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2019年11月16日 (土)

この民族の詩である大東亜戦争を『太平洋戦争』と呼び「侵略戦争」と認識するのは、日本の魂魄の滅亡をしめす以外の何ものでもない

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

富岡幸一郎『平成椿説文学論』(論創社)

序文には三島由紀夫の自刃(じじん)の訴えが掲げられ、戦前と戦後の日本文学が「戦争」と「平和」をいかに扱ったのかという文学議論が始まる。

俎上に乗せられた作家たちは武田泰淳、中野重治、大岡昇平、中島敦、江藤淳、島崎藤村、野間宏、小島信夫、吉田満ら。

戦争の現場を描いた大岡昇平や野間宏の小説を冷徹に批判し、他方で日本近代史を書き上げた林房雄を論ずる。

反日共産主義者から愛国者へと、登場する作品も目まぐるしい。

ーー

圧巻は林房雄論である。

小説でない史論だが、林房雄の『大東亜戦争肯定論』では大東亜戦争を民族の詩であるとする。

富岡氏はこう言う。

ーー

「日本人が歴史のなかで戦った戦争はやはり『大東亜戦争』であり、戦った主体も、敗れた責任も曖昧にすることなく考えるとするならば、そう呼び直すべきであろう」

「祖国の戦争の名称は、むろんただの名称ではなく、そこには戦争の死者と結びつくための歴史の記憶の絆(きずな)があるからである」(p58)

ーー

そうだ、『古事記』には民族の精神の源泉が流れており、『平家物語』にも『太平記』にも、散りゆく者たちの哀切と悲壮が織りなす詩が織り込まれ、『古事記伝』には大和民族の魂魄が横溢している。

山鹿素行の『中朝事実』も、北畠親房の『神皇正統記』も、詩である。
 
ならば林房雄は何と言ったのか。

ーー

「明治大正生まれの私たちは『長い一つの戦争』の途中で生まれ、その戦争の中を生きてきたのではなかったか」

「私たちが『平和』と思ったのは、次の戦闘のための『小休止』ではなかったか」

「徳川二百年の平和が破られた時、『長い一つの戦争』が始まり、それは昭和二十年八月十五日にやっと終止符が打たれた」

ーー

再度書くが、これは、詩的な歴史論としての『戦争と平和』なのである。

なぜなら林房雄は短絡的な敗北史観で、あるいは近視眼で歴史を裁断する愚を避け、日米の対決の根源をペリー来航前夜に置いた。

すなわち「外国艦船の出没しはじめた時から、日本は西洋列挙の鉄環に対して、事実上の戦争状態に入らざるをえなかったという認識である」と富岡氏は指摘する。

ーー

事実、幕末には薩英戦争、馬関戦争という局地戦から国内的には戊辰の役、西南の役を踏まえ、日清・日露を戦って辛勝し、日韓併合、日支事変から英米との全面的な総合戦に突入する。

林房雄は、こうした百年の視野(パースペクティブ)で近代史を論じたのだ。

ーー

このような歴史を叙述する伝統的な原則である長期の視野に立脚するならば大東亜戦争が侵略戦争ではなく、自衛のための戦いであり、そしてアジア植民地解放のための正義の戦いであったことが了解できる。

ーー

この民族の詩である大東亜戦争を『太平洋戦争』と呼び「侵略戦争」と認識するのは、日本の魂魄の滅亡をしめす以外の何ものでもない。

戦後七十五年にもなるのに、日本人の多くがまだ英米の邪悪な情報戦(プロパガンダ)の洗脳を受けて、そこから脱しえないでいるのはまさに精神の敗北であろう。

というよりも、言論・メディアを在日・反日勢力によって支配されたまま、日本人がそれを許してきた結果である。

(日本人の多くがネット環境を手に入れるまで在日・反日勢力の存在を知らなかった)

ーー

本文中には吉田満の『戦艦大和の最後』が、なぜGHQによって発禁となったかにも触れている。

それは、神風特攻隊によって苦しめらた占領軍GHQが、もっとも怖れたのが日本の武士道精神の復活だったからだった。

しかし武士道精神は占領政策に協力していた在日・反日勢力による猛烈な情報戦(プロパガンダ)によって、悪夢として放棄させられようとしていた。

そんな時、それを甦生させようとして果敢な行動にでたのが、作家の三島由紀夫だったのだ。

あと十日余りで憂国忌がやってくる。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>100年の歴史論
 通読して思ったのは、やはり、日本の文化は縦深的です、随い、市井の人にもトンデもなく知性に溢れた人がいらっしゃるのだと、再認識しました。

 でも、林房雄さんの名前は、何処かで見た様な気がしますが思い出せません、しかし、日本の近代を維新前の黒船の砲艦外交に端緒を置くと言う斬新さは、瞠目に値するものでしたね。

 成る程、歴史は、起った事象を掘り下げて細かい部分に視点を置き過ぎると、流れが見え無くなる事がりますが、歴史の流れと言うのは、その流れに沿わないモノは、自然淘汰される様に流れに飲み込まれて見え無くなって終います。

 だから、見直す為にも俯瞰して看る事が必要なのでしょう。

 林さんの様に、流れを100年単位の永いレンジで捉えれば、大きな事象も、流れの中でに起った一つの事件として拘り過ぎなく見えるので、そうした歴史に埋まって居る人達の意志も、拾い上げるのは容易に出来る様に思います。

 そして、其処にこそ、流れが出来た原因があったり、契機になる事件があったりするものだと思います、それが私が、日本文化に、縦深的なモノを感じる所以だと思いますね。

 そう言う人の代表的なものは、歴史の要人が少年期に通った寺子屋の師匠だったり、御寺のお坊さんだったり、若しくは、肉親だったりします。

 そう言った人達は、ごく普通の日々を、送る為に艱難辛苦を乗り越えて、子供を一人前にしようと一生を懸けた人が多いけれども、少なくとも、「自分だけ、佳ければ良い」とは考えず、亦、教えなかったと思いますね。

 其処には必ず「公の重要さ」が有り、「秩序維持の大事さ」があって、「身を立て、名を挙げる」事も大事だが、この日本と言う国は、先人が厳しい自然を相手に、その脅威を畏れ戦きながらも、決して逃げ出さず、あきらめずに、工夫を凝らし、皆で一致協力してそのアイデアを実現し、乗り越えて来た。

 だからこの田畑こそ、山林や道一つにしても、全て、先人の汗と涙の結晶である事の教えが有った。

 ダカラこそ、戦いが起こった時に「故郷の為になら」と、簡単に命を投げだして戦った事を、子孫の我々も、決して忘れてはならない、と思います。

 其処に個人主義等、存在して居ません、其れは日本人にとっては、この日本の山や川、所謂、国土が、日本人の魂の依代だからです。

 オソラク、こんな話を、固より、黒海からの移住民で有る欧米人にしても、理解不能でしょう。 何故なら彼らは、それ程の土地に対する思い入れ等、持ち様が無いカラです。

 彼らの中にも日本人と同じく、歴代農耕で、海と大地を相手に生きて来た民族も居ますので理解はしてくれるでしょうが、共感する迄には、時間が足りなさ過ぎです。

 其れは、日本人が列島に定住し始めて、既に3万年以上が経過して居ます。 

 ダカラ、日本の大地は、先祖の遺体の破片で出来上がって居ると言って過言では無い、だから、山は「お山」で有り、川にも、其々神様が居らっしゃると言う説明が、人々に素直に受け容れられるのです。

 おそらく、日本の国体維持の為に、命を擲って戦った人々は、欧米の様に「ないモノ、足りないモノは有る処から、そして、持って居る者から奪って来れば良い」という、盗人正当論は持って居無かったでしょう。

 其れは、自然現象が生物全てに公平だからで、ならば「自分が苦しいなら同じ様な環境に有る、人も苦しいだろう」と言うのが道理です。

 ダカラ、盗人正当論は、終わりなき戦いの始まりにしかならない事をしって居たからです。 盗むのではなく「相手に訳を話して、貸して貰って、急場を凌ぐ」事を、お互いが繰り返して行く裡に、信用から信頼になり、自然にルールが出来上がる。

 風水害に対しては川の上流と下流域では被害の程度も種類も違うが、同じ川を介して援け合える事は他Kさん有るだろう、何より、仲間が居る事は大きな支えとなるから、犬猿の仲になりがちな、隣同士も、交流が盛んになってその裡、親族だらけになる。

 是が日本の国の原点でしょう。 決して、戦いで勝ち取り、負けた相手を奴隷にする様な関係では無いのです。

 「欧米人は、未だに、是が出来無いで居るのだ」林さんも、最終的に、其処がいいたいのではないだろうか。

 日本は維新後、400年の白人文明の世界支配の中に飛び出したが、320年も昔の秀吉の時代から、奴隷扱いにされるとは、どの様な事を言うのかを知って居た。

 だから、先ずは奴隷にされぬ様に、相手の懐に飛び込んで、相手の文明の素を探り、そして、日本伝統の知恵を使って、日本で内製化を目指し、それが出来ると、今度は、不具合を改善・改良し、最後は、原型の性能を遥かに上回る新型を創りだす。

 是を維新後38年に起った日本海海戦で、ロシアの最新鋭の戦艦を遥かに上回る俊敏な機動性と速力で、圧倒出来たのは、日本で開発した新型エンジンを搭載して居た戦艦隊だった。

 こうした、改善・改良は、日本人の技術屋世界なら当然の話で、初めから、驚くような発明品も江戸時代の初期から多くあったのは、日本の庶民の縦深的な人材の多様さ、多さに原因があると思われます。

 そんな人達が、挙って公の為に一つに団結出来るのも、風水害と言う自然の脅威が常在して居たからですね。

 林さんは、そうした日本が厳として存在している事を、日本人は、その先人が守って来たモノを、如何にして本質を変えずに護り、時代に併せて善きものに改善・改良するに、苦心惨憺したかを、100年のレンジで捉えて見せてくれたと言う事でしょうね。

 是は、富岡さんが、林歴史観を使った、日本人へのメッセージの提示だと思います。

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