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2019年5月11日 (土)

今やマルクス主義者らは、尊重すべき事実を、自分の都合で勝手に変容させて、空想を語るだけになっている

ーー以下「宮崎正弘ブログ読者の声(稲村正治)」より抜粋編集

近代社会を作ったのは、客観性、公平性、公共性である。

ところが、支那・朝鮮人はこれらが理解できていない。

従って、彼らはいまだに自由、法治、民衆政治という近代社会が築けないでいる。

ーー

なぜマルクス主義者らは、唯物論を標榜しながら、客観性、公平性、公共性を持てないで、独善的言辞を主張し続けられるのか?

例えばムン・ジェインの言辞にはいささかも客観性、公平性、公共性がない。

なぜ彼は客観的にものごとが見れないのか?

なぜ彼の主張は、欺瞞に満ちた詐欺的な主張でしかないのか?

ーー

日本のマルクス主義者も、現実を全く見ないで自分が見たいものしか見ない、聞きたいものしか聞かない。

その「あほバカ間抜け」ぶりは、誰の目にも明らかとなっている。

その原因としてすぐに思い浮かぶのは、そういう文化、と云うより民度を持つお隣の国の直接・間接の浸透である。

それと長い間、在日・反日勢力に言論・メディアを支配され、彼らによって本来日本人であれば受け入れることが許されないような「護憲、東京裁判史観、侮日」を強制されてきたためであろう。

「かつての日本人だったら事実にないことを平気で云うことはできなかった」

という嘆きの証言がそれを示してる。

ーー

何より一番の問題は、マルクス主義自体に、客観性、公平性、公共性を無視して独善に陥る要素があることだ。

つまりマルクス主義というのは、決して近代社会を築けるようなものではなのだ。

ーー

人類は、言語を持ったために現実の他に空想を語ることが可能になった。

哲学とは、現実と空想を認識(言語化)することだ。

現実(唯物)の認識が科学、空想(観念)の認識が形而上学ということになる。

ーー

その方法論が弁証法なのだが、まず観念について「静止体の弁証法」が生まれ、これが、すなわちアリストテレスの「形而上学」観念論哲学になる。

その後、科学が誕生し、ヘーゲルが、唯物論の科学と観念論哲学とを統一して、「運動体の弁証法」を完成した。

ここから、ヘーゲルは、唯物論と観念論とを統一した「絶対観念論」を主張することになる。

ーー

マルクスは、自分の主張が空想だと言われるのを嫌い、現実(唯物)を論じているとして、唯物論を掲げた。

そして、ヘーゲルの主張に対して、「ヘーゲルの主張は観念(空想)論であり、誤りだ」とし、観念論を否定して、自分の認識法をヘーゲルを超える「唯物弁証法」と名乗る。

しかしこれは、人類を誑(たぶら)かす詭弁(きべん、ごまかし)であった。

ーー

マルクスは、肝心なことが、全く分かっていなかったのだ。

ーー

というのも、マルクスの「唯物弁証法」は、皮肉なことに古い「静止体の弁証法」、すなわち彼らが盛んに揶揄し、軽蔑していた「形而上学」への退化に他ならなかった。

なぜなら、人間の認識「現実と空想」の一方「空想」を否定してしまったからだ。

人間は、空想することで現実を変えていっているという事実を考えれば、マルクスの間違いが容易に分かる。

つまりマルクス主義者は、硬直した形式論理学に堕してしまうという結果になる。

これが、マルクス主義者が頭が悪い「あほバカ間抜け」と言われる理由なのである。

ーー

ヘーゲルの弁証法は、「現実と空想」という人間精神の運動性・全体性を説明(言語化)するものだ。

ーー

マルクスの弁証法は、空想を否定したために、「現実が空想によって変化する」という事実を説明(言語化)することができずに、どんどん現実から乖離してしまう。

そしてマルクス主義は、いつの間にかあれほど非難していた宗教的観念論(例えば階級闘争史観)となってしまった。

今やマルクス主義者らは、マルクスが意図したのとは逆に、尊重すべき事実を、自分の都合で勝手に変容させて、空想を語るだけになっている。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>マルキシズムを論破する
 稲村さんの登場は、久しぶりですね。 ヘーゲルをドイツ観念哲学の頂きと位置づけて、古代の地中海文明哲を起源とする西洋学全体を俯瞰した立場で語っておられるのは、哲学に暗い小生に取っての教師の様な、信頼感を感じる方ですね。 

 此の度は、マルキシズムを論破すると言う試みをしていらっしゃいいますが、前世紀末に、共産大国ソ連が崩壊してから、マルキシズムの実用性が疑われ始め、生体として採用して居た国も、改善・改良と称して、謂わば、現実に迎合した、マルキシズムでは無いモノに、変化して結果的には、全体主義国家になっている。

 さて、日本にマルキシズムが、入って来たのは、明治の末期の頃で、主に、京都大学を中心に、その研究や、思想広宣が行われて居ました。 

 日本人の常として、外来のモノに興味を示して「新しきもの」として持て囃す癖があり、ます、それが如何なるものかを十分に吟味する前に、「新しきものはよいものだ」と決め付けて、流行らせる、舶来信仰とも呼ぶべき、軽率さは否めない事で有りましょう。 マァそれが、一方では、日本文明の膾炙力での元になっていると言えますがね

 マルキシズムも例外では無く、その流行は、貴族・皇族の層にまで及び、五摂家の筆頭の近衛家の嗣子である近衛文麿が、東大在学中から感化されて、東大卒業後に京都大学に入り直して、自著の本まで発行して、思想警察である特高から、厳重注意を受けて居ますね。

 彼は、結局3度の総理大臣を拝命しながら、実はコミンテルンの工作員で有ったので、、日本を誤らせた張本人として、歴史に汚名を遺す事に成りましたがね。

 世では、幸徳秋水らに拠る大逆事件が起って世間を騒がせましたし、荒畑寒村らの労働界の指導者も、文学の世界でも・・と言う様に、大正期は世を挙げて、マルキシズムを「新しい世に相応しい、新しい思想である」と称揚して居ましたから、影響は、様々な分野に及んでいましたが、一種の流行の成分も呈して居ましたね。

 殊に、労働界の指針となる様な、広がりを見せて居たのが戦後の労働運動の基になったと思われます。

 唯、稲村さんのご指摘通り、現実に拘る余りに、次を生み出す空想否定して終って居るのです。 

 何時しか労働運動も「現状の改善」それも賃金や労働条件と言った、労働者側の現実だけ、と言う、利己的な改善要求だけなので、直ぐにマンネリ化して、「広義の労働者の団結による、労働環境の向上」に結びつけたものは、皆無に近く、細菌で葉反社会勢力の巣窟になり始めて居るとの懸念さえあります。

 当時も、心配だったのは、マルキシズムの中身で、「既成の政体を、悉く否定し破壊せよ、新たなものは、廃墟から生まれ出ず」という、全く非論理的な妄想話を、いい年をした、大学教授迄が本気で信じて広めようとしていたのですカラ、病膏肓に至れりと言った処でしょうか。

 そして、その「既存の政体の破壊」に於いて、天皇陛下の暗殺が入って居た事は、言うまでも無く、現実に暗殺未遂事件が相次いだから、是を以て、既存の政体を護持するもの、のみならず、国家の治安や防衛を預かる側に於いても、マルキスト集団は「テロリズム集団」であり、「暴力的で危険な反社会思想集団」と位置着けられ、治安維持法の制定に結びついて居る。

 思えば、既に戦時中であったから、後年、「軍国主義の結果」であると批判されたが、日本の伝統的な、祭祀王スメラミコトを権威の頂点とする政体は、自然の理に拠って、3万年の悠久の歴史を懸けて育まれたものである、故に、天皇を戴く政体を脅かすのもは、敵と見做したに過ぎない。

 大体、マルキシズムの様に、固より、未熟な西洋文明が生み出したモノダカラ、突き詰めて看れば、その理論の対象には、過去と現在しか無く、未来に対する考察が丸で欠けている点で、稲村さんが仰有る様に、宗教的な様相を示して居る。

 マルキシズムを簡明に括るとすれば、「今ある勢力を打倒して、我々が主体の国を造ろうではないか」と言う、アジテーションでしか無いのは、その先に、「では、如何なる国家を作ろうと言うのか、其れは、人類の自然の欲求である、公平性、公共性、客観性を、備えた居るものか?」と言う、問いに、全く答えて居ない点が致命的だと言えましょう。

 事実、マルキシズムに関わって、不幸な死を遂げた人は、前世期に世界で2~3億人居るだろうと言われている。 そしてその半数は、他国との戦争では無く、共産主義国内で国民の間で、起こった事で有る。

 然し何故、人類はその様な悪魔の思想を捨てきれないのだろうか? 或る人は、全てが金融勢力の「金儲け」の為に起っていると言う、確かに、そう言う見方も正しいだろう。

 然し、多くのマルキストが革命の発心の原点にしたは、「差別に拠る不条理に対する反発」である。 是は、人類の社会に対する、基本的な要求で有ろう。

 それは、差別で成り立って居る西洋社会なら当然起こって来るモノで、西洋社会は、文明開化よりずっと、生まれながらに格差があるのは当然の社会です。

 それが、キリスト教を偽装した、民族宗教のユダヤ教に拠って、嗤うべき選民主義が、異教徒、異人種に対する差別が、当然になって固定化したが、其れを打破する様な、日本の「お上」に当たる「人民愛を持った存在」が、西洋社会には、歴史上、不在なのです。。

 白人文明の先文明の主催者である、青人のローマ帝国も、その事で悩んで居た。 彼らには、固より、民族の神すらいなかった。 確かに、ゼウスやアポロンと言った、神と呼ばれるモノは居たが、全て、民族の祭祀の神であり、ギリシャからの剽窃に過ぎなかった。

 彼ら欲しかったのは、民族の祭祀を行うのに必要な神では無く、社会に平和を齎す、人々の道徳の規範になる成分を持った神だったのである。

 其れを、偶然?ヘブライ人の民族宗教であるユダヤ教が、「神から与えらられた十戒」と言う形を、ローマが欲しがったが、ヘブライ人の選民主義は強固で、飽く迄、異民族で有る宇ローマ人我同じ神を戴く事を拒絶したので、ユダヤ教に対するローマの弾圧は、激しさを増し、紀元70年にヘブライ人は、絶滅します。

 然し、ゲッセネ派ユダヤ教と言う、既に、イエスと言う士師のっ刑死に拠って、消滅した筈のの、ユダヤ教の一派が、生き残って居る事を知ったが、警戒して弾圧は続けて居たが、厳重な監視を条件に、亡ぼす事は無かった。 

 ローマは400年近く、ユダヤ教に代わる宗教を探して居たが、結局見つからなかった、然し、自国内でゲッセネ派と言うユダヤ教の信仰が盛んである事を知った。

 その信仰集団を、具に、調べて看ると、ファリサイ派の士師であったパウロが、イエスの後を引き継いで繋いで居る事が分ったが、ヘブライ人滅亡後、既に400年近い歴史を経て、土着宗教に拠る変質や付加を経て、嘗ての様な、強い選民主義が薄れて居る事を知り、その後、紆余曲折は有ったが、ローマの国教とした。

 勿論、当時のローマ市民だけでなく、地中海沿岸で暮らすローマの支配下にある異民族は、イシス信仰を持った人々だったが、是に賛同したのは、女神であるイシスがイエスの生母マリア信仰に、変質して居たからでしょう。

 斯うして、西洋社会はヘブライ人の道徳規範を上手く改竄して、剽窃する事に成功した。

 しかし、永年の民族の常識が簡単に変わる筈もなく、直ぐにキリスト教は劣化を始め、白人種のゲルマン人が、ローマに代わって欧州の覇権を握って、その宗教支配体制を継承してからも、その劣化は続き、無くなった筈の選民主義や異民族、異教徒差別観が次々に復活、更に酷くなっていた。

 是は、キリスト教の総本山であるバチカンすら、未だに、中世の帝国主義の根源であるイエズス会が占拠している事で自明の理である。 白人は中世から精神的には、1㎜も進化して居ない。

 西洋は、斯うした中世を過ごして居たが、マルキシズムは、こうして退行した、欧州の精神文明に対する、不完全なアンチ・テーに過ぎないだろう。

 即ち、「今あるものを、問答無用で否定する処から、革命が始まる」のは良いが、壊した後は如何にして新たに、公平で、公共性に、客観的な正義に溢れた社会を築くのか」と言う事に対する、具体的な言及が無いのだから、是に従った人類を途方に暮れさせ、人類を滅亡に導く、扇動思想に過ぎないのである

「対立と混乱と破壊」
カール・マルクスの思想はこれに尽きると考えています。

自ら書いた詩「ヒューマン・プライド」では、マルクスは自分の目標が
世界の改善や革新ではなく、世界の破壊だと認め、それに喜びを
感じていると吐露した。

 軽蔑に、私は世界という顔面に 鎧(よろい)を投げつける
 このデブデブとしたヤツの崩壊を見届けてやる
 しかしコイツの倒壊はまだ私の激情を鎮められない
 私は神のように
 この世界の廃墟の中を通り抜け、凱旋する
 私の言葉に強大なエネルギーを持つときは
 私は感じるだろう
 造物主と同等であることを

 サタン教の思想を表現している詩はこのほかにもあると考えら
れるが、マルクス思想の信者らがそれらを公にすることを拒み続けた。
マルクスはほかのサタン教徒と同じように乱れた生活を送っていた。
共産主義の学説は、「この世のユートピア」を創造するとの
スローガンで人々を騙し、実際には人類社会の形態を壊してきた。
人類に対する敵対意識は、共産主義者の共通点と言えよう。

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