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2019年5月 2日 (木)

改正も護憲も蜂の頭もない、無効だ!

ーー以下「宮崎正弘ブログ西村眞悟コラム」より抜粋編集

この度、御譲位と御即位による御代替わりは、太古から我が国の皇室に伝わる、万世一系の皇祚を践(ふ)むための法(のり)つまり先例と慣習によって行われた。

この御譲位は、平成28年8月8日、陛下ご自身が、譲位の御意思を国民に向かって、直接、表明されたことに始まる。

この「お言葉」には、明治天皇が、明治元年3月14日、「五箇条のご誓文」とともに国民に向かって表明された「国威宣布の宸翰(しんかん、直筆の文書)」と同じ画期的な意義を持つ。

ーー

何故なら、この陛下の「お言葉」は、「天皇のしらす国」という我が国の古来からの在り方から生まれ出たものだからである。

つまり、この「お言葉」は、「五箇条のご誓文」の宸翰同様、天皇と国民が一つの家族であるという伝統から発せられているのだ。

ーー

明治天皇は、「朕幼弱を以てにわかに大統に紹(つ)き、爾来何を以て万国に対立し、列祖に事(つか)え奉(たてまつ)らむやと、朝夕恐懼に堪えざるなり」と。

今上陛下は、「既に八十を越え、幸い健康とは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮するとき、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしてゆくことが、難しくなるのではないかと案じています」と。

明治天皇と今上陛下は、国民を御自分の家族として、まさしく家族に語るように、率直に自らの心情を直接国民に表明された。

明治天皇は、十六歳の若さからくるみずみずしい不安を、今上陛下は、老齢からくる懸念を、国民に訴えられたのである。

ーー

そして、皇后陛下は、平成28年8月8日の今上陛下の「お言葉」を同年10月20日の御誕生日に『謹んでこれを承りました』と申された。

十七条の憲法三に曰く「承詔必勤」(詔(みことのり)を承(うけたまわ)れば必ず謹め)の教えに従われたのだった。

皇后陛下は次のように続けられた。

「ただ、新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見たときの衝撃は、大きなものでした」

「それまで私は、歴史の書物の中でも、こうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません」

ーー

平成31年4月、御譲位を目前にされた両陛下は、まず橿原の神武天皇の御陵に参拝され、次にアマテル神の居ます伊勢神宮に参拝され、そしてお父上の昭和天皇御陵に参拝されたのである。

両陛下が伊勢神宮に参拝されるに際し、二人の侍従が剣璽(草薙の剣と勾玉)を捧持して陛下に従っていた。

アマテル神が、天孫・瓊瓊杵(ニニギネ)に授けられた剣と勾玉(まがたま)である。

剣は素戔嗚(ソサノヲ)がヤマタノオロチの尾から得た太刀。

そして以後、連綿と、万世一系の天皇に伝えられて今日に至るものである。

もう一つの神器である鏡は、既に、伊勢神宮に祀られている。

ーー

つまり、この度の両陛下の伊勢神宮参拝によって、「三種の神器」はすべて陛下の元に揃ったことになる。

ーー

もう先帝陛下となられたが、陛下の神武天皇御陵から昭和天皇御陵への御親拝まで、これまさに、御譲位を皇祖皇宗に御報告される一連の神事であったのだ。

我が国の太古からの先例と慣習に基づくものである。
 
ーー

「昭和天皇実録」から践祚の姿を記しておく。

大正十五年十二月二十五日午前一時二十五分、葉山御用邸にて、大正天皇崩御、

即、皇太子裕仁親王践祚同日午前二時四十分、宮内大臣、内閣総理大臣、連署の公示で崩御発表。

同日午前三時十五分、天照大神を祀る皇居賢所に掌典長九条道実、天皇御代拝、

同時に、葉山御用邸にて剣璽渡御の儀(三種の神器の引き継ぎ)、

元帥大勲位伯爵東郷平八郎、大勲位公爵西園寺公望、内閣総理大臣若槻礼次郎ら参列のもと、先帝の侍従二人が剣璽を捧持して新帝の前に置く。

 同日午前三時三十分、閣議にて元号建定の件を計り枢密院に諮詢
 同日午前六時四十五分、枢密院、元号案決定
 同日午前九時四十五分、新帝、元号御裁可、詔書に御署名、詔書、官報号外にて公布

「朕、皇祖皇宗ノ威霊ニ頼リ大統ヲ承ケ万機ヲ総フ、茲ニ定制ニ遵ヒ元号ヲ建テ、大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス」御名御璽 大正十五年十二月二十五日

ーー

ここにおいて明らかなことは、先帝の崩御と新帝の践祚そして三種の神器の渡御(継承)と元号の制定は不可分一体として為されたということである。

従って、この度の、御譲位においても、宮中(天子のお住い)においては、御譲位と践祚そして三種の神器の渡御(承継)と元号の御裁可は不可分として為された。

ーー

しかし、在日・反日勢力が支配する言論・メディアは、以下のように伝えた。

1、天皇の「御意思に基づく御譲位」を「内閣の決定した退位」とした
2、新帝による元号の御裁可よりも、内閣による元号決定とその発表を優先した

というのも、日本国憲法に、「天皇とは、日本国と日本国民統合の象徴であり、内閣の助言と承認による」とあるからだ。

しかしながら現実には、陛下は、内閣総理大臣と最高裁判所長官を任命し、国会を召集し衆議院を解散する等々を行われている。

いわば陛下は、国家における至高の位(くらい)にあられるのだ。

ーー

この位を、自らの意思で皇太子に譲られた。

これは、「天皇は国政に関する権能を有しない」(第四条)に反する。

しかし、陛下は、それを為された。

時、平成31年4月30日24時のことである。

ーー

陛下自らの御譲位によって、日本国憲法が、占領軍の日本統治基本法ではありえても、日本の「憲法」ではないということを示された。

これは、まことに尊い御業(みわざ)である。

即ち、ここにおいて、御上(おかみ)の「大御心(おおみこころ)」が、日本国憲法(占領憲法)の桎梏から日本人を開放したのだ。

ーー

「令和の御代」はこのようにして始まった。

ここで思い起こすべきは、第108代後水尾天皇の御譲位だ。

徳川家康は、1600年関ヶ原の合戦に勝利した後、1603年に後水尾天皇から征夷大将軍に任じられた。

続く慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で、家康と二代将軍秀忠は、豊臣家を滅ぼして、晴れて日本の諸国諸大名の覇者となった。

2代将軍秀忠は、天下の覇者となると直ちに「禁中並公家諸法度」を制定すると同時に京都所司代を設置して天皇(禁中)を幕府の統制下に置く。

その時の天皇が後水尾天皇(1596年〜1680年)であった。

ーー

承久の変(1221年)に勝利した鎌倉幕府も、畏れ謹んで禁中を統制下に置くことはなかった。

しかし禁中並公家諸法度は、幕府を天皇の上位に置く、我が国政史上前代未聞の措置であった。

それ故、後水尾天皇は、天皇の勅許を幕府が無効とする事態(紫衣事件)や無位無冠の三代将軍家光の乳母である春日局が宮中の仕来りを無視して参内するという事態(金杯事件)に直面する。

そして、突如、六歳の内親王(明正天皇)に譲位させられ、以後、四代にわたる自らの実子の天皇のともで、五十年間にわたり上皇として徳川幕府を越える朝廷の権威を天下に明示しさせられた。

ーー

そして、この天皇、上皇の御代に、救国の思想家が相次いで生まれた。

崎門学の祖である山崎闇斎や水戸学の祖である徳川光圀そして「中朝事実」を書いた山鹿素行などの、「尊皇」という明治維新の思想的バックボーン、即ち、國體思想を産み出す。

後水尾天皇の御譲位が、幕府の上に天皇の権威があることを天下に示し続け、二百年後の「禁中並公家諸法度体制」からの脱却と「王政復古」を促したことになる。

ーー

同様に、この度の天皇陛下の御譲位が、日本国憲法の廃棄、即ち占領体制からの開放を促すものとなった。
 
ーー

私(西村)は、占領体制からの開放、すなわち、日本国憲法の廃棄をめざすつもりだ。

「改正」するのではない、「廃棄」するのだ。

「無効」なものは「改正」できないではないか、捨て去る以外にない。

そして、これが即ち、国家と国民を滅亡から救う。

ーー

繰り返すが、この度の御譲位は、御上御一人で、占領体制から脱却された、まことに尊い御業であった。

これを承(う)けて、我ら日本国民(臣民)が、御上(おかみ)に続かずしてどうする。

ーー

ここで一つ、占領憲法に縛られないで、自衛隊が多くの国民の命を救った事例を挙げる。

平成7年1月17日の阪神淡路大震災における生存者救出数は、警察が3495人、消防が1387人であるのに対して、自衛隊は165人であった。

平成23年3月11日の東日本大震災と巨大津波における生存者救出数は、警察が3749人、消防が4614人であるのに対して、自衛隊は19286人である。

自衛隊は、阪神淡路大震災においては全生存者救出数の3%しか救出できていないが、東日本大震災においては70%を救出している。

ーー

仮に、自衛隊が、阪神淡路大震災においても、東日本大震災におけるのと同様の実力を発揮しておれば、警察と消防による救出者数の二倍以上を救出できた計算になる。

従って、阪神淡路大地震による犠牲者6434人の内、実に多くの人々が生きて救出されていたことになる。

ーー

では、この阪神淡路大震災と東日本大震災の、国民の生死を別けた顕著な差は、如何にして生まれたのか。

そのわけは、前者においては自衛隊の出動が遅れ、後者においては自衛隊が直ちに出動したからである。

では、さらに、何故、自衛隊出動が、前者では遅れ後者では遅れなかったのか。

それは、前者が日本国憲法を遵守し、後者がそれを無視したからである。

ーー

前者も後者も、ともに発災時の総理大臣は、申し合わせたように在日・反日勢力であり護憲派であった。

つまり、簡単に言えば、「あほ、ばか、間抜け」であった。

前者では、自衛隊の出動を、あほバカ間抜けの村山富市総理の判断に委ねた。

後者においては、あほバカ間抜けの菅直人総理を無視して、陸上自衛隊幕僚長火箱芳文陸将が、独断専行して自衛隊を出動させたのだった。

ーー

彼は、東京で地震の揺れに遭遇し、直ちに「これは戦(いくさ)だ」と直感し、陸上自衛隊の総力を挙げてこれに勝つと決意した。

そして、防衛省庁舎の階段を駆け下りながら、頭に入っている全国の部隊を想起して救援部隊の編成、即ち、「戦闘序列」を作成して指示した。

ーー

「いずれ、大臣、統幕長から正式な命令が来るが、それを待つことなく直ちに準備せよ」

と、この陸幕長の決断が、多くの国民の命を救うこととなった。

ーー

在日・反日勢力は、占領政策である「護憲、東京裁判史観、侮日」を日本人に強制することで、敗戦利得を維持してきた。

つまりそのようにして戦後の日本社会を支配してきたのである。

したがって、在日・反日勢力は、自衛隊の存在を憲法違反であるとして、その行動を抑制するのが平和だ正義だと主張してきた。

しかし、震災時に、自衛隊の存在を憲法違反だとして、その出動要請をためらっていたのでは、人命は救えない。

そんなことをしていたのでは、生きて救出されるべき多くの国民が死ぬ。

これは、平和でも正義でもないことはあきらかだ。

ーー

目の前で同胞が津波に流され瓦礫に埋まっているとき、部隊長の独断で直ちに自衛隊が出動するのは当たり前だ。

事実、被災地のまっただ中に駐屯する多賀城の陸上自衛隊第22普通科連隊は、自らの家族も被災者であるのに、連隊長の命令で、全員直ちに救出活動に没頭する。

そして、たった900名の連隊で、総数107000の自衛隊救出部隊が救出した約2万人の1/4に当たる4775人を救出したのだった。

ーー

さらに、特筆すべきは、この大災害時に、明らかになったのは、我が国の統治者が天皇であるということだった。

ーー

東日本大震災当時、総理大臣菅直人は、東京の東電本社や官邸で喚いていた。

が、救援活動に関与せず、被災地を歩けなかった。

彼は一度被災地に行ったが、被災者から何をしに来たのかと怒鳴られた。

去ろうとすると、何故、何もせずに帰るのかと詰問された。

そして、立ち往生した。

即ち、彼は統治者ではなかったのだ。

ーー

他方、天皇陛下は、被災地各所に巡幸され、被災者を労り慰められて、被災者の心に明るさと同胞として助け合う連帯心を回復させた。

陛下は、復興に向けた決定的な転機をもたらされたのだ。

明らかに我が国の統治者であった。

大日本帝国憲法第一条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」。

まさに、この通りであったのだ。

ーー

それ故、天皇陛下は、国民に対する「お言葉」で、被災者のその苦難に耐える雄々しいすがたを讃えられた。

そして励まされ、余震の続く中で懸命の救出活動をしている自衛隊員の労苦に感謝されたのだった。

こうして、もはや自衛隊の存在を誰も違憲だなどとは言えなくなったのだ

ーー

そして、各国の元首から天皇に送られているお見舞いの電報を披露された。

各国の元首は、我が国の天皇に宛て電報を送っていたのだ。

即ち、各国からみて天皇は、明らかに日本の元首で統治者であられる。

ーー

さらに東北方面総監の君塚栄治陸将は、救援のために107000人の空前の大部隊を編成し、自らその統合任務部隊の司令官となった。

そして彼は、被災地巡幸のために、自衛隊機で自衛隊の松島空港に降り立たれた天皇皇后両陛下に対し、鉄兜に野戦服の姿で正対し、敬礼してお迎えしたのだった。

天皇陛下は、自衛隊が命を懸けて忠誠を誓う我が国の統治者であるからだ。

この情景は、記録されるべきもの(歴史的)であった。

ーー

この時、我が自衛隊は、自らの危険を顧みず、果敢に国民を救出する精強な軍隊即ち国軍であったのだ。

アメリカ軍の将官は、福島第一原発の上部が吹き飛んだ灼熱の原子炉建屋の上空に大型ヘリCH47をホバリングさせて40トンの水を落とす自衛隊を見て、人の命を何とも思わないような作戦はするなと言いはなった。

そして、自衛隊員が、いとも簡単に自分の命を懸けることに驚嘆したのだという。

ーー

支那共産党軍の将官は、日本人は戦前戦後全く変わっていない、簡単に命をかけてくる、仮に日本に向けて核ミサイルの発射準備をすれば、日本人は確実に飛行機に爆弾を満載してミサイルに突っ込んでくるだろう、と言った。
 
ーー

以上、天皇陛下の御譲位の情況と東日本大震災の救援活動を述べた。

その訳は、この二つの御業と事態のなかで、我が国には、日本国憲法(占領基本法)の存在とは別に、我が国の歴史と伝統のなかに紙に書かれない根本規範(先例と慣例)があることが、示されていたからである。

この紙に書かれない根本規範こそが、現実に機能し、戦前と戦後の連続性、太古から天皇を戴いて現在に至る連続性を維持し、日本を日本たらしめているのである。

ーー

敗戦いらい、在日・反日勢力によって、日本人に強制されてきた「護憲、東京裁判史観、侮日」から如何に脱却するか。

特に在日・反日勢力は、「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を持つ日本国憲法を日本人に守らせるのに熱中している。

日本を武装解除して占領政策で得た利権を維持するためだ。

ーー

法論理的に、無効な法は改正できない。

日本国憲法を書いた者の一人である、チャールズ・ケーディス自身が、「日本を永遠に武装解除されたままにしておくために書いた」と述べている。

つまり、もともと独立国の憲法としては機能しないのだから、無効なのである。

日本国憲法の改正規定・自体が無効なのだ。

ーー

では、どうするのか。

難しく考える必要はない。

私は、かつて同じ課題に直面したとき、鎌倉幕府執権北条泰時が関東御成敗式目を制定したこと、そしてアレキサンドロス大王が、もつれた糸を解くことを迫られたとき、それを切った「ゴルディアスの結び目を斬る」故事にならいたい。

つまり我らは、内閣総理大臣に対し、「日本国憲法の無効宣言」を要請する。

ーー

我が国が、奈良、平安朝時代に支那から輸入された「律令」に縛られていた。

そんなとき、北条泰時は、次の決断により、律令を捨てて、鎌倉殿以来の先例と慣例を成文化して貞永元年(1232年)関東御成敗式目を制定する。

「泰時消息文、弟の六波羅探題重時への手紙」

「田舎には、その道(律令)をうかがい知りたるもの、千人万人のなかに一人だにもありがたく候、(よって、知らない律令を適用されることは)鹿穴掘りたる山に入りて、知らずにおちいらんがごとく候はんか」

「それ故、我らは、大将殿(源頼朝)の御時、この法令(律令)を求めて御成敗(裁判)など候はず、代々将軍の御時も、又、その儀なく候へば、いまもかの御例をまねばれ候なり」

ーー

つまり、我らも泰時が言うように、日本国憲法に従っていたら、山の中で鹿を狩る落とし穴に落ちるようなことになるから、こんな毛唐の書いたものは忘れて、我らの歴史と伝統の中にある先例と慣例に従うと思い決したらよいのだ。

ーー

次に、ゴルディアスの結び目を斬る故事。

これはコルディアスという王が古代の宮殿の柱に荷車を難く結びつけて、この結び目を解く者がアジアの王になるという予言をした。

すると何世紀にもわたって人が来て結び目を解こうとしたが誰も解けなかった。

そこにアレキサンダーが来て、結び目を剣で切断して一挙に柱と荷車を切り離した。

そして、アジアの王になったという伝説。

ーー

これは、難問を誰も思いつかない方法で一挙に解決するという諺だ。

ーー

戦後、憲法改正だとか護憲だとかの議論が、延々と七十余年間続いている。

が、「改正も護憲も蜂の頭もない、無効だ!」と宣言すれば済むことではないか。

我が国を取り巻く内外の情勢はまことに厳しく、支那共産党の軍事的暴力的台頭によって尖閣と沖縄と台湾に危機が迫っている。

これは、我が国の興廃にかかわる危機である。

ーー

事に臨んで、この一手があることを、心に刻んでおくべきだろう。

これによって、明治天皇の御製にある通り、我が国は必ず甦る。

敷島のやまと心のををしさはことある時そあらわれにける

ーー

想えば、74年前に、昭和天皇が、五体為に裂く思いのなかで、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで戦(いくさ)を止められ、敗戦という結果を受け入れられた。

一身の生死を超越した思いで敢然と開始された「万世のために太平を開(く)」という天皇の御志が、昭和、平成に続く三代目の御代で結実し、「明るく力強い日本が再興される令和という御代に入った」ということである。

これこそ、歴代天皇の御稜威(みいつ)である。

まことに、身の引き締まる思いではないか。

(にしむらしんご氏は前衆議院議員)

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>今目指すべき主権国家回復への道
 感動的なお話の紹介有難うございます、通読して居て、何度か涕泣を禁じ得ませんでした。

 私も、現行憲法は停止させ、代わりに停止中の欽定憲法を復活させ、その中で現代に合わなくなった部分が有れば改正して行けばよいと、思って居ました。

 処が、西村さんは、改正等する必要が無い、そんな、非現実的な憲法など、捨ててしまえ、と、云っておられる。 その前例として、北条泰時の関東御成敗式目の制定や大政奉還を上げられました。

 前者は、シナから輸入した律令では、輸入した当時の貴族政治に、都合の良い事ばかりが書いてあって、現実の武家支配体制下では、寧ろ、トンデモ無い落とし穴になる惧れが有るから、現状に合わせた法律に取って替えたのだと思います。

 大政奉還も、250年前の状況で、関西で朝廷を中心と下反駁運動が起こる事を懼れて、作った朝廷の権限を制限する決まりを、15代将軍徳川慶喜が、「施政権を朝廷にお返しする」と言う意志を示したものです。

 両者に共通しているのは、情況の変化に、合わなくなった法律の改廃を巡って、既得権勢力との争いを未然に防ぐために、時のカギを握って居たモノが、自分の慾得抜きで、果断に是を行った事でしょう。

 即ち、現在に於いても現行憲法は、本来の占領時の基本法と言う目的とは、異なり、昭和27年4月28日にSF条約が発効して、日本は独立主権を機復したのに、この憲法をそのママ遣い続けて居ると言う背景には、この憲法に対する歪んだ解釈が為されており、以後の日米関係は、その歪んだ解釈にママで進行する。

 即ち、米軍に取って、日本は、半島を分断する北緯38度線を以て、防共線と為し、ソ連を中心とした共産勢力の南下~太平洋進出を防ぐ拠点としての役割を日本の各地に造った米軍基地に担わせたのだった。

ダカラ。昭和30年(1955年)当時の体制は、完全に日本は米国の従属国で有り、軍事的にも経済的にも庇護国だったのだから、独立主権国家と言っても、肝心な部分には、イニシアティブを持てず、丸で、米国の準州の様な状態で有った。」

 処が時が進み、日本の経済的な実力が上がり始めると、オイル・ショックが、其れを乗り越えるとドル・ショックと、更なるオイル・ショックが、日本経済を直撃して日本は、都度、苦境に陥ったが、日本はそれも乗り越えた。

 80年代に、今度は、絶好調だった米国経済が、金利政策の失敗で、巨額の双子の赤字を抱える様になったが、貿易収支の改善に、日本を幾ら締めあげても、米国の需要が止まらない。

 では、財政赤字はと言うと、軍事予算がソ連との軍拡競争の終盤を迎えて居て、おいそれと減額出来なかったし、イラ・イラ戦争も起って、世界に警察を任じる米国としては、身動きが取れなくなっていた。

 其処で米国市場に輸出している主要国と米国との経済首脳が集まって、米国のプラザ・ホテルで、米国の財政負担を減らす為に、「ドルの切り下げ」を行って、相対的に、輸出国の通貨レートが高騰した。

 勿論、日本はその筆頭で、1ドル250円前後だったレートが、1年程で100円高の145~150円になった。 つまり、日本の経済的な力は、既に、欧州勢力を凌駕する様になっていたのである。

 日本経済は、この後、好況となるが、急激な金余り減少から、資産バブルが起り、それが、90年初頭に、大蔵省(財務省)が、金勇方針を転換して、緊縮財政に切り替えた為に、多くの銀行が倒産、或いは、合併に伴う廃業・吸収が起って、相当の資金が闇に消えた。

 こうして、日本経済は落ち着きを取り戻したが、米国は、休む間もなく、新たな課題を日本に課して来た。 日本のお年寄りが溜め込んだ「ゆうちょ」の存在で有る。

 是が、日本の腰の強さであると見た米国勢力は、朝鮮系帰化人2世の小泉純一郎に、郵政を民営化してその隠匿資産を世界ン流通させろと迫った。 彼は自民党内の反対を押し切って、是を断行して、自民党派大きな票田と資金源を失った。

 此処まで見て居れば、以下に日本経済が打たれ強いかが分ると思います。 然も、最初は、米国市場におんぶにだっこ状態で有ったものが、円高を利用して、海外進出を果たし、自分の産業を現地国の労働力の育成、中間所得層の形成に使い、約20年間で、欧米の旧植民地だった、東南アジアが勢いを着けて来て、隣の南アジアも、インドを中心とした、大経済圏と変貌しつつあり、世界画無視で無い状況に成って居る。

 そして、共産シナが、改革開放施策への転換から、この3~40年で、大きく経済と軍事力を伸ばし、08年に北京オリンピックを開催した時には、上海万博も併せて開催し、その急成長ぶりを示した。 然し、シナは一方で、軍事と経済で米国を追い抜き、世界の覇権を狙って居た事が、2016年に就任したトランプ政権時に発覚し、18年委は、米支戦争が始まる。

 そして、朝鮮国は、各事件を行ったり、ICBMの開発実験を行ったりして、日本や米国を恫喝し始め、韓国でも、異変が起り、保守的な朴政権が、弾劾を受け罷免されて、北朝鮮出身の文在寅が大踏力に就任するという、極東の防衛体制の根幹を揺るがす様な大事が起った。 

 今まさに、日本の防衛体制の大幅な強化が、日米間のみならず、世界にとっての大きな関心事になりつつあるのは、論を俟たないで有ろう。

 是は、日本が真に国家主権を取り戻す為の、天佑神助かとも思えるような展開である。 其処で、天災の時代であった、平成が帝自らの御譲位の意思表示に拠って、準備が始まり、目出度く昨日、時代は令和に代わった。

 この一事は、西村さんが指摘しておられる様に、施政権の無い、天皇陛下が発したお言葉に拠って、世に中が変わったのである。 つまりは、前例に従い、旧悪、旧弊を廃して、本来在るべき形を復活させる、或いは、現実に即した状況にする事が求められ、それが、可能で有る事を示して居る。

 日本軍は、その勇猛さに於いて、欧米に怖れられ、故に、手足を縛られた状態で、70有余年を過ごして来たが、今や、米国だけでは、極東の安全を守り切れない状況に成って居るのは、何より、米国が知って、その増強を求めて居る事で有る。 そして、一番信頼されている国も、今や日本である、

 こうした状況だが、米国の民主党や共和党の石油利権派等は、シナとの結びつきが深く、それのウォール街の金融勢力が、江沢民と言う2代前の国家主席と深く繋がって居る事が知られており、是を放置すれば、トランプ大統領退陣の後、再び危機が復活する事に成るのは、日を見るよりも明らかな事だろう。

 斯うしたシナや金融勢力を抑えこむ為には、日本・台湾とASEAN,やインドと言った、シナを取り巻く国々の、軍事的、経済的な連携が必須になるがそのまとめ役は、ASEANン繁栄のためを撒いた日本で有る事は、間違いが無い。

 つまり状況は、日本の現憲法廃棄、新憲法制定の必然性が、増しているのである。 但し、状況は切迫しているとは言え、事は急いては、仕損じます。 此処は、智慧者が集まっている安倍チームに任せて、期待しようではありませんか。

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