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2019年9月19日 (木)

だがやがて日本の知識人における「パリ熱」は去った

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

大島信三『パリ 2000年の歴史を歩く』(芙蓉書房出版)

明治維新以後、なんと夥しい数の日本人が花の都パリに憧れたことか。

とくに絵画、音楽、文学の深奥を求める人たちの間で、仏蘭西パリ留学熱が高まった。

フランス語を喋る人は高級人に見られた。

ーー

本書に拠ればパリを最初に訪れた日本人は伊達政宗が慶長(1613年)遣欧使節として派遣した支倉常長(はせくらつねなが)らだった。

支倉らは、切支丹伴天連の本丸ローマへ行く途中にバリに立ち寄っていたのだという。

幕末の遣欧使節団の一員だった福沢諭吉も福地桜知もパリへ赴いている。

ーー

著者の大島氏は、その文久遣欧使節団の宿泊したホテルが現存しているとして、探し当てた。

パリを愛するがゆえか、ともかく本書の基底には限りなきパリへの思いが伺える。

ーー

藤田嗣治は大日本帝国に思い入れが強く、戦後、在日・反日勢力によって排斥され、パリに移住し、最後は仏蘭西国籍を取得した。

芸術家や小説家らは、小金ができると林武も、黛敏郎も、遠藤周作も、村松剛も誰も彼もがパリに留学した。

三島由紀夫はパリでトラベラーズ・チェックをだまし取られ、再発行までの一ヶ月をパリの安宿に過ごした。

三島はマルロォに憧れ、コクトーに面会し、存分にパリを愉しんだように見える。

『孤独の人』を書いた藤島泰輔はパリに豪邸を購入してそこで暮らし、競馬の馬主になった。

ーー

だがやがて日本の知識人における「パリ熱」は去った。

林、黛、村松、藤島らは、ふっとパリ熱から醒め、日本回帰を果たした。

岸恵子も日本に戻ってきた。

日本文化の深みに比べればフランス文化は底が浅いと気付いたようだ。

ーー

評者(宮﨑)が最初にパリに行ったのは半世紀ほど前で25歳だったか。

コクトーやラディゲやサルトルが日本のメディアでも取り上げられていた時期だった。

ソルボンヌの名声は轟いていた。

じつは評者、大学での「第二外国語」はフランス語だった。

ーー

ところが憧れたパリの街を歩き、シャンゼリゼのオープン・カフェで憩っても、暗く、進歩を感じさせる風景はなく、パリは死んだように陰鬱でもう枯れていた。

産業に活気が失われていた。

爾後、フランスへの興味を失い、近年も、欧州をまわる折に立ち寄った程度で、パリには二回ほどしか行っていない。

近くパリに取材に行こうと考えているのは、あのパリに三箇所、巨大なチャイナタウンが出現したからだ。

ーー

そのパリの現状と歴史に大島氏が挑んだ。

署名を観てビックリした。

大島氏は『正論』編集長のころから存じあげているし、台湾にもご一緒したことがあるが、退社後に書かれたのはダライラマ、キムイルソン、そして宮尾登美子。

カバーする分野があまりにも宏大かつ多彩。

しかも相互の関連性が薄い。

共通点をあげれば、書物の主人公たちの起伏に富んだ人生?

ーー

この二、三年、パリ発のニュースは暗いものばかりだ。

シャルリー・エブト襲撃テロ、黄色いベスト運動、ノートルダム大聖堂火災など。

ーー

大島氏はパリにあって、あらゆる歴史的遺物、歴史の痕跡を訪ねるという根気のいる仕事に挑んだのは、いかなる動機からだろう。

「パリの歴史においていちばん面白いのは、歴史に登場する人々の人間模様でありうつろいやすい人間関係だ」

「それぞれの史跡にたたずんで、おのおのの時代に身を委ねるとき、時空を超えてかれらと場を共有できる気分になれるのは街歩きの特権(だ)」

と感慨を述べる。

ーー

さて現在、世界を震撼させているのは香港の大騒擾。

このスタイルの原型がパリにあるのだ。

大島氏はこう書かれている。

ーー

「2018年11月17日の土曜日、フランス各地で三々五々人々が集まりはじめた」

「低所得者層のかれらは社会ネットSNSの呼びかけに応じて、自発的にそれぞれの指定された場所にやって来た」

(香港デモもSNSの呼びかけだった)

ーー

「デモ参加者の多くは初対面で、生別や年齢、職業や済む街もバラバラだった」

「かれらを結ぶ共通点が二つあった」

「一つは、マクロン大統領が打ち出した痛みをともなう経済改革への反発」

「(そして)そろって黄色いベスト(ジレジョーヌ)を着て団結をアピールした点だ」

「フランスでは、自家用車などの車両に蛍光色の安全ベストを備えておくのが義務となっている」

(香港でも逃亡犯条例に反発し、最初は黄色のベストで抗議活動に集合した)

ーー

抗議のスタイルはバラバラ、指導者がいないのに長続きしている点でも似ている。

パリへのあこがれ(パリ熱)が、多彩な人生を産んだ。

本書は歴史のアングルからパリに憧れた人々の生きざまを描いた。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>フランス社会の民族構成
 私は何時しか、欧州と訊くと、現在の社会を構成している民族を知る事が、理解の早道だと思う様になっている。

 欧州社会は、多民族構成社会ですが、基本的に、戦闘民族で、一番早く欧州に棲み着いたゲルマン族が支配層を占めており、次いで、やって来たケルト人(=ガリア人、ゴート人、ブリトン人etc)が、欧州の氷河に表土を削り取られて痩せた欧州の土壌で、農業を始めたが、ゲルマン人に支配されいて、農奴に近い生活だった。 

 然し、次第に人口が増えて来て、新たにの農耕地を開墾し無ければならなくなると、ゲルマン人は、白人の故地である黒海沿岸から、原住民の白人を強制的に移住させて、奴隷化した、是が文字通り、スラブ人」だるう。

 それに、欧州の西側は、古からアフリカ大陸からの移民が、地中海沿岸の国に入りこんで居たし、宗教も豊穣神であるイシス信仰が盛んだったが、彼らは、基本的に。白人では無く青人であった。

 この青人と言うのが、欧州社会の先住民とも言うべき人種で、起源はメソポタミアに発するし、逆に中央平原に起源を持つアーリア族は、ペルシャ人やインド人の祖先である。 

 亦、ヘブライの民は、現在の世界の人口の半分以上を占める、キリスト教、ムスリム、ユダヤ教の祖であるから、欧州文明、中東文明の起源はあおじんぶんめいtに有ると言って良いだろう。

 フランスは、ゲルマン族の支族であるフランク族が、ローマの衰退期に建てた国だから、18世紀にフランス革命が起り、ブルボン王朝が打倒されるまでは、尤も強固な王制を敷いて居たのは、北・北西アフリカへの植民地進出が、早かったからだろう。

 つまりは、フランス国内は、人種差別が社会常識に成って居たし、文化の淵源を辿れば、農耕民のケルト族に行きあたるが、彼らも差別を受けて居る状況で、この支配構造が、革命に拠って崩された事で、市民の富裕層にも買える絵画を中心に、文化が花開いたのだから、フランスの芸術の主力は、紛れも無くケルト人だろう

 その証拠に、其れ迄は、宗教画ばかりだったのに、風景画や人物を描いたものが多くなるのは、写真が無かった時代、モチーフを写実する事で、情報源としての役割を果たして居たので有ろう。 この辺りには、日本の浮世絵の影響もあるかもしれない。

 欧州社会の文化が、庶民はつになったのは、18世紀だと言う他は無いし、芸術に関しての女性の登場は、更に遅れて居る、ショパンの愛人だったジョルジュ・サンドの小説が取り上げられたのは、19世紀だが、日本では紫式部、和泉式部と言った宮廷作家が、既に千年早い平安時代に、登場して居たし、万葉集には、遊女作の俳句まで載って居る。

 文化と言うものは、多くの書き手が、その時代の興味を惹くような、つまりは、売れる様な視点を持って、書かれたモノに拠って、繁栄し、磨かれて行くモノだとも居ます。

 そういった意味で云えば、フランスと日本とでは、文化を醸成する時間が違い過ぎると言う点で、多くの日本人は、フランスに絶望を感じたのだろうし、然も、戦後のフランスからは、社会からイノベーションの火が消えてしまって居るので、生気が無くて当然の様に思える。

 加えて、何故、戦闘民族は、自前の文化を育てられないのかといえば、簡単である。 良きものは、他所から奪って来ればよいと言う考え方だから、学問も芸術も、そして宗教も、その底が浅くなって終い、然も重層的な厚みも持てないので、一時代を過ぎれば、直ぐに廃れてしまう。

 つまり「作品の命」と言うべきモノが極端に短かったり、一時の流向で終わっている場合が多いのではなかろうか。

 そう言う意味で云うと、異文明である、日本文明の影響は、その文化の範囲が、多岐にわたっており、生活の端々にすら、芸術的なものが息づいて居る事は、欧州文明には深圳であろうし、特に、料理等の分野に措いて、盛り付けや味のコンビネーションと言う分野で日本独特の「出汁」と言う考え方は、料理人に取って新境地に違いない。

 処が、日本料理が「どうせ、有色人種の野蛮なセンスで作ったものダカラ」と、最初から、手を付けない人が、ゲルマン人を中心に沢山いると聞くが、是は、大きなお世話かもしれないが、人生に於ける大きな損失だと言いたい。ww 

 この辺りは、日本文明も「他山の石」としなければならない事だろう。

縦椅子様 
 
 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
パリの街の奥深さを知りましたのは、「ああ無情」という本で、パン一切れを盗んだため、19年も投獄され、出所の夜、銀の燭台を盗みますが、ミリエル司教に助けられて改心し、生まれ変わって市長までなりますが、不審に思ったジャベール刑事に執拗に死ぬまで追いかけられ、逃げ込んだのがパリの地下道です。迷路のように入り組んでいて、絶好の隠れ家なのです。
時はまさに、フランス革命時で、惨めな状態から救い出したコゼットは、妙齢の娘となっていまして、革命の闘士マリウスと恋に落ちております。マリウスを狙ったジャベール警視の玉をジャンバルジャンは身柄りに受けて死んでいくという悲しいお話しー「レ・ミゼラブル」小説を読んで、子供だった私は泣きに泣きました。
 歴史は繰り返すといいますが、時移り、同じようなことが、香港でも起っております。
 パリはいま、ひっそりと

縦椅子様 
 
 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
パリの街の奥深さを知りましたのは、「ああ無情」という本で、パン一切れを盗んだため、19年も投獄され、出所の夜、銀の燭台を盗みますが、ミリエル司教に助けられて改心し、生まれ変わって市長までなりますが、不審に思ったジャベール刑事に執拗に死ぬまで追いかけられ、逃げ込んだのがパリの地下道です。迷路のように入り組んでいて、絶好の隠れ家なのです。
時はまさに、フランス革命時で、惨めな状態から救い出したコゼットは、妙齢の娘となっていまして、革命の闘士マリウスと恋に落ちております。マリウスを狙ったジャベール警視の玉をジャンバルジャンは身柄りに受けて死んでいくという悲しいお話しー「レ・ミゼラブル」小説を読んで、子供だった私は泣きに泣きました。
 歴史は繰り返すといいますが、時移り、同じようなことが、香港でも起っております。
 パリはいま、ひっそりと

縦椅子さま

 パリはいま、ひっそりと郷愁をよぶたたずまいをしています。
懐かしいベル・エポックはどこへいってしまったのでしょうか?
中でも、私はおかっぱ頭の藤田嗣治先生の絵に心酔致しております。独特な工夫された乳白色の下地を用意され、細い面相筆で、いとも簡単に美しい線を書かれる―下書きもなく、直接に。まるで神業です!ほんとうに素晴らしい作品たちですが、私は、ある商店街で、これぞ「フジタの猫」と思える絵を見つけて、有頂天になって、いざ購入となり、もっている画集を調べてみたら、よく似ている偽物だったことがあり、苦い経験でしたが、購入せずにすみ助かりました。
 生き生きとした芸術は、人の心に感動をあたえ、よみがえさせてくれます。パリは素晴らしい芸術家が自分たちの個性をぶっけあい、切磋琢磨した場所なのです。
 ノートルダム大聖堂の火災などがあり、パリは傷ついていますが、私達にとって、いつまでも心のふるさとであり続けてくれています。有り難いことです。                感謝!!

義務教育を受けていた頃は、米国の豊かさと仏国の芸術が素晴らしいものだと思っていました。(あの頃は、日本はなんに付けて駄目だと思っていました。)

社会人になった頃、仏国という国にも興味が出来たのか、新谷のり子さんの「フランシーヌの場合」が流行りだしたからでしょうか、
沢田研二さんが歌手として仏国進出しようとの兆しがあったからか、米国とは異なった感覚の映画も見た覚えがあります。

読書の方では中学の頃に、ジュールベルヌの「月世界旅行」を読んでからSFの面白さにはまりまして、その後は沢山読んだことだけが残っています。
精読ではなく乱読で、ともかく読んでいました。

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