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2019年9月17日 (火)

スメラミコトの原型が縄文時代中期というのは論理的に納得できる説だ

ーー以下「宮崎正弘ブログ植田剛彦の書評」より抜粋編集

宮崎正弘『神武天皇「以前」―縄文中期に天皇制の原型が誕生した』(育鵬社)

今、支那・南北朝鮮の文献をもとに、日本史を書くという歴史家は在日・反日勢力以外いないだろう。

現状、近代史に於ける彼らの日本人の記述は、南京大虐殺、従軍慰安婦、性奴隷、731部隊など、日本人をこれでもかという程に貶めるものだ。

そしてこれをそのまま報じているのは朝日新聞・毎日新聞・中日(東京)新聞であり、これらは今やネット上では「あほバカ間抜け」新聞と評されているのである。

ーー

ところが何故か、日本では已然として魏志倭人伝での記載「邪馬台国」についての論争が盛んだ。

邪馬台国については伝聞の内容であり、そもそも信用するに値しない。

古事記以前の文字による記録がないというのなら、どうして突然漢字の音や意味を使って大部の物語である古事記が書けたのか考えてみるべきだろう。

それは、各豪族が自分たちの文字を持ち記録していたからではないのか。

ーー

独自の文字オシデで記されたホツマツタエは、江戸時代から民間人によって研究されてきているのに、なぜ学会でいまだに歴史書としての評価がなされず捨て置かれたままなのか。

民間の研究者によって記紀の参考文献であるとの報告がなされているのになぜ学問的な研究がなされないのか。

このまま民間の研究者に研究をゆだねておくようなことをしたら学会は権威を失うのではないか。

ーー

という疑問はさておき本書は、神武天皇以前の、縄文時代の中期に日本の天皇の原型ができたとの大胆な仮説から展開される。

縄文遺跡からは、縄文人が自然を信仰の対象としていたことが事実として認められる。

だから、自然を信仰の対象とする集落ができ、その長(おさ)が、やがて付近の村々をまとめて君(きみ)となり、そらにその君たちを統率する指導者が「大君(おおきみ)」となる。

スメラミコトの原型が縄文時代中期というのは論理的に納得できる説だ。

ーー

もっとも古いとされる縄文土器は、青森県の縄文遺跡から出土した16500年前のものであり世界最古のものだ。

そして三内丸山遺跡の発掘によって、縄文人が縄文土器で食物を煮炊きしていたことがわかった。

栗やドングリ、漆の木を栽培していたこともわかった。

豊かな食生活を送り、その縄文土器に付着していたものから、6千年前から米食をしていたことも分かった。

ーー

武器の無いことから戦争のない平和な時代を過ごしていたことも証明された。

ーー

考古学による発見が日本では相次いでいる。

現代人が想定してきた原始的な段階ではなく縄文中期には貿易も、航海も発達しており、黒曜石(神津島で採れた)、翡翠(ひすい、糸魚川で採れた)、漆(うるし)などが広く取引されていた。

埴輪を造った土師(はじ)の原型のような集団がきっといたのだろう。

土偶をつくる「縄文匠」がいて、「縄文商人」が活躍したのだと著者は力説している。

ーー

本書が類書と異なっている最大の特色は、日本全国の縄文遺跡を丹念に巡り、その場に立って文明史的な意義を読み取り、時には縄文人の思考に同化して、神々を思うところにある。

国宝の土偶が五点あるが、宮崎氏は、それぞれの土偶が出土した函館、青森、山形、長野の遺跡を訪ね、感慨にふけり遺跡の撮影もしている。

宮崎氏は、現地を実際に見て評価する人なのだ。

同時に著者は、世界の古代遺蹟を訪ね歩き、縄文文明と同時代の文明比較を試みている。

このあたりも古代史の類書とまったく異なる。

ーー

西尾幹二氏は、読後次のような感想をされたのだという。

「宮崎さんの関心事と執筆の対象は支那から明智光秀、西郷に飛んだ、そして今度は日本の古代だ」

「この本は、類書の縄文本とは異なって、縄文遺跡の多くを実際に足で歩いて目撃した印象を綴るばかりか、世界の古代遺跡の現場にも立って文明比較を行っている」

「その点がとても斬新です」

ーー

膨大な縄文遺跡群が発掘されるまで、日本の学会では、弥生以後でないと、文化とは言えないという今ではまったく誤謬だらけの考えがなされていた。

が、それを最初に打ち破ろうとしたのは縄文の美に啓発され作品を作った芸術家の岡本太郎氏だった。

縄文土器を見ると太古の日本人は豊かな自然とともに生き、自然に宿る神々を祭り、神々に祈りつつ生きていたことが伺える。

それは今も皇室伝統や伊勢神宮などの祭祀でみられるものだ。

当時も今も日本は、神の国なのである。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>解明される縄文期
 この10年位の間に、日本の縄文時代は、世界で脚光を浴び始めて居るが、其れ迄は、日本の文明の始まりは、弥生時代で渡来人に拠る移植文明だとされて居て、静岡県の登呂遺跡が観光スポットになっていた。

 昭和の末に、イキナリ、青森から4300年前の三内丸山遺跡が発見されて以来、各地で様々な時代の遺跡が出始めて、縄文期の認識も原始人然乍の狩猟採集民の生活から、一変した。

 この三内丸山遺跡は、約千年~千五百年に亘って、順次発展して居た文化だったらしく、最初の狩猟採集に漁労海産を加え、更に、栗や団栗の栽培、そして、陸稲の栽培迄、住民の人口増加と比例して発展した事が、判って来た;

 農耕生活も盛んになり、収量を増やす必要からか、農耕技術の開発や品種改良等も行われて居た事が判って来た。

 交易も、全国と海を通じて、盛んに行って居て、就中、海流の流向に逆らって走る帆走の技術なしには、無理な場所との交易が、交易物が遠く離れた遺跡からの出土・発見に拠って、分った。 

 それに、漢字伝来以前は、日本には無いとされて来た文字も、日本の各所で、独自ものが考案されて使われて居たと考えるべきと言う処にまで至って居る。 文字の種類は300余りも有って、広域な交易には、何処かで文字を統一する必要があった事迄浮かび上がって居る。

 こうなると、其れ迄の「日本の古代史」と言うのは何だったのか? と言う事に成るだろう。

 その権威を構成して居るのは、東大と京大を中心とした、「象牙の塔」の住人達で有っただろう。 彼らは、左翼学者にありがちな、フィールドワーク嫌いの頭でっかちだった事は、言うまでも無い、ダカラ、戦前学会から、無能扱いされて居たのだろう。

 彼らはGHQの威光を背に、戦前の歴史学の泰斗であった白鳥庫吉~津田左右吉を排除した、日本の歴史処か、自国の歴史も尊重しない、マルキストだったのだから、出来上がった「歴史学会」は、書物で情報を集めて居るダケの癖に、権高な教授連で、実態はGHQの言い形の虚構の学会だった、そして、その状況は現在も続いて居る。

 是に同じく、GHQの支配下に有ったマスコミが追従したから、江上波夫の様なインチキ学者でも、叙勲の栄誉を受けて居るのには、苦笑を禁じ得ないが、昭和帝に、自国民を50万人も焼き殺したカーチス・ルメイに、勲章を手ずから渡させよとした官僚の常識を考えれば、この程度は当たり前なのかもしれない。

 確かに、昭和帝は、御自らが「耐え難きを、耐え、忍び難きを、忍んだ」御生涯を送られた、と思います。 でも、我々はこうした、伝統日本に対する恐ろしく無礼な行いを、戦後喜々として行って居たのも、一部の日本人で有った事を忘れてはならないと思います。

 そして、そんな連中が、在日・反日勢力として、未だ、社会の中枢に浸透し、勢力を持って居るのです.

 そして、彼らも代替わりして質的変化を遂げて居ます。

 其れは、世界の中で共産主義が、「19世紀の社会を背景として成り立って居たモノであり、現在の様に、高度に通史気候が発達した社会では、歴史に残る謬説でしかない」と、次第に認識されて、戦後世代である団塊の世代の活動家も、次第に相手にされなくなって来ました。

 更には、ソ連亡き後、最大の共産主義他国だったシナも此度の米支戦争の結果、その政体は風前の灯火になっている、そして、是間では封印されて来た「共産主義は悪の思想である」と言う主張も、度々目にする様になっている。

 このタイミングで、日本の縄文文明が「世界最古の文明」として、世界中から、フットライトを浴び始めた事は、この先の新たな世界が目指すべき世界が、日本の縄文文明の様な「自分達とは、異なるモノを寛恕し、客としてもてなし、異なるものを学び取り、我が物とすると同時に、自分の文明に合う形に改造する」と言う、改善・改良の思想が、世界のイノベーションを創りだす。

 その結果、生み出されるのは、画一的な世界では無く、独自の習俗や宗教観=死生観を反映した独自の文化を損なうことなく、一歩先に進める働きを期待したい、是で、世界はまた一つ広がる要素を持つ事に成るでしょう。

 そうすれば、多様な文明が、相互に相手の文明や価値観を尊重出来る、バランスの取れた、平和な世界が現出するのではないか、其れこそ、神様が望んで居る人類のあるべき姿ではないだろうか.。

 縄文人は、2万年も前には、そうした社会を既に造り上げて居たのですから、我々日本人は、其処を原点としなくてはなりません。

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