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2019年4月13日 (土)

人以外自殺などしない

「なんで死に顔までほほえみやがりますか」にはご意見を珍しく6件もいただきました。

それも、とても素晴らしいものばかりで、このブログ読者二人の意見交換には感動すら覚えました。

それで少々編集してお目にかけます。

ーー以下読者投稿より抜粋編集

「日本国民」です。

PCを扱うようになって、日が浅い頃、トラブルの対応に苦慮しておりました。

そして、あるサイトを見つけた。

「PCのトラブルを出張して解決します」

「PCのトラブルを解決する」ことを生業にされている人のサイトでした。

ーー

様々なトラブルを例に挙げて図解付きで解決方法を掲載してくださっていて、非常に助かった。

ーー

自己紹介写真が掲載されていて、それを見ると、決してやぼったいような人ではなかった。

そして、ある日、サイトを開くと、次のように書かれていたのでした。

「皆さん、本日も当サイトにご訪問有り難うございます」

「皆さんが此処のぺージをご覧になっている頃には、私はこの世に居りません」

「長期にわたりご観覧、応援して下さった方々に厚く御礼申し上げます」

「今まで本当にありがとう、そしてさようなら」

「このブログも家族が費用支払い継続をストップすればなくなると思います」

ーー

読んですぐに、自殺されたのだと察しました。

ネット上には、“不治の病”に罹って、絶望しての行動との記載がありました。

身辺整理もされていたと。

葬儀に立ち会った方のコメントもあって、ご遺族の気持ちにも想いを馳せたものです。

生前に、娘さんや奥様の事の記載もあり、サイト主人が愛情深い方だと思っていたからでした。

ーー

家族とご本人、どちらの心情を推し量っても、やるせない気持ちになり涙が止まりませんでした。

ーー

厳しい言い方をするようですが、なぜ自然に死ぬのを受け入れようとせず、自殺などなさったのか?

ーー抜粋ここまで

ソロです。

日本国民さん、私には、そのサイト主人のお気持ちが分ります。

ご自分が弱っていく過程でのご家族の気持ちを想像し、経済的負担を考え、自殺すべきだと考え実行された。

そのように理詰(りづめ)で、自分の命に対しても動いてしまう人が、男性の世界には、結構いるものです。

かく云う私も、その一人でした。

ーー

彼らに、共通するのは、無神論者だと言う事です。

彼らは、病気になり、死を目の前にすると、自然に来る死を受け入れることができず、「自殺」を選ぶ。

私は、自然から生命を与えられており、生かされて居ると気付く機会が何度もありました。

そして今では、自殺することなく自然の死を受け入れようと考えています。

ーー

日本では、仏教の影響もあって、生きることは四苦八苦することだとされてきました。

確かに、生きていると、生老病死の他に、愛するものとの別れがあり、他者や社会を恨み、欲しいと思っているものが得られず、肉体も心も思い通りにはならないことを実感します。

つまりその逆は喜びであることになります。

我々は、苦などではなく、その喜びを求めて生きているのです。

ーー

この世に生まれ落ちたら、それぞれの人生、それがどんなものであろうとも「死ぬまで生きる」のが人としての定めであろうと思っています。

どんな人にとっても、死ぬまでは、途中なのですから、自分でその生を評価することはできない。

評価は、他人任せで良いのです。

ーー

他の生き物も皆、「死ぬまで生きる」のですから、人間だけが、例外なわけなど無いのです。

ーー抜粋ここまで

日本国民です。

ソロさん、レス有難うございます。

「人以外自殺などしない」

人についてはもちろんの事ですが、人以外の動物が、懸命に生きている姿には、感動すら覚えます。

ーー

生き物は、ひたすら生きることが道理に適っているのだと思います。

ーー

私には、猫と19年間一緒に過ごした経験あります。

朝になると、猫が私のベッドの横に座って、私を見上げて鳴いて起こすのが日課でした。

ある日、その猫が、明け方に近い時間、いつものようにやってきて、起こしてくれた後も、傍に居て何か言いたげに鳴いた。

それで、思わず抱き上げると、すぐに腕をすり抜け、廊下に走り行くか、というところでよろけて倒れた。

それで見に行くと死んでいました。

不思議とその時は涙が出なかったのです。

ーー

火葬するつもりで、猫を寝床に寝かせた。

そして、まだ薄暗かった事も有り、私は二度寝していました。

すると、亡くなったばかりのあの子が、「おなか減ったよ~!」て呼ぶ声がしたのです。

「あぁ、死んだ自覚なしで、ご飯をねだっているなぁ」と、悲しむ暇をくれませんでした。
 
ーー

我が家では、しばらく、しっぽだけとか、後ろ足部分とかを見せながら徘徊しているのが、分かりました。

その時には、「早く往くべきところへ行かなきゃダメだよ」と話しかけておりました。

愛する人との別れと言うのも、このようなものなのかと思っています。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

始めまして、何時もは読むだけなのですがたまたま現在家の墓所を改修中でふと書き込む気持ちに成りました。

叔父が昨年マレットゴルフに出掛け、お友達と大会に出る予定でしたが、ホテルのベットで亡くなっていました。突然の事で分家に出ても墓を作っていなくて、叔母も寂しいからと一年近く自宅の仏壇に置いてありましたが、今年に入り我が家の隣に作る運びとなり、私の家の墓所も一緒に改修することに成りました。改修に当たり全ての骨を取り出さなくては行けません。ダンボール一杯有りまして、とても仏壇に収まらないので床の間に置いてあります。

普段はなにもしないのですが、毎朝お茶もあげ線香もたてなかなか守りも大変です。

骨を拾うときに何故か父の眼鏡が出てきました。懐かしく悲しく成りました。
我が家は浄土真宗の東本願寺派ですから子供の頃から白骨のお文章を何度も葬式で聞かされ、概念としては有るのですが、人や先我や先と確かに人は亡くなるものです。

自殺なんかしなくても人は死にます。確実に。解っていてもそれでも自死を選ぶのです。母を介護していますが95歳今年は年女で猪年てすが、さていつ天国に逝くかサッパリ解りません。デーサービスも嫌がらず行くのでそれは助かっていますが、中には101歳の強者も居ますのでなかなかです(笑)
私は実の娘ですが、自分の時は子供と暮らすことは想像出来ません。姉もそう言います。きっとどこかの老人ホームだよね。

今の時代生きる事も大切ですが最後どう死ぬかも大変な時代です。なかなか死ねませんから(笑)

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>愛別離苦
 縦椅子様のダイジェストを読んで、私が出せなかった結論がすんなり提示されて居て、その知見の深さに驚くと共に、新たに道を示して頂いた様な気がしました。

 つまり、「人は苦を求めて居るのでは無い、喜びを求めて居るのだ」と言う事です。 

 「苦は、世に生有るもの全てに必然的に起こるモノである、ダカラ、修行で人為的に苦を高める事で、その向こうに、素晴らしい果が、待って居るのだ」と言うバラモンの苦行の必要性を、自らが限界てきな修行を体験した後に、「苦は苦でしか無く、何も齎さない」と悟り、方法論として否定しました。

 その代わりに、「その向こう側=悟り辿り着くに必要なのは、苦行で天啓を俟つのでは無く智慧である。」と言う結論に至って苦行を止めた、と言う釈尊のエピソードを思い出しました。

 教えの流れの中で、釈尊は、決して「人間は苦を宿命的なものと捉え、その苦を受け容れ耐えるべきである」とは説いて居ない。 寧ろ、「苦を乗り越える為に、智を求めよ」と、解決法を示して居る。 

 この解決法の提示は、「人間はその本質的な処では、苦では無く喜びを求めて居るのだ」と言う、確信が無ければ出てこないと思うが、その確信に辿り着くに、「裏返して考えて看る」と言う思考法は、行き詰まって居た考えを突破する素晴らしい手法で、此処に天啓の存在を感じますね。

 話を元に戻しますと、日本国民さんが体験為されたIT技術者の方の自殺に至った思考経緯について、彼を良く知らない私がㇲ即だけで評価してはイケナイ事は承知して居ますが、この問題は、一昨年、MRSDで一時危篤状態に陥った私には、「明日は我が身の問題」なので、言及する事をお許しいただきたい。

 私には、イメージとして、この方は、人工的な宗教に忌避感を持つが故の、無神論なのではなかったか、と思うのです。 日本人で「自分は無神論者だ」と言って居る人の大多数は、このカテゴリーに入って居ると思います。

 彼に取って「何時死ぬか?」が命題になって終った、もし、「如何に死ぬか?」が命題として、残って居たなら、神の思し召しのままに、生き抜こうと為されたのでは、無いでしょうか

 日本の無神論者(のつもり)の方々には、仏教もキリスト教も中身は関係が無く、只日本人としての直間で「神と言う違う種類の高等生物が居るのでは無い」と理解しているのです。

 「地球の神は、決して、異次元の宇宙生物では無い」と言う確信が、日本人にとっての神様が、生活の其処此処に、謂わば、木石の中にも、否、森羅万象が、神の住処である事を体験で知って居るカラでしょう。 仏教的に云えば、「森羅万象悉皆有仏性」だからなのです

 良く仏教は、自ら「宗教では無い」と言って居ますが、では何かと言えば、「宇宙の法則であり、真実である」と言って居ます。 是は、仏教が自然を神とする教えの補助的な役割を自認していると考えれば、腑に落ちる話ですね。 

 是は西洋文明とは、大きな隔たりがあるものです、彼らの神は、科学的に言えば、「異次元の高等生物」であり、人間と契約をしてその庇護を保証する処から、その神の信仰は、始まって居ます。 ダカラ人間の裏切りには、罰を以て報いると言う極めて俗性を感じさせる神様ですね。 是は、西洋宗教の基となった、ユダヤ教自体がメソポタミアの都市神信仰の延長に有るからだと考えるしかない。

 日本に来た外国人が、素晴らしい四季折々の変化に富んだ自然と、何より、何処に棲む国民が宥和的で、外国人に対しても「お役様」としてのおもてなしの精神を発揮している、そして何より、何処の観光しに行っても、塵一つ落ちて居ず、正常に田間島として居る国民の努力が感じられる。

 然し、国土を清浄に保とうと言うのは、「日本の国土が神のお住まいになる神聖な場所である」と言う意識がそうさせるのであると、彼らに説明した人が果たして居るだろうか、と私は疑問を持って居ます。

 西洋では基本的に、人は生まれて来て、生活を営む上で、生きる以外に時間的な余裕が有るから、色々考えて、神は創りだされるのだと考えられていますが、東洋はそうでは無く、生まれて来るにも、因果律が働いており、生活するのも周りは、前世からご縁のある人ばかりであると考える。 つまり魂の世界が、現実世界の裏面に展開しているのであると考えて居る。 

 是は、地球は広く、今や75億の人口を抱えて居るのに、自分がご縁の在る人は、ごく限られた空間に共に生きて居る人達に限られて居る現実を考えれば、自然に納得できる話です

 こうした現象を自然として、考えられないのは、ユダヤ教の中の死生観に、輪廻転生と言う「魂は不滅である」と言う考え方が無いが故であるのは、明らかです。 

 彼らは「人は、土から生まれ、そして、土に還るのだ」と、魂の存在すら認めて居ないかの様ですが、そうでは無く、肉体は、謂わば、身(み)であり、水で出来た容れ物であり、神経と言う生体電源で動く装置である。 そして其処に、魂と言うエネルギー体が入ってこそ、人間は活動を始める、と私は、信じて居ます。

 魂が無いとすれば、例えば、天啓と言う理解しがたいものに、援けられた経験が無い、或いは、援けられたとも思って居ないのでしょう。 つまりは、神の存在さえ否定すして居る事に成る。
 共産主義が、ユダヤ教やキリスト教、ムスリムと同根の思想であると言う事が、彼らの唯物論、或いは、唯心論で分りますね。

 初めて会った他人が何故、端から懐かしく思ったり、反対に警戒心をもったりするのか、其れらを全て、性衝動に為せる業として説明した、ジグムンド・フロイトも、ハザール系ユダヤ教徒であったと聞けば、成る程と思います。

 然し、その友人であったユングは、其れに対し、或る、有色人種の青年に「君とは、何千年も前に友達で有った」と言う自身の「魂の記憶」を告白しているので、是は宗教では無く、現象として在るものなのだと言うしかないですね。

 然し、我々日本人の先達は、驚くほど、科学的で、理知的で、客観的です。 自殺された方は、そう言う教えとの邂逅(めぐり合い)の御縁が無かったか、邂逅しても、その内容から天啓を受ける時間的な余裕すら無かったのかもしれませんね。

縦椅子様

 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
 その人はあまりにも謙虚でいらっしゃるので、自己の存在を生きるに足りない存在だと過小評価され、また苦しさに耐えかねられて自己の存在を無にしたい衝動に駆られるたら・・・といらぬことばかり考えながら、公園の雑草の草引きを終えたところです。
 でも「その人はそんなやわな人ではない」という確信は常に心の中にあるのですが・・・「その人の存在がこの世からなくなれば…」と考えるだけで、自分の存在がぐらついてしまう・・・そんな感じで、ずーと公園の草引きを続けていました。
 そして、画面の≪我々は、苦などではなく、その喜びを求めて生きているのです≫を見た途端、不安は喜びに変わりました。そうです。--我々は、苦などではなく、その喜びを求めて生きているのです
ーーそのとおりです。「我々は喜びに満ちていきましょう」!!
 生を与えられたことはありがたいことです。何よりもありがたいことは、ご縁で「かくも素晴らしい方と出会えたことです!」ありがたいことです。                  感謝!!

縦椅子様、ブログの更新をありがとうございます。

しかし、テーマが自タヒとは・・・・・・・

確かに、人以外は自タヒなどしないものですけれど、日本では年間3万人もの自タヒがいます。

>「なんで死に顔までほほえみやがりますか」にはご意見を珍しく6件もいただきました。
>「今まで本当にありがとう、そしてさようなら」

この2件の、自タヒについて読んでいるときは、読んでいるだけで辛くなります。
40年程前から20年、自死した人をどれだけ見たか覚えていませんが、その全ての人が死ぬ程に辛い目に遭ったのです。
人は誰でも、生きていくときには辛い目に遭うと思っています。
勿論、毎日が幸せに包まれていれば、それに越したことはないのですけれど、世の中そんなに甘くないし、世界は自分を中心に回っているのでもない。
人は地球上にいる80億分の1の存在でしかないし、その隅っこで一生懸命にそれぞれが生きているのです。
そりゃあ、挫折することもあって当たり前と思います。

知り合いの人に、物事をてきぱきと片付けていく商売人がいましたけれど、その人の口癖は「失敗しても、命は取られないだろう。」と言うものでした。
その通りで、大概というか、命を取られる物事などありません。
そう思うと、失敗は失敗で、その時にはそれの善後策を考えて、大難を小難に、小難を無事に乗り越えていけば良いのです。
上手く行かないときがあってもそれだけのことで、月にが流れれば、大概のことは自分の中で処理され、過去の思い出になると思います。


でも、その一方で、自死する人の全てを否定する気にもなれません。
その人は、その人の全力で生き抜こうとした災いに対して万策を尽くした結果、万策がつきて処理できなくなったからそれを選んだと思うのです。
仕方なかったと思います。

その中には、覚悟の上の人や突発的なことで自タヒを選ぶ人がいますけれど、それぞれが、最後の行動を起こした結果で、それがその時には最善の方法だと思ったのでしょう。
ですから、私は自タヒの全てを否定する気にはなれません。

ただし、若い人の自タヒには、もう少し考えて欲しいと思っています。
だって、若いのですから、今持っている全てを無くしても、やり直しが出来るのです。
これには虐めも含まれるのですが(幸い私は虐めによる自タヒには出会っていません。)、虐めは学年を変わったら、学校を卒業したら、会社を変わったら無くなるものが殆どです。
長い人生の内、数年のことで自らの命を絶つのは、余りにも勿体ないと思います。

そして、若い人は人生のやり直しが何回でも出来るのです。
そう考えるとき、ゲームではありませんが、それまでの人生を半ばリセットする気で次に立ち向かえば、結構立ち直れるものだと思います。
この時は、以前よりも頑張らなくてはならないけれど、タヒぬ程に頑張ると思うことは無いと思います。

>ポッポさん ソロです。
 良いお話を書いていただきありがとうございます。

 私は幼い頃から、何処かに自殺願望の様なものが有って、その都度、色々な人や動物に出遭った事で、此処まで生きてこれました。

 今思うと、「にっちもさっちも行かなくなって」と言う状況は。何回もあったような気がしますが、結局自殺をするに至らない裡に、勝手に周りの状況が好転して、死ぬ理由が無くなっていました。 或いは、人からの助言で、生きる勇気を貰って、問題を乗り越える事が出来ました。

 ご縁と言う英訳は、timing 何ですね、これを知った時は、正に目から鱗が落ちた様な気がしました。 つまり、時を待てばよかった事が、過去に幾らでもあったなぁ、と思ったからです。

 病気だけは、どうしようも無い場合が多いですが、どうせ死ぬのなら、今生の事を最後までやり遂げて・・と思うのは、「自分が勝手に生きて居る」と錯覚して居るカラで、実は生かされて居るのだ、と自分に働いて居る、他力を実感できれば、そして、自分に取っての timing は、何時訪れるか分らないと悟れば、死を自ら迎え入れる事には、神風特攻隊員の様な、余程の理由が必要です。

 この先、あまり長い時間が遺されている徒は思いませんが、精一杯頑張っても迎えが来るまで生き延びようと思って居ます。
 

 

数年前、弟を亡くしました。自殺してしまいました。
それまで自分が生きてきた中で一番悲しい出来事で、いつまでたってもいつまでたっても涙が止まりませんでした。
不始末で死んだ弟を、いさぎよいな、などという友人もありましたが、悲しむ家族を残して、何がいさぎよいものか、と叱ってやりました。
自分が死んで悲しむ人がひとりでもいるなら、決して自殺などしないでください。そんなことをしたら、あなたを生んだ、お父さん、お母さんもきっと悲しむでしょうから。

ソロさんへ  ポッポです

年齢にそれ程の差が無いからなのでしょうか。
高校の頃には、自タヒのことを考えたことがありました。
その頃の友人曰く、飛び降りた後に問題の解決法が判ったらと思うと、飛び降りることが出来ないという人がいまして、成る程と思いまして、それ以降はこれを考えることを止められました。

ソロさんは幾つもの病気を抱えて大変だと思いますけれど、「死ぬのなら、今生の事を最後までやり遂げて・・」と思うのは素晴らしいことです。
私などは、未だに子供(孫も)の心配をしなければならないので、日本は日本人のための国であって欲しいと、只管願っています。

頑張って生きてやれることをやれば、タヒの方は遠慮して中々来ないと思いますけれど、後は天に任せましょう。
だけど、今時70才は若造の時代ですから、焦らず自分のペースを守って、長持ちさせるように気をつけて下さい。

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