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2019年11月 5日 (火)

要するに結論は「あの国とはかかわるな」である

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

石平『朝鮮通信使の真実』「江戸から現代まで続く侮日・反日の原点」(ワック)

いまや「石歴史学」を構築しつつある石平氏の最近作「朝鮮通信使についての日本人の思考範囲になかった視点からの解釈」は、読むと目から鱗が取れる。

副題は本書の内容の一部に過ぎない。

ーー

戦後の日本社会を支配してきた在日・反日勢力は日本人に「護憲・東京裁判史観・侮日」を強制してきた。

在日・反日勢力によって書かれた歴史教科書が教える朝鮮通信使とは、豊臣秀吉がなした「侵略」に対して江戸幕府の懺悔、謝罪のために朝鮮通信使を厚遇したことになっている。

在日・反日勢力の主張は、秀吉の朝鮮半島進出が「侵略」であったわけだから、日本が謝罪し、賠償金を払うのは当然だというものになる。

つまりこれは日本人の倒錯した史観というより、戦後日本社会の支配者である在日・反日勢力によって「創作」された出鱈目である。

ーー

評者(宮﨑)は、記録に残っている秀吉の宣教師らとのやり取りから、明(朝鮮)征伐は切支丹伴天連の日本侵略を予防する自衛の戦争だったと考えている。

米国の戦略用語でいう「プリエンプティブ・ストライク」(予防的先制攻撃)だった。

もちろん秀吉の戦った相手は明の属国朝鮮などではなく、明国であった。

ーー

イエズス会は今日の定義で云えば「イスラム国IS軍」であり、宣教師は仮の姿であって、侵略の可能性を探るために派遣されてきた先鋭偵察隊という側面がある。

(評者の『明智光秀 五百年の孤独』<徳間書店>を参照)

そのキリスト軍団が明国を植民地化し日本侵略の拠点にしようと考えていることが分かれば、その前に先制攻撃をかけることは軍事学、地政学の常識だろう。

この秀吉の2度にわたる唐(から)入り(明征伐)が10万以上の兵をもって行われたことに、宣教師を送り込んで日本侵略をうかがっていたスペインは恐れを成し、秀吉の伴天連追放令(1587年)にも従っている。

ーー

さて朝鮮通信使の謎を解く鍵は、第一に徳川幕府の政治的意図、第二は朝鮮側の自主的な意思、そして背後にちらつく明国の思惑と、その評価ということになろうか。

第一回の朝鮮通信使派遣は、1607年、つまり家康が天下を取って征夷大将軍となった1603年から、僅か四年後だった。

しかも使節は日本に謝罪を求めるのではなく、朝貢が目的だった。

江戸幕府に臣下の礼をとりにきたのだ。

ーー

記録を何度読み返しても、朝鮮が大型使節団の派遣に踏み切り、「三跪九叩頭の礼」という臣下の礼をとっての朝貢だったことは明らかである。

これを戦後、歴史教育は教えず、在日・反日勢力の一味である学者らは「朝貢であったこと」を意図的に無視した。

かれらは自分たちに都合の悪いところは常に無視するのだ。

ーー

要するに朝鮮は江戸幕府のご機嫌をとる必要性があったのだ。

合計十二回もやってきたが、なかには屈辱的(使節側からみれば)に日光東照宮への参拝を要請され、従った。

もっとも注目するべきは朝鮮側が通信使を十二回派遣したが、「日本側は朝鮮に使節団を派遣したことは一度もない」という動かない事実である。

日本にやってきたのは当時の朝鮮の知識人達だった。

彼らは、日本を見て自分たちの文化的後進性を思い知らされた、その屈辱の鬱憤を晴らすために、日本の印象を悪くする報告を書き上げた。

ーー

彼らが京都・大阪・名古屋・江戸で目撃したのは、貨幣経済が発達しており、2階建ての瓦葺の家に住む町人たちの豊かな生活ぶりであった。

日本の諸都市でみる人々はきちんとした身なりをしており、礼儀正しく、清潔な街並みがどこまでも広がっているのだった。

それは朝鮮の京城よりも清国の北京よりも遥かに洗練された文化都市であった。

彼らは、自分らの社会の後進性に衝撃を受け、彼らの屈辱的劣等意識は沈殿していく。

劣った文化を持つ自分たちには、日本ではどこにも居場所がなかった。

ーー

そのうえ、朝貢にくる使節団を江戸幕府は冷遇せず、高飛車にも出ず、日本は「おもてなし」に徹した。

「当時の江戸幕府と幕府の命令を受けて通信使の接待にあたって沿道の諸大名は、むしろ財力と誠意の限りを尽くしてかれらを最高級の賓客としてもてなした」

お人好し日本人の面目躍如だろう。

ーー

にもかかわらず、通信使らは、劣等意識を逆転して自分たちのほうを高みに置くために、日本の知識人の詩歌が稚拙であり、教養が足りないとか、字が汚いとか、林羅山は教養が劣るとか、報告する。

彼らは、圧倒的な文化力の差を体験し、大きな屈辱を感じ、自ら採点して自分らを高みに置かなければその屈辱を晴らせないという強迫観念に取り憑かれたのだ。 

目から鱗が次々と落ちた。

要するに結論は「あの国とはかかわるな」である。           

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>朝鮮通信使史から看る日本の歪み
 この話を日本史の教官は、最初に「世間で言って居るものは、戦後に造り変えた出鱈目ですから、本気にしない様に」と断ってから、授業を始めてくれたので、今でも、似非情報は、私の脳内には存在して居ませんww 赤松先生有難う。

 朝鮮人が多大なコンプレックスを日本文明に感じて居たのは、寧ろ、当然の話で、ダカラこそ、遥々、海を渡って、陸を歩いて、朝貢に来たのでしょうし、江戸城にも大手門から出は無く、裏門からしか入る事を許され無かった、のですから、節度使が「分を弁えてさえ」居れば、この制度が後の反日に繋がる事は無かったでしょうね。

 そう言った意味で云えば、歴史を歪めて、結果、日韓関係を歪めてしまったのは、「反日・侮日勢力」の「歴史学会」の連中に仕業と言う事でしょう。 

 当に、曲学阿世の徒の典型で、国賊学者ですが、相手が韓国なら、寧ろ、善くやったと迄は言いたくないですが、唯の「品性下劣な、唾棄すべき学問屋」だと言う事でしょう。 

 既に日本では、韓国は「マトモな国」では無く「約束も守らなければ、善意に対しても感謝処か仇で返すし、息を吐く様に嘘を吐く」人々としての認識が、どんどん広がって居る状況です。

 それが日本や米国のみならず、世界中に拡散している現象が最近顕著になって来ましたから、このママ、韓国が経済破綻して難民が発生しても、世界で何処の国も入国を拒否しそうな雰囲気になって居ますね、彼ら韓国マスコミの「熱狂的な反日」は、大した宣伝力です(嗤)

 そう言う訳で、韓国の似非歴史や祖結果であるこの先の韓国消滅への途は、必然として起こる事なので、特に関心は持って居ません。

 日本の経済・政治・外交・軍事のどれをとっても、何の影響もないのですから、現状の半島材料🈮法人の引揚と難民の流入拒絶退勢を確りやる事以外に、関心はありません。

 然し同時に、大国シナが経済破綻、政治崩壊を起こせば、規模が桁違いなだけに、その影響は無視出来る筈もなく、注視して居ますが、此方も、シナ信仰者の科学者や経済学者、政治学者の表層事象だけで「シナの明るい未来」或いは、「シナの大きな脅威」を語って、TV出演して、飯を食って居る有り様。

 是を見れば、日本にマスコミには、最早、国民の耳目足る自覚も、機能も存在して居無い事は、顕かなのに、毎日のニュースを通じて、「是でもか!」と許りに繰り返して、報道の信用性を破壊して居ますね。 

 日本にとっては、此方の方が数倍問題だと思いますがね。

 ともあれ、シナ・韓国・朝鮮の所謂「特定アジア三国」の命数は、風前の灯火になって居ますが、現政権が、安倍政権で本当に良かったと思う理由の大きな一つでも有りますね。

 処が、その安倍政権を「売国奴」視している、自称保守勢力が存在しますが、彼らに共通しているのは、「現状の世界で、鎖国的な事が可能だ」と思い込んで居る事でしょうね。 頭の切り替えが出来ず「ジャパン・ファースト」を戦前並みの国

 際状況で考えて居る様に見える事ですが、是では、彼らは韓国人を嗤えませんね。

 とはいえ、国民が現実から感じ取った感想・感覚の表出も、為政者は、目が届かない現実に関する警鐘と受け取って、早い段階での対策を講じる為に、資するべきでしょう。 

 然し、度が過ぎて、政権打倒に迄、その主張を広げて行くのなら、単なる保守分断行為であり、実は、捕手を装った敵側の手先だと言う事に成りますね。

 まあ、そんな人達の中に、確信的な人は、ほんの僅か(私が知って居る範囲では3~4人)だと思いますが、何かと言えば「安倍信者」で、保守側発言者を決め付けるのは、重症の情弱か、真正の手先でしょうね。

 こう言う連中も、現実が進捗して行く裡に、ネットから消え去るでしょうが、同じ情報を得ても、理解や反応は、人其々なんだなあと改めて思いますし、こうした、多様性こそが、自然なのかもしれないと思いますね。

 神の御仕組みの意図の深さに、畏敬の念を持つ瞬間でもあります。

縦椅子様、ブログの更新をありがとうございます。

朝鮮通信使については「朝貢使」とは言わないので、長い間、疑問がありました。
しかし、日本側が大切に扱うのならば、日本より上位とすることになりますが、これは、江戸城での入城が裏門と言うことでしたから、謂わば「賓客」ではないと言うことでしたけれど、マスコミではやたらと持ち上げた表現を行ってきました。

これは、一昨日に「パチ倒応援ブログ」を見ますと、朝鮮通信使は「回答使」だとしていました。何のための回答使だと言いますと、「日朝交渉」のものだったそうです。

下記引用
韓国側がは朝鮮通信使が技術を教えてやっていたとかほざいていますが、
日本にやってきて江戸へ向かう途中の都市を見ては
「なぜこんな優れた豊かな国が我々の物でないのか!」
と妬み、そのことを日記に書き綴ってきた。というのが朝鮮通信使の実態です。

当然ながらめんどくせー卑しい奴ら扱いだったので江戸城へ入る時は裏口からでした。

対馬府中藩の宗氏は日朝交渉の仲介者としての立場を作るためにも
李氏朝鮮へ恩を売るために対馬の罪人の喉を潰してしゃべれないようにして朝鮮出兵の戦犯であると李氏朝鮮に送ったり、あげくに幕府からの国書を偽造して朝鮮に送ったりしました。

李氏朝鮮にとっては日本は野蛮な劣った国であるため日本側が先に朝鮮に対して恭順の意を示すためにも国書を送ってこいと要求しました。

仲介者のフリをしていた宗氏はこのために幕府からの国書を捏造したのです。

で、日本からへりくだって国書をよこしてきたので回答を与えてやるとして李氏朝鮮側が「回答使」を寄越してきたのです。

そのことを誤魔化すために「通信使」と宗氏が偽ったのが「朝鮮通信使」という呼び名の由来になります。

李氏朝鮮が超上から目線で書いたであろう回答書の内容は幕府が知れば対馬府中藩お取り潰し確実なものだったのでしょう。
この「回答使」とやらのもってきていた書も対馬藩は改竄、偽造しました。

一方で幕府としては価値のない朝鮮半島の土地なんて全く興味がなく、
とりあえず事を荒立てたくないから交易だけしとくかという立場だったのでした。

朝鮮からの大切な使いであったら江戸城の裏口から入れたりなんてしません。 徳川政権はなんとなく対馬藩が嘘をついていることに気づいていながら適当に話を合わせてあしらったわけです。

その後も対馬府中藩は二次、三次の朝鮮の回答使の回答書も徳川幕府からの国書も改竄と偽造を続けました。

こういう経緯から始まった朝鮮通信使だけに幕府としてもめんどくせーのが来たという扱いであったことは容易に想像が付くと思います。

鶏を盗んで町人とケンカをする朝鮮通信使という有名な画像がありますが、 李氏朝鮮としては華夷秩序においても上の国である朝鮮が野蛮な劣った国日本に使いを送ってやっているという立場なわけです。

江戸へ行くまでのあいだに日本の諸都市を見てはそのことごとくが朝鮮より進んだ文明を持ち、栄えているのを見て自分たちの理想である「先を行っている国朝鮮」という妄想を日本の現実を目の当たりにして打ち砕かれるわけです。
そしてそのことを日記に恨み言のように書き綴っていたわけです。

今の韓国人とこうしたあたりがあまり変わらないのです。

朝鮮通信使の態度がひたすらに横柄で欲しいものがあれば略奪するという事をさらっとやるし マナーも守らないしで最悪で、案内役を任された武士がその無礼ぶりに切れて朝鮮通信使に一喝をかまし、幕府に対してその責任を取るために切腹したなんて事件もありました。

接待するから無駄な金はかかるわ、
態度が悪くて行く先々で問題を起こすわと、案内役に付けた武士が責任感じて切腹してしまうわとそうした事を考えれば徳川幕府が
「朝鮮通信使?うぜーから対馬からこっち送ってくんなよ」
として対馬留め置きを命令するのは避けられなかった話だと思います。

朝鮮人の出鱈目な、回答使の行動が、200年以上も後になってからも、思い出して嗤われる、とんでもない民族性であり、その進歩の無さに呆れる他ありません。

韓国の中で、勝手に嗤われているのなら、別に気にすることもありませんけれども、日本人を失敗のミスに、書き換えないで欲しいです。

尤も、対馬宋氏も出鱈目な仕事をしていたと思いますけれど・・・・・・そう言えば、李氏朝鮮ちと対馬宗家のやりとりだったとは、嗤うしかないようです。
しっかりして欲しいと思っても、150年以上も前の話では、仕方ないのですけれど、民主党政権の時に、日本は韓国に朝鮮儀軌の副本をプレゼントしましたけれど、朝鮮からは何も寄越しませんでした。

あのときは、対馬宗家文書は何時でも借りられるとの話でしたけれど、対馬宗家と韓国が相手では、何が書いてあるのかと思います。

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