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2019年5月 7日 (火)

『元号』が内閣によって決められたのは国体隠蔽である

ーー以下「宮崎正弘ブログ読者の声(HG生、水戸)」より抜粋編集

前に貴誌意見で「元号は御名御璽を以て天皇がきめる」と書かれていました。

が、そうであるとすれば安倍政権がやったこと、元号を内閣が決め、それを新天皇に伝達するなど、不敬の極みということになります。

世の中、新元号「令和」に熱狂していますが、先帝の御譲位を5月1日から令和にするために4月30日に「生前退位」としました。

内閣が皇室の上位に居て、皇室伝統を歪めたのは由々しき事態と申せましょう。

ーー(宮崎正弘氏の意見)

「天皇が勅定あそばされるべき『元号』が内閣によって決められたのは国体隠蔽である」(四宮正貴『政治文化情報』、4月28日号)

いうまでもなく日本の天皇は祭祀王(プリースト・キング)であって、諸外国の、皇帝、ツアー、王などとはまったく異なる。

天皇の統治は古事記に明記されたように「しらす」です。

暴力によって人民を支配し富を収奪する統治とは、明確に違っている。

ーー

ネパールは帝政を廃止し、エチオピアも皇帝は不在となりました。

タイ、カンボジア王室は存続していますがいずれも征服王朝です。

英国の王室も北欧も、所詮は征服王朝の末裔、しかも日本の皇統のように長くはありません。

つまり外国の帝室や王室と日本の皇室とを同一視することは出来ません。

ーー

安倍内閣の言い分は「憲法と皇室典範と元号法に従い、法の下に」粛々と手続きを踏んだとするものです。

ところが、日本国憲法は、occupied japanつまり占領下に占領軍によって作られた占領基本法なのです。

その事実がわかった以上、それに従うというのは「法治」と言うより、「法匪」でしょう。

ーー

しかし、戦後在日・反日勢力が、占領政策に協力することによって、日本社会を支配している。

そして、日本人に「護憲、東京裁判史観、侮日」を強制してきた。

その事実が、まだ広く知られていない。

なにしろ、在日・反日勢力が言論・メディアを支配し、日本国憲法が、「占領軍の占領基本法」であることを秘密にしてきたからです。

ーー

日本の伝統的な解釈では、内閣は天皇の臣下です。

その臣下たる内閣が、天皇の勅定を無視し、元号をきめ、新天皇に報告したのです。

このことは伝統の破壊以外のなにものでもない。

つまり、日本の現状は、まだ占領下にあるということになります。

ーー

天皇の意向を軽視した徳川幕府ですら元号の制定は介入し得なかったのです。

ーー

国語学者の金田一秀穂(杏林大学教授)は『エルネオス』(令和元年六月号)でこう言われています。

「元号は天皇制とかかわりが深く、法律などの世俗的決まりを超えた次元のものである」

「例えば神託によって決められているようなものだ」

「だから、その名前について、否定することが一切出来ない」

「皆で決めた規則とは違うのだ」

「発表までの間、厳密に秘守されなければならないし、誰が言い出したものなのかも言ってはいけないことになっている」

「言霊中の言霊(なのである)」

ーーと。

それを軽々に総理風情が決める、しかも誰の案か公表するというのは、日本の伝統からすれば越権行為です。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>戦後体制の継続下で元号改正を批判する蒙昧
 通読して居て、怒りが込み上げてきました。

 戦後体制は、様々な抵抗勢力の妨害に負けず、或る時歯正面から、或る時には、結果としてそうなる様な手段で、戦後体制を改革している最中だ訪う事が、この宮崎さんの処へ投稿した御仁は全く判って居ない、然し、斯う言う保守の心算の人は幾らでもいる。 

 つまりは、謀略に対する経験知が皆目ないのである。 その状況は、モゥ蒙昧と言う他は無い程である。 然し、其処で終わって居れば、未だしも、宮崎さんまでもが、其れに同調する様なレスを返して居るのには驚いた。

 正に「ブルータス、お前もか」の世界ですね。

 伝統と言うものを、移ろいゆく現実の中で護って行こうとするのなら、寧ろ、本質や本文を見極めた上で、其れを死守する一方で、その具体的な方法を少しづつ、或いは、時に大胆に変えて行く事が求められていると、私は思います。 唯、投稿者の方が仰る様に、祭祀・儀礼に関しては、その一つ一つに、意味が含まれているので、変えてはならないものが有る事は承知していますが。

 大きく、日本の天皇の職分を変えた例として、天武帝の威力分離「=権力者と権威者を峻別する政体」への移行があります。

 固より、天武帝は、天智帝の弟宮で有った筈ですが、一説に拠れば、天武帝「=大海人皇子」が継体帝の出自の丹波勢力、天智帝が、母親「=皇極、斉明帝」の出自の吉備勢力であった、幼年期の大海人皇子は、丹波で育てられ、年も実は大海人皇子の方が上だった、と言う話も有ります。

 そして両者は、蘇我氏討伐の折には協力しますが、日本・百濟が、白村江の戦いに惨敗した後、天智帝は百済の王族を3千人近く日本に引き取り、その食碌として、白村江で戦死した、丹波の海人族の領地を当てがった。 この事に激高した大海人皇子は、直談判に押し寄せ、昂奮した余り、持って居た矛で床を衝いたつもりが、床下迄突き抜けて終った。

 是に、惧れを成した天智帝は、直ぐさま病気と称して寝込み、大海人皇子を呼んで「譲位」を仄めかす、然し天智帝の腹黒さを知っていた大海人は、即時に辞退し出家して、紀伊の国の吉野に隠遁します。 その後、天智帝は。刺客を何度も送りますが、叶わず、娘を3人も妃に送ったりもして、暫くその状態が続いたが、天智帝が本当に病気になり薨去すると。息子の大友皇子が弘文帝として即位、直ぐさま、吉野の大海人の追討令を発し、壬申の乱が」勃発した。 戦いは半年くらいで終わったが、弘文帝側は、大勢力の吉備勢力と、百済貴族を中心とした、外来系の豪族の折り合いが悪かったが、斉明・天智帝時代に排斥された、王朝創立以来の重臣筆頭の大伴氏や、その大伴氏を保護した、東海・中部地方を支配下に置く尾張氏、および、蝦夷族たちが、先代2帝の無理な公共事業に対する反感を軸に、団結して居たから、戦いは粗一方的な弘文帝側の敗戦に終わり、帝は、自害した。

 この戦いの結果天武帝が誕生するのだが、その状況はと言えば、敵方に、吉備勢が健在であり、天智帝の仏教偏重政策の残滓とも言える、各国に仏教勢力が居た。

 是を正面から、切り崩そうとすれば、更に大きな戦いが起こるのは見えて居る事で、半島には、未だ唐の軛を脱した、統一新羅の勢力と言う脅威も存在して居たから、天武帝は、郡司方面に関わる「オホキミ」の仕事を自分の息子に任せ、自らは、仏教勢力と神道勢力の釣り合いを諮り、それらを支配する「スメラミコト」として、専心すると、した。 是なら、次の帝が、不慮の死を遂げたとしても、天智系の血を引くが故に、血の濃さでは、上位に有る妻が、中継ぎ出来ると言うアイデアで有った。

 是は皇統を引き継ぐ上でも、大事件であったのは言うまでも無い。 表向き、叔父・姪三人と結婚して居た事に成る天武帝だったが、内紛が酷く数々の事件が起きて、帝継承候補者が幼年、若年の裡に夭逝した為に、宮中の混乱が絶えなかった、その為に約100年の後に即位した桓武帝は、天武系の血筋を、皇統継承者候補を一掃しました。

 皇統の維持に関する背景には、斯うした関係各位の並々ならぬ努力の歴史が、隠されているのは、改めて言うまでも無い事でしょう。 

 然し、その修正・改正は、教条主義的な禁忌だらけの考えで行われたのではありません。 DNA解析処か、遺伝子の存在すら知らなかった人々が、性染色体が、女性がXX、男性がXYであり、女性はY染色体を持たないので・・と言う事も知る由が無いのですが、現実は恰もそれを知っていたかの様な有様で、見事に、歴代の天皇は、神武帝以来の皇統を、男系を通す事で護って居ます。

 然るに、戦後体制と言うのは、帰化人2世の小泉純一郎元総理の様に。その皇統をいかにして、終わらせるかを、腐心しているのです。 そんな中で、孤軍奮闘しているに等しい、安倍政権を叩くとは、後ろから撃つ所業と何も変わらないと私は思いますがね。

 もし、此の件で安倍批判をするのなら「では、どうしたら良かったのか、何故それを逸早く、公に出来無かったのか?」と言う、私の疑問に答えて頂きたい。 代案なしで批判しっ放しでは、その辺りに居る、無知蒙昧な似非保守と、全く変わりが無いと私は思います。

>前に貴誌意見で「元号は御名御璽を以て天皇がきめる」と書かれていました。
>が、そうであるとすれば安倍政権がやったこと、元号を内閣が決め、それを新天皇に伝達するなど、不敬の極みということになります。

言いたいことは判りますが、「ではどうしたら」と言うと、答えがないような気がします。

日本は、明治憲法で近代的な憲法を制定しましたが、戦争に負けて現在の憲法に改定させられました。
この憲法を改正しない限り、どうにも出来ないことの一つを取り上げて、憲法に則って実施せよと主張しているのだと思います。

尤も、現在の法律では、元号法(昭和54年法律第43号)により制令で決めれば良いと思います。
但し、誰が作ったとかを、マスコミが面白いエピソードとして、追いかけ紹介するのは、マスコミが劣化している事象として知っておけば良いことだと考えます。


それから、日本の天皇を「祭祀王」と位置付けていることに、成る程と思いました。

縦椅子様

 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
 平成31年4月1日産経新聞「号外」によると、新元号決定の経緯は以下のような経緯でなされたとあります。以下号外よりーー
 
 政府は1日午前、「平成」に代わる新元号を「令和」(れいわ)と決定した。菅義偉官房長官が記者会見で発表した。出典は万葉集。
新元号を記した政令は同日中の天皇陛下による署名・公布後皇太子さまが新天皇に即位される5月1日午前零時に施行される。皇位継承前の公表は憲政史上初めてで、
改元に伴う国民生活への影響を最小限にすることを重視した。645年の「大化」から数えて248番目の元号となる。-略ー
 天皇一代で元号一つを定める「一世一元」制が確立した明治以降は、天皇崩御に伴い改元した。
今回は一代限りの譲位を可能とする皇室典範特例法に基づく。政府は譲位が天皇の政府関与を禁じた憲法に抵触しないよう平成改元時の元号選定手続きを原則踏襲したーーとあります。
 天皇陛下が譲位を切に望んでおられる中の、今回の改元は特例中の特例といえましょう。そんな中で政府は、陛下に禮を失しないよう最大限の敬意を払い、この譲位という難局をのりこえ、新しい令和の時代へ穏やかに導いてくれたことに、感謝しています。

 「退位礼正殿の儀」に臨んだ上皇さまは、退出の際、壇を降りられる上皇后さまの手を取って支える気遣いをお見せになりました。そのあと「松の間」を出られる際、会釈をされ、愛する国民に別れを告げられました。--本当に立派な天皇であられましたーー
感謝の涙がいまも心の中にあります。--ありがとうございましたーーー
 

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