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2019年7月15日 (月)

私達のご祖先は、すべての生きとし生けるもののみならず、道具類にまで神が宿ると考えて感謝の心をもって接してきた

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

昆虫は痛みなど感じない生き物とされています。

しかし、彼らは人間以上に、まさに食うか食われるかの世界に生きているわけです。

殺されそうになったら必死でもがくし、逃げようとします。

が、それらは単に本能的行動というだけでなく、もしかすると、彼らにもちゃんと痛覚があり、またもしかすると感情さえもあるのかもしれません。

ーー

そうう意味では、植物にも感情があることは数多の実験で知られています。

植物にも大脳に相当する器官があることが、近年の研究でわかってきた。

「やっぱり!」という感じなのです。

実は昆虫や植物どころか、菌のような単細胞生物でさえも、高度な知能にあたる判断力や記憶力、洞察力が備わっていることがわかってきているのだそうです。

ーー

これは↓の記事に詳しいのですが、まさに不思議としかいいようがない。

この実験を行った北海道大学理学研究科(当時)の手老篤史氏らによる研究チームは、2008年にイグノーベル賞の認知科学賞を受賞しています。

『脳や神経がないのに迷路を解き、融合することで記憶を共有する黄色いスライム「モジホコリ」の不思議な力』
https://gigazine.net/news/20161226-slime-molds/

ーー

ここまでくると、「人は大脳でのみ記憶し思考する」という説が怪しくなってきます。

もしかすると細胞単位で記憶力や判断力を持っているのかもしれない。

そしてその記憶はDNAによって受け継がれていくのかもしれない。

ーー

さらにいうなら、単細胞でない生物の示す行動は、いわば多くの人々が集まっている国の行動のようなものなのでありましょう。

ひとりひとりの人間は、国という集合体の中でその意思を実現していながら、国としての意思が出現している。

国は、集団としての意思を持ち、戦争をしたり交易をしたりする。

つまりそこには集団としての意思や記憶や判断力がある。

状況を察する力もあるわけです。

企業も同じで、各社それぞれに集団としての企業文化を持ち、意思や記憶や判断を行います。

ーー

けれどその企業に所属するひとりひとりもまた意思や記憶や判断力や洞察力を持っているわけです。

たとえばA社と取引をする、ということに、賛成の社員もいれば、反対の社員もいる。

結果として取引をすることになり、それによって会社の売上が伸びて社員のボーナスが上がったとしても、社員の中には、それでもやはりA社とは取引すべきではないと考え、行動する人達がいる。

生命体である個体の内部における細胞もまた同じで、ひとつひとつの細胞は、実はそれぞれにある意味独立して、記憶や意思や判断力を持っているのかもしれないのです。

ーー

我が国では、神というのは、人々の共通のご祖先のことをいいます。

父母、祖父母、曾祖父母、高祖父母、曾祖父の父、高祖父の父・・とずっと祖先を上(かみ)の方にさかのぼっていく。

すると4〜500年前までなら各家のご祖先となりますが、700年以上昔になると、どの家系も全部血が混じって、誰が誰の祖先とはいえなくなってしまいます。

そうした共通のご祖先のことを、祖先を上(かみ)にさかのぼった先においでの方々という意味で、我が国では「神」と呼び慣わしました。

ーー

「神」が目に見えない天上界の、いわば人類とはまったく別な種を意味するといった思想は、日本人にとっては、実はキリスト教伝来以後のものです。

ちなみに、それ以前の仏教伝来のときは、仏様もまた人類とはまったく別な種という意味で、神とは別な言い方として、如来とか仏様という呼び名をしています。

我が国古来の「神」の別称としては「みこと(命・尊)」がありますが、「み」は身、「こ」は光、「と」は透を意味し、身から光彩を放つような高貴なお方のことを指す言葉です。

ーー

そのような次第から、たとえば高天原(たかまがはら)にしても、これを天界だと主張したのは本居宣長からです。

それまでは高天原は、日本列島のどこか、という考え方でした。

(ですから全国のあちこちに「ここが高天原だ」という神社があります)

ーー

そしてそのご先祖からの記憶によって生まれる知恵が「神々とつながることによって得られる知恵」なのです。

これをどうやら「魂の記憶」とか、仏教伝来以後は「前世の記憶」などと呼ぶようになったわけです。

神々の時代からの血を引く我々は、同時に神々の時代からの記憶を、その体内に宿していることになります。

ーー

現代風に言うなら、細胞の記憶もしくはDNAの記憶と呼ばれるものです。

ーー

そしてその記憶が万物すべてに備わっている。

すべてのものには、それぞれの祖先からの記憶や意思や判断が内在している。

それは我々の意識よりも、ずっと深いところに蓄えられている。

仏教では、これを阿頼耶識(あらやしき)、阿摩耶識(あまやしき)などと呼ぶし、神道では神々の知恵と呼びます。

それらが万物すべてに宿っているのだとしたら、これはたいへんなことです。

ーー

私達のご祖先は、すべての生きとし生けるもののみならず、道具類にまで神が宿ると考えて感謝の心をもって接してきた。

それは、もしかすると、そういうことを経験則的に「知っていた」のかもしれませんね。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>我の仕組み
 私が参加して居る信仰団体の「崇教真光」では、人間の構造を、肉体、幽体、霊体の三重構造として教えますが、私は是に深く同意して居ます。

 そして、神に関する認識も、祖(おや)神様と言う認識の上では、ねづさんが仰有っている、祖先から引き継いで来た蔵(アラヤ)識と呼ばれる記憶を伴って居る、寧ろ、下生した我々の本体は魂で有り、その魂は蔵識という守護霊団に支配されている、と言う考えに一番納得していますが、では「我とは、何か?」と言う、更に掘り下げた疑問になりますが、是を、教団でも「真我の我」と言う表現で、説明して居ます。

 是は、魂は輪廻転生するのは、何の為か、と言う問いに「この世は、魂を磨く修練の場である」と、云う答えの修練する対象になる我を指して居ると言えましょう。 

 唯、今日のお題の優れているのは、その魂のシステムが、人間だけでなく、地球上に生きて居る全ての生物全てに言えるのではないかと言う見地で語られて居る事に有ります。

 確かに、脳が意識や記憶を司っている器官であると言う事は、脳を損傷したりで、意識不全になると、脳死状態になり、人は生きて行けないので、そう言う結論になると思うのですが、私は最近、人間は、生体電流で動く生体であるとも云える事に気が着きました。 すると、電源になるものも、その電流を統御する制御装置も必要になりますが、それが脳だと思います。

 では、脳に損傷が無いのに、意識が戻らないなど十全に機能せず、所謂「植物状態」になって終うのは、何故か、そも、何故、その様な状況に成るのかと言う事を考えました。 脳死状態でも、皮膚感覚は正常な場合や、中には、目まで開いて居るのに、意識が無いの遁辞状態の人も居る様ですから、私は、その電流を統御する中枢部分に、欠陥や不全があるからだと言う推論に辿り着きました、それが「魂が抜けた状態」だと思うのです。

 この推論が、もし正しければ、肉体は「魂の容れ物」の一種であり、我の真の姿は、その魂である、と言えるのではないかと思いました。

 この観点から考えれば、他の動物、虫や魚と言った「感覚が無い」と信じられている動物にも、人間と仕組みは違っても「痛み」や「恐怖」を感じるのに十分な、感覚器官がシナ割って居るし、次元は人類とは違って居るが「愛情」は勿論、「憎悪」「不信感」「猜疑心」と言う、自然で生き抜く為に必要な感覚は当然持って居るし、「欲求」と言う事に成れば、目的を達成する為には、カラスの様に道具を使ったり、犬猫の様に、人間のやって居る事から、学習して、ドアを開けたり、動いて居るモノの通過タイミングを諮って利用したりする動画をこの処、否と言う程見せられています。

 斯うした動物たちの行動を見て居ると、脳の大きさや重さが、その機能には、殆ど関係が無いと言う説の方が、断然正しい様に覆えます。

 キリスト教では「魂があるのは、人間だけで、動物には心が無い」と言って居ますが、トンデモナイ間違いだと思いますね。

 昨日のYTVで、03年頃に厚生省の元事務次官の私邸に忍び込んで、元官僚夫婦や奥さんを死傷させた男が、自首してきたにもかかわらず、死刑判決を受けました。

 其れは、自首してきた時に、「幼い頃に愛犬のチロを、保健所の野犬狩りに誤って捕獲され、薬殺された恨みでやった」と、「確信犯」で有る事を供述したので、司法が「理解不能」として、死刑判決~控訴棄却で、死刑確定したモノだそうです。

 犯人の小泉毅は、知能も優秀で、その言動が世間を驚かせましたが・・という話が、「死刑囚について考える」と言うテーマの表題として、上がって居ました。

 仏教的な見地で考えると此処で疑問に思ったのは、「もし、魂と言うものが、生き物に平等に入って、生命が成り立って居るのなら、魂も平等に扱わねばならない」のに、現世人類は、全く「人間の都合だけで、物事の正邪を決めて居るし、その生命を奪う事すら正当化している」と言うのが、現実ではないか、と言うモノです。

 ダカラ、私は小泉氏の直接的な「チロの仇」では無い筈の、元事務次官の夫妻や妻を襲って良い理由には、ならないとは思いますが、気持ちは分ります。

 法律自体が、人間以外の生き物の生存権を認めて居ません、例えば、「法的には、ぺットは物でしかない」のですが、是の原点には、やはり、キリスト教的な、人間優先主義があるのでしょうね。 是に対する、反論・異論は、西洋社会にも、多く存在します。

 そう言う意味で、西洋は現代社会の食生活や環境保全の為に、現実に必要な法律の基礎を作って来たと言えるでしょうが、根本的な生命観と言う意味では、全く失格しているとしか、言いようがありません。

 ダカラ、人間同士でも、選民主義だの、排他主義だのが糺す事に限界があるのでしょう。

 確かに、綱吉の「生類憐みの令」は、逆に、人間の生存権を軽視して居るレベルの話なので、行き過ぎだと思いますが、我々は「全ての生物に、魂が宿り、生きる権利がある」のだが、「この世で人間が生き抜く為には、他の生き物の命を犠牲にしなければならない」のだ、と言う事も現実なのだと言う事。

 つまりは、「生きて居る事、それ自体が罪を重ねて居る事である」とも言えるでしょう。

 然しダカラ、我々日本人は、食事の前に「(この食事の為に、命を犠牲にされた生き物全てに、感謝して)戴きます」と感謝を捧げて居るのです。

 この一事でも、私は、日本人に生まれて良かったと思います。

 現代世界は、今迄人類が経験し無かった位の速さで情報が伝わる様になり、誤情報や欺瞞情報で、戦争を始めたり出来無くなっています。 

 然し、ダカラこそ現状世界を造って居る常識の正しさに疑問を投げて、その最適解を見出すべく人類は、議論が出来る様な環境が、徐々に出来つつ有る様に感じます。
 
 すると、我々日本人にとって不可欠な事は、真の日本の伝統精神とは何かを体得し、実践出来る様に、自分を備える事では無かろうか?

 「より良き世界を明日に遺す」事が、この世に下生して来た我々の天与の使命であり、以て、自身の蔵識(アラヤ識)に、財を積む事に成るのではないかと思います。

縦椅子様
今日も最高に素晴らしいブログ有難うございます。
雨上がりのベランダに出てみると、じりじりと蝉の声がしています。せしい存在だったのですが、夏を告げるありがたい、いとおしいもののように思えています。蝉は短命で一週間ぐらいしか地上にいないという風説をある学生が覆し、地道に調査し結果、一か月位は生きているというデータが出ている(継続中)とのニュースがありました。一時私の庭に羽のちぎれたトンボが訪問してくれてからというもの毎年のように赤トンボや塩辛トンボが来たくれていたのですが、去年の台風で塀を全面的に取替え白い塀にしてしまったので、今年はまだ来てくれておりません。
≪そしてその記憶が万物すべてに備わっている。
すべてのものには、それぞれの祖先からの記憶や意思や判断が内在している。≫
親のトンボのとき、私の家の塀は、私が緑色のペンキを塗った、居心地のよさそうな場所だったのですが、急に緑から、白に変わってしまったので、記憶の伝達がスムーズにいかなかったせいなのでしょう。またトンボがのぞいてくれるのを待っています。≪そしてそのご先祖からの記憶によって生まれる知恵が「神々とつながることによって得られる知恵」なのです。
これをどうやら「魂の記憶」とか、仏教伝来以後は「前世の記憶」などと呼ぶようになったわけです。≫
日本は古来から、「魂」を重んじる国民で、7月7日の七夕の行事に、人々は星に願いを託します。公園の竹藪から大きな竹を3本切り出して、それにいっぱい七夕飾りを施して、お星様に「生きとし生けるものの無事をお祈りする」-「魂から魂への呼びかけ」ーである七夕まつりは本当にいいおまつりだと思います。


縦椅子様、ブログの更新をありがとうございます。

昆虫は痛みを感じない生き物とされているが、生き物として危険を察知しているから、痛みも感じている可能性があるし、感情すらもあるのかも知れないとのこと。

昔、SFを読んでいたときに、人間には人権があるけれど、ゴリラやチンパンジーにも人間らしい感覚があって、それに2分の1や4分の1の人権を与えている世界を描いた物語がありました。

そう考えるとき、動物は動くことが出来るから生きていくときに、食べ物を探して食べる行動をしなければなりません。自分が食べるだけではなく、他の動物に食べられないように注意して行くことは大変です。

動物は食べられれば生きていけるかというと、そうではなく寿命がありますから、その寿命が来たときに動物としての命脈を保つために、子孫を残すことを考えます。

此処までは、どんな動物でも本能として持っています。
しかし、考えてみますと此処まではどんな動物だけでなく、どんな生物でも、本能として持っているのだろうと思っています。


そして、自分は人間として70年程、この世界に生きてきました。
生き物として自分を見るとき、力強さはなく、生き延びるすばしこさもなく、狡賢さも余りあるとは言えないのが正直なところです。

そう思うと、人間で良かったと思います。
人間でなく、他の動物や生物であったなら、それぞれの生き物の寿命が異なるとは言え、これだけ長く生きられなかったし、もし魚であったなら、二回り程大きな魚にパクリと食われて、とっくの昔に胃の中に入れられていたでしょう。

そして、輪廻転生をしたときには、やはり弱い生き物になるのか、物言わぬ植物になるのかと思います。

縦椅子さま

≪神々の時代からの血を引く我々は、同時に神々の時代からの記憶を、その体内に宿していることになります。≫
YAHOO!ニュースに「ヒメボタルの夏、十和田湖畔に/夜の森を幻想的に彩る」と一枚の写真が掲載されています。素晴らしい光景です。日本の至る所に素晴らしい、秘境があるのです。しかし、目には映らなかったり、感じなかったり、したりしていますが、≪もしかすると細胞単位で記憶力や判断力を持っているのかもしれない。
そしてその記憶はDNAによって受け継がれていくのかもしれない。≫とあり、
ーー記憶が≪それら万物すべてに宿っているのだとしたら、これはたいへんなことです。≫
ーー日本国土にあるものすべてがその対象となり、全てがDNAの中に刷り込まれている。だから
≪私達のご祖先は、すべての生きとし生けるもののみならず、道具類にまで神が宿ると考えて感謝の心をもって接してきた。≫し、
≪もしかすると、そういうことを経験則的に「知っていた」のかもしれませんね≫ので、違和感なく対処できるのだと思います。

縦椅子様
 
 ≪またトンボがのぞいてくれるのを待っています。≫
≪どうやら「魂の記憶」とか、「前世の記憶」≫が、親トンボから子トンボにうまく伝わったようです!≫
 7月7日の七夕の行事の私が星に託した願いー≪またトンボがのぞいてくれるのを待っています。≫の願いがかなえられたのです!諦めていましたのになんということでしょう!

 ≪公園の竹藪から大きな竹を3本切り出して、いっぱい七夕飾りを施して、お星様に「生きとし生けるものの無事をお祈りする」-「魂から魂への呼びかけ」ーた私のねがいはかなえられました。
 
 今いつもの処をみたら、ちゃんといるではありませんか!
 塩辛トンボくんが‼  鎮座しているんです!
 まるで奇跡ですよね!
 「おかえりなさい!あえてうれしいよ!
 とんぼくん、ありがとう!!!サンキュー」


投稿: ばら | 2019年7月15日 (月) 12時11分

>ばら様 ソロです。
 トンボ君との再会良かったですね、羽が傷ついて居るのでしょう? 良く、鳥等に、捕食され無かったモノですね。

 「袖すり合うも他生の縁」と申します、ひょっとしたら、亡くなったお知り合いの方の霊が、乗り移って、貴方の下をを見にやって来のかも知れませんねww

 戦時中に特攻兵士を見送った後に、迷い込んで来た、トンボが、逃げようとしないで家のなかにいるので、「〇〇が帰って来た」と、特攻兵士の一人が云いだし、皆で宴会を始めた、と言う話があったような。

 日本は、先祖の魂が集積して出来て居る国だと思います。 ダカラ、皆の為に死ぬ事に、躊躇いが無いのだけれども、今生で得た、縁は、其れ形に貴重ですカラね、例えば、幼い妹一人、遺して死地へ赴く時、死ぬのは、怖くないけれども、自分が現世に居なくなったら妹は誰が庇うのか・・と言う、心が遺りますよね。 辛い事ですね、ダカラ、戦争は全力で回避しなくてはイケないのですね。

ソロさま


 お優しいお言葉に涙が出ます。トンボ君の羽は大丈夫ですよ。元気いっぱいに狭いガレージを飛び回っています。やがて彼女をつれてくるでしょう、とてもたのしみです。家族が増えるのはいいことです。
 羽のちぎれたとんぼは遠いところから私のことを心配してきてくれましたが、私が大丈夫なのを見ると、赤や黄や青のトンボ仲間をつれてきてくれ、大変にぎやかになっていましたが、去年の台風が酷かったので、今年は無理かと思っていました。
今日は蝶も二羽ひらひらとやってきてくれました。本格的な夏も近いと思われます。今日はとてもむし暑いですが、
 ソロさまにおかれましては、お障りありませんでしょうか。ご自分のお体に故障をいっぱいかかえながら、毎日素晴らしいコメントを発信くださり、いつも心が洗われるおもいをいたしておりますが、何卒ご無理をなさいませんよう、お体ご自愛下さいますようお祈りいたしております。     感謝!    ばら より

>ばら様 ソロです。
 トンボ君は、。元気なだけでなく仲間を連れて来てくれましたか、凄いですね。 ばら様の、お優しい心の波動をトンボたちが感じ取って、「安全な場所」と言う認識を持って居るのでしょうね。

 私は、毎日ウオーキングをやっていて、このブログにレスを入れてから、毎日、東へ西へと、神戸中を歩き回って居ますw

 根が、お調子者なので、つい自分の限界を試して、今で葉、毎日、2万歩、週に、9~11万歩を目標にして居ますが、ソロソロ、梅雨も明けて、本格的に暑くなって来たので、加減しないと熱中症で、死んでしまいますねww 梅雨明けには、歩数を半分に減らそうと思って居ます、ハイwww ご心配有難うございます。

 周りからも、ウオーキングは8~1万歩が限度で、それ以上は、関節を痛めたり、変形する惧れが・・とか、脅されて居ますww 然し、歩幅を50㎝とすれば、2万歩でも、⒑㎞ですカラね。 

 若い頃、ラグビーやサッカーをやって、毎日、40㎞位走って居たし、小学生の時も、片道5㎞の通学路を毎日往復して居たのですカラ、「何を言ってんだい」と言う気持ちが強いです、やっぱりバカですね。 皆に呆られて居ますwww

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