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2019年6月25日 (火)

ロシアのクリミア併呑は「明日の沖縄」ではないのか

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

グレンコ・アンドリー『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』(育鵬社)

ロシアが併呑したクリミア半島はウクライナ領土である。

ウクライナと聞いて、歴史通の読者ならヤルタ会談の場所がクリミア半島に所属したことはご存じだろう。

トルストイの名作の舞台でもある軍港セヴァストポリもクリミア半島に位置する。

ロシアにとってのクリミア半島は地政学上、黒海の戦略拠点であったのだ。

ーー

自由化を希求したウクライナ国民は、ソ連から独立した後もロシアからの完全離脱を試みた。

アメリカなどからの支援が急増し、ウクライナのNATO入りはあと一歩のところだった。

これを様々な政治局面でロシア寄りの政策をとったのがヤヌコビッチ元大統領だった。

国民の怒りは爆発し、ヤヌコビッチはロシアへ逃亡した。

ーー

政治混乱は長引き、例によって汚職、腐敗が政治への期待を萎ませた。

刷新を掲げて守旧派を退場させたポロシェンコ前大統領はチョコレート会社を経営する企業家だった。

つまり政治的に素人、ウクライナ国民は、企業家としての手腕と政治力とが異なることを認識する時間がなかった。

ポロシェンコは在任中、ロシアからの自由を得ようとして懸命に頑張ったものの国民からは理解されず、国民は選挙戦では「コメディアン」を大統領に選んだ。

ーー

ウクライナはコメディアン大統領の出現で迅速に「明るく」なるのだろうか?

ーー

冷戦が終焉したのは1993年だった。

評者(宮崎)はウクライナのあちこちを回ったことがある。

ヤルタ会談のリバーディア宮殿を真っ先に見に行った。

ーー

スターリンは、FDR一行の宿舎を見下ろす宮殿に陣取った。

他方でチャーチルをわざわざそこから車で一時間かかる別荘に泊まらせた。

ルーズベルトとチャーチルが情報を共有するのを防ぐためだった。

FDRはみごとにこのスターリンの策略に引っかかった。

ーー

その歴史的な建物を見学した後、ヤルタは海浜リゾートでもあるので、ちょっと泳ぎ、それから評者は汽車で十八時間ほどかけて、首都のキエフへ行った。

街は清潔で整頓されており、美しい花々が咲き乱れていた。

文化的にロシアに近似するのではないか、と思った。

キエフ市の街中を歩き回り、人々が将来に希望を抱き眼を輝やかせている光景を目撃した。

ーー

おりしもクリントン米大統領(当時)の訪問前夜と重なって、キエフ市内至る所で歓迎ムード、若者らは西側に憧れていた。

ホテルのバアは米国のSPで溢れていた。

荘重な建物でオペラを観劇したが、てっきりロシア語と思っていたら、ウクライナ語で、ロシア語の通訳が「さっぱり分かりません」と言った。

出し物が『椿姫』らしいことは劇の進展ぶりから想像が付いたが、なぜウクライナのような貧乏な国で、このような豪華なオペラ劇場があり、しかも人々が正装して見に来るのかと訝しく思った。

ウクライナには伝統を重んじる文化、国民性があるとようやく理解できた。

ーー

考えてみればウクライナ正教はロシア正教より古いのだ。

足が棒になるほどにキエフの街をあるいた(タクシーが殆どなかった所為もあるが)。

その後、ウクライナの完全な民主化は遅れた。

プーチンが政治工作を本格化し、西側と明確に対峙し始めたからだった。

ーー

2016年、評者は再びウクライナに取材に行った。

トルコのイスタンブールで乗り換え、最初にモルドバへ入った。

そして評者はモルドバからバスでウクライナに入国したのだが、ロシア領土飛び地でモルドバと距離を置くドニエステル河口地区があるため迂回を余儀なくされ、2時間で着く予定が5時間もかかった。

さらに国境の通過に1時間を要した。

ーー

バスは18名乗りのミニバス。

それが「国際線」の長距離バスなのだった。

ーー

ウクライナ第二の都市、オデッサはほぼ西側の都市と化していた。

やはり立派なオペラ座、五つ星ホテル、商店街には世界のブランド品が並び、オープンカフェでは昼から酔客がいた。

それに意外にも書店が多かった。

ーー

黒海を周遊するクルーズ船は西側の観光客で満員だった。

船から対岸を見やれば、オデッサ近郊は瀟洒な、あるいは豪華な別荘が建ち並び、西側の金持ちがさかんに購入していた。

かつて興隆を極めたユダヤ(ハザール)人街だけが寂れていた。

ユダヤ(ハザール)人がイスラエルへ移住したからだった。

ーー

そのウクライナから日本を見たらどうなるか?

著者のアンドリー氏はまだ若いが日本語を流暢にあやつり、近年は保守系の懸賞論文で入賞した。

デビュー作は『プーチン幻想』(PHP新書)と、期待される新人論客である。

ーー

そのウクライナ留学生が言うのである。

平和ボケが国を亡ぼす、と。

ウクライナはロシアに延々と騙され続け、平和惚けの結果どうなったか? 

著者は、ロシアのクリミア併呑は「明日の沖縄」ではないのかと鋭く日本人に問うのである。 

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>白人の故地黒海北辺
 私は、個人的に白人の歴史を自分で完全には阿育したいと思って居るので、コーカソイド種の亜種(白子)だと言われている白人の故地であるウクライナ地方には、非常に関心があります。

 知りたいのは、先ず宗教なのですが、本文中に「ロシア正教よりも古い歴史があるウクライナ正教」と言うくだりを見つけ、「では、ハザール人のユダヤ教への改宗以前は、ハザール人は、一体何を信仰して居たのでしょうかね、それとも、未だ、無信仰だったのか、です。

 何れも、10世紀前後の話で、その300年ほど前に、ドナウ川を下って来たゲルマン人との相克が大きな要素になっていると考えられますが、その辺りの記録は、未開で文字を持たなかったと思われる白人種側には、残って居ないでしょうね。 

 記録が、残って居るとすれば、オスマン・トルコや東ローマ帝国=ビザンチンであろうし、それまでの支配者で有ったゲルマン族の筈です。

 其れでも、土器だとか祭祀に使った装飾品だとか、欧州一古い農耕民だったケルト人が、BC5世紀頃に、フランス・スペイン方面に移住する際に、遺した農耕具だとか、遺物があるやも知れません。

 すれば、紀元前5世紀頃のローマ支配以前の欧州世界の様子も、更に、明らかになって来ると思うのですがねぇ。

 固より、考古学は西洋で始まったモノですから、この辺りの調査は、真っ先に為されて居る筈なのに、何故公表されて居ないのか、と考えれば、白人種の劣等意識、歴史コンプレックスの為せる業かと、憶測を広げて居ます。

 それに驚いたのはイタリア発のオペラをロシア語でなくウクライナ語で上演し、それを国民が、正装して観劇にくると言うのは、自国の文化意識を高く保ちたいと言う気持ちが、強く、モゥ一段階進めば、ウクライナ製の新作オペラも登場し始めるに違いないと、おも居ますね。

 基本的には、ウクライナ人は、欧州の白人を、ゲルマン・ケルト・スラブの3種俗に分類した裡で言えば、スラブ族に当たるのでしょうが、他のスラブ族のロシアやハザールとの交流は、ドゥなのでしょうかね。

 まぁ、このスラブ族の歴史は、ゲルマン系の支配と異民族元の支配と言う2度の武力支配を数百年に亘って続けられていますから、民族意識を相当に歪めて居て、就中、ハザールとルーシの対立は根が深いので、間に挟まった感の在る、ウクライナの民が、如何にして民族の自恃を保ったのか、興味は尽きません。

 19世紀初頭に起った、汎スラブ運動の時に一番表に露わたのは、帝政ロシアの台頭でしたが、其れは、黒海沿岸の武力支配から始まったと思われます。

 然し、この時の、ロシアの姿勢が、武力支配一辺倒でなく、もっと、欧州全土に広がって居るスラブ族に宥和的なものであれば、スラブ族のロシアへの求心力も高まって、イスタンブールを巡る争いに迄、歩を進める事が出来たのでしょう。

 ごり押しのロシア流と言うのは、今も昔も、物事を平和裏に収めようと言う、理性を感じませんね。

 是では、戦争が無くなるわけが無い。 近代産業が発達して居ないと嘆く、ロシアで、実は、一番近代化し無ければならないのは、ロシア人自身では無いでしょうか。

 もし、ロシアに原油も石炭も木材も、所謂、天然資源が無ければ、もぅロシアは立ち行かなくなる大ロシア主義だ野と言って居るが、端なる懐古趣味としか思えない。 

 科学的なアドバンテージを生み出すイノベーションも起り様が無いのでは、このママ少子高齢化で民族が滅んでゆくのを座視するだけだろう。 この辺りは、朝鮮族と全く変わらない。

 然し、同じスラブ族でもウクライナ人には、モチベーションを感じる、近い将来世界を驚かす様な人材が、現れて、ウクライナの名眼を世界二とどろかせるかもしれない、ト、この宮崎さんのレポートを読んで、感じましたね。

 唯、その未来を実現する為には、現状のロシア支配を何とかしなくてはイケないだろうが、熱戦をやっては、ロシア軍の思う壺に嵌る事に成ろう。

 此処は、汎スラブ運動をさいかいして、寧ろ、ハザール人を巻き込んで、旧東欧圏を中心にした、反ロシア包囲網を作って行くと、資源輸出国で有るロシアは、困窮し始めるが、その為には、シェールガス・石油を、米国から買う手段を諮るべきでは無かろうか。

 すると、ハザール系の得意分野となる、この先、シナの経済破綻で、だぶつくのが見えて居る石油やガスの価格は、大きな買い手を失って暴落する事が考えられます。

 その分の買い手を確保しようとしたのが、「一帯一路」のコンセプトでしょう、シナの計画は、その詐欺的侵略意図が、明らかになって頓挫しましたが、「東欧諸国の経済発展」と言う目の付け所は、世界に遺された市場の中では、最も近代化が進んだ地域の筈、ウクライナの様なモチベーションさえあれば、成り有望なのではないかと思いますね。

 キーになる国は、石油がガスを陸揚げするバルカン半島の国々で、特にギリシャ、そして、工業化、市場化を期待対するのは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、チェコとスロバキア、そしてオーストリアでしょう。

 特に、米国には、この辺りから90年代に、米国に移民した人々が多く、親和性があると思いますね。 EUの再活性化を、非ドイツ・ゲルマン抜きで成功させる事が、結局、スラブ民族の真の開放に繋がると私は思うのですがね。

縦椅子様、ブログの更新をありがとうございます。

クリミアはウクライナの領土なのに、ロシアはこれを侵略し占領しました。クリミア半島の軍港セヴァストポリはロシアの黒海艦隊の基地で要塞ですが、これまでに2回の攻略を受けています。
1回目はクリミア戦争で1854年、ロシアが守備する要塞(守備隊8万5千人)と英・仏・オスマン帝国(攻略軍17万5千人)が戦い、1年間の戦いで要塞は陥落し、ロシアの黒海艦隊は港を失って無力化されました。

2回目は第2次世界大戦で1941年、ソ連が守備する要塞(守備隊10万6千人)とドイツ・ルーマニア・イタリア(攻略軍35万人以上)が戦い、1年近くの戦いで要塞は陥落しました。
なお、1944年にソ連軍により奪回されました。

クリミアは上記のように、ロシアが歴史的に要塞を作り、黒海艦隊を配置して黒海の制海権を守ってきましたから、簡単に手放すところではなかったと思います。

処で、ウクライナはソ連に於いて小麦の産地であったり、軍事産業の盛んな地域でしたけれど、ソ連の崩壊後は軍事力よりも平和を目指し過ぎたと、最近ウクライナの留学生が日本に警鐘を鳴らす意味の講演をしました。
その中で、自称平和主義者の主張が、ウクライナが犯した過ちと酷似していると指摘。
その内容は、
「抑止力を無くして平和を得た国はない」。
「憲法が改正されない日本の状況を隣国はどう受け止めるか? 『日本人は武力攻撃したら、押し付けられたルールに従う』『日本の領土を奪っても、国民を拉致しても、ミサイルを飛ばしても、国際条約を破ってもまったく動かない』。こう思われることこそ、戦争を招く」と言うものでした。

ウクライナだって、クリミアのセヴァストポリが軍事的に重要な軍港であり、戦略的な要港であることは承知していた筈なのですけど、まさかロシアが、軍事的な実力行使をしてくるとは考えていなかったのです。
そして、露西亜が軍事的に占領した地域を返還することは、北方領土を返還しないのと同じで、ないことだと思います。


そして、日本の領土を狙っているのはロシアだけでなく中国も同様で、中国の行動は現在の処、沖縄県の尖閣諸島だけですが、その先には日本全体を狙っているのは、第2列島線を見ればよく分かります。

日本は憲法を改正して、国土の安全保障に目を向けなかったら、大和民族の危機を迎えることを理解しなければならないと思います。

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