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2019年6月15日 (土)

「遣日使」として日本にやってきた遣唐使、遣隋使より多い大量の支那人らの殆どが日本に帰化した

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

石平『なぜ中国は日本に憧れ続けているのか』(SB新書)

日本人は、武家社会となる以前から、支配階級が論語の素読をしてきたため、「論語の民」つまりそのような支那人がいると考え・あこがれていた。

だから、支那人が「支那人は日本に憧れ続けている」などという本を書くなどとは思いもしなかった。

逆ではないのかと。

ーー

だが或る面で支那人らが日本を憧憬してきたことは真実である。

評者(宮崎)は過去およそ数百の支那人と付き合ってきた。

いかにも支那人らしい行動(マナー)、人生観、拝金主義を目の当たりにした。

しかし教養のある人々、とくに知識層の支那人らが、日本に憧れを抱いていることを会話や仕草から実感してきた。

一般庶民の日本へのあこがれは、日本の物質の豊かさへの素朴な羨望から湧き上がるものだった。

ーー

『魏志倭人伝』にある、倭はこびと、邪馬台(やまと)国の意味は「邪(よこしま)なくに」、卑弥呼は「卑(いや)しい」の意味だ。

つまりこの倭人伝を書いた人物の視線は、あくまでも上から目線だった。

支那人の表現力の貧弱さは、今も変わってはいない。

チベットは西の倉庫「西蔵」、ウィグルを新しいド田舎「新彊」と呼んでいる。

日本に対しては悔しくて仕方がないから「反日」を正当化する「愛国無罪」を叫んでいる。

ーー

だが反日は支那人の本心ではないのだという。

ーー

遣隋使、遣唐使の時代には、支那大陸から遣日使がやってきていた。

日本から支那へ行った高僧も官僚も学生も、みな日本へ帰ってきた。

望郷の念、おさえ難く、帰国船が難破して越南に流された阿倍仲麻呂は、失意のうちに長安へ戻ったが、望郷の念を詩にした。

ーー

ところが「遣日使」として日本にやってきた遣唐使、遣隋使より多い大量の支那人らの殆どが帰国せず、日本に残留し、やがて帰化した。

鑑真和尚は一生かけて五回渡航を試みて失敗し失明に到っても「六度目の正直」でついに日本にやって来た。

なぜそうだったのか。

ーー

本書で石平氏は、古文書を資料に用いて、支那人らが、遣唐使より遙か昔、秦の始皇帝の時から日本に憧れていたことを示す。

徐福は秦の始皇帝の命を受けて不老不死のクスリをもとめて日本へやってきた。

徐福が上陸した地であるという伝説が全国各地に残っている。

そのなかでも有力視されているのは和歌山県新宮市である。

ーー

そんな昔から支那人らは日本を「三神山の地」と呼んで憧れ続けた。

三神山とは、渤海の先に「神仙」が住むという壺の形をした場所。

「蓬莱(ほうらい)」「方丈(ほうじょう)」「瀛州(えいしゅう、東瀛とも)」を意味する。

ーー

徐福は、始皇帝を騙して船団を組織させて三千の男女を引き連れての日本への集団亡命したのではなかったのかと解説する歴史家もいる。

ーー

新宮市は徐福公園をつくり入り口は徐福門。

共産支那では浙江省連港市に近年「徐福村」が発掘されたのだという。

これは徐福が実在したことの考古学的証拠なのかもしれない。

ーー

閑話休題。

「三国志演義」でない正史のほうの『三国志』では、

高句麗人は「人々の性格はせっかちで荒っぽく、略奪を好む」「男女の風俗は淫(みだ)らである」と莫迦(ばか)にしている。

一方、日本人に関しては「倭人の風俗には節度がある」「家屋にはまじきり(部屋)がある」「倭人の葬式には、棺はあるが、郭はない。土をもりあげて墓を造る」「父子、男女の差別はない」(註「郭」は「木」扁)。

つまり「儒教の伝統においては、葬式をきちんと行うかどうかは、民族の文明度をはかる重要な物差し」であって、「明らかに日本を称賛していることになる」と石平氏は言う。

ーー

「日本女性はつつましやかで、焼き餅を焼かない」

「追いはぎやこそ泥がなく、争いごとも少ない」

と書かれており、こうなると支那人からすると日本は理想郷ではないか。

ーー

そして『随書』ともなると、日本人について「人々の性質は素朴であり正直であり、雅びやかでさえある」と絶賛している。

石平氏は「中華文明で相手のことを『雅風あり』と評価するのは、まさに最高の讃辞」だという。

ーー

現に明治の日本に留学した魯迅は、近代に目覚めて近代文学の画期生を学んでいる。

同時期に留学していた支那人女性・秋瑾は清王朝の迷妄に立ち向かい女性革命家として活躍した。

女史のいでたちは和服に日本刀だった。

ーー

かれらは日本で近代精神を学んで帰国したとも言える。

ーー

やがて1978年の改革開放。

支那人が日本の町で実際に生活してみて、支那のそれとはまったく違っていることに、びっくり仰天して憧れ模範としたのだった。

だから共産支那(現代中国)では、日本を見たことのある若者の間で「精日」(精神的日本人)が夥しくなった。

ーー

来日する支那人の数は、年間600万近く、在日支那人の数は35万人を超える。

その支那人の若者の行動をみていると、彼らが日本に憧れていることがよく理解できる。

かれらは日本で、共産支那では味わえなかった自由を享受している。

ーー

しかしその一方で、かつて朝鮮通信使が日本の豊かさに驚き、それを手に入れたいとの願望を記録に残したように、彼ら支那人らは日本を内部から手に入れられないかと工作に余念がないようだ。

しかし、日本人がいくなれば、彼らが驚嘆する町の清潔さも、列車の正確さも、社会秩序もなくなってしまうということを彼らもよく知っている。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>遣日使と言う視点
 物事を反対の方向から看て視る試み、と言うのは、現状認識を深める意味で葉欠かせない事ですね。 この話を読んで真っ先に、私の母方の一番下の叔母が嫁いだ先の叔父さんが、「裡の家の姓は、あの鴨長にちなむモノ」と言う事を、生前話して居られた事を思いだしました。 

 その時確か「日本人の顔」と言う永年、総合商社で商社マンとして、世界を歩き回っていた人が書いた本に「『ギョロ目、下駄顔』は、江南人の特徴だし『縮れ髪、浅黒い肌』は、東南アジア系『細面、色白、切れ長の目』は、北方系・・中には、どう考えてもコーカソイドの特徴を持った人々が、日本には多く住んで居て日本は人種の坩堝である」と書かれて居た事を叔父に話すと、「確かに、俺はギョロ目、下駄顔だな」と一緒に笑った記憶が有ります。

 日本に来たシナ人真っ先に驚くのは、街が綺麗な事、人々が礼儀正しく親切な事、困った人や弱い人を援けようと皆が普通に考えて居る事等々で、シナ社会でも出来そうなことばかりである。 然し、シナ人は断言します「シナでは、あり得ない」と。

 日本人の評論家の中には、したり顔で「其れは、日本人が、単一民族だからでしょう」とか言って居るのを、耳目にしますが、その度「この人は、外国に棲んだ事が無いか、比較できる客観的な目を持っていないかの、どちらかだろう」と思う事にして居ます。 日本程、多種の民族が、日本人として暮らして居る処は有りませんから。

 最古の遣日使の例として、徐福の例を挙げたのは、適切であると思いますが、其処に、長江文明の頃からの交流で、シナ人が日本との交流で、色々な情報を長江遺民は知っていて、彼らからの伝承で、遊牧民の彼らも知っていた事を、書いてほしかったですね。

 特に、秦の始皇帝も日本に対する関心が、強かったが、当時交通手段や彼の立場から言って、今の様に外遊できる筈もない。 それに、昔から日本を目指して行った人間が、殆ど帰って来ないのは、強ち、エンジンが発明されて居なかったので、自力推進力は、手漕ぎの艪櫂しか無かったが故に、海流や風向きの、所謂、「海の所為」だけでも無いのではないか、と疑って当然だから、徐福の意図くらい見抜いて居たでしょう。

 大陸と列島間の交流は、1万6500年前に、三苗族がスンダ地方から持ち込んだ、熱帯の浮稲を陸稲にして、約1万年後の6千年前の長江文明の良渚遺跡で、見つかった稲が、温帯ジャポニカ種に変化して居て、同時期に日本でも、同じ稲を栽培して居た、と言う事が証明された事で、熱帯種が自然に、温帯種の変わる事は考えられないので、氷期の間にも、相互に交流が有った可能性が指摘されています。

 謂わば、日本文明は、シナの「失われた文明」である長江文明の後継文明である、可能性もある訳で、その事を薄々知っているシナ人の日本文明への憧れは、有っても可笑しくないと思います。 そして、多種多様な民族の闇鍋状態のシナの本絵としては、日本の社会が理想に思えるのは、寧ろ当然です。

 日本に向けられた表向きの称賛である、「秩序ある社会」や、「相互扶助の社会」そして、「平等な社会」と言った、シナ社会にはないモノばかりなのです。

 だから、憧憬を持つのは当然すぎるので、寧ろ、分かり難いですが、実は「私達の社会も、工夫さえすれば、こうした社会が実現できる、何故なら日本社会は、我々と同根の文明だから」と、言う事を密かに、思っていると思いますね。

 石平さんは、その姓から言って、最近分った、コーカソイド種の遊牧民、ソグド人の子孫の様です、謂わば、黄河文明に担い手でしょう。 その石平さんが、共産シナに、愛想を尽かしているのは、実は、共産党自体が、思想集団では無く、特定の民族集団なのかもしれませんね。

 其れは、歴代のトップたる国家主席が、毛・華(毛)、劉、鄧、胡、江、胡、習ですが、その姓から言って、非漢族が、4/8人も居るのは、明らかに偏りを感じますね、 特に、毛と胡は、外来民族を自称していると言って良い。 
  
 シナには、血縁に拠る集団=宗族の他に、客家と言う、都市国家を形成して居た、生活思想集団とも言うべき、集団も居るし、浙江財閥の様な「金」を軸にして海外勢力とも結び着いて居る集団も居ます。

 是等の要素が、政治に影響を及ぼさないわけが無く、事実、鄧小平も、台湾の李登輝も、シンガポールのリークァンユーも客家の出身です。 彼らは、10年1日、マンマンデー(日々是好日)で暮らすシナの一般人とは、全く違います。

 斯うした通常とは、異なる成分の集団が、シナの時代を変革して来たのは、間違いないと思います、混沌の中に、或るベクトルが生まれ、其処に、色々な成分を持つ集団が合流して、大きな力を持つに至る、そうして変えてきたのが、シナの歴史なのです。

 処が、ソ連の共産主義と言う、思考停止を生む思想や政体が、シナ人の本質を貶めて来たと私は思います。 この先のシナ社会に待って居る、厳しい経済環境や政治環境で、どの様な展開を生んで行くか、三国志に劣らぬ、興味を惹くモノの様に、私には思えます。

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