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2019年4月11日 (木)

なんで死に顔まで微笑みやがりますか

町の本屋さんが閉店していっている。

若者たちがスマホに熱中し本を読まなくなり、しかも読みたい本はネットで購入して、町の本屋さんでは買わなくなったからだろう。

スマホでは、政治経済情勢、素晴らしい音楽、素晴らしい話、エロ・グロ・ナンセンス、近親相姦からいじめ、暴力、子供の虐待となんでもありだ。

しかもテレビドラマより面白い。

若者がテレビなど相手にせずにスマホに夢中になるのも納得だ。

ーー

そしてスマホで読める話の中には、「世界一やさしい夫にゴルァ」という感動する話もある。

一行一行の末尾に「ゴルァ」と、怒っている顔の絵文字が置かれている、それを省き少々編集してお目にかける。

ーー以下youtubeより抜粋編集

どうして私がダイエットしているときにニヤニヤと見つめやがりますか

どうしてけんかになると私が悪いのに先に謝りますか

どうしてお小遣い減らしたのに文句ひとつ言いませんか

どうして交代ですると約束した洗濯をし忘れていたのに怒りませんか

どうして子供ができないのは私の所為なのにあなたが謝りますか

どうして自分の体調が悪い時はわたしを突き放すくせに、私が倒れると仕事を休んでまで看病しますか

ーー

どうして妻の私に心配かけたくなかったからと自分の病気のことを隠しますか

おまけにもって半年とはどういうことですか

長期出張だと嘘言って知らない間に手術を受けていて、助からないとはどういうことですか

病院で、俺のことは忘れて、いい男を見つけろとはどういうことですか

こっちの気持ちは無視ですか、あなた以上に優しい男なんか居ませんよ

それと私みたいな女を嫁にするのはあなた位ですよ

ーー

もう一つ言い忘れてましたが、私お腹に赤ちゃんができたんですよ

医者からは私の体では妊娠は難しいと言われていたのに

あなたの子供なのに、そんな状態じゃあ、言い出せないじゃないですか

それでも言わない訳にいかないから言ったら大喜びで私を抱きしめますか

ーー

子供が生まれるころにはあなたはこの世にいないんですよ

元気な子だといいなあって、あなたは自分のことはないがしろですか

病院で、周りの患者さんや看護師さんに何自慢してやがりますか

病気で苦しいはずなのにどうして姓名判断の本で名前を考えてやがりますか

どうして私がそばに居てあげたいのに、一人の体じゃないんだからと帰そうとしますか

どうして自分のことは二の次なんですか

ーー

医者からいよいよだめだと言われ泣いている私に、大丈夫だよ、とバレバレの慰めを言いますか

こっちはあなたとこれからも生きて行きたいんです

それがもうすぐ終わってしまうんですよ

バカやって泣きそうな私を包んでくれるあなたがいなくなるんですよ

忘れろと言われても忘れられるわけないでしょ

ーー

死ぬ一週間前に俺みたいなやつと一緒になってくれてありがとな、ですかそうですか

こっちがお礼言わないといけないのに、泣いてしまったではないですか

あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝(い)きやがりましたね

なんで死に顔まで微笑(ほほえ)みやがりますか

そんなのはいいから起きてください、生まれてくる子供を抱いてください、こどもに微笑みかけてください

頼むから神様何とかしてください

ダメ女の私にこの先ひとりで子供を育てよと言いやがりますか

ーー

あなたが死んで3か月・・・子供が生まれましたよ

元気な女の子ですよ、目元があなたにそっくり

どこかで見ていますか、私はこの子と何とか生きていきます

あなたも遠くから見守っていてください

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>男女の感性の差
 ご紹介の話を読んでゆく裡に、何かの本で読んだのかネットの記事なのか、忘れてしまいましたが、男女の脳が構造的に違う事は、周知され始めて居る事ですが、後天的な体験、即ち置かれている環境に拠って、男女には、自ずと差が生じ、それが固定化して、遺伝子て居ると言う話を思い出しました。

 其れは、男は狩猟に出かけて何日も戻らない上、狩猟は獲物との死生を懸けた戦いですから、何時死んでも可笑しくない状況だし、何時も心身ともに健康なわけでも無い、常に孤独と戦って居る、「孤独は、決して飼い慣らせない猛獣である」と言う様に、自我は常に孤独の侵略に晒されている状態にある。 ダカラ、飼い慣らす事は出来ないが、そのストレスに何時かしら、耐性を持つ様になる、つまり、「孤独を愛する様になる」状態である。 

 是に対して女性は、只管男の帰りを待つしか無い生活である、何処に棲むかと言えば、雨風と、寒さを凌げる洞穴の様な守り易い場所になるが、戦闘力が男とは格段に劣るから、捕食獣も其処を狙ってくる、ダカラそう言った場所を避けて、経験則から、水や食料を得やすく且つ沢山の猛獣が一度に襲ってこられない様な場所に、大勢で固まって棲み、子を育てて行くが、外に出る時は、単独行動を避けるのは、数が少ないと、襲われる捕食獣の種類も広がるし、その蓋然性も高まる。 こう言う現実が有るので、女性は、一人で居る事には、基本的に恐怖心を持って居る。

 すると、男女では正反対の感性が有る事に成るが、近頃の男は、逆に一人で行動させられる事が少ないので、皆では無いが「孤りを愛する人間」が結構いるものである。

 私もその一人で有った事を白状するが、そういう人間には、嘗ての船乗りの様に、女性に数年間も接しない様な生活に対する耐性が、出来上がって終う場合が有る。 すると、女性の孤独に対する恐怖心と言うのが、基本的に理解できない場合が有る。

 此の亡くなった男は、基本的に男だったと云えるでしょう、否「男らしい」のではなく、孤独に対する耐性が出来上がって居る状態、つまり、自分の中で何でも解決して終う状態になって、自分の本音を他人と共有する意義を見出せない、寧ろ、弱音を吐いて居るダケ、自分に負けて居るダケと言う判断をして終う。

 彼に取って他人とは、例え、其れが最愛の妻だったとしても、否、護らばならない妻だからこそ、自分が弱音を吐いてどうする、と言う気持ちになる。

 男らしいとかと言う、相対的な問題では無く、自分に与えられた使命感に照らして「逃げ出してしまったらお終い」と言う事なのである。

 然し女性は違う、寧ろ、そうした男性の内面の孤独との戦い葛藤の様を、社会に対してℋりめぐらしたバリアと、感じ取って終う、つまり、「心を許して居ない」と感じて終うのだろう。 

 何でも共有したい、何でも分かち合いたい、同じ感性で問題に向き合ってゆきたいと思って居るのは、洞窟の中の運命共同体の一員としての認識に通底して居よう

 私は、この様な男女に感性の違いを感じるが、現在、今上陛下のご譲位を前にして、天皇・皇后両陛下のご成婚60年を振り返る番組が放映されているが、ご成婚25周年当時に、番組で「お互いに採点するとすれば、何点を差し上げられますか?」と言うやや不敬な質問に、「何点では無く、努力賞をあげたい」と陛下が云えば、皇后陛下が「私は感謝状を差し上げたい」とお答えになられて居ました。

 この時、私は陛下が皇太子の砌に、沖縄を始めて訪問された時、スタジアムで暴漢が、不穏な動きをしたのを看て、来賓席で陛下の隣に並んでいた皇后さまが、自分の体を陛下の前に滑り込ませ様となさいました。

 その咄嗟の行動に、私は皇后さまの深いお覚悟を見せられた思いで、一国民として終生忘れない思い出になって居ます。

 天皇陛下も皇后陛下も、お立場上、其れこそ人には言えぬ葛藤や問題を抱えて居らっしゃったことで有ろう事は、お二人の病歴を見れば、容易に斟酌できます。

 皇室の歴史で初めての平民のご出身の皇后さまは、通って居た大学がミッション系の聖心女学院で有った事から、クリスチャンで有った事は十二分に分って居た事で有りましょう。

 それが故に、生まれた軋轢や障害をお二人で乗り越えて来た。 その中には、女性として耐え難く思う様な事もあったと思いますが、そうした山坂を越えた今、お互いを頼り合って、労り合って、尊敬し合って居るお姿が、正に、夫婦和合の象徴を御示し頂いて居ると拝察いたします。

 正に皇室は、殊に天皇・皇后両陛下は、日本の宝であると私は思います。 

 男女の越え難い感性の違いも、立ちすくむ様な伝統社会の巨大な壁も、お互いの努力と相手を御思いやる心を積み重ねて行けば、きっと、あの境地に辿り着けるのであろうと、希望を持って居ます。

縦椅子様

 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
 「どうして・・・ますか」「どうして・・・ますか」{どうして・・・ませんか」「どうして・・・ませんか}{どうして・・・ますか」{どうして・・・ますか」とたたみかけるように、相手を糾弾するかのように、怒りをぶっけているが、実はあいの告白だ。女は知りたい男を。
 この男は寡黙である。愛しているだけで充分である。
 女は何でも知りたがる、で「どうして・・・、どうして・・・」となる。
男は、黙って手術し、余命半年であるのを黙っている。-余計な心配をかけたくないから・・・」 女のしあわせだけを祈っている。
 男は「いい男を見つけろよ」とまで言う。 
女は男が「最高に優しいひと」だとわかっている。女は妊娠をつげる。
男は、有頂天になり、生まれくる子の名前をかんがえたり、自分のことは二の次だ。そして、娘の誕生を見ずに「なんで死に顔まで微笑(ほほえ)みやがりますか」と「逝(い)きやがりましたね」
と女の慟哭と嗚咽が響き渡るーー
ーこの詩は現代の最高の挽歌といえましょう!素晴らしい詩のご紹介ありがとうございます。

『愛』とはなんぞや・・・。
 
性差による、愛情の在り方に違いがあることは巷の情報から、
多少の理解を持ちます。

個人差による(心の在り方)愛の違いも大きいようです。

本日のお話にはお二方の相手に対する深い愛情を感じます。
性差により、表現の仕方による接点の見つけ方に違いがある
のかと・・。

性差による愛情表現の違い、それを踏まえた上で、魂が寄り
添いあえれば素敵です。

余談ですが、PCを扱うようになって、日が浅い頃、トラブルの
応酬で辟易しておりました頃、あるサイトに行き着きました。

「PCのトラブルを出張して解決します。」を生業にされていて、
各企業に講習に出向かれたりされている方のサイトでした。

様々なトラブルを事例に挙げて解決方法を掲載(図解付き)し
てくださっていて、非常に助かっていましたので感謝の気持ち
で一杯でした。

本人紹介写真では、洗練された雰囲気を持った方の印象で
したね。

そして、ある日、サイトを開きましたら、
「皆さん、本日も当サイトにご訪問有り難うございます。
皆さんが此処のぺージをご覧になっている頃には、私はこの世
に居りません。長期にわたりご観覧、応援して下さった方々に
厚く御礼申し上げます。
今まで本当にありがとう、そしてさようなら。
このブログも家族が費用支払い継続をストップすればなくなると
思います。」
というコメントだけがポツンと掲載されておりました。

瞬間、何が起きたのか察しましたが、この世での生を切り上げて
しまったのです。

ネット内の噂では“不治の病”に罹って、絶望のあまりの行動とい
う事らしいのですが、身辺整理だけはされていたようです。

葬儀に立ち会った方もサイト訪問者にいたようですが、なんとも
やりきれない思いだけが残ったものです。
ご遺族の気持ちは・・如何ばかりかという想いでした。

生前は娘さんや奥様の事も愛情深く記されておりましたので、
どんな想いを抱いて、意を決したのか・・。

涙が止まりませんでした。
どちらの心情を推し量ってもやるせない気持ちですね。

厳しい言い方をするようですが、
なぜ、自己完結する自己愛に終始してしまうのか・・?


>日本国民さん ソロです。
 私には、そのITサービスの方のお気持ちが分る様な気がします。 ご自分が弱っていく過程でのご家族の気持ちを想像するに、亦、物理的、経済的負担を想像するに、良いタイミングと言うのがあったのかもしれません。 そう言う理詰めの思考で、本当に動いてしまう人は、男ばかりの世界には、結構いるものです。 斯く云う私も、その一人でした。

 然し彼らには、共通する事が有ります、其れは、無神論者的だと言う事です。 中には、共産主義バリバリの唯物論者も居ましたが、健常な状態では、人間の本性なんてわかりません。  

 無神論者では無くとも、自然に神を信じて居ないと言うか、知らない、知ろうとしない人が居るのです。 文明に毒されたのか、としか思えません」

 然し、そう言う人が一旦、「死にたくない」と思い始めると、其処が目的化してしまい、何にでも縋ろうとします。 そう言う状況に陥るのが怖いと言う、「惧れ」を持って居る人が「自死」と言う道を選ぶ事が有る様です。

 でも、私たちは自然から生命を与えられていますが、多くはこの世で生かされて居るのだ、と言う認識を持たなくては、なりません。 従って、終わらせる事を自分で決めて良い筈が無いと、何処かで気付く機会が、有れば「自死」は、減るでしょうね。 

 仏教では、四苦とは生老病死であると説きます、生きて居る事こそが、実は苦の第一なのですね。 我々の大部分は、そういう目には遭って居ない様に思いますが、世には、「傍から見て居ても苦しそうでも、死にたくても死ねない」状況と言うケースが、沢山あります。 「生きる苦しさ」とは、其れこそ、感性の違いで、千差万別ですからね。

 然し、この世に生まれ落ちたら、自分に与えられた天賦の力を、出し切る為に努力を惜しまない事が、自分の務めであると考えれば、結果や成果に拠らず、「是で良い、自分は十分に生きた」と、本当に思えるのは、息を引き取る瞬間でありたい。

 成果について評価するのは、他人任せで良いのです。 「自分は力を出し切った」と思えるのなら。 それも、自然の法則であり、他の生き物も皆、その法則に従って生きて居るのですから、人間だけが、例外なわけが無い。

 ダカラ、他の生物は、自死行為をしないのだと思います。 

>ソロさんへ、日本国民です。
レス有難うございます。

>>他の生物は、自死行為をしない

その通りですよね。懸命に生きようとする姿に、時として胸が
詰まることもある位です。

ひょっとしたら人間以上に道理に
適っているのかもしれません。

個人的には人より動植物に愛着を覚えることもしばしば。(笑)

猫との長い生活の中、彼らの律義さに驚きを感じます。19年
一緒に過ごした猫が死に際に、挨拶に来たのです。明け方に近
い時間、私のベッドの横に座って見上げて鳴いて起こすのです。
つらそうな状態で自分の寝床にいたはずが、態々傍に来て何か
言いたげに鳴く姿に思わず抱き上げましたが、すぐに腕をすり抜
け、廊下に走り行くか、という処でよろけ倒れてそのまま永眠しま
した。
不思議とその時は涙が出なかったのです。
火葬場へ連れて行く為に箱に寝かせて、まだ薄暗かった事も有り、
二度寝していましたら、亡くなったばかりのあの子が、「おなか減ったよ~!」て呼ぶ声がしました。「あぁ、挨拶に来た割には死んだ自覚
なしで、ご飯をねだっているなぁ」と、悲しむ暇をくれませんでした。
 
しばらく、しっぽだけとか、後ろ足部分とかを見せながら我が家を徘
徊しているのが、分かるにつけ、「早く往くべきところへ行かなきゃダ
メだよ」と話しかけておりました。

人間のそういうのはあまりみたくないですね。


縦椅子様
 
 ソロさまや、日本国民さまのようなお話を、身の回りで感じたことがあります。
 その人は若いときから重篤な病にかかり、何度も生死のあいだをさまよい、何度も何度も助けられて、生き返らせていただいたのですが、口には出しませんが、あまりにも病気が辛かったのでしょうか、commit suicideしようと試みるのですが、また救われて生きながらえ、最後に入院した後自宅に帰って、安心したのでしょうか、主治医の先生に最期までみとられて、逝きました。
 ふと、ある日、窓の外をみていますと、羽の半分ちぎれたトンボが棒の先っぽに止まっているではありませんか。どうやら遠いところからやってきたようです。私は早速絵をかきました。
 次の日、塩辛トンボや赤とんぼが、入れ替わり立ち代わり庭を訪れてくれ、私は夢中になって、夕暮れになって暗くなるまで、何枚もかきあげました。
 あるときは赤とんぼが交尾しているのを、目撃したことがあります。庭が居心地がいいのかもしtれません。わたしはうれしい悲鳴をあげました。
 家の中では、くもがひょっこり、ぴょんと出てきます。あまり頻繁なので、ちょっと気になっていましたが、最近はあまり見かけなくなっています。
 今年はモンシロチョウが、すみれやいろんなところに、ひらひらととんでいるのをみるのは、うれしいことです。地球の生き物万歳といったところでしょうか。
 玄関のたなには、招き猫の家族や、徳利をもったたぬきおやじたち、それにひきがえるのかぞくが、鎮座していますが、今年は、骨董市でみつけた小さな三毛猫が三匹加わっています。
長男は「増えたね」とかずを数えています。彼は猫を飼いたいのですが、アレルギーなのです。
そんなこんなで日々は過ぎていきます。         感謝!!

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