無料ブログはココログ

« 縄文時代、日本列島に住む我々の祖先は、およそ武装することがなかった | トップページ | つまり、戦後日本社会を支配してきた在日・反日勢力の存在を知らなければ、現状は何も見えてこない »

2019年11月 9日 (土)

しかしこの作家の発言は、戦後の言論・メディアの支配者である在日・反日勢力が作り上げた「誤った定説」である

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

荒木肇『日本軍はこんな兵器で戦った』(並木書房)

本書は、土浦駐屯地の陸上自衛隊武器学校に展示されている実物の小火器に触れながら、明治維新以後、日本の技術者たちが、艱難辛苦のすえ、いかにして国産兵器を開発したか、その足取りを辿ったものである。

西欧が300年かけて進歩させた近代銃器を、わずか20年ほどで追いつき、初の国産小銃を作り上げた村田経芳(つねよし)。

それを可能にしたのはもちろん日本に火縄銃の伝統があったからである。

村田の後継者の有坂成章(なりあきら)が開発した「三十年式歩兵銃・騎銃」で、日本は大敵ロシアを打ち負かした。

その後、南部麒次郎(きじろう)が完成させた名銃「三八式歩兵銃」で大東亜戦争を戦い抜いた。

ーー

ある作家が防衛大学校の学生たちに、科学的精神を軽視するなと三八式歩兵銃を例にして講話した。

大東亜戦争末期に学生生活を送った作家は、「無駄な」軍事教練を受けさせられたと語り、その上で、長大な銃剣格闘重視の歩兵銃、時代遅れの陸軍装備を批判し、明治の小銃で第2次世界大戦を戦ったという戦前日本の後進性を非難した。

しかしこの作家の発言は、戦後の言論・メディアの支配者である在日・反日勢力が作り上げた「誤った定説」である。

というのも、アメリカ以外の大国の軍隊すべてが日本の明治に相当する時代に開発された小銃で大東亜戦争を戦ったからだ。

ーー

南部麒次郎をはじめ国産兵器の開発に尽くした技術者の名前を多くの日本人は忘れている。

しかし、欧米の識者や造兵専門家の間では、いまも高く評価されているのだという。

ーー

また軍事というのは兵器の開発だけではない。

それを使う兵士の訓練も重要な要素である。

兵として入隊した当時の若者たちの多くは満足に読み書きできなかった。

それで、照星(しょうせい)、引鉄(ひきがね)、撃針(げきしん)など、初めて知る歩兵銃の部品名を丸暗記しながら操作や保管法を学んだ。

団体行動をしたことのない者には、まずヒザを伸ばして歩く訓練から始めなければならなかった。

まさに銃器や火砲は、兵器の形をした近代を学ぶための科学教材であった。

ーー

本書は、国産兵器を手にして戦った兵士たちが、何に困り、何を喜びにしたのか、教育が果たした近代化にはどのような苦労があったのかを浮き彫りにする。

ーー

本書を読んで痛切に思ったことは種子島に漂着した南蛮船からポルトガル銃が伝わったあと、それが日本人の手で模倣され改良されたことだ。

日本人は鍛冶の伝統があり、日本刀の匠がいたので、火縄銃をたちまちのうちに国産化したのだった。

信長は国友村に「鉄砲団地」を造成し、鉄砲を量産した。

その結果関ヶ原の合戦が行われる頃には日本は世界の鉄砲の半数を所有する軍事大国となっていた。

軍事大国であったことがいわゆる鎖国政策を可能にしたのだった。

その歴史を思い起こさせてくれた。

« 縄文時代、日本列島に住む我々の祖先は、およそ武装することがなかった | トップページ | つまり、戦後日本社会を支配してきた在日・反日勢力の存在を知らなければ、現状は何も見えてこない »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本を科学後進国と言う世代
 ご紹介の教授は、戦争末期を学生で過ごし田と有るので、オソラク生まれたのは、大正末期か、昭和初期で、私の両親の世代ですね。

 確かに、この世代が育った背景の社会では、「神国日本は、不滅で、無敵である」と教えられて、皆、その気にさせられて多くの先輩や同級生たちが、無念の死を遂げたのに、結局、負けました。

 是は、私の両親や恩師ばかりでなく、職場の上司の祖の世代だったので、良く知って居ますww

 ダカラ、「戦前日本の失敗」が前提となって居るのですが、それが何なのかが、分からない、分からないけど、負けた事で自分達は、大きな負債を背負わされて居るのだから、きっと、確たる理由があるに違いないと思って居たのでしょう。

 其処へ、GHQが仕組んだ、日本の教育界の赤化に拠って、或いは、マスコミの四六時中繰り返すWGIP放送に拠って、戦前の日本の粗探しを散々吹きこまれた結果が、「日本は、遅れた国だったのだ」と言う結論でしょうね。

 ダカラ、こんな話は、家でも、学校でも聞いて居ました。 然し、戦記物を渉猟して居た時期が有りましたが、書き手に拠って、史実の表現が違って居る処を訝しく思って居た事が有りました。

 例えば、アリュ―シャン攻防戦では、アッツ島は全員玉砕だったのに、次のキスカ島は、敵の上陸前に、全員島から脱出して居て、濃霧の中上陸した米軍は、暫くの間、同志討ちをしていたのです。 

 是を、日本陸軍の作戦の勝利と称える記事もあれば、何故アッツ島の時点で、諸葛亮公明が魏軍に対して行った「空城の計」を取らなかったのか、陸軍は兵士の人命を軽く扱い過ぎて居ると言う批判を述べて居るものと両極端に分かれて居ましたね。

 読んだ当時は、未だ小学生だったので、日本が戦後GHQに取る、思想改造を受けて居る最中だったなんて、考えてもみなかった頃ですので「言って居る事は療法正しいが、何で、こう、まとまりが無いのだろう」と訝しく思って居ました。

 この傾向は、南北で行われた島嶼攻防戦全般にも云えた事で、批判が多かったのは、勿論、10万人の将兵が、殆ど戦わずして死んだガダルカナル島攻防戦で、原因は、兵坦輸送路を隻の潜水艦の跳梁跋扈に拠り、悉く沈められたからでした。

 記述には、「島にある木の樹皮は全て食べ尽くされ、小動物の影も見えない有様」と言う凄惨な飢餓の現実が有った事を、今でも、思い返します。

 ダカラ「敗因は何か?」と言われたら「国力の差」「工業力の差」と言うしかないのだが、では、技術開発力でも、日本は遅れて居たのかと言うと、そうでは無い。

 ご紹介の様に、日本には、伝統的な鍛冶技術があり、その粋と言えるのが、刀鍛冶の作刀で有る。

 金属の加工技術の程度は、その国のギジュの高さの指標となるのが世界基準で有る、ダカラ、ドイツのゾーリンゲンの刃物が有名だが、その材料であるスウェーデン鋼のスウェーデンの生産技術も高く評価されている。

 況や、日本刀を創った日本の生産技術は、世界一だと言って良いだろう。

 然も、日本は、16世紀末に始まる鉄砲の量産化に向けての改良、改造を短期間の裡にやり遂げて、関ヶ原の戦い(1600))の時点では、世界の鉄砲の総数の半分の50万挺をしょゆうしていたのですから、世界の覇権国だったスペインが、武力で葉勝ち目はないとキリスト教に布教に拠る内部崩壊のみに絞り込んだ原因となった。

 此の久寿は、理系なのだろうが、余りに、真実の歴史を知らなさ過ぎるとしか云い様が無い、加えて、マスコミ「=世間」が造る、世論が持つ慣性力に押し流されて、WGIPの意図通りの発言をしている。

 然し、そんな世間知に左右される事が無く、純粋に技術の面で評価している外国の技術者は、今でも、38式歩兵銃の村田や、ニュー南部の南部を解発した技術者の業績を讃えて居るのだろう。

 即ち彼には「自分の考えをもう一度見直して、客観的な批判に晒す」と言う科学的な自己検証が為されていない、と見ゆるが、其れでは、世界に相手にして貰えないだろうことは、推測に難くない。

 少なくとも、自分の意見の中にWGIPと言う史実の歪曲行為の影響はないのかを、突き止めて置くをきで、単に「白兵戦なら意味が有る銃剣の訓練も、機関銃を打ちまくる実戦では、何の意味も無かった」と言う思いだけで、その指導法ばかりでなく、日本が使って居た銃の開発が、明治期であった事だけを理由に、貶めて居たのは全く戴けない。

 確かに日本のものは単発式だが、その分命中精度は高い、援護射撃で弾幕を張るには、機関銃の方が良かろうが、例えば、ジャングル等のsっ屁遺物が多い処の戦闘になると、相手の射撃が頗る正確である事は、直ぐに脅威として認識されるだろう。

 すると、平地での機関銃のアドバンテージが薄まって、多くの弾薬を必要とする機関銃は、重いが故に、兵士の運動性の障害になり、却って、戦闘を不自由にして居ると云えるだろう。

 日本刀に様に、技術の粋で極めたものは、例え、千年経っても、是を凌駕するモノが現れないのが、「技術の世界の鉄則」で、マルクスの様に、「古いものは、須らく遅れて居る」と、盲目的に決め付けるハザール的思考こそ、間違って居るのです。

 人間は、100年しかい来無いし、その人生は、何時も最初からやり直しダカラ、」新しいものも古いものも、新しい人間には同様に新しいものなので、機能的に優れて居るか、劣って居るかの判断は、使う状況に拠って評価の仕方を変えなければ公平とは言えない。

 其れを一括りにし「古いものは、劣って居る」と見て居るのでは、学者として肝心の、持って居る銃の価値評価が全く適正で無い事を示していて、つまりは自分の学者としての無能さを自白して居る事に成ろう。

 これも、戦後体制が生んだ日本の悲劇だと思うと怒りが込み上げて来ますね。

>兵として入隊した当時の若者たちの多くは満足に読み書きできなかった。

これは、明治時代のことだと思いますが、明治時代の日本は既に世界でも優れた文字を読み書きできる民族でした。それでも、漢字や専門用語は難しかったのかと、改めて感じた次第です。

しかし、日露戦争の時は、ロシア軍は文字を読めるのは士官だけで、兵隊は読めなかったと言いますから、明治時代の日本は小学校の普及と親の努力でたいていの子供が字を読めることになったと思います。

そして、戦国時代に伝わった火縄銃ですが、日本の鍛冶職人はこれを短期間にコピーすることができました。
それによって、日本はスペインやポルトガルの植民地にならずに済んだ事を感謝したいと思います。

>ポッポ さん ソロです。
 日本は江戸期には、読み書き・算盤を身に着けて置きのは、社会の子供に対する教育の最低限だった様ですが、軍隊に行って、撃鉄だの撃針とか、それ迄、見た事も触った事も無い銃の部品名称を言われても、ちんぷんかんぷんだったでしょうね。

 でも、この一事を看ても、日本語と言うのは、ひらがな、カタカナと言った、表音文字に表意文字が組み合わさっているので、学習過程からしてアルファベットの表音文字だけの西洋を始めとする、シナを除く文明圏の教育とは、格段の難度が有ると思います。

 然も、表意文字の漢字は、外来語ですが、明治以降、是に英語やドイツ語、フランス語が、入り混じる様になりましたが、一番困って居るのは、オソラク、日本語を習って居る、外国人だと思います。 欧米人なら未だしも、東南アジアやインドなどの文明圏では、サンスクリット系の文字表記ですから、新たな問題が起りそうです。

 でも、言葉一つ障害無く、読み、書き、話せないと、一人前の仕事が出来無い社会って、否が応でも、教育水準が上がります。 私は、是も神様のお仕組みかと密かに思って居るのです。ww

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 縄文時代、日本列島に住む我々の祖先は、およそ武装することがなかった | トップページ | つまり、戦後日本社会を支配してきた在日・反日勢力の存在を知らなければ、現状は何も見えてこない »

最近のコメント

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31