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2019年6月14日 (金)

日本人が評価しているという噂で安重根は英雄となり、日本人の書いた虚構本で閔妃は国母となった

ーー以下「宮崎正弘ブログ読者の声(茂木弘道)」より抜粋編集

安重根と閔妃は反日朝鮮人らの象徴的な存在になっています。

彼らの存在について、但馬オサム著『韓国の呪術と反日』(青林堂)で、但馬氏は次のように説明しています。

「抗日英雄として韓国民のヒーローとなっている安重根」

「伊藤博文暗殺当時は、韓国での(彼の)評価は決して高いものではありませんでした」

「高宗からして安重根を『物事の理事を解さない流浪人』と唾棄にも等しく切り捨てています」

「韓国の知識人たちの反応も『馬鹿なことをしてくれた』『国の恥』という見識が大勢でした」

「ソウルでは1万人規模の伊藤追悼集会が行われ、全国各地に広がったといいます」

「ところが、日本の愛国者などに安重根を評価する声があった」

「これが戦後、韓国で、(次のように考えられるようになったと)」

『日本人も尊敬している安重根』→『罪深い日本人さえ安重根の正論を認めざるを得なかった』→『安重根の行動は正義に違いない』

ーー

国費を私的に浪費し、無慈悲・冷血で国政に介入した閔妃は戦前の悪女の代表として、戦後70年代までは、映画にしても徹底的な憎まれ役として描かれていました。

それが80年代以降、言論・メディアによって「慈悲深い国母」という印象操作がなされ悪女から善女に印象が完全に逆転した。

そして今や「明成皇后」「誇り高く慈悲深い国母」「日帝の飢狼によって殺害された悲劇の王妃」とされている。

このきっかけを作ったのが角田房子著「閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母」だった。

伽耶大学・崔基鎬客員教授は「日本の愚かな女性作家が閔妃に同情的な本を書いた(からだ)」とその理由を述べた。

角田氏は、根拠もなしに三浦日本公使が独断で閔妃を殺害したと決めつけた。

そして女史は日本人に謝罪を要求したのだった。

ーー

「悲劇の王妃」という印象はこの本から韓国に伝播したのだ。

ーー

しかし殺害現場に居た閔妃の息子(のちの純宋)は、母親を殺したのは訓練隊隊長の禹範善だと証言した。

そして純宋は、刺客を送って日本に亡命していた禹を殺害している。

嘘を書いた角田房子の本が基になり、閔妃神話が生まれてしまったわけです。

 日本語原文: http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Korean5.pdf
   英訳文:http://www.sdh-fact.com/CL/Korean-Mysticism-No.5.pdf
「史実を世界に発信する会」

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>戦前日本の世界観の誤り
 其れにしても、戦前日本には、情報不足が故に、伝統日本の世界的な価値が分らなかったからなのか、自国の元総理大臣を暗殺した、犯人に同情を寄せる様な人が、愛国者として評価されて居たのですね。 

 法治主義の観点からも、ちょっと信じられませんが、世の中には、つむじ曲がりがいて、大勢の意見に態と逆らう事を書いて、注目を集めて、泡良くば金儲けにしようと企むものまでいます。

 閔皮の暗殺についての首謀者が、大院君であったのは、当時の両者の徹底した非難合戦や様々な対立の事実から、就中、刺客の送り合い等、明らかでしたし、何より、現場に居た閔妃の息子が、犯人が朝鮮人で身近な人物で有り、剰えその犯人を追跡~殺害に及んでいると言う事実を、この角田さんは、全く知らずにこの本を書いた可能性が高い。

 彼女が本を書いた時点では、その事件は「既に数十年前に起った事」だった筈で、角田さんは事実不確認のママ本を出版して終ったと言う事だろう。 是は恥ずべき事で有る。 

 二つの事件に、共通している点があるとすれば、戦前日本の半島に対する親近感の強さだと思う。

 確かに、日本はその地理的な位置関係からも、半島国家とは色々なかかわりが有った、特に、九州と半島南部~済州島~西部海岸は、日本人の源流の一つである海人族=倭族の生活圏で、漁労を共に行って居たから、偶に「瀬」の取り合いで揉める事は有ったも、気象急変で危うくなれば、緊急避難で相互に援け合う事をして居たであろう。

 そして、両者は、何時かしら親戚づきあいをして居た可能性も有る。 

 国が違うとはいえ、其れは現代の話で、当時海上ゆえに国境さえ不確定な時期に、同業種にして、固より同じ海人族であるからには、同族意識の方が強かったであろう。 是は現代でも、長崎や佐賀・福岡、或いは、山口・島根、愛媛にも、半島系海人族の足跡は残って居る。

 唯、問題になったのは、半島の支配層が、海人族とは、全くの異民族で有ったと言う事実である。

 「お互いに危機に際しては、助け合う」事を暗黙の了解事とした、海人族同志ではなく、海に関しては、全く知見が無く、恐怖心しかない状況で、同じ遊牧民国家の元に日本侵略を唆したのだから、彼らが、如何に非科学的な思考しか出来無い人々だったかが、判りますね。

 結局この元寇の失敗で、高麗も、元も大きく衰退し、数十年後には瓦解し消滅して居ますが、謂わば。当然の結果でしょう。

 高麗は元寇後に、大虐殺を行った対馬漁民の関係者を含む、海人族「=倭族」の報復である、倭寇の被害を受けて居ましたが、襲う方と襲われる方が、グルなのですカラ、始末に負えなかったのは当たり前です。 是も、高麗の衰亡の一因とされて居ます。

 日本と半島の歴史でモゥ一つ見落とせないのが秀吉に拠る「朝鮮征伐」ですが、当時、日本は、スペインの侵略の標的にされて居ました。

 秀吉は最初は、当時仏教勢力が大名と同じ程度の軍事力を持って居たので、是を牽制する意味も有ったのは、主君信長に倣ったものでしょう。 処が、訴えが有り、その内実を調査したら、高山右近を始めとするキリシタン大名が、火薬一樽当たり、日本の若い娘50人を奴隷として売って居た事を突き止め、激怒して、高山右近をフィリピンに追放、キリスト教を禁教としました。

 然し、スペイン勢は、今度は当時、成立したばかりで不安定だった、明を調略して日本に対抗します。

 秀吉は明攻めを決断して、その足掛かりとして、半島を拠点とすべく、使者を送りましたが、固より、李氏朝鮮は明の属国ですカラ、にべもなく跳ねつけます。

 その上、半島の倭族からの、訴えもあって、兵を送りこむと、直ぐさま、呼応したので、朝鮮軍は、あっと言う間に北に追い詰められました。 処が、此処で兵站を潰されて、日本軍は、兵を引かざるを得なくなりました(慶長の役)

 そして、秀吉の侵攻にも、明は動く気配を示さなかったし、スペインも兵を動かすと言う情報は無かったので、兵站を整えて、再度出兵しましたが、途中で秀吉自身が亡くなって終い、侵攻の本当の意味である「キリスト教国の侵略を防ぐ」事も、秀吉の右腕と頼む、黒田如水も、隠れキリシタンだったので、石田三成の反対にも拘わらず、朝鮮征伐は中止となりました。(弘安の役)

 中止となった理由は、後世の歴史家が、キリスト教国への阿りからか、秀吉の「耄碌の所為」と言う話にすり替えられていますね。

 信長時代から、イエズス会は、宣教師を送り込んで居ましたが、秀吉の禁教施策の為に、潰えましたが、秀吉が亡くなると、今度は、島原の農漁民を騙して教化して、反乱を起こさせました、乱の平定は、幕府軍の板倉重昌率いる九州全土の大名を巻き込んだ大掛かりなものになって、堅城原城に立てこもる凡そ3万人の農漁民他、反徳川の武装勢力迄いたので、幕府軍は苦戦を強いられ、主将板倉重昌が戦死する自体になりました。

 是に驚いた、家光の幕府は、松平伊豆の守に命じて、当時、出島で交易を許して居たオランダ商船2隻が持つ大砲を使って、原城の城壁を破壊、其処へ九州勢が殺到して、乱は平定されました。

 是を仕組んだ伊豆の守は、改めて、キリスト教徒の残忍さと、宗教の怖さを認識して、その後の「宗門改め」に拠って、布教を事実上禁止して、仏教を陳腐化して終いました。
 
 この後、日本の庶民層が、外国人を国内で見受ける事は無くなり、鎖国状態に突入して行きます。

 鎖国状態の何がイケないのか、と言えば、世界の情報が入って来なくなる事ですが、江戸幕府は。その為に限定した場所の貿易でしたが、オランダを相手に、欧州情報を、シナ人からは、大陸の様子を得て居た様で、庶民は勿論、知りませんでしたが、知っているべき人は知っていると言う状態だったようです。

 齎される情報が、一方的な見方に偏って終うのは、致し方ない事です。 然し、外交と言うのは、多面的な情報を持って居なければ、駆け引きなど出来様もありません。 騙されない為には、或る一線を超える事は出来ず、「おっかなびっくり」の状態が永く続いたものと思われます。 

 そして、入ってくる情報は、専制主義社会の欧州情報が主で、どれも、高圧的で重苦しいものでした。

 処が、19世紀の思想である共産主義が、それ迄の、重苦しく利己主義に満ちた考えを打破する、新たな思想として、日本に紹介された途端。是を知り得る、知識階級を中心に、日本社会の赤化、革命思想が広まって行きます。

 共産主義の土台になっているのは社会主義ですが、日本の農村の仕組みは「欠落者」を出さない仕組み、即ち「助け合い」なので、親和性が有りましたが、日本伝統の天皇をいただきに置く政体を、共産党が否定して居る処から、一部の造船労働者を除けば、労働運動も盛んにはなりませんでした。

 然し「肯定されたテロ思想」である共産主義を信奉する、「世の中をひっくり返してやろう」と言う騒動師的な集団は、世の中でスポイルされて、人生の目的を見失った絶望感に、支配された人が多く、自然集まった組織内でも。殺人や暴行が、日常的に行われて居た様ですね。

 政府は、こうした実態を踏まえた上で事実上の「共産主義思想禁止令」である「治安維持法」を創りだしますが、この時すでに、近衛文麿は、2度の総理大臣への大命降下を受けて居たし、2度の共産主義者に拠るクーデターが起っていたのだから、日本の陸軍を中心とした、共産主義汚染は、モゥその中枢部にまで及んでいた事に成りましょう。

 是で、戦争に勝てるわけが無かったのですね。 やはり、日本の弱みはエリート層だと思います。

韓国人が英雄としている安重根と朝鮮王朝で国費を浪費していた閔妃は、今は英雄になっているのですね。

安重根は、伊藤博文が朝鮮の併合に反対していたことを知っていながら暗殺しました。今は、併合に反対した暗殺者として、英雄になっています。
閔妃は、生前は貧しい朝鮮で浪費家とされていましたけれど、戦後と言っても最近、国母として評価されるようになったそうですが、評価されているとは知りませんでした。

もう一人忘れているのに、李舜臣がいます。この人も大した働きもしていないのに朝鮮では英雄になっています。

朝鮮に世界で評価の高い人はいないのですが、これは、実際に碌な人がいないからだと思います。
だから、こんな訳の分からない連中が、素晴らしい人として評価されているのでしょう。
真面目な人を正当に評価して、褒めるのならば良いのですが、それが出来ないのは、朝鮮の民度が低いことを示していると思います。

私なら、金錫源将軍が朝鮮戦争で釜山橋頭堡の戦いで素晴らしい指揮をしていますから、これを英雄として映画にしても良いものになると思います。
しかし、日本の陸軍でも優秀でしたから、韓国では親日人名辞書に選定されました。これで、素晴らしい英雄とは出来ないのです。
アホみたい。

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