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2019年4月 4日 (木)

大阪市民がこよなく愛している大阪市を二度と壊してはいけない

ーー以下読者投稿より抜粋編集

「ばら」です。

近頃大阪の行く末が、気になって仕方ありません。

というのも、陛下がお住まいになられないのに、都構想を掲げる人たちがいて、大阪市をなくそうとしているからです。

ーー

そんなことを考えていた時、高島屋の本屋で、私が探し求めていた本を見つけました。

以下その本の概要をお目にかけ、私の思いを述べたいと思います。

小山仁示著「大阪大空襲」(東方出版)より

副題には「大阪が壊滅した日」と有ります。

ーー

「太平洋戦争末期、1944年(昭和19年)12月19日の中河内郡三宅村(現在松原市)瓜破村(現在大阪市平野区)への爆撃投下に始まり、終戦前日の1945年8月14日に行われた大阪陸軍造兵廠への大爆撃に終わる」

「(この)大阪府域への爆撃は「超空の要塞」(スーパーフォトレス)と呼ばれたボーイングB29爆撃機100機規模以上による大空襲8回を含めて、約50回を数えた」

「大阪は人的にも物的にも甚大な損害を被った」

「戦争が終わって、外地から帰国した復員の兵士たちが大阪駅に降り立った時、あたり一面焼け野原のかなたに難波の高島屋の建物が見えたという」

「大阪のキタからミナミが完全に見通せたのである」

「空爆で大阪の主要部分はみごとに焼き尽くされ、繁華を誇った街は廃墟と化していたのだった」

ーー

そして大阪府の人口は、半年で100万人減ったと序章に記録されています。

ーー

あとがきに、

「大空襲のたびに、天空高く、何千メートルも立ちのぼる火とけむり、想像を絶する炎熱地獄のなかに何十万もの市民がたたきこまれた」

「中学生の私もその一人だった」

「焼け落ちる街のなかを、猛煙にむせび、涙を流しながら、風上にむかって必死に走った」

「足元近くで、焼夷弾が炸裂した」

「強烈な火炎が四方に飛び散った」

ーー

「真夏の白昼なのに暗黒、街は真っ赤に燃え、黒い雨がふり、雷鳴が轟いた」

「昨日のことのように思う」

ーー

「私はこの空爆のことを、いつの日か自分の手で解明したいと思っていた」

「私は大阪で育ち、大阪に住み、大阪をこよなく愛している」

「私は大阪空襲の体験者であり、近代史家である」

「大阪空襲の実態を明らかにすることが責務であると思った」

「この仕事だけはやりたかった」

ーー

小山氏は戦時中の手に入りにくい資料を探しだし手に入れて、それを基に、空爆体験者を探し当て、体験者の話を録音し、それを文字におこし、校正をした。

「私は幾度涙を流したことか」

「自分の文章を読んで泣いたのではない」

「体験のひどさ、激しさ、悲しさに、私は嗚咽をこらえることが出来なかった(のだ)」

ーー

なぜ小山氏は、空爆体験を記録しなければならないと思われたのか。

それは「大阪で育ち、大阪に住み、大阪をこよなく愛して」おられるからだ。

私も大阪で育ち、大阪に住み、大阪をこよなく愛している。

空爆で中心部が焼け野原、焦土と化した大阪市を、こんなに立派な町にしてくださった先人の方々へは、いくら感謝しても足りないという思いでいっぱいだ。

その大阪市を解体しようとする人たちがいる。

私は、大阪市民がこよなく愛している大阪市を二度と壊してはいけないと思うのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>大阪人が考える大阪の将来像
 申し訳ないのですが、私は神戸在住で、仕事も永らく神戸中心でしたので、大阪の事は、外形的な事しか知識がありません。 そう言う意味では、大阪愛と言う点については、私は、共感を語る資格は無いと思って居ます。

 因に、神戸は大震災以降に、本当の人の温かみを知りましたし、愛着も湧いてきましたね。 この辺りは、「相互扶助」が社会常識の、日本文明の所為だと今は思えますが。

 大体、合計7~8年、大阪で仕事をしましたが、其処で感じた大阪人の気質は、計算高い、好い加減なのに冷たい、自分の利益に成らないモノには興味を持たないと言う点が、あまり好きになれませんでしたしね。 是は、神戸も最初は、冷たい街だと思いましたから、私が端に田舎者だったと言う事何でしょう。ww

 まぁ是は、関西人一般の傾向なのでしょうがね、それに、東京、名古屋は、更にキライで、絶対に棲みたくありませんね。ww 私に言わせれば、言葉も、食べ物も、最悪レベルですからね。

 でも、私が鹿児島を愛おしむように、大阪の方も、自分が生まれ、育んでくれた街を大切に思って居らっしゃる事は、ばら様も書かれたコメントの文脈から、ヒシヒシと感じ取る事が出来ました。 私の中に有る故郷への思いと同じ根っこのものをもっていらっしゃるのだなぁ、と嬉しくなりました。

 日本での大規模都市空襲は、昭和20年3月10日の夜から11日朝にかけて東京で行われた、B29 325機に拠る絨毯爆撃で、1晩で凡そ10万人の死者を出す、本物の、ホロコースト「=ユダヤ教の焼贄」を行いました。

 最初、都市空襲は東京を中心に、ナント昭和17年から始まって居ますが、19年迄は国際法を守って、軍事施設だけを爆撃して居たので、はかばかしい結果が得られなかったのですが、カーチス・ルメイ少将に、担当者が変わった途端、大都市の無差別爆撃が始まりました。

 この都市爆撃は、米国に拠る色々な治験を得る目的で行われて居たと見るべきで、例えば、2月にドイツのドレスデンで行った焼夷弾(後のナパーム弾)爆撃の成果「=凡そ5万人の死者を出した」を基にした新型焼夷弾を使ったものでした。

 大阪は、東京の次の目標となり、今度は当時の最大級の1トン爆弾を、要所を中心に爆撃しましたが、此方は、爆弾一つが重いので繰り返し爆撃する必要がありましたので、短期間に複数回の空爆になったものと思われます。

 焼夷弾を使った爆撃とは違い重点目標を爆撃するのには、1トン爆弾の方が好いが、多くの死者を出そうと言うのなら、焼夷弾の方が効果的である事を、データは示して居ました。 ダカラ、米国が焼夷弾爆撃を選択したのは、固より、「日本民族の殲滅」を目指して居た」と考える他は、有りませんが、是は人類として恥ずべき決断だと思います。。

 すると、爾後の都市爆撃は、名古屋が1トン爆弾、神戸が焼夷弾と試行錯誤を繰り返して居る様に見えますが、最後は、都市爆撃には、焼夷弾を採用した様ですが、その後も、重い爆弾の使用に拘ったのは、広島・長崎の原子爆弾の投下を想定しての事で有った事は、想像に難くない事です。

 私が比較的、関東人より関西人が好きなのは、今頃になって、東京空襲の責任を日本に有るとか騒ぎだす連中が居て、それに同調する様な、功利主義者か、将又、唯のお花畑かは知りませんが、明らかに日本人では、有りえ無い主張に同調する「阿保」が、大阪には少ないと言う事でしょうか。

 でも、左翼の本場は京都ですし、反権力志向も関西の傾向ですよね。 その分、関西の方が理性的で、文化の度合いが違うのだとも言えそうです。

 然し、根っこが、多くは海人族出自の薩摩人の私には、どっちも反日本的な要素の発露でしかないと思って居ますが、比較すれば、未だ、関西の方がマシかなと思いますがね。

 此処で「大阪の未来を考える」と言う視点で考えて看ると、維新が、大阪都構想だの道州制度だのと、大前研一発の改革案をぶち上げて居ますが、何の事は無い、日本人の分断作戦でしかありません。 その正当性を粉飾する為に、数字を相当弄って居ますね。

 日本は余程、世界支配を目論む者にとっては邪魔な存在なのでしょうね。

 でも、一つだけ耳を傾けるべきだと思ったのは「災害多発国日本に在って、首都東京のスペアとして考えられるのは、大阪しかない」と言う考えで、「地理的にも歴史的にも、東京に匹敵する第二の首都としては、大阪以外には有りえず、首都を目指した大阪の大改革を始めなければイケない」と言う考え方には、全く異論は有りません。

 唯、この改革を施行するに当たり、首都機能を移して行く施行者は、内閣府で有り、政権党で無くてはなりませんが、その為には、自民党は大阪の自民党を何とか、立て直してもらわないと、安心して任せられるものではありません、彼らは、旧態依然とした、金権体制の自民党のママですからね。

 何故、自民党が大阪で勝てないのかを虚心坦懐に受け止めて、市民・府民に嫌われて居る処を、糺して行く事が求められています。

縦椅子様

 私の拙いコメントを取り上げてくださいまして有難うございます。
 わたしの大阪への思いは、ちょうど乳呑児が母を求めてという感じでしょうか・・・終戦のときは疎開しており、疎開地でミルクを知り合いの人から分けていただいて育ったのですから、もし家族全員で疎開していなかったら、今の私はいなかったでしょう!
大阪大空襲の本p22には「人員疎開は勧奨で推進された。大阪府庁内に疎開相談所が設けられ、大阪市では各区役所に疎開指導所が置かれた。疎開者の地方転出証明書には、区長から疎開先市町村長職業・転校などの斡旋依頼状が添付され、家財道具輸送についても便宜が与えられた。」-とあります。
 大阪府庁や市役所の機能が市民の人命を守るためその役割を果たしていたことが伺えます。
 また、p15に「戦時かの市民生活、ひいては空襲・戦災を語る場合に忘れてならないのは、町内会(大阪では町会)・部落会・隣組である」
-とあるようにp17「生活必需物資の配給と防空体制の整備という、当時の最大重要事が町会に課せられていて、戦時行政の末端機構だったことがよくわかる。」
-町会が市民生活で重要な役割をはたしていたのである。
-現在の町会の活動状況については、私の所属している町会については、健在であると思います。
 このような昔からの生活基盤を大切に、みんなが助け合っていくという相互扶助の精神があり、何とか今を享受できているのは有り難いことです。
 わたしとましては、今のままで不都合はありませんが、
固執をせず、神の意のままにゆだねたいと思います。

出張で、新大阪に到着し、足をふみ出す度に、妙な安堵感を感じることが多かったことを記憶しています。肌が合うとでも言いましょうか、気分的にも楽でしたね。
立売堀付近に出向くことが多く、仕事終えた後は、朝まで飲み歩いていました。(オッチャンの如くですね)
逆に、京都駅に到着した際は膚に刺す感覚を味わう事が多く、緊張してましたっけ。
顔も、京都人と大阪人では違うんですねぇ。と人に聞かせたら、「そうかなぁ?」と返されましたが、土地によって顔って違うものと勝手に思っています。

仕事上での関わりしかないのですが、大阪は非常に重要な場所に位置しており、昔から商業の中心地でもあり、日本の台所とも謂われていましたこともあり注目しています。

将来の構想として副都心の役割を果たすべく地域と考えます。

然し、今拙速に事を推し進めようと躍起になっている彼ら(維新)を見るにつけ、危険信号がピコーンピコーンと鳴っております。

彼らの背後には何がいるのか考えるまでもなく、あいつらですね。

日本を分断する足掛かりに大阪の地を利用されてなるものかと、
力が入ります。

ソロさんが大前研一氏の名前を挙げて下さっていたので、
追加事項を以下に挙げて行きます。

【大前氏プロフィール】(抜粋)

韓國梨花女子大学国際大学院名誉教授

高麗大学名誉客員教授

中国遼寧省、及び、天津市の経済顧問に就任

大連の名誉市民に選出

重慶の経済顧問に就任

CCTV (China Central Television(中国中央電視台))顧問に就任

橋下徹のブレーンでもある大前研一氏が創設した一新塾において「生活者主権のための83法案デッサン」という平成維新の会作成の法案が参考教材として使われておりました。

気になる処を数編、以下に挙げましておきましたが、まだまだ数多あります。

1−3)日本において教育を受けていなくとも(外国人を含む)、5年以上日本に合法的に滞在し、本人または配偶者が納税している場合は参政権を与える。

1−4)被選挙権は30歳以上で、納税10年以上の者に与える。

7−1)夫婦どちらかが日本国籍を有する場合、その子供には日本国籍を与える。

7−2)夫婦が共に外国籍の場合も、子供が日本で生まれ、または日本で義務教育を修了した場合には日本国籍を与える。

7−3)日本に移民してきた外国人に、2年間、日本の言葉、文化、法律、社会常識などの教育を無料で提供し、修了したものには永住権(米でのグリーンカードに相当)を与える。

企みと云いますか、目的が透けて、否、はっきりと見えますね。

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