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2019年5月17日 (金)

陛下に靖国神社を御親拝(御参拝)されるよう要求することは、天皇の現人神(アマテル神)としての御稜威そして存在そのものを否定することです

ーー以下「宮崎正弘ブログ読者の声(當田晋也)」より抜粋編集

最近天皇が靖国神社に御親拝(御参拝)されるべきだとする議論が多くなされています。

さらに最近沼山光洋氏が御親拝を求めて自裁(切腹自害)された。

このことによりさらに議論が沸騰しています。

ーー

しかし御親拝(御参拝)については一つ注意を喚起したいことがあります。

天皇は、祖先に当たる神様や亡くなられた天皇が祭られている神社では御親拝(御参拝)されます。

例えば伊勢神宮です。

陛下が御親拝(御参拝)されるとき神殿に向かって90度上体を倒されます。

陛下が神社にいかれる場合は、アマテル神(地上における現人神)としていかれます。

ーー

つまり、今までに靖国神社に御親拝(御参拝)された天皇は一人もいらっしゃいません。

明治天皇も大正天皇も昭和天皇も平成天皇も靖国神社に行幸されたことはあります。

しかし御親拝(御参拝)されたことは一度もありません。

ーー

大正天皇、昭和天皇、平成天皇は皇太子時代(アマテル神となる前)には靖国神社に参拝されました。

神社に行幸されるときは、約30度上体を倒して、深めの会釈をされます。

アマテル神(天皇)が靖国神社で90度上体を屈して拝まれる(御親拝される)ことは、何より英霊の方々が望まれません。

英霊は天皇(アマテル神)が近くにいらして天皇の御稜威(みいつ、かたじけなさ尊さ)に触れることをなにより喜ばれます。

ーー

陛下に靖国神社を御親拝(御参拝)されるよう要求することは、天皇の現人神(アマテル神)としての御稜威そして存在そのものを否定することです。

ーー

以前、占領軍総司令部GHQの中の天皇を裁判にかけず利用しようとした一派が、そのための文書・資料として木戸幸一に口述させ、寺崎英成に筆記させて作ったものが、昭和天皇独白録として公開されました。

あれを第一級の歴史資料といった東京大学の教授がいましたが、それをはるかに超えた暴言、暴挙です。 

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>沼山光洋氏の割腹自害の意味
 私もこの事件を中韓ブログのコメンターの士心さんの報告で、知って驚きました、同じくコメンターの老猫さんが、この事件を聴いて、市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺を遂げた、三島由紀夫を思いだした。と、仰有っていましたが、同感です。

 唯、戦前を育った三島氏は、劣化して行く日本をなんとか糺そうと活動したが及ばず、祖霊に申し訳が無い、と言う意味で割腹為されたのでしょう。

 然し、沼山氏の場合、宮崎さんのブログへの投稿者の方が云って居る様に、本来の意味では、アマテル神「=現人神」で有られる天皇陛下に、英霊とは申せ、天皇の赤子たる国民が祀られている神社に、御親拝を御願いする不敬の代償として、割腹に及んだと言うのであれば、指摘通りの齟齬が有る様に思います。 つまり、自然の法則である、御稜威に適って居ないのです。 

 ダカラこそ、国民を祀る靖国神社に対する御親拝自体が、代々、行われてこなかったと言う事実を沼山氏はご存じなかったのであろうか? 

 もし、知って居たのなら、その理由について納得が行かぬと言うのなら、氏の死生観は日本の神道とは、遠いモノであろう。 

 然し「七生報国」の言葉が有る様に「人は魂が真の姿なので、肉体は容れ物に過ぎない、ダカラ、生まれ替わる」と言う前提で「七度生まれ替わっても、国の為に生きる」と言う決意を語っているのだろう。

 こう言う死生観を我が物として居たなら、果たして、世が混迷に陥って、日本が国際的に危機に有る今、死ぬべきなのか、と言う疑問も湧いて来る。 寧ろ、生きて国体の護持者として、更なる、活動を繰り広げてほしかった。

 そうした意味で、世にある現行憲法に対する抗議と言う意味なら、分からないでもないが、陛下に対するご不敬よりも、御稜威に対する無理解、或いは、無視なら、残念ながら、投稿者の言う通り、みいずを無視した、暴挙・暴言であると言う他は無い。

 檄文の内容通りに、陛下の靖国神社へのご親拝を懇願するのが目的なら、氏の切腹は、憤死でも 諫死でも無い。 一体なぜ、今腹を切らねばならないのかが分らない。

 死んでしまっては、その主張が何であったのかと言う、檄文の他に隠されている主張があるのではないのか、と、誰しも思うだろうから、三島事件の様に、世間で詮索される事に成るかもしれない。

 そう考えて看れば、今国民が向き合うべき問題で有る、憲法改正や日本の本来の姿である皇室の在り方を元に戻す事を諮らねば、本当の日本は再生しないと言う事を、国民が、もっと真剣に語り、勉強する機会が生まれるかもしれない。 

 沼山氏が、御稜威の意味を知らぬ筈が無く、故に、態と不敬の罪を背負って、割腹に及んだのでは無いだろうか。 そう言う意味なら、憤死とも諫死ともとれる死である。

縦椅子様
 
 今日も素晴らしいブログ有難うございます

 死は 厳粛なるものであります。
自分の死を何かを動かすために利用するのは、そこに利己的な動機が入ります。
何かを訴えるために、死を選ぶことより、生きることを選択することの方がずっと難しいのです。 
死は遅かれ早かれ誰にでもやってきます。
誰にも言わず、誰にも看取られず、一人で逝かれる方が最近あり、独りでどんなに寂しい思いをされたのかと思いますと、無力な自分を責めますが、どうしょうもありません。
在りし日のお姿が胸にあります・・・それで仕方がないかもしれません。
そこで縦椅子さまが以前仰っていた「死」の反対ー「生きる喜び」を全うすることが、大切なのだ」ということが思い出されてきました。 今あることを感謝し、よろこんで生きようと心に決めました。

縦椅子様、ブログの更新をありがとうございます。

>天皇は、祖先に当たる神様や亡くなられた天皇が祭られている神社では御親拝(参拝)されます。

天皇が御自身直接の先祖への御親拝をされることはよく分かりました。私自身は伊勢神宮に御親拝されることを知っていましたが、この御親拝と混同していました。正確な知識を得て、嬉しかったです。
そして、天皇が靖国神社へ行幸されたのは、御親拝ではなく、単に行幸されたと言うことになると言うことなのかも知れませんが(他に目的があったのかも知れませんけれど)、それでも良いと思うのです。

天皇が靖国神社へ行幸されて、そこで国のために殉じた兵、軍人やその他の人達のことを、ほんの瞬間にでも想っていただけたら、一国民としてそれにすぐる喜びはありません。
私は、天皇が靖国神社へ行幸されることを切望します。そして、日本政府の長である総理大臣やこれを補佐する各国務大臣には、参拝していただきたいと思います。

靖国神社は、日本の軍人、軍属等を主な祭神として祀る単立宗教法人で、創建当初は軍務官(後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍と同海軍)が催事を統括しました。
この場合、軍人と軍属等には、幕末と明治維新にかけて功のあった志士に始まり、ペリー来航以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」として祀っており、その柱数は246万6532にも及ぶそうです。

これらの英霊を国が祀るのは、国がある限りしなければならないことで、世界中のどの国でもしていることです。
その中で、日本だけが国民の象徴である天皇が国のために殉じた軍人と軍属等を祀っている施設に行幸せず、政府の長である総理大臣が参拝しないことには違和感があります。
念のためですが、天皇や総理大臣は他国のこのような施設を訪問し、参拝のようなことをされたことがあると思います。
そして、噂で、トランプ大統領が靖国神社を参拝すると聞きましたが、有難いことだと思います。


しかしながら、沼山光洋氏が御親拝を求めて自裁されたことは、残念です。
彼のことは恥ずかしながら知らなかったのですが、その活動を知るにつれて、彼には自裁などせずに、別の方法で靖国神社に祀られている方々を、慰めていただきたかったと思います。


なお、天皇は1975年11月21日を最後に行幸されなくなりましたけれど、これは社会党の国会議員が国会に於いて天皇の参拝について質問した後で、これ以降天皇が靖国神社を行幸されることはなくなりました。
私は、社会党の国会議員が天皇の靖国神社への行幸を政治問題化したことで、天皇が政治に関係することを避けた為に、行幸できなくなったと思っています。

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