明も進歩が止まって終うのですが、目先の利益が自分の為に必要なのでしょうね、
進歩が止まれば、直ぐに退嬰・衰亡が始まる野ですがねぇ、何故、日本が3万年も文明を維持出来たのかと言えば、常に新しい血を入れて、伝統を常に「温故知新」の状態に保って来たからです。
それに文化・文明は、生存条件の気にしい環境、即ち、自給力が、貧しい、民族種には、当然無理ですが、日本は、気候変動に弱いし、多くの労力を必要とするが、天候にさえ恵まれれば、大量の人を養い得る、水耕稲作を選択した時から、「富は奪うものでは無く、自分の汗で築き上げるもの」と言う道徳心が自発している」のです。
ダカラ神道には、禁忌はあっても、戒律は必要ないいのです「何時もお天道様が、見て居らっしゃる」からですねww
こうして、日本人に取っての民族の意味を、掘り下げてみると、日本人なら誰しも、極当然のように、偶発的に、手に入った幸運を宛てにはしませんが、そうではない民族の方が、世界には、未だ多いと言う事を忘れてはいけません。
日本人に取って、して来た仕事が突然無くなれば、自分の存在価値を無くした様で、辛いものですが、他の人々は、仕儀とをせずの暮らせることを喜びます、彼らに取って、仕事とは、自分に課せられた罰のようなものであって、決して、生きがいではありません。
この単純な差は、実が物凄く大きな事なんですがね。ww
投稿: ナポレオン・ソロ | 2020年2月 5日 (水) 18時21分