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2019年5月 6日 (月)

この歌は、「白菊と霜の見分けがつかない阿呆」の歌などではない

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

百人一首の29番に凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌があります。

心あてに折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる白菊の花
(こころあてに おらはやおらむ はつしもの おきまとはせる しらきくのはな)

あてずっぽうに折ってしまおう、白菊の花が初霜でわからなくなっているから

ーー

凡河内躬恒は後年、藤原公任(ふじわらの きんとう)によって、三十六歌仙のひとりに選ばれました。

紀貫之(きの つらゆき)とも親交のあった和歌の達人でした。

この凡河内躬恒の身分は決して高くなかった。

しかし「詠み口深く思入りたる方は、又類なき者なり」思慮深く深みのある歌を詠むと評された。

ーー

ところがこの歌に対する最近の評価は、とても低い。

例えば、正岡子規は、「初霜が降りたくらいで白菊が見えなくなるわけがないじゃないか」と酷評している。

現代語訳は、「白菊の花を折ろうとしたが、霜のために白菊との区別がつかない、仕方がないから、あてずっぽうに折ってしまおう」といったものになっているのです。

ーー

これでは、「詠み口深く思入りたる」歌とは到底言えない。

ところが、「白菊」の意味を知ると別の読みができるのです。

ーー

宮中のことを九重(ここのえ)というのですが、ホツマツタエでは、菊のことを「ここ」と書いているのです。

つまり菊(ここ)というのは天皇を象徴する花であり、天皇ゆかりの人たちの御紋は「菊の花」なのです。

皇室は「十六八重表菊」、皇族は「十四一重裏菊」の御紋になります。

ーー

有栖川宮様、高松宮様、三笠宮様、常陸宮様、高円宮様、桂宮様、秋篠宮様なども、それぞれ菊の御紋をお使いになっている。

それぞれ菊の花の図案はご皇室の「十六八重表菊」とはデザインが異なるものになっています。

要するに菊の花というのは、そのままご皇室を暗示させる用語になります。

ーー

そして「霜(しも)」は、この歌の場合「下(しも)」を意味していると考えることができる。

つまり凡河内躬恒は、「皇族でも、下と同じようなら、手折って(殺して)しまえ!」と言っている。

凡河内躬恒は、日頃はとてもおだやかな人であったのですが、この歌はとても過激です。

ーー

日本以外の社会では、上の人は下の人を所有(私有、奴隷に)します。

そんな社会では、下の人が上の人を批判すれば、その時点で殺されても仕方がない。

ところが、下級役人の凡河内躬恒が、「皇族でも、下と同じようなら、手折ってしまえ!」と発言しても、罪に問われていない。

9世紀の後半から10世紀の前半にかけての日本には、言論の自由があったことになります。

ーー

つまりこの歌は、「白菊と霜の見分けがつかない阿呆」の歌などではないのです。

ーー

日本では、天皇が、民を「おほみたから」とされた。

天皇おひとり以外は権力者も民の一員です。

権力者は、天皇の「おほみたから」を大切に扱わなければならない。

そういうことがわからないなら、それがたとえ皇族であっても、「手折ってしまえ」と凡河内躬恒は詠んだのです。

ーー

霜と白菊とでは、正岡子規が言うように簡単に区別できます。

しかし、権力者と民では、どちらも天皇の「おほみたから」であり区別することは困難です。

ーー

政治のことを「色物(いろもの)」と言います。

色は見る角度、照明、背景、それに人にって変わる。

それでもそれらを限定すれば赤は赤、青は青です。

ーー

我が国は、古来から天皇の「シラス」国であり、権力者が民を奴隷にするような「ウシハク(大人支配)」国ではない。

権力者も民もおなじ天皇の「おほみたから」。

なのに、それを無視して民を奴隷扱いするような権力者は、「心あてに折らばや折らむ」。

つまり当てずっぽうでも良いから折ってしまえ(放逐してしまえ!)と凡河内躬恒は詠んでいる。

ーー

いわば権力者を批判してる。

これを身分の低い凡河内躬恒が、うたいあげたところに、この歌の凄みがあります。

百人一首の歌の順番には、歌を解する上において、とても大きな意味があるのです。

そしてこの歌は28番歌の源宗于(みなもとのむねゆき)と並んで、我が国の統治の在り方の本質を、わたしたちに教えてくれている歌なのです。

(出典:『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』)

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コメント


>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>平安時代初期を考える
 日本の9~10世紀と言えば、794年に長岡京から平安京「=今の京都」に、都が移されてからの100年間に当たり、ドンドン街が栄えて行きやっと落ち着いた頃だと思います。

 都を移した桓武帝は、天皇親政の志の高い人であり、天武系の天皇の内輪もめを解消する為に、一切の天武系を排除する様な果断な政策を執った帝で、以後、平城帝、嵯峨帝、宇陀帝、醍醐帝と、9世紀は天皇家の力が強い時代であった。

 然し、天智帝と共に、乙巳の変で、蘇我氏を亡ぼした中臣氏は、天智帝に藤原氏を与えられ、爾来、大伴氏や物部氏に代わって、家臣筆頭の地位を保って居た、藤原園人、良房、基経、時平と、歴代の帝の親政を援け、良き家臣ぶりを示したが、宇多天皇に、見出された菅原道真と時平は、帝がご存命の間は、共に仕えて居たが、帝が薨去すると、忽ち菅原氏を排除に懸った(  の変、866年)

 凡河内躬恒が読んだこの歌は、こうした権柄な権力者「=時平を筆頭とする藤原氏」を、白菊「=帝」を隠す、霜をに喩えて「その白菊ごと、折って終え」と詠んだ事に成りましょう。

 この霜に当たるのが、醍醐帝の御代に、藤原氏無くば執政は捗らず、と言う事で、栄華を極めて居た、時平と、息子の藤原4兄弟の事で有ったであろうと思われます。 然し、隠喩でも、この藤原氏を激しく批判して、罰せない程、世間の藤原氏に対する批判が高かったと言う事でしょう。 日本の世論と言うのは、古代から叺びしく、権力者も無視できないモノだった様です。

 流行った疫病が一体何だったのかは、私は医学関係者では無いので、分かりませんが、感染力が強く早い事や、時間が経てば、免疫が出来て収まって居る処を見れば、空気感染の感冒の一種「=インフルエンザ?」の可能性が考えられますね。 ウィルスや細菌は見えませんからね、感染症は「祟り」と考えられていたのでしょう。

 然し、この時代を知っている当時の人が詠めば、この歌のセンセーショナルな内容が、忽ち判明し、下級の官吏の凡河内躬恒は、首を刎ねられ、歌も残って居ないでしょうね。

 戦後に、左翼の歴史学者に、「貴族に拠る、専横な政治の時代」と歪められた平安時代ですが、桓武帝に用いられた藤原園人や良房が、帝に認められ、以後、重用されたのは、平安京周辺を中心とした、水田の開墾の促進が成功して、朝廷の力が増大した事に有ります。

 朝廷を平安京に移した桓武帝は、新たな朝廷像を模索し、描いて居る開明的な帝で、蝦夷族出身の、坂上田村麻呂を征夷だ将軍を任じ、古の長脛彦討伐「=日本の支配を完きものとする」を諮って居るのです。 この辺りの人事のやり方にも、私が習い、持って居た平安時代とは、全く違う、イメージの根源がありそうですね。

 唯、確かに、大伴氏とは違い、飛鳥の蘇我氏も、平安の藤原氏も、鎌倉の北条氏も、室町の足利氏も、安土の織田氏も、大阪の豊臣氏も、権力者は、権威者として皇室を仰いで来たが、帝の上に立って、色々やって居た事は否定できません。 

 其れは、江戸の徳川氏でも、同じ事ですが、違うのは、歴代の徳川氏が、将軍自ら質素倹約に勤め、決して華美な建物や文物で、自分の権勢を誇る様な愚行は犯さなかった事、そして、情勢が行き詰まったと見るや、速やかに、敵対を止めて大政を平和裏に、帝にお返しした事でしょうね。 是は、恐らく数万人の命が、助かって居る英断で有りました。

 こうした事例は、諸外国の歴史にも決して無い話ですが、共産主義で、頭が足りなくなっていた、日本の歴史学者は、マルクス史観に捕らわれて、バカな歴史を国民に押し付けたのですカラ、その罪は万死に値するでしょう。

縦椅子様

 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
上皇さまが天皇在位中の30日の退位礼正殿の儀に述べられた最後のお言葉は胸をうちます。 
    最後のお言葉全文  
 今日をもち、てんのうとしての務めを終えることになりました。
 ただ今、国民を代表して、阿部内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。
 即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行いえたことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。
 明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后とともに心から願い、ここにわあ国と世界の人々の安寧
と幸せを祈ります。
 「天皇さまが、国民を深く信頼なさり、敬愛していただき全身全霊でそのおつとめを果たされたことを、『幸せなこと』と仰っておられる」---これは、≪日本では、天皇が、民を「おほみたから」とされた。≫天皇が国民を愛していただくそれが「幸せなこと」、つまり≪我が国の統治の在り方の本質を、わたしたちに教えてくれている歌=最期の言葉なのです≫ーー本当にありがたいことです。こんなにも天皇に愛されている国民とは、なんと幸せな国民なのでしょうか!
 新天皇陛下初の一般参賀に14万人もの国民がご即位を祝うために駆けつけたとのこと――「国民をおもい寄り添う」天皇誕生に国中が湧いています!
 

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