無料ブログはココログ

« 米国政治の現状は、共和党vs民主党という二大政党を考えていたのでは解けない | トップページ | 日韓基本条約は講和条約ではない »

2019年4月 8日 (月)

宣教師らは宣教の陰に隠れて日本人を奴隷として売買していた

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

ルシオ・デ・ソウザ著、岡美穂子訳『大航海時代の日本人奴隷』(中央公論社)

スペイン、ポルトガルが世界一周航路を開拓し世界各地を植民地化したころ、伊達政宗が支倉常長(はせくらつねなが)ら遣欧使節団を派遣した。

遣欧使節団を載せた船は、スペイン、ポルトガルが拓いた航路をたどり、マニラ、アカプルコ、キューバを経てポルトガルのリスボンへ入港した。

ーー

遣欧使節団一行は、当初乗組員を入れて二百人前後もいた。

その多くが、経由地のマニラ、アカプルコなどで脱落、あるいは逃亡、あるいは現地女性と結婚し住み着いた。

後に高山右近らがマニラに追放されると、そこにはすでに二千名もの日本人社会が形成されていたとされる。

支倉常長がスペイン各地を回ったときの随員は三十名に減っていた。

ーー

もっとも当初から乗船者全員が西欧を目指したわけではなく、マニラへ帰国するポルトガル商人や宣教師、武器商人、そして奴隷売買の仲買人らも乗り込んでいた。

ーー

本書はこの奴隷について教会の資料を調べて書かれた記録である。

大航海時代とキリスト教宣教師との関係は、これまでよく語られてきた。

しかし、日本人が、宣教師らによって、奴隷にされ武器と交換に売られていた事実に関する研究はほとんどなかった。

宣教師らは宣教の陰に隠れて日本人を奴隷として売買していた。

この事実を知った秀吉は激怒し、キリシタン追放令を出す。

ーー

スペインの教会に残る婚姻記録などから、最初の東洋人奴隷の消息が分かるのは、早くも1551年だという。

種子島への鉄砲漂着が1543年だから、南の島々には、海賊にくわえて奴隷商人が出没していたことが窺える。

本書では、名前から判断して日本人と推察できる奴隷が、1570年代には夥しく多くなったとしている。

年代的に言えば信長が切支丹伴天連の布教を大々的に認めた時代に合致する。

ーー

そして、その後の研究では奴隷の出身地が豊後(大分県)に集中している。

その理由として、これまでは、伴天連大名として有名な大友氏が積極的に領民を売買してきたとされた。

本書では薩摩との戦闘に敗れた大友氏の領内から薩摩が拉致し、マカオから来ていた奴隷商人に売り渡したのではないかという。

(著者はどこまでも宣教師ではなく日本人が悪いとしたいようだ)

ーー

ゴアからマラッカ、マカオ、そしてマニラが重要航路だった。

そこにはイエズス会の影響が強く存在していた。

イエズス会が『イエズス軍』という性格を併せ持ったことは拙著『明地光秀 五百年の孤独』のなかでも書いた。

ーー

このイエズス会の中に、ポルトガルを追われユダヤ教からキリスト教に改宗した改宗ユダヤ人が大量に紛れ込んでいた。

初期のころ、かれらが日本人奴隷を購入し、家事手伝いなどに従事させた。

そして改宗ユダヤ人が出自を偽って宣教師となり宣教使節に紛れ込んでいた。

伊達をそそのかして政変を企てたソテロも、改宗ユダヤ人だった(田中英道説)。

これらの事実経過も拙著には書き込んだが、その時点で本書の詳細な記録を読んでいなかった。

ーー

天正少年使節の遣欧団はヴァリアーノ(イエズス会宣教師、法螺吹きの一面があった)の斡旋でポルトガル、スペイン、ローマを訪問したが、各地で彼らは日本人奴隷を目撃している。

なかには売春窟に売られた日本人女性もいた。

「1560年代に来日した多くのポルトガル船は(日本人)女性奴隷を乗せて出港し、彼女たちはマカオへ送られた後、さらにマラッカやゴアまで運ばれていった」(p72)

その後、ポルトガル、スペインに残る教会の記録にも夥しい日本人が発見された。

「1570年代の後半には、ある程度まとまった集団的な(日本人社会の)観察が可能なほどに、リスボンには日本人や支那人が居住していた」(p153)

ーー

イエズス会は表面的には奴隷貿易に反対したとされたが、「イエズス会は奴隷売買のプロセスにおいて、紛れもなく一機能を担っており、それを秀吉は見逃さなかった」のだ(p175)。

本書は日本人以外の手による日本人奴隷の貴重な史実の記録である。

« 米国政治の現状は、共和党vs民主党という二大政党を考えていたのでは解けない | トップページ | 日韓基本条約は講和条約ではない »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>暴かれて行くキリスト教の正体
 この本の著者は、ソウザと言う姓からして、ヒスパニック系で有ろうと推察できますね、勿論、キリスト教信者ではないにしろ、その影響力の大きい社会に育った人であろうと推察される。

 ダカラ、スペイン・ポルトガルが、ローマン・カソリックを世界侵略=植民地開拓の手段として用いて、その中で、日本人も「火薬1樽と50人の女性を、奴隷として交換した」と言う、人権侵害も甚だしい行為を、自ら告発する為に、本を書いたのに、出来るだけ認めたくない姿勢を取って居るので有ろう。 幼少時から、キリスト教を正義として来た、彼らには、宜なる話では有る。

 然し、この事実は、今迄、日本人には、明らかにされてこなかった話である。 その結果の内村鑑三であり、多くの日本人キリスト者であろう。 

 斯く云う私の父方の祖父も、熱心なキリスト教信者で有ったので、私も幼児洗礼だが、受けて居るし、幼児期には日曜学校で教会通いをした口である。

 だが、この告発を読めば、青人文明の下劣さ・醜悪さは、想像を絶するものが有るとしか言い様が無い。 美しい讃美歌やステンドグラスが醸し出す雰囲気の裏には、この様な悪魔的な現実が潜んで居たのである。 美しさは、人々を騙す手段だったのである。

 是では、古代~中世の欧州で、その支配下に置かれた白人達が、カソリック支配に対して、疑問を抱くのは当然ですが、一番遅れて文明化した白人達には、宗教的なモノと言えば、キリスト教以外に選択肢が無かったから、反権力=反教会として、聖書を中心とした新教「=プロテスタント」を立ち上げて「別の宗教である」と主張しても全く可笑しくない。

 こうした説明を受けてこそ、初めて、欧州の中世での新旧教の対立の深刻さが、理解できるし、白人文明が子の体制を引き継いだ、神聖ローマ帝国は、その名が示す通り、青人文明と、宗教システムの剽窃に過ぎない。

 問題なのは、それが千年も続き、あちこちに、正教「=カソリック」を名乗るキリスト教が支持されて来たのも、固より、欧州文明には、「道徳規範を持った教え」が、他になかった事を示してる。

 然し、人々が、社会に起る暴力や不正・不貞、窃盗や詐欺・殺人と言った、不正義を悪んで、道徳規範を求めて居たのが自明の理である。

 カソリックは、キリスト教が、4世紀末にローマの国教になる迄、民間で信仰されて居た、複数の土着の信仰や儀式・常識を、そのママ受け容れたからだろう。

 例えば、智ちゅう海縁が地方で信仰されて居た、豊穣の女神にして、子供の神様であるイシス信仰が、変化して「マリア信仰」になったと言われているし、イシスが一面、祭礼に於いては、鬼子母神的な人間の子供や若い男女を生贄にする神であった事が、そのママ、現代のバチカンに迄、残って居るともおもわれる。 

 是は、古代人のカニバリズムの風習の名残なのではないかと私は思う、つまり、神への生贄と称して、若い人間の肉を賞味して居たと言う事で有ろう。

 然し、是が事実であれば、カソリックそのものが、悪魔崇拝の邪教で有り、イエスの教えは、何処にも体現されて居ない、極めて原始的な宗教であると云えよう。

 現在でも、ローマ法王は、日本侵略を行って奴隷売買を行った、イエズス会の頭目であると言う。 ならば彼は、人類の多くを地獄に誘う案内人に過ぎない。

 私は過去に一度、練習船で、世界一周をした折に、ナポリからバスでバチカンを訪ねた事が有るが、色々な疑念を持って居たが、就中、その衛兵が全てスイス兵である事で有る事は、ガイドの「スイス人は貧しかったので」と言う説明だけでは、納得出来無いものを感じていた。

 然し今、バチカンの支配者であるイエズス会が、ハザール人組織と密接な関係に有り、その一味に、スイス貴族が居た事を知れば、腑に落ちる部分が沢山ある。

 ハザール人達は、欧州文明の最弱点である、「モラル規範の不在」を、彼らの「7つの大罪」を上手く利用して、彼らの贖罪意識を喚起させて、自らが創り上げた正義に拠り、罪人化させて屈服させていったのであろう。

 ダカラ、欧州人に取って、ハザール系ユダヤ人は「悪魔の使い」なのだろう。

 然し、本当に見下げ果てるべきは、新教に改宗した後も、彼らは神に目覚めて居ない事で有る。 

 其れは、パウロが示したユダヤの神YHWHは、元はメソポタミアの戦が神であり、「万軍のヤハウェ」と異名を取る程、無敵の神とされて居た事を知れば、彼らが奉じて居る神は、人間が想像した神に過ぎない事に気付く、つまり、欧州人は、今も「神を知らない民」なのである。

 然し、彼らは固より、神に名前など無いと言う事を知って居る筈である。 名前のないモノを在ると確信できる事が、即ち、信仰の始まり=発心である事も教えて貰って居る筈である。

 彼らを取り囲む自然が、厳しい寒さと飢えや死しか齎さない、或いは灼熱の沙漠で飲み水すら無い、限界状況だった事柄、「自然界に神はいない」と絶望した時から、既に迷妄の中に居るのである。

 何故、神を求める人間の心を利用して、現世利益を得ようとするのか、其れこそ、神のご意志に背く最大の裏切りである事に気が着けないのなら、その魂は死して後、地獄の業火に焼かれて消滅し塵芥に代わるであろうとは、数多の聖人が示して来た事では無いか、何故其れに気が着けないのか? このママでは、白人文明は、迷妄のママにその命数を終える事に成るであろう。

縦椅子様、ブログの更新をありがとうございます。

日本の歴史には、奴隷はいなかったと思います。
そう言いながらも、大阪城が落城後の絵屏風には、捕まえられた人達が引き連れられていく様子が描かれていたように思いますが、この人達は江戸に連れられて行きましたけれど、奴隷さながらの生活を送ったのかとも想像します。


>初期のころ、かれらが日本人奴隷を購入し、家事手伝いなどに従事させた。

奴隷のいなかった日本に、奴隷のことが理解できるのかと思います。
日本人は奴隷のことを理解できない理由は、日本人は奴隷に人権を求めるからです。奴隷には人権は無いことを、前提にしなければならないのですが、それが日本人には理解できないのです。

例えとしては、京大教授であった会田雄次氏は、大東亜戦争に従軍し、ビルマでイギリス軍の捕虜になりました。
その時の体験として、イギリスは奴隷を扱う国でしたけれど、会田氏は捕虜として、イギリス軍の女性兵士の世話をしたことがあったそうです。

それで、会田氏のいる部屋でその女性兵士は、彼(男性です)がいるにも関わらず服を、着替えていたそうです。
彼がいても、恥ずかしくもないのです。判りますか? 妙齢の女性が同年代の男性がいるのに、裸になって着替えるのです。これについて、会田氏は見つめていれば怒られるが、そうでなければ気にされなかったとも記述していました。
これは、牛か馬の扱いで、この女性兵士は会田氏に対して人間に対する感覚がなかったのです。

また、日本の女性が奴隷として売られるとき、局部を露出していたこともあったそうです。売り物とはいえ、女性の最も隠したい部分を晒すことが許されるのかと考えますが、これが奴隷にされることなのです。

そして、イエズス会はキリスト教を布教して信者を増やす一方で、奴隷を商売にしていたのです。
秀吉はこれを知って、キリスト教を禁教にしたのです。
秀吉は日本人を守ろうとした、日本の統治者だったと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 米国政治の現状は、共和党vs民主党という二大政党を考えていたのでは解けない | トップページ | 日韓基本条約は講和条約ではない »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31