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2019年7月22日 (月)

国や民族には違いがあるのが当たり前なのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

もし日米戦争ww2前、当時の米国が支那の宣伝工作に乗らずに東亜政策を展開していたのなら、支那国民党と支那共産党の内戦もなく、支那共産党による1億人虐殺も起こらなかった。

1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、清(中国)で発生した共和革命(辛亥革命)が興った。

名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。

10月に孫文の影響を受けた革命軍が武昌と漢陽を武力制圧し、黎元洪を都督として中華民国軍政府が成立を宣言した。

清国は革命軍の制圧に失敗し、15省が次々と独立を宣言した。

1911年12月29日、上海で孫文が中華民国大総統に選出され、1912年2月12日に溥儀が退位し、清国は滅亡した。

この結果、アジアにおいて史上初の共和制国家である中華民国が誕生した。

国民党による辛亥革命で清王朝が滅亡した。

ーー

紫禁城内には値段の付けられないような財宝があった。

ところがその財宝は、いつの間にか消え去っていた。

では、それらの品々はどうなったのか。

ーー

後に国民党を乗っ取ることに成功した蒋介石は、弟をヨーロッパに、妻の宋美麗を米国に派遣し、これらの財宝と多くの美女を持ち出しメディアや政治家たちにばら撒いていた。

しかも蒋介石は、国土の欧米への切り売り空手形を大量に切っていた。

利権を得たい英米仏蘭独露は、財宝と美女と空手形によって簡単に籠絡された。

そしてこの財宝(お金)、空手形(利権の提供)、美女を使って行う外交手法は、いまなお支那外交の重要な手法として使われているのです。

ーー

いまでは、少なくとも先進国においては、報道記者の監視があって、政治的に手心を加える行為は、きわめて困難になっている。

それだけに政治家らは、後腐れのないお金や女性に、きわめて脆(もろ)い。

おもしろいことに、当時の日本の官僚や軍人、あるいは民間人においては、そうした支那による工作はほとんど通用しなかった。

というのも当時の日本には赤線があり、性欲の解消が簡単に出来たために、わざわざ言葉の通じない外国人女性に手を出す必要がなかった。

それに、外国人女性に手を出したことがばれると、軍や官庁をクビになる。

そればかりか、一族の恥さらし、郷土の恥として、帰るところがなくなってしまう。

だから集団性と責任を重んじる日本人には、お金も美女も通じなかった。

これは支那人たちにとっては、ある意味恐ろしいことでした。

ーー

もちろん日本も宣伝工作には力を入れていた。

しかし支那人のやり方は、とにかく「いま自分たちの状況がよくなれば良い」ということで、嘘八百を並べ立てる。

そして国費、国の利権、支那美女で西洋人の欲望を刺激したわけです。

こうした支那人の自分の利益のために「国を平気で売る」行為に、米国は飲み込まれ、対日戦の準備に入る。

結果、日米ともに大量の戦死者を出す結果となりました。

ーー

また欧米は、世界各地に植民地を持ち、それを経営することで経済的に栄えていた。

日本は、欧米流の植民地支配を拒否し、内地扱いした。

このような日本のやり方では、本国の利益にならないため、欧米は日本のやり方を看過することができなかった。

そこに、反日の支那が現れたので、彼らは支那を支援することで、日本を懲らしめようとした。

ーー

戦前戦中に大陸に渡った日本人は、軍人さんも民間人も、支那人に農業指導をしていました。

畑の収量を少しでもあげて、みんなが安心して作物をつくり、少しでも清潔な暮らしができるように。

けれど、申し訳ないけれど、現実には意味がなかったのです。

ーー

それは、日本が最終的に戦争に敗れたからということではありません。

どんなに教えても、どんなに快適な生活環境になるように指導をしても、日本人が去れば、また元の木阿弥に戻ってしまう。

それが支那です。

日本とは歴史、伝統、文化が違うのです。

ーー

昭和初期、支那人は皆、貧しかった。

その理由のひとつが、人口が多すぎたことです。

蒋介石の依頼で、終戦後も稲塚権次郎博士がまる二年支那にとどまって、従来の品種の5倍もの収量のある小麦(農林10号)の栽培指導をし続けました。

支那では、この小麦によって、小麦の収量が約3倍に増えた。

「これで、みんなが腹いっぱい食えるようになる」と日本人は考えた。

ところが、貧しいままだった。

というのも、小麦の収量が増えた分、人口が増えたのです。

ーー

大東亜戦争開戦前の人口は4億5千万人、それがいまでは15億人、多くは、年間所得が30万円にも満たない。

ーー

いかなる道徳も、社会システムも、それは人間が作るものです。

国民性の基礎になる歴史が、自分たちの歴史とは言えないものだったり、国民としての教育がなされなかったりしていれば、人間はただの動物になります。

そして人間以外の動物では、道徳がなりたたず、社会が機能しません。

ーー

人間以外の動物がいるところには、人間は近づかないのが、実は一番良いのです。

ーー

セオドラ・ルーズベルト・ジュニアは、米国の第25代副大統領であり、第26代大統領、そして大東亜戦争開戦時の第32代米国大統領であるフランクリン・ルーズベルトの遠縁にあたる人です。

そのセオドラ・ルーズベルトの奥さんが、昭和12(1937)年10月に支那の視察から帰ってきて、『サタデー・イブニング・ポスト誌』に、その報告をしています。

ーー

突然私達は叫び声を聞いた。

それは不機嫌なわめき声に変わっていった。

私達のすぐ下で、ひとかたまりの群衆が激怒した暴徒と化し、大声で叫びながら、5人の日本人を追っていた。

4人はうまくバスの中に逃げ込んだ

ーー

奇妙だが、支那人は日本人を引きずり出そうとしなかった。

ひとりがよろけて落ちた。

彼らはそこに襲いかかった。

ーー

それから彼は、血だらけになるまで蹴られ、殴られ、踏みつけられた。

肋骨が折れ、顔がどろと血まみれだった。

ーー

そこに白いターバンのシーク教徒の交通警察官が南京路の交差点からムチを持ってやってきて、暴徒をうさぎのように追い散らした。

それから救急車を呼んだ。

暴徒がまた集まってきた。

あきらかにやり返しに来たのだ。

ーー

私はあの日本人が死んでいると確信した。

しかし担架に乗せられたとき、彼の手が動くのを見た。

(『支那の戦争宣伝の内幕』ウイリアムズ,フレデリック・ヴィンセント著 pp34~35)

ーー

貧しい支那人に同情し、彼の国で農業指導や教育などにあたった結果がこれです。

そしてセオドラ・ルーズベルトの奥さんが、この事件の目撃をしたのは、通州事件などが起きたあと、そして日本軍によって南京城にいた国民党が追い払われ、南京の治安が回復した直ぐ前の出来事です。

ーー

そして、そういう民族性を持った支那人らが、いま、南シナ海に軍事施設を作っているだけでなく、東シナ海にも海上ヘリポートをすでに10か所以上建設しているのです。

その場所は、尖閣諸島のすぐ近くです。

そして日本国内には、支那共産党軍(人民解放軍)が、いまやウヨウヨいる、という状況です。

ーー

私は、支那人を差別する意図は全くありません。

ただ、同じ日本人同士の親しい友人であっても、やはり、違いはあるものです。

早い話が、隣の家と我が家では、家風が違います。

ましてや国や民族や言語が違えば、その風俗習慣も、歴史伝統文化も、まるで異なるものであるのは当然です。

それを、あたまから「日本人と同じ」として、違いを理解したり区別したりすることさえも否定してしまうのは、それは傲慢というものです。

ーー

他国には、他国の文化があるのです。

たとえば南洋のある島では、男性同士が親しくなった時、たがいの下半身を撫で合うという習慣をもった民族がいるそうです。

普通の日本人なら、まさに「たまげて」しまいそうな風習ですが、彼らにとっては、それはそれで意味のある立派な風習です。

日本式の礼がただしくて、その民族の礼は間違っているなどと、どうして決め付けることができるのでしょうか。

ーー

アフリカには、親しみを込めた挨拶に、たがいに唾をかけあうという風習をもった民族があります。

これまたびっくり仰天ですけれど、彼らにしてみたら、体を接してキスをすることのほうが、よっぽど異常に思えるのだそうです。

ーー

日本人はよく風呂に入りますし、温泉とか大浴場とか大好きです。

けれど、国や民族によっては、風呂もシャワーも、一生に何度か経験する程度という民族もあります。

支那では、民衆は起きているときの服装のまま寝るのがあたりまえです。

パジャマに着替えるということが、奇妙に思えるそうです。

危険が迫った時に、着替えなければ逃げれないからです。

ーー

民族ごとに、違いがあるのです。

ーー

そしてその違いは、その国や民族の風土に密接に関係している。

たとえばモンゴルなどの遊牧民は、パオというテントで生活をします。

遊牧地帯というのは寒い地域ですから、彼らのテントは床暖房です。

これがとてもあたたかい。

けれどもその床暖房の燃料は、家畜と人間の糞を乾燥させたものです。

周囲に木はないし、これが一番良く燃えるのです。

ーー

けれど、糞を燃やせば、それは文字通り「やけくそ」です。

たいへんなニオイがします。

ですからテントで暮らす女性たちの最大にして最重要な仕事は、テントの床と壁の縫い目を常にしっかりとメンテナンスすること。

それをしないと、たいへんなことになる。

ーー

ちなみにこのヤケクソ戦略、日本でもかつてガスの大手会社が、西洋式トイレ内部で出したてほやほやの糞尿をガスの力で燃やすという新型タイプのトイレを考案したことがあります。

博覧会に出品しようと勢い込んだのですが、残念ながら開発段階で断念になりました。

臭気が漏れたときのニオイ対策がどうにもできなかったからだったのだそうです。

ーー

国や民族には違いがあるのが当たり前なのです。

ーー

我が国では、縄文以来、人間の食事に欠かせない塩分とカルシウムは、小魚から採られてきました。

日本は四方を海に囲まれていますから、これが可能だったのです。

けれども、大陸の内陸部には海がありませんから、小魚を摂ることができません。

ですから、もっぱらカルシウムは家畜たちの乳から摂られました。

牛乳や羊の乳を飲むという習慣や、乳製品としてのチーズの製造なども、そうした生活習慣から生まれたものということができます。

ーー

また塩分も、小魚がありませんから、もっぱら動物の肉から摂取しました。

人が死ぬと、その動物たちに遺体を食べさせましたし、その動物を生きている人間が殺して食べました。

こうすることで、塩分が食物連鎖するわけです。

人の遺体を埋葬するのは、病気で死んだ場合だけでした。

病死の場合は、その病気に感染するリスクがあったからです。

ですから肉であれば動物の肉も人の肉も同じ肉、という国も、我が国のすぐ近くにあります。

けれど人が生きるためには、それが必要だったわけです。

ーー

人や民族や国家には、そういう「違いがある」。

これを、私達はちゃんと認識する必要があります。

そこにある程度の距離を持つことは、親しい間柄であっても、遠い間柄であっても、関係を円滑にしていくのに、当然必要なことです。

なんでもかんでも受け入れれば良いというものではないのです。

あたりまえです。

日本国内で人の肉を食べたら、それは犯罪です。

ーー

ですから当然に、国や民族には「違いがある」ことを前提にお付き合いをしなければなりません。

そこを、人権を主張して混同すると、ルーズベルト夫人が見た日本人のような被害者が出るのです。

参考図書(お薦め本です)
◆『暗黒大陸 中国の真実』ラルフ・タウンゼント著
◆『中国の戦争宣伝の内幕』ウイリアムズ,フレデリック・ヴィンセント著

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>民族性の成り立ち
 なる程、日本人とは歴史的に縁の深い、シナ人を例に挙げてその民族性の違いから、民族性の成り立ちを説明しようとしたと思いますが、基本的に日本人がよく「同じ人間なのだから」と言う理由で、外国人の感覚を無視して「自分達と同じく共感している」と信じて居る蒙昧さを糺したかったのではないかと思いました。

 この錯誤は、海外力行の有る/無しに関わらず、持って居ても何の疑問も関居ない人が居るかと思えば、リアルな外国人との接点すら無いのに、書物や音楽の感性から、その国の違いを観取出来る人も居ますから、是は、人の関心の方向や深さに、関わる事だろうと思います。

 然し、民族性の差異とは、当然、その℗民族が置かれた環境や気候や、人間が成人するのに不可欠な、水と空気と食糧を如何にして得られるかが「生存の限界」を創り出して、人々の生き残ろうとする本能「=生存権」を刺激する事で、その生活様式や、道徳観と言うものの形成に大きな影響を与えるものだと、私は思います。

 「シナの四蛮」と言う「民族分類法」は、今の世界にも通用する優れたものだと私は評価して居ますが、この分類法に、現在の科学的な要素を加えて看ると、西戎と言う分類の遊牧民の細かい差異が見いだせます。

 例えば、大きな水源に近いか遠いか、其れに、パオを食於いて居る場所の緯度の高さ、高度の高低に拠って、生存条件が大きく異なって来るので、既設に拠っての移動は必須であったし、土地に執着が生まれない、遊牧民の民族性の形成に関わってきます。

 つまり、農耕民とは明らかに、土地に地する価値感が違うのですが、同じ遊牧民でも、その構成者に拠って、必要とする水の量や求める利便性に差があり、当然、強いモノが有利な条件を取る事に成ったでしょう。 然し、時間の経過に拠って、気候が豹変する事が有って、その変化に順応できずに、多くの牧畜を死なせて、民族も消滅した例も多かったようです。

 例えば、大陸島の西に在る黒海・カスピ海は、世界第1位と2位の面積を有する、内陸の水源ですが、この辺りは、1万年以上前の超古代に、後にアーリア人と呼ばれる民族や、スキタイ人と呼ばれる民続が居ました。

 両者は氷期の間も温暖だったこの地でも、少なかった「水利の好い場所」を、争って居たのは、言うまでも無い事でしたが、何せ人口も、多くても数万人でしたから、その後、インド人とペルシャ人の祖先になったアーリア人も含めて、遺跡が残っていまん、唯、伝説が残って居るのみとの事です。

 氷期明けに千年続いた、急速な温暖化で氷河の融解が起り、発生した大量の水蒸気の「潜熱」に拠る冷却で起こった、ヤンガー・ドリアス期「=寒の戻り、再寒冷化」が、黒海地方を再び寒冷化しました。

 それも明けた約9千年前に、欧州半島中の氷河の融水が地中海や黒海に流れ込んで溢れて、「ノアの洪水」が起こって、黒海の現在の浅い推進の部分で、遊牧をやる傍ら、農耕でも暮らして居たアーリア人が、大きな被害を受けましたが、スキタイ人も、その後の気候の不安定さから、この地を捨てて東へと移動してしまいます。

 スキタイ人のその後は不明ですが、バイカル湖より「東」は、不毛のツンドラ地帯が広がるシベリアですカラ、絶滅した可能性の方が高いですね。

 然し、アーリア人の方は、現トルコのアナトリア半島の南にレバントと言う、9千年前の古代遺跡「テル・アブ・フレイラ」と言う、ライ麦を品種改良した痕が残っており、4万8千年と言う世界一古い遺跡が、伊ゼリア半島で発見されるまでは、中東の青人文明の起点とされて居ました。 

 この耕作を行ったのも、アーリア人の可能性が高いと言われて居る様に、 中東の古代史では、兎に角、アーリア人由来と思われる事績は、中東や南アジアのあちこちに在り、紀元前20世紀に、シナの長江民族を侵略・滅ぼした、「黄河文明人」の正体もアーリア人絡みの遊牧民の可能性が出てきました。

 斯うした民族の移動は、「今迄、人類が考えて居たよりも、もっとダイナミックに行われて居た」と言う事は、新たな認識として置かねばならないでしょう。 

 でも、最終的に言えるのは、世界の殆どの民族は、安定的に食糧を調達しなくてはならないので、農耕に従事して農作物、特に穀物を民族のエネルギー源として栽培して始めて、人口を増やし、農耕地も増え、村を創り、郡が出来、国が出来て、精力範を広げる事が出来ます。

 勿論、その成立の過程で起こる水利権の争いや土地の所有権の争いで、その戦闘力の差で、多くの民族や国が興亡して、現在に至って居るワケですから、是は、同じ分類の民族内の相克の歴史だと言えましょう。

 唯、上記の陸続きの国では無く、日本の様な「絶海の火山列島」という天然の要涯に守られて、然も、地理的に気流も海流も終点にあるので、様々なものが流れ着く場所で有ったと言う事は、世界でも稀有な例だと思います。

 とはいえ、この狭い日本でも、国取り合戦が行われたのは、ご存じの通りですので、人が譲り合い援け合って生きる社会を形成するのは難しいですね。

 間違いなく言えるのは、世界の文明を創ったのは、農耕民だと断言して良いですが、その農耕従事者も、水耕稲作の東夷族と、焼畑農業の畑作南蛮族に分けられますし、大きな違いがあります。。

 先づ両者は、食糧を得るのに懸ける労力が、桁違いに違うので、当然労働に対sる価値観も、土地に関する価値観も、人の協力関係に関する考え方も、公共性や遵法性と言った秩序に関する価値観も大きく違います。

 それに南蛮族は、非定住ですが、東夷族は、定住民ですが、是は最終的には、国家観の差、つまり、為政者を敵とするか、庇護者と見るかの違いになろうかと思います。

 是がシナ人と日本人の決定的な差異でしょう。 

 日本人の場合、領主が変わっても、田畑は、自分の先祖から連綿として守って来た家の宝であり。 先祖が代々、工夫を重ねて来た「作品」である上、為政者は、年貢さえ納めれば、土地の所有に関しては、干渉し無かった。

 其れに対し、シナでは、何時、戦乱が起こるか分らないし、何時、領主や為政者が変わって、異民族から奴隷にされるかもしれないわけで、その場合の、農地は自分達を苦しめるものにしか、ならない。

 随い、シナ人に取って財産とは、自分の命と手で持って逃げる事が出来る範囲のモノが、生きて行く糧であると言って良い。 

 是では、確かに、同じ農耕民でも、一括りには出来ませんね。

 ダカラ、ねずさんが仰有る様に、「外国人は、勿論、歴史的な民族の違いと言うものが有るが、その人の世代の、その国の国情で、その人の感受性や価値観と言うものは大きく変化するモノで有りましょう。」 是が世界の現実なのです。

 なのに、日本の学校では、こうした事は何も教えて居ません、然し、民族の成り立ち、国の成り立ち延いては、世界の成り立ちを理解するのは、斯うした角度からのアプローチは、不可欠だとおもうのですがね。 是では、日本人に国際性を求めても、無理だと思いますね。

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