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2019年11月27日 (水)

目の前で虐殺、暴政が展開されているのに、ひたすら祈り、嘆くだけでよいのか、平和主義なら暴力を回避できるのか

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

三浦小太郎『ドストエフスキーの戦争論』(萬書房)

ドストエフスキーの作品のなかに『作家の日記』がある。

邦訳はちくま文庫に全六巻で収録されている。

ーー

ドストエフスキーは自ら民衆蜂起に参加し、捕らえられ死刑判決を受けた。

銃殺直前に恩赦でシベリアでの重労働四年に減科せられた。

つまり彼は、内乱や蜂起、それに革命家の欺瞞を実体験していたのだ。

ーー

それゆえドストエフスキーは、『作家の日記』のなかで、トルストイの理想論的平和論を徹底して批判する。

しかし彼は、短絡的に平和主義者をなじり、戦争を賛美したのではない。

ーー

振り返れば、日本の知識人はトルストイに甚大かつ宏大な影響を受けた。

トルストイの代表作『戦争と平和』はいまも人口に膾炙している。

米川正夫ほか数名が翻訳しており、文学全集にも収録されている。

日本人の感性に受けるからだろう。

ーー

トルストイはインドのガンディにも、そして米国のキング牧師にも巨大な影響を与えている。

日本では、主に共産主義者(リベラル)とキリスト教徒にトルストイの影響がみられる。

徳富蘇峰の実弟、徳富蘆花はトルストイに会いにロシアへ行った。

内村鑑三もトルストイに傾斜し、白樺文学運動も『戦争と平和』の理想論を語ったものだ。

ーー

何しろ登場人物が五百を超える群像小説でもあり、ナポレオン戦争の渦中にあって人間の欲望と信仰を描いた長編である。

かく言う評者(宮崎)も、原作を読み映画(ハリウッド版、ヘップバーン主演)も見た。

ーー

日本の戦争文学は特異な形で存在する。

終戦まで、日本文学における戦争とは美しく散ることであり、滅亡の美学を記述するものだった。

戦後は一転して反戦小説ばかりとなった。

ーー

『麦と兵隊』などを例外として、『レイテ戦記』や『人間の条件』などがある。

しかし日本の戦争とは、『太平記』『吾妻鑑』『平家物語』など、人間の哀切さ、悲惨さをえぐる物語として記されてきたのだ。

『古事記』における戦争の描写は例えば「ヤマトタケ」の物語は読む者の涙を誘う。

(タケは竹のようにまっすぐに正すことから来ている)

ーー

ヤマトタケが西の熊襲を平らげて都に戻ると、父(オシロワケ天皇)から東の蝦夷も平らげろと命じられ、ようやく使命を果たした。

その帰途、足を三重に折る事故にあい、都を目前にして「大和は国のまほらま、たたなずく青垣、山ごもれる大和しうるわし」と歌って息を引き取る。

その地は今も三重と呼ばれている。

ーー

近代になって石原莞爾が『世界最終戦論』を書いた。

戦前の知識人らの所論を読むと、多くの思想基盤に共通性があり、どことなく似ている。

つまり「八紘一宇」の世界である。

ーー

戦後、日本ではドストエフスキーが異常に読まれるようになった。

主に共産主義者らが話題にしたが、ドストエフスキーは民族主義的愛国者であり、決して革命家ではない。

にもかかわらず日本の戦後の共産主義知識人が持て囃した。

これは皇帝を倒す民衆蜂起を呼びかけたのがドストエフスキーだったという彼らに有り勝ちな一方的な解釈からであった。

ーー

さて、本書である。

三浦小太郎氏は、このところ意欲作を次々とものにされ、注目されている書き手だ。

本書は徹頭徹尾、『作家の日記』を読み込んで書かれている。

ドストエフスキーは、トルストイに対して、「目の前で虐殺、暴政が展開されているのに、ひたすら祈り、嘆くだけでよいのか、平和主義なら暴力を回避できるのか」と問いかけている。

まるで日本の平和団体の唱える「平和への祈り」を批判しているようだ。

ーー

三浦氏はこう言う。

「戦後日本における平和主義の欺瞞性がここに語られているような錯覚を覚えてしまう」

「すくなくとも日本における平和主義には、その建前はどうあれ、世界のさまざまな戦争や虐殺、さらには人権弾圧に対し、平和主義の立場からどう対峙するか、それをいかにやめさせるかという深刻な問いに目を閉ざす傾向があった」(p22)

ーー

独裁者の弾圧に呻吟し、暴政に不満を爆発させて立ち上がった香港の若者に対して、日本の共産主義者(リベラル)らは一片の同情も支援も行っていない。

ウィグルやチベットに於ける支那共産党の暴政と虐殺に、日本の平和主義者(リベラル)らは、なにか行動を起こしたのか?

彼らは、米英の核実験には反対しても、共産支那やソ連の核実験には沈黙した。

北朝鮮の核の挑発にも口をつぐんだ。

それが戦後の日本の共産主義者(リベラル)またの名を平和主義者(リベラル)と自称している人たちなのである。

ーー

三浦氏はさらに続ける。

「美しき理想の平和主義社会を実現しようとすれば、トルストイがキリスト教に読み取った厳格な戒律による、すべての民衆への絶対的な精神への管理・支配が行わなければならないだろう」

「トルストイの理想社会では、この美しい言葉に反する精神は生き延びることを許されない」

(中略)

「ドストエフスキーは、あらゆる『理想社会』を求める思想運動は、理性によってすべてが支配されている社会」

「すべての民衆が、一人ずつその精神を『改造』され、理性的、合理的にしか生きられない、人間の自由が社会法則によって完全に抑圧される社会」

「(そんな社会)の確立にいきつくのだとみなし、それをしばしば『蟻塚の思想』と呼んだ」

「ドストエフスキーは共産主義を目指す社会運動を否定し、近代の進歩主義や合理主義の危険性を誰よりも深く批判した」(pp27−28)

ーー

当時の時代背景としてロシア皇帝の権威が崩れかけ、露土戦争ではスラブの同胞を救えとしてトルコと戦争を始めたが、劣勢が続いていた。

帝国の軍隊が弛緩していたのだ。

ドストエフスキーにとっての戦争目的はコンスタンティノープルの回復にあった。

そこに「黒いイエズス会」の陰謀があった、とドストエフスキーは秘密結社の幻覚を見た。

ーー

ユダヤの陰謀論に似た「黒いイエズス会陰謀論」は、やがて「戦闘的カソリシズム」に置き換えられる。

ドストエフスキーは予言する。

「独仏戦争が引き金を引き、中東をも巻き込む大戦争がおこる」

「カトリックと反カトリックの戦争は不可避であり、戦いが始まるやいなや、たちまちのうちに全ヨーロッパを巻き込む大戦争になるだろう」(p172)

ーー

その通りになった。 

しかも不幸なことに、ロシアには逆の運命が待っていた。

「皇帝幻想を捨て、ボルシェヴィキは共産主義独裁権力のもとに地上にユートピアを創ろうとした」

だがロシア皇帝に代わって現れた共産主義者のスターリンは、民衆に呻吟と困窮をもたらし、「ドストエフスキーの予言は悲劇的な形で外れ、その夢を悪夢に代えた」(p173)

ーー

晩年のドストエフスキーはドン・キホーテとジョルジュ・サンドに熱中し、それを評価した。

近代人の認識における自由とは「財産を有しているか否かによってのみ保証される『金銭の奴隷状態』にすぎない」。

財産を有していなければ、道義も平等も失われる。

ここで三浦氏は西郷隆盛の道義国家建設としての西南戦争の悲劇を、ドストエフスキーとの近似を、ドン・キホーテを通して見つめなおす。

ーー

またドストエフスキーは、ジョルジュ・サンドが田舎娘の悲喜劇を描いた『ジャンヌ』を惜しむことなく高く評価した。

ジョルジュ・サンドと言えば恋多き奔放な女流作家として知られ、男爵夫人というより「ショパンの愛人」、「男装の麗人」のほうが有名だ。

その女史が、晩年に書いたのがジャンヌ・ダルクの名前からとった『ジャンヌ』だった。

ーー

ジャンヌ・ダルクはフランス人の心の原点ともいえる普遍的な存在であり、女史は、自分の作品の主人公の「羊飼いの田舎娘」にその名前を付けたのだった。

そして彼女の無垢、妖精信仰、まわりの男たちの俗物根性と近代化意識との激しい乖離を描いた。

背景にあるのはカトリックが邪教として否定した古代ケルト以来の自然信仰と輪廻転生なのである。

(欧州は古代ケルト文明のうえに成り立っている)

ーー

ジョルジュ・サンドは、娘ジャンヌに古代ケルト文明の伝統を引く自然信仰と輪廻転生を与えた。

ドストエフスキーは、この文化的宗教的表現に大いに共鳴した。

ドストエフスキーはロシアの民衆の信仰が、「ジャンヌ」の信仰と同じものであるとして、やがて近代化を信じる新世代との思想の戦いになるだろうと考えた。

そして彼は、近代化幻想の行きつく先は全体主義国への転落にあると見抜いたのだった。(pp216−220)

ーー

最期にドストエフスキーはプーシキンについて感動的な講演をしている。

死の二年前、いってみれば彼の文学論人生論の集大成である。

ーー

ロシアへ行くと大きな都市にはプーシキン記念館がある。

いやロシアばかりか、評者が旅したウクライナのオデッサにも、モルドバのキシニューにもあった。

ロシア語圏を超えて世界に親しまれたプーシキンが、ロシアの魂を代表するからだろう。

ーー

プーシキンはロシア知識人を代弁し、反政府政治運動に携わり、皇帝から疎まれて、モルドバとオデッサに島流しとなった。

キシニューのプーシキン記念館はこじんまりとした庭もあって、書斎も再現されていた。

評者が訪ねたのは三年ほど前のことだから、依然として職員から庭番もいる記念館を管理している事実は、その背景にある人気の高さを想像させずにはおかない。

モスクワのプーシキン美術館はエミルタージュとならぶ巨大な美術博物館だ。

ーー

そしてプーシキンは決闘に敗れて死ぬ。

波乱にとんだ逸話に満ちた人でもあり、ロシア近代文学の父とも言われる。

ーー

ドストエフスキーは、そんなプーシキンを「肉親のような愛情をこめてその民衆と結合したロシアの作家」と称賛したのだった。

欧州もそうだが、ロシアにもまたケルト以来の伝統が存在することをうかがわせる本である。

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コメント

縦椅子様

 目覚めて見ると、驚きました。ジョルジュ・サンドをブログにとりあげてくださっているでは、ありませんか。ありがたいことです。
 自分にとって、幼い頃読んだ、愛の妖精のファデットが心の原点になっていて、ファデットのような妖精のような生き方、自由さ、気持ちの持ちように惹かれております。彼女は入れられた修道院から何度も、脱走を試みたことがあります。彼女にとって、カトリシズムは束縛以外の何物でもないということなのでしょう。私が、今回なぜローマ教皇の訪日にこだわり、ここまで声をあげているのに、不思議な思いをしておりますが、「ジョルジュ・サンドのこだわりがいつの間にか私のこだわりとなってしまっているのではないだろうか」と納得している自分がおります。
 嬉しいことに、サンドの≪背景にあるのは、カトリックが邪教として否定した古代ケルト以来の自然信仰と輪廻転生なのである≫は本当に心にストンときました。今日はこころウキウキです!本当にありがとうございます。

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>ドステフスキーの近代文明論
 私は実は、ロシア自体に、余り興味が無かったので、作家の名前位は知っているけれども、全く読んで居無いと言うのが正直な処です、プーシキン等、本当に名前だけしか知りません。ww。

 ですから、ドストエフスキーが帝政ロシアの暴政に抗議する民衆蜂起に参加して、逮捕され、銃殺寸前まで行った、何て、初めて知った話だし、彼が、トルストイの作品の「戦争と平和」を通して、示した平和観、延いては、国家観に関して激しく批判して居た等、この三浦さんの本のご紹介で、初めて知りました、恥かしい限りです。

 読んで行くと、確かに、ドストエフスキーの平和論には、日本憲法の9条批判そのままの様に感じられますw 是は、何もドストエフスキーが、独特だったわけでは無く、人間として、当たり前の常識を持った人だったからと考えるのが当然です。

 戦前の共産主義者は、是をどう読んだら、彼が、共産主義革命に賛同して居た事に成るのか、理解できませんねww 

 彼らは「共産主義は、科学的検証に裏打ちされた現実性を持った理想の政治思想である」事を盲信して居たからだろうし、それ以前に「欧米文明は、先進文明で、道徳的のも、日本を凌駕して居るに違いない」と言う思い込が有ったのでは、なかろうか。

 其れは、トルストイの様に、机上で理想を希求して行けば、自ずと、「戦わない事、武器を捨て去って、戦いそのものを放棄する」事に成るだろうが、そんな、事態が出来する程人間は、環境に恵まれても居無いし、他の安全・安寧を慮れる程、道徳的でもあろう筈が無い。

 ダカラ、ドストエフスキーは、トルストイを批判したのだと思うが、そのトルストイを多くん宗教関係者が、支持しているのも、亦、宜なる哉でしょうが、神は基本的に、人間同士の生存競争には、関わらないと言う事を認識すべきでしょう。

 然し、其れでは、「神の救い」を、信仰と引き換えに約束する宗教は成り立ちませんからね。

 私はダカラ、ドストエフスキーが、不信心な人だったとは、思えません、寧ろ、三浦さんが仰有る様に、道義的国家を目指した日本の西郷隆盛に比して居る様に、人類が平和に、仲良く暮らすには、現実的には、各々の民族が人間としての道義を弁えるべきで有ると、考えて居た人の様に思います。

 その理想を実現する為に、彼の人生も、理想を述べるだけでは無く、行動を伴った現実的に世を改革しようとして居たと私も思います、唯、彼は革命家でも無ければ、政治家でも無く、作家だったと言う事でしょう。

 そして、その西郷も、負けると判って居る西南戦争を起こして、明治新政府に、伝統の日本文明の道義的正しさを刻み、以て警世のメッセージとした様に、ドストエフスキーは、ジョルジュ・サンド女史の、ジャンヌ・ダルクを描いた「ジャンヌ」を激賞している事を三浦さんは、紹介して居ます。

 こうした一連の事から、ドストエフスキーの「平和とは、坐して理想をこねくり回して居れば、自然に訪れるものでは無く、自らが例え、市井の無力な民衆であろうと、立ち上がり「世の道義を護る為に、行動しなくてはイケない」というメッセージが感じ取られますね。

 確かに、戦争は悲惨で残酷で、普通の生活を送って居る善良な人に、自分が生存する為に、ですが、進んで敵と言う名の、見ず知らずの他人を死傷させなければなりませんが、是に、原則、自然の神は、肉食獣が草食獣を殺して生活するのを妨げない様に、関わりを持たないのです。 

 所謂、「弱肉強食」の世界ですが、その代わりに「強者の弱者依存」と言う、生きる上で、最も根源的な食糧を、何に依存して居るかで、その栄枯盛衰の制御が可能ダカラです。

 それは人間にもいえて、草食獣に当たる、農耕民のケルト族が、欧州文明、白人文明の基になって居るが、ケルト人は、食糧の生産民であり、同時に欧州文明の担い手でもあり、自然の神に、最も親しい存在なのですカラ、こうした自然の法則についての理解は、他のゲルマン族やスラブ族の人々より深いと思われます。

 思うに、人間は生きて居る間に、何が一番大切なのか。とこの頃考えるに「其れは、取返しが着かないと言う意味で、時間である」と、思う様になりました。 

 いい歳(65歳)になってようやく分かった感じがしますが、その時間は、人其々に拠って、時間の単位が、異なっており。いわば、「命の遣い方」の判断をする際、「何と引き換えにするか?」と言う、自分の命の価値観が、根底にあるのだと思います。 

 そう言う意味で、若い頃に、銃殺直前まで行った、ドストエフスキーも、決闘に敗れて落命したプーシキンも、西南戦争で覚悟の戦死をした、西郷隆盛も、自分の生を、己の意思で全うしたと言えるのではないかと、思います。 其れに足る時間を過ごした人達であると、思いました。

 

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