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2019年10月24日 (木)

岩波書店は支那共産党の意向に従う形で、「紫禁城の黄昏」を改竄翻訳し日本人を騙していた

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

渡部昇一『 歴史への遺言 未来を拓く日本人へ』(ビジネス社)

「歴史は虹のようだ」と渡辺氏は言う。

虹は、空中に残った水滴が太陽光を7色に分光することで出来る。

歴史は、残された記録を分析して物語(虹)を作り上げるようなものだ、ということなのだろう。

ーー

例えば渡辺氏は、リットン報告の本当の読み方、ジョンストンの『紫禁城の黄昏』岩波文庫版の改竄的翻訳、満州国は傀儡国家ではなかったという目から鱗が落ちる説を出している。

特に、『紫禁城の黄昏』を翻訳者が意図的誤訳と改竄をしているとの指摘には凄まじい迫力があった。

岩波文庫翻訳者は連合国にとって不都合な事実が記録されていた章を翻訳しないでいた。

つまり東京裁判で、原典が証拠に採用されると原告(連合国)には不利になっていたのだ。

その不利になる証拠の個所を意図的に翻訳しなかった。

ーー

たとえば、皇帝溥儀が英国人家庭教師とともに日本大使館に保護を求めて逃げ込んだときの記録がある。

そのとき、日本側は迷惑顔をしたとジョンストンは証言しているのだ。

つまり満州国は日本の傀儡などではなかったのだ。

岩波書店は支那共産党の意向に従う形で、「紫禁城の黄昏」を改竄し日本人を騙すことに協力していたことになる。

ーー

それにしても渡辺氏に対する不可解さは消えない。

「日本人を騙す行為」に加担している岩波書店が、なぜ言論・メディアによって良心的などと評価されて堂々と営業出来ていたのかを氏は説明しないのだ。

なぜ渡辺氏は、ネットで明らかとなった戦後の日本社会を支配してきた在日・反日勢力に触れなかったのだろうか。

占領軍が占領政策を進める際に協力することで敗戦利得者となった人々の存在が渡辺氏の視点からすっぽりと抜け落ちているのである。

ーー

それに渡辺氏は、何故、いわば在日・反日勢力側の岩波書店を批判することが可能だったのだろうか。

何故戦後日本社会の支配者「在日・反日勢力」を批判することができたのだろうか。

青山学院教授という存在には、在日・反日勢力も手を出せなかったのだろうか。

ーー

だから、例えば、在日・反日勢力がでっちあげた南京大虐殺について、渡部昇一氏は、「南京大虐殺はなかった」という歴史の真実を繰り返し繰り返し述べることができたのではないのか。

ーー

渡辺氏の評伝を書いた松崎之貞氏によれば、氏の得意技は、セレンディピティ(偶然の幸運、ひらめき)に富んで意想外の発見を重視し論を組み立てることだという。

氏は、『古事記』に関してもひらめきに拠る、相当量の著作を残している。

氏が指摘した『古事記』の魅力の四点とは、
一、神話の時代と歴史の時代が地続き
一、漢字の音を用い、大和詞で古代の心や事蹟を書き残した
一、その発明がカナ文字の起源になった
一、皇統の継承は男系男子の原則を古事記は明確に使えている。

つまり渡辺氏は古代日本には文字がなくて突然漢字を使いだしたと、これまでの定説に従っており、ひらめきを全く感じさせないのだ。

ーー

膨大な内容を持つ記紀が、例えば古事記が稗田阿礼の記憶を太安万侶が漢字で表記したものという従来の説から一歩も出られていない。

しかし「(古事記に)稗田阿礼に誦習(ようしゅう 、書物などを口に出して繰り返し読むこと)させた」とある。

このとから、ネット上では、記紀にはもとになる古代文字で書かれた文献があり、稗田阿礼はそれを声に出して読み、それを太安万侶が漢字で表記したのではないかと言われるようになっている。

例えばその文献とは「ホツマツタエ」であろうと。

ーー

ホツマツタエを読めば、記紀での意味不明な文章の意味が理解できるようになる。

もともと文字というものがなければ、日本語の発音に漢字の音を使うという発想は出てこないだろうというのである。

こう考える方が合理的に見えるが、渡辺氏は「ホツマツタエ」を知らなかったのか、「ひらめかなかったのか」そこまで踏み込めてはいない。

ーー

さて渡辺氏は、英文学の研鑽の結果到達したのであろうが、日本人と西洋人の自然に対する感覚の相違を感じたようだ。

自然に対する感覚について、日本人は親和的だが、西洋人は敵対的だとする。

「(日本人は)神さまが生んだ自然のなかに生きているのだと、どこかでかすかに感じることは基本的に西欧人などと異なるところです」

「山ひとつとってみても、ヨーロッパの人たちが『それを征服する』と考えるのに対し、日本人は山を目にすると、それを尊敬します」

「自然に八百万の神々を感じることのない西洋人は、木に対しても『神が宿っている』などとは考えませんから、邪魔な木はどんどん伐採してしまいます」

「そうして過酷な自然を克服しようとします」

「また、石や草や鳥獣虫魚を切り刻んでも祟りなど怖れることがない」

ーー

確かに日本人は花を愛で月を眺め、風の音に耳を傾け、その心情に風流、雅(みや)びを育んできた。

和歌が詠まれた。

俳句も川端康成の『山の音』も、西欧人が理解できない理由は自然観の相違にある。

ーー

昔、渡辺氏は竹村健一氏らと豪(オーストラリア)のエアーズロックを見に行って、不思議に思ったのはてっぺんに何もないことだったという。

そういえば、日本は山の頂上に神社がある。

つまり日本では山というのはご神体であることが多いのだ。

ーー

愛宕山の頂上には明智光秀が連歌会を開いた神社がある。

月山に三十年ほど前に登攀したことがあるが、山の頂きには鳥居が建てられ、神社があり、そこで御神酒(おみき)をいただいたことを思い出した。

氏の日本史論はこのように誠にのびやかに書かれている。

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コメント


 >縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>渡部昇一氏の謎
 私はこの人物をあまり高く評価して居ません。 と言っても、彼の著作をどれ程知って居るのかと言われれば、そんなに大口を叩ける様な事は有りませんが、マスコミが日本人を裏切って居る事を前提に置くと、彼の批判は、時折、鋭いので、つい期待して終いますが、その後続かないと言う、パターンの繰り返しだった様に思います。 

 まあ総合的に考えれば、敵視されに様、かと言って、保守論壇から日和見主義の様に思われぬ程度に、戦後利得者と保守論壇を、適当にあしらい乍、上手く立ち回った人だと思います。

 ダカラ、その優秀さには敬服していますが、決して尊敬はして居ませんね。ww

 では、彼の本音は、何処に有ったのだろう、と考えた時、ご紹介の岩波文庫の改竄や意図的語訳に対する憤りの辺りに有るのでは無かろうか?

 即ち、GHQのWGIP統制に対して、マトモな神経を持った日本人として、抵抗を感じながらも、生業が、英文学の教授では、GHQから目を付けられたら、真っ先に、職を追われるだろう事は、自覚して居たのでしょう。

 ダカラ、壮年期迄は、特に目立つ様な、著述・発言は避けて、老年期になってから、批判でも、踏み込みが深くなったのではなかろうか? と、私の読書量では、この辺りが、限界ですね。

 然し、こうして、戦後日本のGHQの言論統制の弊害と言うべき、文系知識人が示す「歪み」は、米国の国際法違反の「文化に対する迫害」として、歴史の遺されて、その蒙昧さを永遠に批判される事でしょうが、現代の米億でも、その重大さを、自覚出来て居る人は、僅かだと思いますね。

 氏が、青山学院大で英文学ン教授を生業にして居た事で、自ずと、文明比較の視点を磨かれたのでしょうが、確かに、西洋人の対自然観は敵対的で「山を登破する」とか、は決して日本人の感覚では出てこない、フレーズでしょう。

 日本の場合、欧州の様な高緯度にして大陸性気候の少雨・乾燥・酷寒と言った、生物の生存条件が極限的に厳しくは無い。

 然し、その代わり、毎年来る台風に拠る、大雨、大風は、、川を氾濫させて、農作物をダメにして終うし、防災手段が発達し始めた中世迄、風水害は、当に自然の脅威であり、人間の無力さを繰り返し証明する様なモノでした。

 唯、欧州の場合、周りを取り囲んで居る氷河は、人間にはなんの特典も与えない、飲料水さえも、である。 氷点下の氷は、人間を凍えさせるダケである。

 然し、日本の場合、多量の降水は、収まって終えば、山の緑を活性化し、植生を育て、鳥獣たちも繁殖する。 つまり、山の恵みを齎してくれるのです。

 ダカラ、日本人は、自然を懼れると共に、自然が与えてくれる恵みを享受して居たのであるが、加えて、水耕稲作を始めると、水に恵まれて居る事の有り難さが、時折訪れる旱魃の際の悲惨さから、余計に自然の有り難さを経験知として蓄えたのだろう。

 こうした生活を通した、自然との付き合いから、自ずと自然は近しきものの様になり、次第に、一木一草、木石に至る迄が、神が宿り。仇や疎かにしてはイケないと言う認識になった。 是は、氷に閉ざされた欧州世界とは、全く別次元の世界で会え🈮ことは、言うまでも無い。 

 然し、現在の欧州世界の主たる住人である白人種は、固より、欧州平原の住人では無く、もっと東側の中緯度にある、黒海沿岸の氷河が殆ど無い場所に暮らして居た人種である。 

 9千2百年前のYD期「=ヤンガー・ドリアス期」明けには、地中海に流入した欧州の融氷水が、ダーダネルス地峡を超えて流入して、内陸湖だった黒海が内海になる事件が有った頃に、今の黒海の水深の浅い部分に棲んで居た人々や、流れ込む川の沿岸に暮らして居たのが青人種の亜種である白人種であった。

 ダカラ、氷に閉ざされていたから、自然を敵視して居たと言うのは謬説であり、その実態は、食物を巡る人類同士の民族間抗争の可能性の方が高い。

 然し、欧州平原が氷河が表土を削り取って、岩肌だらけの痩せた土地にして終った事に変わりはない、つまり、彼らは自然の恩恵とは無縁で、或るのは脅威だけだったので有ろう。

 そう考えれば、日本人の様に、自然の変化で、四季の移ろいを感じ、花を愛で、野鳥の鳴き声に季節を感じ、風渡る音に耳を欹てて眠りにつき、名月の見事さを讃えて、酒を酌み交わす等、自然を友とする様な機会には、西洋人は恵まれて居無い。

 ダカラ、その感動を余人に伝えようと言う気持ちも起らないから、文学も生まれないし、文字が有ったとしても、大衆化し無かったのだろう。

 最後に、豪州にある原住民アボリジニーの祭祀場でもあった、エアーズ・ロックの頂上に、神が祀って居無い事を、氏は、訝しがっているが、場所は、サンデー沙漠のど真ん中で有って、此方も、過酷な自然の場所であり、人間が「自然の恩恵を神に謝す」様な場所では無い事を、氏は忘れて居るww

 この辺りが、氏の面白い処で、当に、氏は日本の自然を愛し、そして、共感しうる日本人の中で、人生を満喫して愉しんだ、一流の教養人且つ風流人だったと言えるでしょう。ww

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