無料ブログはココログ

« 慣習によって束縛されてきた従属社会集団が、個人に何よりも高い価値が与えられることによって、解体してゆく | トップページ | 「護憲、東京裁判史観、侮日」はユダヤ人らが在日・反日勢力に命じた占領政策だった? »

2019年6月 2日 (日)

不思議な優しい女性

ーー以下「youtube」より抜粋編集

今の気持ちを忘れないように書き留めておく、ただし身バレしないようにネタをしこんだ。

13歳で両親に捨てられて、14歳から働きだし、16歳でろそろい命を断とうかという時に出会ったのが今の妻。

ーー

知らない娘が俺の家(親方の持ち家)の前に勝手に花なんか植えるものだからぐちゃぐちゃに踏みつぶしてやった。

ーー

俺は日勤と夜勤で働いていて、帰るのは朝ということが多かった。

その日も夜勤明けで帰ると、その娘が家の戸の前にちょこんとすわっていたんだ。

学校へ行ってないのかと思ったけど、聞くこともなく無視して、押しのけて戸を開け家に入った。

そんなことが2、3日続いた。

ーー

俺の心はもう荒(すさ)み切っていたんだが、さすがに気になって、なぜこんなことをするのか聞いた。

するとその質問には答えずニコニコして「ご飯作ろうか」と聞いてきた。

それを聞いて正直こいつはキチガイに違いないと思ったんだ。

それでまた無視することにした。

ーー

翌日は朝から雨だった。

夜勤から帰ると、その娘がいた。

俺は自分が生きるのに精いっぱいで、キチガイを相手にしている余裕などなかった。

しかし、よく見ると、精神が破綻している娘のようには見えない。

それで一回だけという条件で、「ご飯を作る」のを許したんだ。

ーー

家に入ると、雨のしずくをカバンから取り出したタオルで拭いながら、自己紹介(名前は伏せる)された。

俺は、無視して黙っていた。

その娘は、それでもニコニコしてカバンから用意してきたと思われる食材を取り出して料理を始めたんだ。

俺はそんな娘の姿を後ろからじっと見ているしかなかった。

ーー

しばらくすると、どうぞと言って、食卓の上に並べてくれた。

俺は、見知らぬ人が作ってくれたものなど食べられないと考え、ぶちまけてやるつもりでいた。

見ると卵焼きとみそ汁にご飯だった。

ご飯はパックのを温めたようだった。

ーー

卵焼きのにおいと、みそ汁のにおい、それに温かいご飯につい一口食べてしまった。

その後は夢中で食べた、おいしかった。

そして俺は泣いていた。

ーー

誰かに食事を作ってもらいそれを食べるなどというのはもう何年振りだろうか。

中学を出るとすぐに、親に「お前などいらない」と放り出された。

運よく町工場の親方に拾われ、いろいろ事情を聴かれて職を与えてもらった。

そんな親方には恩があるので働かないと悪いし、放り出されると思って昼も夜も夢中で働いた。

しかし、世間は俺にはあまりにも冷たい。

だから死ぬつもりだった。

本当に俺の境遇は、「おいどん(私)がうっち(死)んだちゅーて 誰(た)が泣いてくりょか 裏の松山 セミが鳴く」そのままだったのだ。

(注、五木の子守歌の歌詞)

ーー

もうこんな温かい食事にありつけることもないだろう。

そう思って泣いていたら、その娘が俺を抱きしめてくれたんだ。

ーー

抱きしめられていることが分かると、俺はその娘のことが気になりだした。

俺が朝に帰るといつも戸の前に座りニコニコしながら待っていてくれた。

そしてご飯を作らせてくれと言って、本当にご飯を作ってくれた。

いつぞやはお花を植えてくれていた。

しかし俺はそんな状態になっても、この娘のことを全く知らなかった。

ーー

それで俺は、いろいろ聞いた。

娘は、小さいころに両親を亡くし、親戚に引き取られ育てられているのだといった。

しかし親戚と両親とは不仲だったため親戚には疎(うと)まれているのだと。

学校には通っているらしいのだが、誰にも心を開かないためか、友達もできず独りぼっちで過ごしているのだといった。

ーー

それではどうして俺なのかと聞くと、その娘は「何となく」と答えた。

ーー

そして「一人で死んでいく人なんていないんだよ」と続けた。

そうか俺の顔には「一人で死んでやる」と書かれていたんだと分かった。

その娘の話を聞くと、そのことが分かったような気がした。

ーー

俺は何も言えなくなって座り込んだ。

その娘は、そんな俺の手を握り締めてくれた。

そしてその日は俺に寄り添っていてくれた。

ーー

夜勤明けの眠りから覚めても、その娘は居て、ノートや本を出して勉強していた。

だけどその娘をどう扱えばよいのかわからず、夜勤に行く時刻になったので、家族が心配するだろうからと言って追い出し勤めに出かけた。

その娘はニコニコしながらまた明日も来ると言って帰っていった。

俺はそのとき自分の気持ちが満たされていることに気づいた。

ーー

俺はその娘に家の合鍵を渡し、別の日に食卓の上に給料の中から3万円を一か月分の食費と書いて置いておいた。

その娘は本当に毎日やってきて、3万円足らずで毎日の食事を作り、そのほか掃除をし、洗濯までして、俺のことを根掘り葉掘り聞き、自分は学校や家庭での話をひとしきりして帰っていった。

ーー

俺は、その環境にとても満足していた。

半年も経つと、「一人で死んでやる」というような気持ちは消えうせ、心から笑えるようになった。

俺は笑わなかったのだろう、俺の笑顔を見たその娘は、泣きながらまた抱きしめてくれた。

ーー

そんな状態が数年続いて、体も大きくがっしりとして、工場の親方が、お前も仕事ができるようになったからと、知り合いの会社への就職を勧めてくれた。

その娘も高校を卒業したと言った。

俺は心からその娘の卒業を祝った。

その娘は、自分の卒業を祝ってくれるのは俺だけだと言って、満面の笑顔で答えてくれた。

そしてその娘も働きだした。

ーー

俺は、新しく会社勤めをするようになって、親方に言われたように謙虚に、誠実に、陰ひなたなく働くよう自分に言い聞かせていた。

すると、いろんな人に信用されて知り合いになれた。

俺は夜間の高校で学び卒業した。

俺の周りは、知り合いだらけになった。

しかしそんな俺を支えてくれていたのはもう一緒に暮らしていたその娘だった。

ーー

ある日の夕食の後、その娘を近くの公園に連れて行き、結婚してほしいといった。

その娘は、履いている靴を自分より遠くに飛ばしたら結婚してあげるといった。

俺はせーの合図とともにもうあらん限りの力を込めて靴を放った。

見ると、その娘は靴を放ることなく、ニヤニヤしていた。

そして、俺がどんだけ必死になるか見ていたと。

ーー

俺は5年前、親方に仲人を頼んで、その娘と結婚した。

ーー

去年妻が妊娠した。

子供の名は、二人で、以前住んでいた家の前に妻が植えてくれた花の名にした。

妻のような、不思議な優しい女性になってくれますように。

« 慣習によって束縛されてきた従属社会集団が、個人に何よりも高い価値が与えられることによって、解体してゆく | トップページ | 「護憲、東京裁判史観、侮日」はユダヤ人らが在日・反日勢力に命じた占領政策だった? »

恋愛」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>無私・無償の愛
 通読して居る裡に、何回か涕泣して読めなくなりました。 

 然し私は、両親に捨てられたわけでは無く、只、已む無く、そう言う境遇に陥っただけなので、学校にも通って居たし、小学生の低学年の頃は、祖父母や知り合いの人が面倒を見て貰って居ましたから、この男性よりも条件的には、随分恵まれた生活を送っいた様に思います、でも、彼の孤独感、疎外感が、文脈から伝わって来たのです。

 それに、私には、3つ上に姉が居て、何をするにも、一緒でした、とはいえ、姉も小学4~6年生、そして、中学生だったので、自分の悩みが歳を経る毎に増大し、その関係は離れて行きました。 猫しか友達が居なかったのは、その頃でしたね。

 でも、この話を読んでいで、一番最初に思い浮かんだのは、先日川崎登戸で、18人殺傷事件を起こした挙句に自殺した、岩崎某と言う51歳の男の身の上でした。

 両親に捨てられ、何処に行っても、爪弾きにされ、冷たい世間と大人への不信感から、孤独の中で少年時代を送って、いびつになった人格を、修正される様な「見えざる神の救いの手」を経験する事も無く、孤独感に押し潰され、何回も死のうとするが果たせず、何時の間にか50歳を超えて終った。

 家族も居なければ仲間も居ない、世の中カラは無視されて居る様な状態ダカラ、或る日自分が、布団の中で冷たくなっていても。誰も気づいてもらえない。 そんな人生に何の価値があると言うのか、と言う絶望の声が聞こえてきそうです。

 私が思うに、救いの手はキット、彼の人生にも、差し延べられていたと思いますが、彼は,勿論、素直では無かったので、それに気付けなかったか、受け容れるタイミングを逸したのだと思います。

 でも多分、斯う言う人は、世の中には思ったよりも、沢山いると思いますが、私がこの事件を聴いた時に、「死ぬのなら、自分一人で死ねよ」と思った様に、そう言う人もそう思って、大抵、自殺しているだろうと思います。 減ったとはいえ、未だに自殺者は、年間1万人超いるのですから。

 識者は「社会のひずみが・・」と言うかもしれません。 でも具体的に、何がイケないのでしょうか? 何が足りない、或いは、何が過剰なのでしょうか、と言う答えがこの話に網羅していると思います。

 オソラク是は、多少の工作はして居ても殆ど実話でしょう。 彼の孤独な精神が、救われた瞬間が、見ず知らずの娘がお節介で作ってくれた朝ご飯を、夢中で食べた時だと分るからです。

 然し、何故この様な娘が、突如現れたのでしょうか、然も、同じ様な境遇だと云う、すると、仏教に云う因縁と言う言葉が、浮かびますが、是程、劇的な展開は、あまり聞いた事が有りません。 
 実は私も、16歳で死のうと思って居たので、彼の気持ちは、なんとなくわかります。 何故か? 自分は社会に参加させて貰えていないと言う、強い疎外感があったカラです。 

 誰も自分には、期待などして居ないし、自分にも人並みになれる自信が皆目ない、ダカラ、自分は余計者だ、そうして生まれる疎外感は、決して、物質的な不足で起こるわけでも、過剰な愛情の裏返しで起こるわけでもありません。

 身も心も成長過程に在る世代の人間にとっては、毎日が「自分で乗り越えなければ、ならない事」の連続です。 ダカラ、傷ついた時にその傷を癒せる静かな場所が、必要なのです
そして、傷を癒せるのは、自分自身の力でしかない、ダカラ、「口出しせず、黙って見守ってくれる存在」も必要なのです。 

 それが、大抵は両親の役目で、特に、母親の役目であるのは、母親が、生まれてからずっと、無償の愛を注いでくれた存在で有る、と言う信頼感が子供側にあるからなのでしょう、所がそれが欠如している、或いは欠如した時期が有ると、衝動的に自殺する事が有りえると思います。

 この男性や川崎の事件の男には、その無償の愛を注いでくれる存在が全く無かったと言う事でしょうから、自殺は必然の選択肢としてあった。 でも、この自殺寸前だった男性には、神様が救いの手を差し伸べたとしか思えない娘が与えられました。

 彼は、其れまでに、親切な親方に拾われて、有り難いとは思って居たけれども、世間の冷たさを知っていたので、孤独感に拠り心の扉は開けて居なかったが、決して、歪んだ精神の持主では無かったのは、幸いでした。 ダカラ娘の好意を最終的には、素直に受け容れる事が出来たのでしょう。

 然し、川崎の事件の岩崎某は、そうした僥倖に与る事も無く、絶望したまま、死んでしまった。

 其れを評して、「『どうせ、死ぬのなら一人で死ね』と言う言葉は、余りに在ン国ではないか?」と言う人が、居るが、其れは間違って居ると思います。 

 彼のヤケクソな人生の終わり方で、彼の人生には、何の関係も無い人達が、突如命を絶たれたのでsです。 そこに、犯人に対する怒りは有っても、同情は出来る筈が無いでしょう。

 そんなに甘い世の中なら、世の法秩序は保ちえない、つまりはそうした、世の中から、ドロップ・アウトして終い、自殺するしか手段が無くなって終うのは、生存競争について行けない個人の問題で、全く別の問題だろう。

 追詰められたら、無関係な人を殺しても良いと言う正義は、地球上には無い

 思うに、日本は伝統的に、子供を大事にする文化を持って来た、ダカラ、子供も労働力の一員として、期待する他は無い農耕民族でも、ある時期になれば、学校教育を受けさせ、其処に生じる余分な経済的負担と、労働力の不在を主に両親が補って居ました。 ダカラ、親に取って子は人生の宝なのです。

 然し、何事にも例外と言うのは有って、育児放棄、子捨て、子殺しは、昔から定量報告されている事ですが、大抵そういう親は、自身がそう言う目に遭って、親が注ぐ「無償の愛」を知らないで人の親になったケースが多いのでは無いだろうか。

 この無償の愛は、宗教者で、神のご意志を知って居る者には、躊躇いなく実行可能だが、神のご意志を知らずに。是を行う人には、固より「無私の愛」を持って居る事は必要になるが、疎の様な人が一般に居たとしたら、悪人に利用されまくって悲惨な人生を送る事に成るのではないかと心配になる。 

 その多くは、何教であろうと、其処に神様が居らっしゃれば、発現すると私は信じて居ます。 

 我々は、神を信じ乍らも、同時に、生活をすると言うドグマを抱えて居ますが、唯、少しだけ余裕を持って、他人の身になって他人の心で物事を斟酌する「利他愛」の心さえあれば、この世は、今より随分住み易い世になるに違いないと思います。

いい話だと思います。
こんなことが実際にあるのか、ないのかは知りませんが、良い話で読んだ人が和むのならそれはそれです。


文中に「一人で死んでいく人なんていないんだよ」と「一人で死んでやる」との言葉がありました。
これは、5月28日の川崎市多摩区で起こった51才の男による、19人もの殺傷事件を意識して、縦椅子様が取り上げたのかと思いました。

私は、この事件には怒りを覚え、「自死するなら1人で勝手にやってくれ」と思う人間です。その考えは、今も変わりません。
地球上には、沢山の動物が生きています。
その中で、自死する動物は人間だけだと思いますが、自死する人を見たときは気の毒だと思いますし、可哀想だと思います。

誰だって、自分のよりよき未来を願って夢を描きますし、そうなれば嬉しいのは当然だと思います。
でも、素晴らしい夢を描くのは一人だけではないし、努力の差もあれば、運の差もあるし、持って生まれた差もありますから、その夢が現実になるのはごく僅かです。
夢を現実に考える努力をする前に、夢を描けない人もいますから、夢を我が物にする前に挫折したり、2番目、3番目の夢を、せめてこれ位と思う小さな夢すら得られない人だって沢山います。

イヤ、全ての夢に破れる人だって、少なくないのです。
そんなとき、自分だけが世界の不幸を背負っていると、思わないで欲しい。
そして、生き抜いて欲しいと思うのです。

それでも、世の中の全てに悲観して自死する人が、日本には年間30,000人以上いると思ったら、1998年から2011年までは30,000人以上でしたが、それ以降は減少傾向で2015年には24,025人にまで減っていました。有難いことです。


だけど、気の毒ですけれど全ての希望がなくなって自死するときには、自分一人でして欲しい。
数年前には、自タヒをしたい人が集まって集団で亡くなっていたこともありましたけれど、こんなことで協力するな。協力するなら生きるために協力して欲しい。死ぬ程苦しいことをするなら、協力して生きる方向で協力して欲しいと思います。

それなのに、関係ない人まで巻き込んで自タヒをするのは、厳しいかも知れませんが止めて欲しいと思います。まして、その相手に子供を殺傷するのは最低だと思います。

子供にはどんな子供でも未来があるのです。
その未来を奪うことは誰にも出来ないし、やってはならないことだと思います。
子供の未来を奪う権利など、誰にもないのです。
そして、その子供達によりよき未来を与え、努力させることが日本の未来に繋がるのだと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 慣習によって束縛されてきた従属社会集団が、個人に何よりも高い価値が与えられることによって、解体してゆく | トップページ | 「護憲、東京裁判史観、侮日」はユダヤ人らが在日・反日勢力に命じた占領政策だった? »

最近のコメント

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31