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2020年1月23日 (木)

司馬遼太郎は大嘘つきだ

ーー以下過去ログ(2017/3/5)より再掲

昨日司馬遼太郎は大嘘つきだとして、「NHKと司馬遼太郎の詐術」という題のブログを紹介した。

司馬遼太郎は何故こんな嘘を吐かなければならないのか。

しかも彼は、彼一流の独断と偏見ではあるが、差別社会の実態など朝鮮半島のことを知りすぎている。

どうして司馬遼太郎は、このような誤解と偏見に満ちた文章を書くのだろうか。

BB(べべこ)さんが彼の不思議な文章を紹介している。

べべこさんの解説をはさみながらその文章を紹介したい。

その書き出しは、こうだ。

ーー以下抜粋編集qazx

【BBの覚醒記録2012/7/14】司馬遼太郎という無知と自虐史観http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/ee1680a8a1eca612c0277b6211f6edee?st=0

過去記事「司馬遼太郎という名の”国賊”」に対して、コメント欄で絡んできた人物が居た。http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c2e39dccae736940fcaff9c6277cefcf

それを機にもう一度、司馬遼太郎という作家の思想について検証してみました。

ーー

司馬遼太郎は、もう歴史家とは呼べないほど史実を知らない。

しかし思想家と呼ぶにしても、驚くほど幼稚な方だ。

その実例として、彼が朝鮮半島に関して書いた、文章をお目に掛けます。

以下、司馬遼太郎『「昭和」という国家』(NHK出版1998年)より抜粋

ーーP52には、次のような文章が書かれています。

「われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね」

ーー

著名な小説家のこのような文章によって、日本人は、贖罪意識を植え付けられてきました。

しかし司馬遼太郎が語るその贖罪意識の根拠は以下のような史実に反するものなのです。

ーー

「これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった」

「併合という形で、相手の国家を奪ってしまった」

「こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります」

ーー

この内容については、ネット環境を手にし、多くの朝鮮に関する知識を得ている多くの日本人の中には、司馬遼太郎がぬけぬけと語る、朝鮮半島の数千年の文化と数千年の独立、という文言に腰を抜かした人もいるのではないでしょうか?

いったい、司馬さんはいかなる文献と資料を持ってこれを主張なさるのでしょう。

清という李氏朝鮮の宗主国の存在をよもやご存知ないのでしょうか。

この文章の後にも、次のような当時の世界情勢を全く理解していないような、ばかばかしい文章が続きます。

ーー

「むろん朝鮮半島を手に入れることによって、ロシアの南下を防ぐという防衛的な意味はありました」

「しかし、日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったんは引っ込んだのですから、それ以上の防衛は過剰意識だと思うのです」

「おそらく朝鮮半島のひとびとは、あと何千年続いてもこのことは忘れないでしょう」

ーー

この発言内容は、まるで南朝鮮大統領の発言です。

しかし広く知られている史実は、朝鮮の独立を巡って日清戦争が起こり、それに日本が勝ち、1895年(明治28年)4月に日本と清の間で下関条約が結ばれ、それまで明・清の属国だった朝鮮は、歴史上初めて、独立するわけです。

しかし、同23日にはフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国の公使が「朝鮮を日本が保有することは東洋の安定を損なう」としてその放棄を求めてくるのです。

以後も諸外国は、日本の朝鮮経営に対して、様々な干渉をしてくることになり、それがやがて日露戦争に発展するのです。

つまり「日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったんは引っ込んだ」それで終わり、と言うような単純な環境ではなかったことは明らかです。

そして彼の文章は倫理の問題から利害の問題として以下のように続きます。

ーー

「倫理的な問題ではなく、利害の問題として考えてみましょう」

「朝鮮を併合することが、国家として儲かることだったのでしょうか」

「私は決して儲かることではないと思うのです」

「そういうことを平気でやって、しかもそれは帝国主義であると言われています」

「帝国主義という言葉は上等ですね」

「泥棒主義と言ってもいいのです」

ーー

もう読者もご存じのように、日本は、朝鮮併合の36年間ずっと、国費の持ち出しでした。

朝鮮経営・統治は、日本国民の犠牲の下になされていたのです。

この事実を、彼が全く知らずに、あるいは調べないで、単なる独断と偏見でこの文章を書いていることが分かります。

そして以下のような、思いつきを書き並べています。

ーー

「明治三十年代にどれだけの産業がありますか」

「生糸をアメリカなどに売って、やっと外貨を得ている程度です」

「他の国に売れるようなものは、マッチとタオルぐらいです」

「産業能力があって十九世紀的な帝国主義というものが成立します」

「ところが何も売るべき産業もなくてですね、朝鮮半島を取ってしまったわけです」

「生糸をアメリカなどに売って、やっと外貨を得ている程度です」

「他の国に売れるようなものは、マッチとタオルぐらいです」

ーー

このような状態から、日本は鉄道を敷設するなどして社会基盤を整備し、急速に近代化を進めていったわけです。

朝鮮にはそれができなかった。

そして次のように書いています。

ーー

「何もないから、結局、東洋拓殖という一種の国策会社ができました」

「朝鮮半島のひとびとが一所懸命、先祖代々耕してきた水田を取り上げたりした」

「実際のソロバン勘定からいったら、持ち出しだったでしょう」

「鉄道をつくったり、総督府をつくったり、学校をつくったり、郵便ポストをつくったり、それはそれでいいのですが、我を持ち出し、恨みを買った」

「イギリス人やフランス人は国家運営を考えます」

「外に出ていくときに、儲かるか儲からないか」

「あるいは目先の儲けではなく、百年先に儲かるか」

「常にそういう計算があるはずです」

「それが戦略、政略というものだと私は思うのです」

ーー

水田を奪ったとおっしゃるが、農作物の飛躍的収穫の増大を何と説明するのでしょう。

日本が進んだ農耕法を伝えたからだと考えるのが普通です。

あたかも日本が植民地にしたかのような司馬の言い分ですが、違っています。

史実は、朝鮮人支配層の多数が併合を望んだことを示しているのです。

東洋拓殖(東拓)を何か朝鮮を一方的に虐げたニュアンスで捉えているようですが、東拓に絡んで移民した日本人たちの艱難辛苦はご存知ないのでしょうか。

開けていない極貧朝鮮農家の中に入って、言語を絶する貧しさに耐え、中には1尾の塩鮭を吊るして置いて、1ヶ月間もかかって細かく切り分けながら食用として命をほそぼそとつないだ、というエピソードも残っています。

ーー

そのような日本人たちの辛苦の果てに・・・

併合のたった30年間で、1千万人足らずだった人口が2500万人に激増、平均寿命は24才から45才へと驚異的に伸び、

日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが建設され、未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌、

日本からは優秀な教師が赴任して朝鮮人を朝鮮文字を復活させて教育した、このような事実すら司馬氏には損得のソロバン勘定でしか見えないらしい。

さらに司馬は次のように書きます。

ーー

「強欲な百姓が隣の畑を略奪するように、ただ朝鮮半島を取っただけです」

ーー

「強欲な百姓」とは、いったい何を根拠にしての喩えでしょうか?

日本の歴史の中で農民が強欲であった時代はあったでしょうか?

せいぜい食糧の無い戦争中、物品と引き換えに行った人たちに対して示した傲慢さとか、思い当たるのはその程度の些事ですが。

ーー

そもそも植民地の定義とは何か。少なくとも持ち出しで相手を豊かにすることに一生懸命になった植民地化など世界のどこに例がありますか。

損得とおっしゃるが、損は承知の投資でしたでしょうに?

相手を日本、日本人として扱ったからこその国費と人材の投入でした。

ーー

日本の江戸時代、その後の近代国家の礎を日本が着々と築き続けていた頃、李氏朝鮮は人民に対して、暴虐の限りを尽くしていました。

人民は単なる搾取の対象でした。

この簡単な事実に、反駁出来るか司馬遼太郎よ。

ーー

人民は圧政に喘ぎながら、飢えに苦しむ日々を過ごしていたのです。

そのような搾取と奴隷制から開放したのが日本でした。

これは事実です。

司馬は併合前の朝鮮人の平均寿命が24才であった。

それが日本の併合で圧倒的に長生きするようになった事実を見よ。

「日帝の帝国主義」とやらに虐げられていた民が、倍近くまで寿命を伸ばすというのか、愚かしい。

ーー

暴虐は決して日本ではなく、朝鮮に対する清であり、朝鮮人民に対する李王朝なのであります。

李朝の容赦無い暴虐下で民の心は病み、ねじくれ現在の異常な韓国人の精神性のベースを作り上げました。

北朝鮮がその原型のままです。

(支配者階級は)人民が飢えても我関せず、体制批判は地獄送り。

ーー

このような李氏朝鮮下での地獄絵図が、韓国の国定教科書では「この世の理想郷」であるかのように、記述され教えられています。

なぜ、地獄から民を救い出したのは日本でしたとは、言えないのか。

ーー

司馬は、併合前の朝鮮が世界の最貧国であったという単純な事実すら無視しています。

併合前の朝鮮にいったい、いかなる「文化」が存在したのか、司馬は具体的に検証した上で、持論を述べるべきです。

ーー

台湾には古代から由来の文化がありました。

しかるに、日本によって台湾の文化が壊されたり、奪われた形跡は皆無です。

なぜ朝鮮ばかりがそれをわめき立てるのか、司馬の耳には台湾の人々の声は聞こえぬようです。

そもそも、日本がなにゆえ朝鮮の文化を壊さねばならぬのか、その理由を明示していただきたい。

あるのは因習、淫習、蛮習ばかり。それらから人民を開放したのが、日本の罪なのか。

李氏朝鮮に文化というものがもし存在したのならば、示すべきだろう。

ーー

併合解消後も、鉄鋼所、造船、地下鉄・・・オリンピック施設などの建設資金を援助したのはどこか、日本です。

アジア通貨危機の時、IMF資金以外に、韓国を救けたのはどこか。日本です。

しかもそのIMFすら、日本は世界で2位の拠出国なのですから、韓国は二重に日本に救われています。

ーー

戦後の日本からの借金80兆円は、ほとんど返さぬまま、罵り続け、日本は催促もせず黙っている。

5兆円に及ぶスワップにも感謝とてされない。

このような状況下で、日本がとにかく悪いと日本を打ち据え続ける司馬氏。

司馬遼太郎は、日本が韓国の奴隷になって貢ぎ続けることを望むのか。

ーー

日本の軍隊の募集に応募者が殺到、採用されずそれを悲観した自殺者まで出た事実を司馬氏はどう説明なさるのか。

日本の軍隊に朝鮮名のままで、高位高官に付き日本兵を指揮していた朝鮮人が一人ならずいたことも、司馬氏は知らぬほど無知なのか。

靖國には朝鮮人の兵士たちも朝鮮名のまま手厚く祀られていることをご存知か。

同じ統治を受けた台湾は「恨」どころか賛美賛嘆である事実をどう説明なさる気か。

ーー

朝鮮人の「恨」は本来、李氏朝鮮の支配層にこそ向かうべきものです。

近代化は日本によってなされた。しかしその事実を知れば、民族の無力と欠陥に行き着いてしまう。

だから「恨」の矛先を日本へ向けた。

現在の朝鮮人たちは、日本が乗り込んできて暴虐の限りを尽くしたという虚構・嘘を教えられて、日本人に「恨」を抱くように教育されているのです。

ーー

朝鮮人たちは、国家レベルで、本来・李氏朝鮮の支配層にこそ向かうべき「恨」を、日韓併合に置き換えてしまった。

それが司馬氏が隠した真実です。

ーー

在日朝鮮人たちでさえ、李氏朝鮮下における因習のひとつ・奴隷制度を非難するものが多い。30%もの人々が奴隷として、文字も読めない状態のまま一生搾取されるままに置かれた。

そのような人権無視の因習の数々を司馬氏は、何千年も続いた朝鮮文化と主張されている。

現在の韓国の学校教育では、日本に併合されるまでは、李氏朝鮮社会は豊かで自由で素晴らしい楽園だったと教えている。

司馬遼太郎よ、あなたは韓国の国定教科書レベルの大嘘つきだ。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本人にとって司馬遼太郎とは何だったか?
私は若い頃から、なぜか、この作家には全く興味が湧かず、読んだのは「坂の上の雲」位ですから、余り大きな事は言えませんが、ダイジェストを読むと「若い頃に読まないで良かった」と、おもいますね。

読んでいたら、半島史の理解が大分混乱していただろうと思いますし、戦前日本の軍部に対する、自虐史観的な不信感を持って居たかもしれません。

簡単に言えば、この人は、「成り済ました」半島出身者か、そう言う人に、幼少期に洗脳された人でしょう。

この人に話をきくと、大江戸健三郎を連想するし、遠藤周作もチラッツと思い浮かびますが、10~20代を戦争前夜~戦中で過ごした筈の彼らの世代は、激変する世の価値観に、一様に無常観を抱いていたのでは無いだろうか、つまり、

其れ迄の日本人が持って居た「確かなもの」が崩れ去り、代わりに「先進的だと、吹聴された」欧米文化が押し寄せて、世の中の価値観も「古いもの(日本)は、もう価値が無い、是からは、なんと言っても米国だよ」と言う風潮が当たり前でしたね。

だかた、アンチ戦前日本が昭和20~40年位迄は、世の趨勢だった様に覚えて居ます。その頃世界では、ソ連の共産主義が欧州の東半分を呑みこみ、南アジアや、南米、アフリカ諸国にも手を広げて、覇権主義が囁かれていましたね。

処が私の家庭環境は、一種独特で、先ず、母方の一家は、大連からの引揚者で、伯父さんはその容姿と大連育ちの早稲田の英文科卒の学力を買われて、一般人としての徴兵だったのに、特務機関に入れられたそうで、皆がしらない裏の事迄よくしっていました。

例えば、終戦前に上海で揚子江に墜落した15式戦「烈風」の調査で上海に行き、其処で、日本が降伏するらしいとの話を聞いて、日本に逸早く帰って来たという人です。

当時の階級は陸軍中尉だったそうでしたが、戦後は、宮崎で小学校の教師をしていました。

長女の母親は、大連高女を出て京都師範に合格し通う寸前に、病気になって結局、大連の外人だらけの船会社に就職していたとか、だから、外人に対するコンプレックスが無く、戦後、云い寄って来たGHQ付きの牧師を、ぶん殴っててやったとwww

その二人+祖父さんが、口を揃えて、「朝鮮人は信用するな、付き合うのなら、一定の距離を置け」と言って居ましたね。

兎に角、話が、鹿児島の田舎町では、在り得ない話ばかりだったし、なにより、叱る時に二言目には、普通では言わない「日本人の癖に恥ずかしい」でしたからね。ww

その口真似を、友達にしたら、傍にいた小父さんが話しかけて来て、それから戦前の話や、戦争の話を色々教えて貰う様になりましたが、私が通って居た小学校にも、戦地帰りの経歴を持った先生が沢山居ました。

だから、私の周りには、軍事知識をもった子供が多く「一式中攻」と言うっただけで、マレー沖海戦で英国の誇る、2隻の戦艦を沈めた事が、まるで、常識でしたからね、www

それに、大都会とは違って、日教組の活動も余り盛んでは無かったと思いますね。

そして、私が高専に入ったその年に三島事件が起り、翌年には、あさま三艘事件が起って、左傾一色だった世の中が、やっと、落ち着きを取り戻す兆しが見えて来たかのようでした。

でも、学校がある周防大島から程国近い 岩国には、米軍基地があって、上級生の中には、基地内の米兵と交流が有る人や「ベ平連」の集会に、しょっちゅう行って居る人も居ましたね。

そうしている裡に、オイル・ショックが起り、又もや、世の中の価値観が、ひっくり返り始めて、入学時には、500%の就職率で「引く手数多」の状態だった商船士官の道も、今迄では、無視レベルで良かった燃料代が大きなウェイト持つようになり、自然に経費節減のしわ寄せは、人権費に・・

と言う訳で、先行きが、不透明になり出して、途中退学して大学進学を目指すものが続出して、学校の雰囲気も次第に悪くなり始めましたね。

司馬さんの本は、こうした価値観が不安定な世相の中囃されて居たのですが、「司馬ファン」を自称する輩と、題材になった歴史の話をしても、話が、直ぐに拗れるので、なんか変だなとは思って、世で持て囃されている。

司馬遼太郎が、少年向けの漫画作家と、同じレベルの低い歴史観の持主とは、ついぞ思わなかったけれど、良く考えてみれば、大江健三郎も居れば、五味川純平も居るわけで、日本の戦後の文壇のマスコミへの阿りは、唾棄すべきものが有りますよね。

まぁ、この現象は、出版会nの衰退に直結して居ますね、若い世代の「活字離れ」の所為もあるでしょうが、ネットの普及でマスコミが、自らの信用をどぶに捨てた、のも。大きく災いしているでしょう、何より、報道しない自由の存在を一般人が知った事が大きい徒、思い真す。

最近は、TV・ラジオすら情報源になっていませんからね。本が売れなくなるのは、寧ろ、当たり前で、大きな本屋が、大通りにあった店舗をいる話はよく訊きますね。

今から考えてみれば、司馬さん達の世代の小説家は、多かれ少なかれ、良い時代を過ごしたわけで、その中身のお粗末さを考えれば、完全に「食い逃げ」だと、私は思いますね。

日本の歴史観を攪乱すると言う害悪しか齎さ異のだから「文壇追放」しべきですが、日本にも、価値観が混乱した時代が有って、その象徴的な作家だと考えれば良いのではなかろうか。www

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