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2019年6月19日 (水)

妻が浮気していることが分かった

ーー以下「you tube」より抜粋編集

俺の事なんだが、高校を卒業して就職して一年、高一の頃から付き合ってきた同級生の良子(よしこ)と結婚し息子の健一もできた。

仕事は、最初は先輩に付き一から教わっていたのだが、教え方のうまい人で、良く理解できた。

そうこうしているうちに自分で工夫を加えて先輩からも一目置かれるようになった。

俺は会社の持つ特許やそれにまつわる法について関連書物を読み漁った。

自分個人の才覚や知識など知れていることがよくわかった。

ーー

それが仕事内容に深みをもたらしたのだろう、仕事ができると評価されるようになった。

すると、どんどん仕事を任されるようになり、人も金も与えられるようになった。

そうなると会社への責任が重くなり、給料は増えたものの時間が無くなる。

夜遅く帰宅することが多くなり、良子との会話も減り健一の顔を見ることさえなくなった。

ーー

将来の生活に備えて、昇給分をそのまま自社株買いに充てていた。

会社での地位に野心を持っていたからだ。

俺の企画書が評価され、事業化されることになり、部下をつけて任され成功した。

以来、多くの人が俺の企画に興味を持つようになり、地位も上がっていった。

ーー

そんな時、数枚の写真が会社宛て俺に送られてきた。

そこには、良子と男がラブホテルに入る姿が写っていた。

自社や他社の競争相手が悪意を持って送り付けたことも考えたが、すぐに真相を知るために興信所に調査を依頼した。

良子は浮気していた。

俺はいろいろ考えて家族を守ることが最適解だと考え、それに向かって行動を起こした。

ーー

まず相手の動きを封じ込めた。

相手は良子が働いていた会社の上司で有り、結婚しており子供もいる。

興信所に彼の家、妻や子供たちの写真、両親の写真と家族構成も調査してもらった。

そして離婚専門の弁護士を雇い、その情報を持ってこの弁護士と共に彼の会社へ行き面談を申し込んだ。

当然拒否してきたが、弁護士同伴であることを告げると、事情を察したようで、休みをとり面談に応じた。

ーー

俺は、これが自分宛に送られてきた写真だと見せ、彼のことも調べたことを示すために、彼の住む家や家族や両親の写真も見せた。

そして、浮気を確認したところ彼は青ざめながらそれを認めた。

認めなければ興信所の資料を出す予定だった。

そしてあらかじめ弁護士と相談し、俺への慰謝料200万円(ほぼ調査費)の支払い、良子への接近禁止、違反した場合は罰金1000万円の支払いを受け入れるという念書を用意し承諾させ、署名捺印させた。

分かれるとき、彼の耳元で、もし約束を破れば命を懸けてお前とお前の家族全員をつぶすとつぶやいておいた。

ーー

慰謝料はすぐに振り込まれた。

それから俺は、早めに仕事を終わり帰宅するようにした。

良子は驚いていたが、俺はじっくりと良子の様子を見、健一や部屋の中を見渡した。

部屋の中はきれいに整頓されていて、掃除が行き届いていた。

しかし良子の表情は何かに怯えているようで暗く、結婚当初のおっとりとした華やかな雰囲気はすっかりなくなっていた、会話もなかった。

健一はおずおずと俺の顔を見上げる。

ーー

俺は、ここ数年来良子を抱いたこともなかった。

心の中で、すまない、と心から良子と健一に謝った。

そして良子の目を見て言った。

「すまなかった、今日までは会社のために働いてきた」

「これからは家族の幸せのために働くのでどうか俺の事を見捨てないでほしい」と。

ーー

今まで自分の企画を実現するために部下を訓練し、協力してもらいやってきた。

今度は家族の幸せを実現するために家族を大切にし、協力してもらうことにした。

部下に仕事を次々と任せて、定時に勉強や仕事を終わらせるように工夫した。

そして早く帰るようにした。

ーー

始めは良子も早く帰る俺をどう扱うべきか困っていたようだが、だんだん俺がいることに慣れていった。

俺は、会社の出来事を話し、部下のことを相談し、健一のこと、健一の学校のことを聞くようにした。

そして会話をするために、食後の食器のかたずけをはじめとする家事を、なるべく邪魔にならないようにしながら手伝い、料理のできを褒めるようにした。

ーー

あるとき、

「お母さんありがとう」

「高校の時に一日中一緒に居てとても幸せだったあの頃を思い出すよ」

「ずいぶん長い間ほっておいて本当にすまなかった」

と言うと良子は「あなたの心遣いが身に沁みます」「私こそありがとう」といった。

ーー

毎晩抱き合って一緒に寝た。

ーー

良子も俺が本気であるとわかったようだ。

俺の目を見て日常思っていることを話してくれるようになった。

笑顔がみられるようになった。

健一も俺に学校での出来事をしゃべりだした。

ーー

俺は、就業時間を利用して、勉強会を開き、部下の意見をよく聞くようにし仕事での風通しを良くすることにした。

そして定時終業を掲げて労働環境を整えていった。

会社の業績も上向き高額の配当も得られるように成った。

ーー

俺自身は、早く就寝し、早く起きて朝食後に散歩をし、体力をつけるようにした。

家族サービスをするためだ。

学校の行事にも、良子と一緒に参加し、近くだが季節ごとに遊びに出かけるようにした。

ーー

12年たって、その間に健一のひどい反抗期もあったが何とかそれも乗り切れて、健一が大学を卒業して就職し、家を出て行った。

ーー

そんなある日、良子が、「ごめんなさい」「私は以前勤めていた会社の上司と浮気をしていました」と泣いて謝ってきた。

「私の事なんか眼中にないあなたと離婚し、私のことを気遣ってくれる上司と添い遂げようと思っていた」

「あなたが早く帰ってくるようになって見捨てないでほしいと言った時に目が覚めた」

「でも浮気を黙っていることに、いままでずっと罪悪感を持っていた」と。

ーー

俺は「知っていた」「興信所を使って調べた」「お前の相手には子供が二人もいたよ」といった。

そして俺が早く帰るようになってからはそんなことは一切なかったことも知っていると言った。

「俺は、良子や健一を捨てられなかった」

「一緒に健一の名前を考えた幸せな時を思い出して二人を捨てられなかった」

「俺だけの野心のために家族を犠牲にはできなかった」

「だから以前の幸せな家族を取り戻すために命掛けだった」

「それに良子も健一も協力してくれた、本当に感謝している」

ーー

そういうと良子は「ありがとう」と言って、「けじめだから」とあらかじめ用意していたのだろう署名捺印済みの離婚届を差し出した。

そして慰謝料の代わりとして財産を分けてもらわなくてよいといった。

俺は黙って名前を記入し捺印した。

健一に離婚すると連絡すると、何も聞かずに好きなようにしたらと言ってくれた。

翌日離婚届けを二人で役所に出した。

ーー

無一文となって、良子は、近くのスーパーにパートとして勤めだし、しばらくして近くに住むところを見つけたと言って手荷物ほどの身の回りの物を持って出て行った。

俺は一人になって、何か高校時代に戻ったような気持ちでいる。

毎日、良子が俺の帰りを夕食を作って待っていてくれる。

良子には多い目の食費を渡している、それで家賃も払えているのだろう。

近いうちに指輪を買ってきて、家事をしに来る良子に2回目の結婚の申し込みをしようと思っている。

受けてくれるだろうか。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>夫婦と言う宿縁
 私は、今迄の人生を通して「人との出遭い」に拠って、救われて来た事を確信して居ます。 数え上げれば、十数人にも上りますが、皆さん私が「道を逸れない様に、絶妙のタイミングで現れてくれた」人ばかりです。

 就中、私が30代の時、仕事のストレスを解消する為に、毎晩、呑み屋通いを始めて借金塗れになり、体もボロボロになっていました。

 最早結婚する気も失せて居たのですが、その頃に、大震災に遭遇、神戸の飲み屋街も、殆どが、閉店~廃業して、自分の生活パターンを変える他無くなって居ました。 その時に、母親が危篤との知らせが入り、18年ぶりに帰郷した処、命はとりとめて居ましたが、母に、嫁の心配をされました。

 既に、40歳を超して居たので、其れで付き合って居た、複数の女の子を整理して、中には、外国人の女の子も含まれて居ましたが、彼女らの本音は、「日本籍」を取得する事だと分って居たので、早々に、付き合うのを止めました、すると、誰も残らずw 呑み屋系の人脈には、嫁の縁が無い事が分りました。ww 

 其処へ、以前から飲み屋で仲良くして居た、年下の男から「一度、姉と遭ってほしい」との誘いを受け、逢ってみると、一目で容姿や性格の率直さが気に入り、半月も経たずにプロポーズして、一月後には、鹿児島につれて帰って、母親に紹介し、許可を得て、即入籍しましたね。

 結婚してから、私の体に、今迄の無理な生活の祟りが出始めて、毎年、違う病気を発症、然も、22年務めて居た会社も当てもないのに辞めて、職を転々としましたが、結局、22年やって居た経験を活かせる仕事に収まりました。

 すると、今度は体に変調が本格化し始めました。 殊に、糖尿病の合併症での視力障碍や神経系の障害が出始めて、車の運転に支障をきたす様になって、客先が地方に点在して言えるので、車に拠る出張が常態の仕事を辞めざるを得なくなりましたが、結局、その後脳梗塞やMRSA迄、惹き起こして、今では、軽度ですが、身体障碍者です。

 この20年で、度重なる入院と手術で、家計も体も、ボロボロ、もし女房が居なかったら、疾うの昔に病死していたか、自殺して居ただろうと思います。

 原因は、勿論、30代の出鱈目な生活に在るのは、明白ですが、精神的にも、休みが無い日常に、救いが無く、ヤケクソな部分が有りましたね。

 然し、訊いてみると女房も、実は子供が2人居るが、離別しているとか、前の夫が、在日で、子供を2人も作ったのに、結婚・入籍出来無くて。挙句家を出されたと言う、衝撃的な話が続々ww

 然し、固より私は、「未来しか興味が無い」と言う考えなので、別に気になりませんでした。

 唯、彼女は「2人の我が子を取り戻そう」と言う気で、飲食業を20年以上に亘ってやって、一時は、高級な呑み屋を経営して居た所為もあって、気が強く、自分の主張に拘る処が有るので、違う意味で、気の強い私との喧嘩が絶えませんでしたが、お互い、引き摺らない性格なので、何とか持って居るのだと思います。

 斯うして看ると、私の人生は、自分の好き勝手にやって来た部分が多いのですが、都度、色んな人に、教えて貰い、助けて貰い、気にかけて頂いて、今生きておれるのだと、この頃沁々思う様になりました。 

 特に、女房とその家族の方々の、御支援や心の支えが無ければ、今の生活は成り立って居ません。

 ご紹介いただいた、人は、人間として、とても立派な方だと思います。 人は良かれと思って、一心不乱に邁進してその成果を出したとしても、人は、24時間しか与えられていないので、おのずと、自身の不在が齎す、大抵、悪い結果が出て終う。 是は、「時間の借財」であり、自分以外に償う事は、出来無い代物です。

 この人の立派な処は、其れを他の所為にする事無く、真っ正面から、立ち向かい、一つ一つ、解決した点に有ると思います。

 一方の奥さんも、自身の弱さを自覚・後悔して、裏切った代償として、子育てと言う「親の責任」を終えた処で、自発的に「ケジメ」として、離婚を云いだして居る点で、是が、2人に取って、「引き摺らない」最適解だったのでしょう。 

 マァ、此処には書いて居ませんが、もっとドロドロした心の葛藤が潜在・顕在して居たと思いますが、そう言うネガティブなものを切り捨てる事が出来る人々だったのでしょうね。

 斯うして看れば、現世に生きて居る人々には、其々に、ドラマがあり、其処で起こる問題に関連する人々は、皆、「他生の縁」を持って居る人々だと言う事です。 そして、その他生とは、大抵は、同じ日本で、前世も縁の濃い関係に有った魂同士で有る事が感じられます。

 では、この世には、何の為に下生させて貰ったのか。 と言えば、前世での関わりに、悔いが残って居るカラに相違ないと思うのです。 つまり「モゥ一度やり直せたら・・」と言うものです。 それが親子でも、兄弟・姉妹でも、そして夫婦でも起こると言う事でしょう。 そしてその悔いの原因の殆どは、「時間の使い方」に有ります。

 私は思うに、この世で一番大切なのは、時間であり、その使い方だと思います。 

 意志なく、漠然とした生き方をして居る様に見える人は沢山居る様に思えますが、其れは、自分には関係が無いのでそう見えるダケで その無駄にした様に見える時間は、その人の人生に於いて、自分が、「無駄にした」と感じる領域で、必ず復讐されて居ます。 ダカラ、悩みが無い人など居ないのです。

 然し、その空いた時間を何か他の事に振り向け、それが他者の魂を安らげる、或いは、他者の身になって考える様な時間の過ごし方なら、ちゃんと救われる様に出来て居る、是が、神様が定めし、自然の法則であると、この頃気が着きました。

 自分の言動の評価は、感じ取る他者がするモノです。 つまり、他者の感謝の波動が、その人を救う動機になるのでしょう。

 ダカラ、意識して他者の為に何かをするよりも、自分の心の命じるままに、例え、相手に理解されずに、無視されようが、悪意で裏切られても、其れは相手が自分に他生で縁のある人だからでしょう。 ダカラ、貫き通す事がひつようです、すれば、「至誠は、天に通じる」のです。

縦椅子様
 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
ソロ様の仰るー≪ご紹介の人の立派な処は、其れを他の所為にする事無く、真っ正面から、立ち向かい、一つ一つ、解決した点に有ると思います。≫
 ≪一方の奥さんも、自身の弱さを自覚・後悔して、裏切った代償として、子育てと言う「親の責任」を終えた処で、自発的に「ケジメ」として、離婚を云いだして居る点で、是が、2人に取って、「引き摺らない」最適解だったのでしょう。≫ -ことに全く同感でございます。
≪此処には書いて居ませんが、もっとドロドロした心の葛藤が潜在・顕在して居たと思います≫、と離婚にまつわる大変さは
容易に想像できます。
そもそも結婚して、入籍した途端、「どんな運命が両人を待っているか・・・神のみぞ知る?}なのです。特に女性は子供を抱え、運命に翻弄されます。女性の心の中で絶えず救いを求めているのは、自分を育ててくれた父と母です。多分夫ではありません。かっては子供だったものが母になるのですから、不安がいっぱいです。何とかやりこなそうとしますが、疲れてしまいます。そんな心の隙間に色んなものが入ってきます。何十年も違った棟にいたものが、相手に染まるということや、相手と同じ考えをもつなんてことは、無理なことと、今になって思えてきます。
 女も男もすべてのしがらみからリセットする必要があります。それが離婚という制度かもしれません。しかし離婚には大変な痛みが伴います。そしてこの痛みに苦しまれている人を思うとき早く乗り越えていただきたいと祈ります。そしてクリアできたときこのブログのように、新しい自由な関係が出来上がると思います。何かに守られて生かされている毎日に感謝しつつ・・・
 

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