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2019年6月 9日 (日)

これからも、日本人が日本人である限り、必ず、日本人は、楠木正成と同じ実践をする

ーー以下「宮崎正弘ブログ西村眞悟コラム令和1年6月7日」より抜粋編集

産経新聞の三つの小論を紹介したい。

1、5月31日付「正論」、櫻田淳「『臣』の制度を再構築するとき」

2、5月31日付「世界読解」、湯浅博「ケナン呼び戻す『X書簡』」

3、6月6日付「正論」、島田洋一「対中戦線を乱してはならない」

ーー

1、我々国民は、今までのように、天皇皇后両陛下に、「無条件の無私」を半ば当然のように求め、事あるごとに両陛下に「寄り添っていただいた・・・」。

令和の御代を迎えた今こそ、国民の側が如何にして皇室に報いるのかを自問しなければならない。

万世一系百二十六代にわたって天皇を戴き今日に至る日本の国民として立憲君主国家における「君」を支えるための「臣」の制度を構築しなければならない。

立憲民主国家の行政府の長である内閣総理大臣とは「筆頭の臣」という語義をもつのだ。

そして戦後七十余年、日本が犯した過誤の最たるものは、以下だと述べる。

「民主主義の趣旨が『平等化、平準化、凡庸化』であるという誤解にとらわれた結果、華族制度廃止の後、『臣』の役割を担うべき『選良』層の養成を怠ったことである」と。

ーー

この櫻田淳論文は、戦前の華族制度の必要性を主張しているのである。

さらに、日本人が日本人であるところの「天皇を戴くという本質」を指摘した。

即ちこれは、我が国を取り巻く内外の真に厳しい国難ともいうべき情勢のなかで、その国難を克服する「日本人の力の源泉」を指摘したものである。

櫻田氏いわく、「『国民は、如何にして天皇に報いるか、皇室に報いるか』この自問は、危機に直面して日本人が如何なる決断を促してきたのか」と。

楠木正成は、六百数十年前、天皇に味方し勇戦奮闘の末の「七生報国」を誓う潔い自決で応じた。

以来、大東亜戦争の無名の兵士に至るまで、日本人はそれを実践してきた。

そしてこれからも、日本人が日本人である限り、必ず、日本人は、楠木正成と同じ実践をする。

ーー

そこで、この力の源泉である万世一系の天皇を戴く日本国民は、今、如何なる国難に直面しているのか。

それを経済問題ではなく、明確に文明の問題として指摘しているのが2、と3、だ。

ーー

2、1947年、アメリカ国務省初代政策企画局長のジョージ・ケナンが「X書簡」を出した。

これは、ソビエトの共産党独裁体制と拡張主義をアメリカの敵として「対ソ封じ込め」の必要性を説いたものだ。

「関税戦争で始まった米中覇権争いは、いよいよ総力戦の様相を帯びてきた」

「国際法を無視して南シナ海に人口島をつくり、途上国に債務の罠を仕掛け、返済不能に陥らせて港湾を召し上げる」

このような、共産支那に対して、自由主義諸国は団結して、「対中封じ込め」に向うべきだと説く。

ーー

3、「『肉を切らせて骨を断つ』姿勢を相当期間維持できなければ、中国の不正は正せない」

「トランプ氏は、その領域に踏み込んだ初の大統領である」

「その点、日本の有力政治家や経済界のリーダーから『米中とも冷静さを取り戻し、早く事を収めてほしい』といった言葉が出るのは情けない」

ーー

3、では米中対立の本質と日米リーダーの対比を明白に指摘した。

これで充分ではないか、と私(西村)は思う。

ーー

この事態は熱戦ではないが、明らかな冷戦である。

その冷戦に、アメリカだけではなく日本も直面しているのだ。

従って安倍総理も、戦争の覚悟がいるだろう。

共産支那のいわば非近代文明対、アメリカの同盟国のいわば近代文明との対立が生じている。

我が国はアメリカと共に近代文明側にいる、文明の対立の当事者なのだ。

ーー

それは、共産政治と民衆政治、非自由と自由、人治と法治、との闘いである。

勝つか敗れるか、の総力戦である。

島田氏は「しかるに、我が国内閣は、未だに、習近平中共主席を「国賓」として招くか検討をし、その謀略の仕掛け「一帯一路」に理解を示している」ことに慨嘆する。

まったく、その通りである。

ーー

この戦いに敗れれば、日本人は民衆政治、自由、法治を失う。

支那共産政治には断じて屈することはできない。

読者諸兄姉よ、米支戦で経済的に落ち込む人たちも出で来るだろうが、お互い助け合いともに支那共産政治を倒そうではないか!

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>再び皇恩に報いる為に、身を捨てるべし。
 此の話は、国民に飛ばした檄に近いものですね。 其処に有るのは、米支戦争が近代を逆戻りさせるような、共産シナの暴挙を許してはならないと、云う自bb類の総意を背負った日米勢力に対する、応援でしょう。

 鎌倉幕府を共に滅ぼした、足利勢力には、敵わないとは分って居ても、つまり、我が身の功利・打算を振り捨てて、日本伝統の皇恩高き、後醍醐帝に着いた、楠正成の真っ直ぐな忠誠心が、今、日本国民に求められていると説いて居るのだろう。

 功利・打算と言うものは、経済学の基礎の様なモノですが、今の世界を牛耳って居るのは、この経済中心の価値観でしょう、曰く、「儲からないモノには価値が無い」のです。 

 然し乍ら、自然の様々な法則を基にした考えの行き付く先は、「バランスの取れた平和な社会」であり、「全ての生物が、神が与えし命数を、全うできる環境」です。

 神が許された経済活動は、其れを達成する過程の手段に過ぎない。 なのに、其れを目的化すると言う事は、独占して自分達だけが、突出すると言う、目論見が、露骨に見えて居る。

 つまりは、地球「=神」の敵は、シナダケではなく、そうした選民主義を揮って、世界を思うが儘に支配しようとする勢力にもその成分が大いにあると言う事に成ろう。 ダカラ、人類の敵は、米支戦争の両側に居る可能性が有る。

 思うに、選民主義の端緒となったのは、被差別民であろう。 人には、うまれ乍に、自分の命を、神に与えられたモノとして護ろうとする無意識があり、是が、自尊心の基になる。 ダカラ、赤ん坊は、自分の生存要求に従って、泣き喚いて庇護者に報せる。

 同じ事が、マクロ的に民族間で起こっているとして、生存の危機感から、色々な悪さをしたモノを、一方的な利害の基準で、相手を罰したら、其れは、咋な差別になるだろうが、法律は、客観的な平等性なしには、無効であると言う認識を持って居なかった古代では、結局、「力に拠る正義」が、常識に成る。

 すると、虐げられたモノ達は、自身の生存慾から生じた自尊心のやり場に困って、其れで神と言う「救い」を求める事に成った。

 すると、庇護者が居ない民族を、神と言うモノが守ってくれると言う「奇跡」を人間が納得させる為には「品行方正な、秩序ある社会」を営む事が求められる」と、モーシェは、十戒を考案して、民族に示した。 

 そして「皆は、神に選ばれた民だから、この特典が与えられた」と言うデマゴギーを付加した。 それが故に、最初の裡は良かったが、暫くすると違背者が続出したので「神罰」を創りだしたが、現実に力を持ったモノに、タイミング良く、罰が当たるわけもなく、人々は不満に思ったが、長い時間を経ると、そういう、秩序のバイオレイターは、自らが創った原因で自滅してしまう。   
 是は、自然の法則の一つである、「重々無尽の理」の現象の一つである。

 然し、それを「神の仕業」と喧伝して、宗教と言うものが成立したのだろう。 そして、「我々は、神に選ばれし民ダカラ、敵に神罰があたった」と言う事に成り、選民思想も強化された。 つまり、西洋宗教の基であるユダヤ教は、凡そ、こんな過程を通って、民族宗教として定着したと思って居る。

 処が、この宗教を超える道徳的規範を持ち、説得力を備えた宗教を、中東・地中海沿岸国つまり、当時の「世界」は持ちえなかった。

 然し、地球の裏側では、青人文明の基になった筈のスンダ文明から、派生した長江文明やアーリア人の文明が、凡そ、1万6千年前には、出来上がっていて、既に、文明と呼べるものを築き、そして興亡を繰り返して居たから、西洋文明は、世界でも有数の遅れた文明であった事が分る。

 そして白人文明は、その青人文明を下敷きにして、盛んになった文明なのだから、紛れも無く、若い、未熟な文明で有る事が分る。

 その未熟さは、彼らが築いた文明の様々な分野に現れる。 その一つが侵略・植民地主義で、侵略された側も同じ人間だと言う視点が無いので、自然の法則がいずれ働いて、倍旧した報いを受ける事を、考えて居ない。 彼らの思考範囲は、古代と同じで「今を生き延びる」事に、限定されたままだ。

 この世の現象は、全て波動で説明できるのは「物質の極小の相は、波動である」と言う量子論の結論から言って当然の事だろう。 然るに、人の怨念や強い恨み、怒りは、波動で有る事を、皆知って居る。

 そしてその波動は、恨みが晴れるまで、何時までも消える事が無い。 つまり強い恨みや怒りを受けたものは、絶えず、そういう環境に居る事に成る。 ダカラ、波動が現象を誘引したり、惹起したりして、自分が過去に、他に為した事と同じ、或いは、倍旧した、目に遭う事に成る。

 是は、仏教の洗礼を受けたインドやシナ、東南アジア、南アジアの多くの人々は、知って居る事で有ろう。 なのに、共産シナが、利己主義の限りを尽くして世界の覇権を握ろうとしている。

 つまりは、世界の正義が滅びようとして居るのである。 然るに、日本の神は、自然の神、地球そのものである、シナに世界を任せては、地球環境も破壊されるし、弱小民族も絶滅を免れまい。 ダカラ、日本が否が応でも、「地球防衛」の矢面に立たねばならないのである。

 因に、今のシナを支配しているのは、一部は共産主義者だが、大部分は、遊牧民を祖とする古代人と同じ、生存慾を基にしたメンタリティは、原始人に近いので、道理を説いても無駄である。

 熱戦は避けられないと思うが、新たな秩序で、平和な世界を創る為にも、熱戦は出来得る限り避けてほしい、唯、やるとなれば中途半端は危険である。

縦椅子様、ブログの更新をありがとうございます。

今の日本国民の天皇皇后両陛下に対する親愛の度合いは、戦後最高のものになっていると思います。
しかし、これが両陛下に対する勤王の度合いを示すかと言いますといささか疑問で、国民は両陛下に寄り添っていただくことで、終わっている可能性がありますので、愛国心を国民に醸成する必要があると思います。。

これには、戦後の民主主義教育が皇室を忘れていたためで、日本が皇室を中心とした民主主義であったことを教育すると共に、両陛下が国民に寄り添ってきたことを知らせることだと思います。

また、万世一系の皇室を守るため女系天皇を認めないことと、皇室の血統が途絶えないように、旧皇族が皇籍離脱したままとなっているのを旧に復するべきだと思います。


米国や欧米の民主主義国家は、ソ連の共産党独裁体制が拡張を目論んだとき、これに上手に騙されました(日本も同じく騙されました)。
第2次世界大戦の勝利者は、被害が大きかったと言いながらもソ連であり、その他の国は米国も含め戦争に勝っても、勝利の美酒と言うことはなかったと思います。

そして、ソ連は米国との軍拡競争に敗れましたが、これをかいくぐった協賛品の危険性に、米国がやっと気付いたと思います。
日本は、米国と足並みをそろえなければならないと思いますが、経済界はまだピンと来ていないようです。
経済界には米国が圧力をかけないと判らないのかも知れませんけれど、ヨーロッパに国々にも、判って貰わないと共産支那の危険性はまだ収まらないと思います。


共産支那は国土が広く、人口もまた世界最大の国ですから、民主主義国家となれと言っても、簡単に言うことを聞くとは思いません。

それに、共産独裁の国ですから政治体制も簡単に変わるとも思えません。
結局、米国が経済制裁をして本格的な冷戦となり、経済的に行き詰まるしかないのかも知れませんが、国が大きすぎて想像しにくいのです。

経済的に行き詰まって政治指導者が亡命し、その後の指導者が何とかすると考えるにも、内部抗争や内部分裂の繰り返しや経済的な破綻処理が出来なくて、分裂を繰り返して何処まで揉めるのかと思いますし、その過程で、支那の持っている核兵器の取り合いになって血で血を争うことになったり、核兵器を暴発させることもあるのかも知れないと思います。

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