文化共生・移民の自由化は、国の解体を画策するもの
ーー以下「宮崎正弘ブログ読者の声(稲村正治)」より抜粋編集
多文化共生社会は、これまで成功した例がない。
現在のEUは、キリスト教圏にイスラム教徒を入れるようなことをした結果、異文化間の軋轢を招いている。
それは、例えば西、仏、独等、域内諸国の文化力を弱らせて、このままいけば、それぞれの国民国の解体につながる恐れが出てきている。
ーー
地球主義者globalistは、ヒト・モノ・カネが自由に動き、国民としての義務(例えば納税)を果たさなくてよい環境を求めてきた。
ユダヤ人らは、国というものを持たずに、国民のとしての義務を果たすことなく、いわば国に寄生する形で生きてきた。
(ユダヤ人は第一次世界大戦において国民とは認められずしたがって兵役の義務を果たさなかったため最も多く生き残った)
つまり地球主義者というのはユダヤ人の発想なのだ。
これは、カール・マルクスが階級闘争史観を掲げて全国の労働者よ団結せよと、革命をあおりユダヤ人が支配する社会を作ろうとしたことに符合する。
(ロシア革命で出来たのはユダヤ人が支配するソ連だった)
ユダヤ人が支配する社会というのは、つまり国というものの無い社会であった。
しかし、マルクスが空想ではないとして唯物論で偽装したものの、皮肉にもそれは空想でしかなかった。
ーー
というのも、マルクスが自分の考えが空想と言われることを恐れて、思考が現実(唯物)と空想(観念)とを行き来して発展していることを否定してしまったからだった。
そしてマルクス主義者は、空想(観念)を否定したために、自分たちの思想を発展させることができずに、むしろ硬直した論理学へと堕してしまった。
マルクス主義者は、国というものが、単なる人の集まり程度にしか理解できておらず、人が文化(という観念)を持つ存在であるとの認識がない。
人が文化無き存在であってこそ、国境をなくせば世界は一つになる。
しかし、現実はそうではない。
ーー
我々は、個人という現実と、国という空想の中で生活している。
そして、国という空想の存在に義務を果たすことで国民となり国を運営できている。
逆にそのような国の在り方(国体)こそが文化でなのである。
ーー
例えばこの日本国に於いて、在日・反日勢力は、日本人に「護憲、東京裁判史観、侮日」を強制してきた。
この行為は、まさに日本人の存在(文化)の否定であり、その行為が許されないことは当然であろう。
それは、現実(唯物)が空想(観念)によって変化(運動)しているという事実を否定するものだからである。
ーー
この現実(唯物)が空想(観念)によって運動しているという事実を弁証法という言葉で表現したのがヘーゲルだった。
現実が空想によって変えられ、その新しい現実もまた新たな空想を生むことで変えられる、ということを無限に繰り返す。
例えば日本は、7世紀に聖徳太子による17条憲法(観念)をもっての統一(現実、唯物)がなされた。
13世紀には鎌倉幕府の執権北条泰時が御成敗式目をさだめて武家社会の規範とし、17世紀には徳川幕府が禁中並公家諸法度や武家諸法度を定めて天下統一を果たした。
また、19世紀になってからは、明治天皇による五箇条の御誓文による統一がなされた。
ーー
このような日本の姿勢・歩みは、まさしくヘーゲルの「現実を空想(観念)によって変えていく」という弁証法・国家論に則ったものであった。
(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年8月27日 - 1831年11月14日))
というよりも日本人は、ヘーゲル出現以前に、欧州諸国出現以前の古くから彼の主張を実践していたということになる。
ーー
ところが、マルクスは、空想と言われることを嫌って、空想(観念)を否定してしまった。
それゆえ、マルクス主義は唯物論という動きのない論理学、彼の軽蔑した形而上学に堕してしまったのだ。
そして、マルクス主義者らは、自分たちの理解が及ぶ範囲に国と国民を機械的に切り離して、国という空想の産物を悪と決めつけて、自分たちの属性(文化)を否定した。
そして自ら、国に貢献するという自己実現の機会を失ってしまった。
ーー
実際彼らは、国(空想、観念)そのものである天皇を否定し、君が代を否定している。
ーー
一方で彼らは、日本国憲法に対しては、本来空想の産物であるとして否定しなければ思想的一貫性が無くなるにもかかわらず彼らは護憲を主張する。
というのも、彼らが「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を使って日本国を武装解除状態にして、日本国が他国からの侵略を受けやすいように企図しているからだ。
(マルクス主義者らは根拠なく日本国を悪・破壊すべきものと決めつけている)
彼らの存在自体が日本人(文化的存在)にとっては害悪となっていることが分かる。
ーー
まさにマルクスに汚染された人々が、(機能不全となった論理学によって)国というものさえ考えられない、あほバカ間抜けであることを示す、格好の例と云えるでしょう。
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コメント
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>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>ハザール人の復讐
私も共産主義は、固より、欧州が18~19世紀の、高緯度の欧州の痩せた土地での農業が植民地からの収奪利益依存体質を生み出し、帝国主義と言うべき侵略主義を生み出した。
そうした体質の専制政治の中世欧州も時間の経過と共に、産業革命が起こり、議会制民主主義に目覚めて行く上で現れた、格差社会の対する開化案である社会主義が、時代の良心として持て囃された。
この社会主義を先鋭化して、終局、自分達国家無き流浪の民であったハザール人の、生存正当性を訴える為に、マルクスが編んだ詐欺的思想であるとの思いが、このダイジェストを読んで、確信に変わりました。
ヘーゲルの言って居る「現実(唯物)は、空想(観念)の産物であるが故に、空想も現実から生まれ出ずる」と言うのは、単純ですが、人類の真実であり、否定し難いモノでしょう。 抑、其れを否定する処に無理が有る。
有りえない事を基に立てた論は、砂上の楼閣で有るのは、言うまでも無い事だろう。 然し、当時の欧州では、こうした暴論が、本気で信じられていたのは、それに見合う酷い現実が存在したと考える方が良いだろう。
私が思うには、当時の民衆の不満は、最早抑え難いレベルに膨れ上がっており、共産主義が支持されたのは、世に平等な社会を顕現しようと言う理論は、殆ど理解せずに、只、手段として、暴力革命を支持して居た処に在ると言って良いだろう。
つまり、共産主義は、暴徒に取って「錦の御旗」の様な存在で、都合が良かったと考えれば、腑に落ちる。
然し、世界的な共産主義革命の流行が、その失敗に拠って鎮静化すると、「良く分らない理論を、盲信しただけ」つまりは、信仰化した人々、特に、ハザール人の集団には、未だ、自分達が主催する世界実現のツールとしての共産主義の名前を「グローバリズム」と変えて、その成分だけを世界で実現させようとしている。
その一つが「多文化共生社会」で有ろうが、固より、自民族の文化を持って居ないと言うか、平成する暇も与えられずに、国が消滅してしまったハザール人には、文化の何たるかは、理解できても、その文化の担い手になれたとしても、それは、単に生み出された技術を習熟したに過ぎない。
勿論、マスコミを支配して居るカラ出来る事だが、時に天才と呼ばれる様な、彼らの持って居る技術の全ては、他民族の文化でしかないが無く、その文化の背景に在る、技術が生み出されるに至った、民族の習俗や「生みの苦しみ」である、民族内の歴史に関する関心や理解は皆無だろう。 つまり、エートスとも呼べるものが無い。
ダカラ何故、多文化共生の試みが、悉く失敗するのかの理由も分らないのだが、彼らに取っては、実は、どうでも良い事で、最重要な事は、その集団を、兎に角、支配して、否応なしに利益を収奪出来る、体制を確立する事なのである。
「ハザール人の復讐」とも言うべき計画が、17世紀のプロイセンで、銀行を始めた、マイヤー・アムシェル・ロートシルトに拠って、建てられ、爾来、子々孫々に受け継がれているのである。
その原動力になっているのは、凡そ700年前に、元の襲来に拠って、国を失って以来、欧州社会に、母国を持たない「流浪の民」として乞食同然の生活を500年間も強いられた事への「恨み」なのだから、謂わば、欧州社会が生んだ「鬼子」だといえましょう。
彼らは、共産主義そのものが「非現実的」が故に、世界の各地で失敗に終わった共産主義には、強い拘りは、もぅ持って居ないでしょうが、未だにそれを利用しようとしている勢力が居る事は、看過しているようです。
唯、自分達の座を脅かす様な行動を執った、ロックフェラーとその関係集団やシナ共産党に巣食う、複数の覇権主義者は、「真の敵」と見做して居る様です。 其れは米支戦争を始めた動機~展開を見て居ると、全ては、「ロスチャイルドの報復」であると考えれば、良く分ります。
ロスチャイルド家が、17世紀から300年近くに亘って、国家を持たない形で、繁栄して来たのは、敵を決して許さず徹底的に殲滅して来たからでしょう。 つまりは、その報復力が、実に執拗で、強力であるから、世界中が沈黙しているのです。
然し、終わらない夜が無い様に、何れハザール人の世界支配も終焉を迎える時が必ず来るでしょう。 08年に表面化したロックフェラーの反乱は、その端緒だったのかもしれません。
当然のロスチャイルドは、現状を反省して、対策を建てて居るでしょうが、その一つが、日本の戦後の抑圧的管理からの解放だったのではなかろうかと、思って居ます。 日本を抑圧管理して居た張本人が、ロックフェラーだったのですからね。
然し、日本にはその抑圧管理の残滓とも言うべき「共産主義」があちこちに見られます、殊に、文部科学省関係の分野は、「教育は国100年の大計」と言われる様に、国家の基礎部分ですが、就中、歴史に関しては「歴史学会」と言う、戦後の教育を受けた、東大系のマルキストで構成された「つくられた権威」が、隠然たる力をもっています。
ダカラ、日本の歴史教育に、朝鮮如き未開な国が、勝手な注文を付けて来ても、政府も政治家も大した反論をしないのです。 政府が反論しない、あちら側の避難・主張は、根拠が全く無いものでも、固より、あちら側の野党が指摘して抗議する事は有りえませんからね。
然し、人は何時かその命を終えるものです、ダカラ、重要なのは、時間と共に消滅する「歴史学会」を批判・改革する事では無く、その教育の影響を受けて居る集団の歴史認識を、その内容を、従来のちゃんとしたものに糺して行く事に成りますね。
このブログでも度々引用されている、ねずさんは、そういうお考えだと私は思って居ます。
日本に限らず、世界で本当の歴史を皆が学んで、真の反省をする事が世界を真面にする、つまりは、人類を絶滅から救う、唯一の手立てでは無いのか、と私は信じます。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2019年5月29日 (水) 09時19分