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2020年1月18日 (土)

自分が理解できないものは意味がないのか?

ーー以下「大紀元時報 掛谷英紀コラム」より抜粋編集

私(掛谷)は、電子情報系の研究をしており、それに必要なコンピュータのプログラム開発に、研究室の学生と一緒に日々取り組んでいる。

以前、研究室でこんなことがあった。

ある年、新入りの学生に一つの課題を与えた。

その課題というのは、私が書いたプログラムの一部を変えれば完成(機能)するというものだった。

ところが、いつまで経っても彼が書いたプログラムは機能しない。

ーー

なぜ機能しないのか、彼のプログラムを調べてみた。

すると、私が課題として与えた当該箇所は正しく書き換えられている。

でも機能しないのはなぜか、よく見てみると、私のプログラムの重要な部分が一箇所消されていた。

その部分を追加すると、プログラムは意図通り作動した。

ーー

私はその学生に「どうして、この部分を消したの?」と聞いてみた。

すると、彼は「この部分は何をしているか分からなかったので、意味がないと思って消しました」と答えたのだった。

ーー

自分が理解できないものは意味がないと考えて、その存在を消し去る。

この考え方では、システム開発の仕事はできない。

一人の人間の理解力には限界がある。

だからシステムを動かそうと思えば、自分が理解できない部分についても、何らかの役割があるのではないかと考えながら作業を進めることが不可欠なのだ。

ーー

実社会の制度設計でも、自分が理解できないものは意味がないと考えて設計を進めると、制度自体が機能しなくなるという事態が生じる。

その典型例が「皇室の存在」を巡る議論である。

私自身、学生時代は「皇室の存在」が理解できず、廃止してもいいと思っていた。

しかし、今はその存在意義を合理的に説明できる。

ーー

自分が理解できないものは無くしていいと考えた当時の自分の愚かさを恥じるばかりである。

ーー

「皇室の存在」の意義を真面目に議論すると長くなるので、一つだけ論点を提示しよう。

青山繁晴氏の著書『壊れた地球儀の直し方』に、興味深い話が紹介されている。

1990年代、米国の大統領がビル・クリントンで共産支那の国家主席が江沢民だったときの話である。

ーー

当時、共同通信の記者だった青山氏は、江沢民との二国間協議を控えたクリントンが緊張の面持ちで、よく見るとかすかに震えているのを目撃したそうだ。

世界一の軍事力をもつ国の大統領であっても、世界一の人口を持つ国を率いる独裁者と相対するのは怖かったようだ。

何しろ支那では、蛮族をどう扱うか、つまり徹底的にもてなすという伝統があるのだが、クリントンは至れり尽くせりのそんな待遇には慣れていなかったのだろう。

ーー

青山氏は、当時首相だった細川護熙と江沢民との首脳会談も目撃したのだが、細川氏は全く緊張していなかったそうである。

青山氏はそれを不思議に思い、首相に「なぜ緊張しないんですか?」と聞いたところ、「なんで緊張するの?」と返されたと書いている。

細川氏は、旧藩主の出自であり、熊本県では殿さまと呼ばれ、殿さまとして扱われている。

よって、幼少のころから大人たちから丁重に扱われるという経験をしていたと想像される。

だからこそ、江沢民の会談を控えて支那人らから丁重に扱われても全く動じなかったのだろう。

ーー

世襲議員はしばしば批判の対象になる。

しかし、国際舞台での振る舞いを観察すると、世襲議員の多くは全く動じずに活躍できている。

一方、世襲議員を批判している市民活動家上りの政治家は外国の首脳を相手にすると急におどおどした態度をとる。

もちろん小者である筆者は、文章では支那共産党を批判できても、習近平を目の前にすると顔を青くしてブルブル震えることは間違いない。

ーー

「天皇」「王」「貴族」は、幼少のころから世界の要人に会って言葉を交わしている。

昭和天皇は占領軍総司令官マッカーサーに相対して全く動じなかった。

そして自分の身はどうなってもよいから、国民に食料を与えてやってほしいと言われ敗戦の飢えから国民を救われた。

ーー

また貴族出身のチャーチルはナチスドイツに毅然として立ち向かった。

一方、平民出身のチェンバレンは独裁者ヒトラーに譲歩を繰り返した。

このように、その存在意義が一見理解しにくいものでも、長く続いているものにはそれなりの深い意味が見出せることが多いのである。

ーー

私も人間なので、未だにその意義を理解できていない慣習は多くある。

クリスマスに日本の多くの親たちが「サンタさんからのプレゼント」と子供に言うが、それは「ウソ」をついているのである。

私はその意義を理解できなかったが、多くの人が長い間続けている慣習なので、何か深い意味があると思って、自分の子どもにも、同じように「ウソ」をついた。

ーー

この「ウソ」の意義について、昔学生と議論したことがある。

私の思いつく意義は「大人はウソつきだということを教えるため」という陳腐なものでしかなかった。

しかし、ある女子学生は「目に見えないものの大切さを教えるため」という意見を出した。

これは、私が今まで聞いた中で最も説得力のある「サンタ神話」の意義である。

ーー

知識人の中には、自分が理解しているものがこの世の全てだという思想を持つものがいる。

そしてしばしば「若いうちに読むべき本○○冊」といったリストを提示する。

私は、これは非常に傲慢な考えだと思っている。

ーー

自分が読んでいない名著の存在を無視しているからだ。

私も学生から若いうちに読むべき本を聞かれることがあるが、そのときは「古くから読み継がれている本、大規模な宣伝なしにベストセラーになった本に名著は多い」とだけ答えている。

特定の本を挙げると、私の知っている世界という限られた空間に若者を押し込めると思うからだ。

ーー

この世に存在し続けている以上、たとえその存在意義が理解できなくても、何か意義があるのではないかと考えて尊重すべきなのである。

この精神を失ったとき、人間は暴走する。

このことは、共産主義者らが繰り広げてきた数々の惨劇が雄弁に物語っている。

私がサンタクロースについて学生と議論したように、理解できないものの存在意義を話し合う機会を学校教育の場で増やせたらと思う今日この頃である。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>知ると言う事の本義
この掛谷三と言う方は、一体お幾つなのか知りませんが、一人の科学者或いは技術者としての、優秀な資質である「等身大の自分に向き合える素直さ」をお持だと思います。

即ち,「知るを知るとし、知らざるを知らずとせよ、これ知る也」と言う事です。

表題の様な事が起こるのは、周りから、その深い知識や高い見識が故に尊敬され、或るいは、高い地位に着いて居る人に多く起こる事で、技術系のサラリーマンだった私にも、こうした事案に、出食わした経験が数度あります。

就中、記憶に残って居るのは、学校を卒業して入社して、未だ3年目位の頃に、した事でした。

それは、衆人の前で、自分が知らなかった事を素直に認め、後で教示してくれと頼んだのですが、彼は私よ2周りも上の人で、取締役付きの部長でしたから、皆の前で「知らない」と言うのは、随分勇気が要った事と、何も、あのタイミングで言わなくても良かったのではないかと、悔やんで居ました。

それで、謝る心算で、後の酒の席ですが、其れと無く聞いたら、笑ながら「否、正直あの時は冷や汗が出たぜ、でも、知らないのは一時の恥だけれど、無知のママ放って置いたら、一生の恥って言うやろ、あの時はありがとうな」と言ってくれました。

私はこの言葉に驚き、「自分も、こうした人間になりたい」とおもいましたし、以後の自分への戒めともして、一生忘れません。

殊に現場を預かる技術者としては、ちょっとした嘘や誤魔化しが、重大な欠陥や事故の原因になる事が多くあるのです。

ですから、先ず、現場技術者や研究開発び携わる者は、嘘吐きで派、皆の信頼を得る事は出来ないし、その裡、大きな失敗をやらかすでしょう。

自分の持って居る知識の範囲では、理解不能なら、他者の知恵を借りるべく,状況を余すところ無く、他者に説明できる能力が必要です、そうして、仕事は皆も力を併せてするものだ、と、教わりました。

でも、世の中には色んな人が居るもので、仲間内なのに、知って居ても教えないと言う態度を取るモノ、知ら倍から使えないと、更迭の理由にする上司脱霊ます。

こうした人間が携わった仕事は、いずれ破たんして、彼自身が更迭される憂き目に遭って居るのを何回も見ましたww 何故、破綻するかと言えば、人間が与えられる時間は有限ですカラ、得られる知識も有限です。

だから、足りない部分ハ、他者の知恵を借りる他は無い、それが文献なり、公的な開示情報であれば、問題ないが、その現場の事は、自分の目と耳で情報鵜を得て、自分の頭で考えなければならない事が多くあります。

時には、自分のした判断一つが間違いで、工事自体が止まって終ったり、事故が起きてしまう事にもなりかねないのです。

ダカラ、表題の様な「自分が理解出来無い事は、受け入れない」と言う態度は、私のような現場監督者に取って、決して受け容れられる話ではありません。

頭はすこぶる良くても、判断力の質が低すぎて、自分の脳内だけと見做されるのでは、幼稚だと評価されてもしかたが無いでしょう。

私が心配なのは、、昔は斯うした錯誤に拠る失敗は、若いものの特権の様に言われて居て、後日に失敗団地して笑い話になったものですが、この頃、30代後半~40代中盤射かけての世代にも、こういう現象が見られると、言う話を偶に聞く事で、知識より道徳の教育が出来ていない様に感じますね。

確かに、世界の常識と、日本の常識と出はマルッキリ被害者意識事もあるでしょうし、「知財」と言う考えも、考慮の範疇に入れなければなりません。

然し、技術が目指して居るのは、人類の幸せであり、結果なのです。

新しく開発された技術には、未知のトラブルが着きものですが、そうした、事案に処するに、基本設計から、考える必要がある事が多く、メンテナンス屋の仕事の番中ですが、盗んできた技術なら、故障の原因の検討のつけようもない、そして、改善も改良も出来無いでは、早晩、使えなくなるのは見えて居ますね。

例えば、シナの様に盗んだ知財を振りまわして、技術先進国を気取っても、其処に至る基礎技術が伴って居無くては、以後の開発がスムーズに進む筈が無い、バランスの取れた、技術の在り様こそ大事だと思いますね。

>「目に見えないものの大切さを教えるため」
 ”目に見えないものの大切さはウソでしか伝わらない”
と勝手に脳内変換してみたものの、意義深いのかどうか分からなくなりましたw

 私が氏を知ったのは、某さくらんのYouTube動画です。
掛谷英紀氏のコラムで、好きなフレーズのひとつです。

なぜ人は共産主義に騙され続けるのか
https://www.epochtimes.jp/p/2019/08/46112.html
『私はそのとき、共産主義は絶対うまくいかないと確信した。私が小学2年生だった1978年当時、ソ連はまだ大国として健在で、共産主義は素晴らしいと考える人が多くいた。でも、私は彼らを信じなくなった。真面目にやってもやらなくても、みんな同じように怒られるなら、誰も真面目にやらない。結果の平等は絶対うまくいかない。そんな単純なことをなぜ大人は分からないのだろう。とても不思議だった。その11年後ベルリンの壁は崩壊し、さらにその2年後にはソ連も崩壊した。』

掛谷英紀コラムhttps://www.epochtimes.jp/column/252/index.html

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