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2019年3月17日 (日)

儒教は、人民支配の道具

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

石平『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(PHP新書)

『論語』は道徳を美しいものとして記述した。

しかし儒教は美しい道徳を、美のないモラルへと変え、道徳を律法化し人々に強制したのだ。

つまり儒教と論語は基本のところが異なるのである。

ーー

石平氏は『なぜ(アジアで)日本だけが支那の呪縛から逃れられたのか』と問題提起し、次のように答えた。

「聖徳太子は仏教を取り入れたが、同時に輸入された儒教は日本で定着しなかった」からだと。

また前著『支那人の「善」と「悪」はなぜ逆さまなのか』では、支那人が大切にするのは宗族以外ないからだと説いた。

支那人らは宗族のためには人殺し売国など、どんな悪事でもしてしまうのだと。

ーー

本書では、「儒教」と『論語』は同じではない、そしてまた孔子の精神を体現したのは日本人であって、支那人ではなかったと指摘する。

ーー

支那での儒教は、上下関係を態度で示すための「礼教」に化けた。

上位の者は、下位の者に、「礼(態度)」を要求することで、人々を暴力的に支配したのだ。

(沖縄にある「守礼の門」はまさに沖縄人に奴隷としての礼を要求するものだ)

つまり、儒教は、人民支配の道具として使われた。

ーー

この箇所が支那人の石平氏が、認識している儒教の本質である。

ーー

知識階級であった石平氏の両親は文革の煽りで田舎へ下放された。

そのため石平氏は、幼年時代を四川省の田舎、祖父の下で育った。

漢方医の祖父は、石平少年に『論語』を教え、徹底的に記憶させた。

しかし文革の時代、『論語』を持っているだけでもつるし上げの対象となった。

或る夜見ると、後難を怖れたのだろう、祖父が秘かに『論語』を燃やしていたのだという。

ーー

四川省に居た石平氏が、支那最難関の北京大学へ入学した頃、共産支那にも自由の風が吹き始めていた。

「哲学専攻の私たちは当然のように、孔子や儒教などよりも、ルソーやフランス革命の理想、そしてサルトルに心酔していた」

「儒教でいう『仁義礼智信(5徳)』よりも、『自由平等人権』などの言葉がわれわれの心を捉えた」(p20)

ーー

「『論語』には、人間性の抑制や人間の欲望を否定する言葉など何一つなく」

「ましてや女性の『守節』や『殉節』を(礼教のように)奨励するような表現はどこにも見あたらない」

「その代わりに、孔子が『論語』の中で盛んに語っているのは『仁』(愛)であり『恕』(思いやり)であり、親の気持ちを大事にする意味での『孝』なのである」(p29)

ーー

やがて氏は、日本留学を思い立ち、神戸で生活し始める。

「日本に来てからわずかひと月で、私は『仁と恕』に満ちている社会の中で生きる実感を得(た)」

日本人の礼節には、心のぬくもりがあったのだ。

「(市井の人々が)子供の頃に祖父から教わった「論語」の言葉と同じような暖かさを持っていた」(p35)

ーー

「(儒教は)孔子が没してから三百数十年後に、孔子とはまったく関係のないところで作られた」

「(儒教とは結局)一種の政治的イデオロギーであり、権力に奉仕するための御用教学なのである」(p142)

氏は、「だから論語は儒教とは無縁なのだ」とし、次のように言う。

「「論語」は大いに読まれるべきであるが、儒教とは単なる過去からの負の遺産であり、廃棄物として捨てておくべき(である)」と。

ーー

さて本書の著者、石平氏の大活躍については、いまさら記述する必要はないだろう。

次々とアイディアが沸き出ずるように、旺盛な創作意欲の噴出がある。

それも新作毎に新しい分野への挑戦があり、おろそかにして読み飛ばすことが出来ない。

論壇で重要な位置をしめるようになったことは慶賀に堪えない。

ーー

これまでの氏の書がそうであったように、この書もまた、支那および支那人の理解に大いに役に立つ。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>儒教とは、シナ哲学の総称だった。
 石平さんは、TVで良く見掛けるので、著書は一冊も読んだ事が有りませんが、タレントの様な親近感が有りますねw 

 でも、此処に書かれている石平さんのお話からは、「シナ人を現代日本に、否、世界に客観的な視点で説明しようとしている」姿から、氏は、或る意味、真の愛国者であると思いますね。 

 そして、何時も氏を駆り立てて居るモノは「何故、日本とシナは核も違うのだろう?」と言う疑問ではないだろうかと、愚考致します。 彼が説明しているのは、「儒教は、シナ哲学の総称で有って、特定して語られるモノでは無い」と言う事ですね。

 成程、我々も習った「論語」には、朱子学に云う様な、要素は一つとして登場して居なかったし、寧ろ、人として在るべき姿を説いたもので、仏教にもキリスト教にも通じるものが有りますから、孔子も世界の聖人の一人に数えられる事に、何の異議も無かった。

 然し、石平さんが指摘して居る様に、「礼記」は、明らかに社会の縦の支配で、下位のモノが上位のモノに仕えるに際しての、禁忌を並べ立てるが、何故、そうなのかは「上位のモノ=君子ダカラ」以外、1㎜も説いて居ないに等しい状況だろう。 ダカラ、「こんなものは、廃棄すべきだ」と言う結論になるのです。 其れは、当たり前の結論だと私も思います。

 シナ共産党の欠点は、毛沢東以来、指導者が国民に対して、その考え形、哲学形を伝えようとして居ない、彼らの手に成る著書が一冊もない事だろう。 彼らは、人間として振る舞って居はしない、丸で神の様に存在していると言って良い。

 ダカラ、我々外国人は、歴代党主席の名前や経歴は知って居ても、どの様な人物だったのか、その人間性については、群盲表象の如しで、各論あって、結局彼が、トップに有った時に何をしたかに拠って類推するしかない、のである。

 例えば、現在の国家主席の習近平にしても、彼が太子党を支持層とする、謂わば「共産貴族」の出である事をベースに考えるべきであろう。 こう言う権威が世襲する事自体、既に、共産思想からは外れて居ると言って良い。

 その認識の誤謬に気が付けて居ない事例があった。

 日本の国賊小沢一郎が仕組んだ、天皇陛下への謁見や英国にシナの剽窃技術を売り込みに行った、英国女王陛下との謁見で、見せた傲岸不遜な態度は、共産主義者として、敵視する専制君主?に対する態度を装って居たが、実は、大国シナの支配者を過大評価して居たにしか過ぎなかった。 その真意は、両国国民に伝わり、当然、顰蹙を買った。

 この態度だけ見て居れば、彼はシナ共産党の内部抗争に明け暮れ、只、その勝利者に過ぎないのに、丸で世界の王に成った様な態である。 謂わば「井の中の蛙、大海を知らず」と言った処だろう。

 私はそう言う認識ダカラ、YTVの「其処まで云って委員会」に良く出演する、シナ人の女性が、「私は、習近平主席を尊敬して居ます」と発言した時に、思わず失笑して終ったのです。 然し、後から考えてみれば、国の指導者を在外国民が尊敬の念を表明しても、何も可笑しくは無い事であろう。

 では、彼女は習主席が、王岐山に命じて行った「政治浄化運動」で一体、何人の同志をあの世に送ったか、承知しているのだろうか、チベットやウィグルで、無辜の人々を弾圧するだけでなく、生きた人間の臓器を抜き出して売買する様な、悪魔的なビジネスをやって居る事を知っての話か?

 彼は、間違いなく「人殺し」の大悪党である。

 然し、彼女には、朱子学に云う、避諱「=君子の過ちを非難しない」と言う禁忌が働いて居るだろう。 そして、彼女は、世界では表向き「人間は生まれ乍らにして、平等」なので、そう言う禁忌は、通用しないと言う事を認めて居ない。

 こんな常識を持ったシナ民族が、世界で増殖を始めたら、世界は瞬く間に、阿鼻叫喚の地獄と変要るだろう。 それは、現状の「白人以外は人類では無い」と言うユダヤの選民主義よりも、一段と酷い「漢民族以外に、人類を名乗る資格は無い」と言う話なのだからである、彼らは、他民族を家畜や動産と等しい存在としか思って居ないからです。

 然も、その「漢民族」自体が、政治的プロパガンダに過ぎないので、都合よく、その定義を摺り変える事が出来ると言う、呆れる話で、シナ民族の台頭を許したら、人類の滅亡は、少なくとも2~300年は早まるでしょう。

 然し、石平さんの勇気ある、言論・著述活動のお蔭で、こうした漢民族の危険性が世界に知らしめる事が出来ているのは、非常に有り難い事ですね。

 然し、石平さん達シナ知識層の希望は、先ずは、現在、10億人以上のシナ民衆と、周辺諸国の被差別民族約1億人の地獄を創りだして居る、共産シナの支配体制を終わらさせる事であるかもしれないが、世界にとっては、この様な惨劇を看過しているシナ社会を形成する大衆そのモノが脅威なので、此処まで共産党支配が放置されて来たのだ、と私は思います。

 畢竟、石平さんは、では、現実として「如何にしたら、シナ人の幸せな社会を維持出来る国が築けるのか?」を考えなくてはいけないし、その考案・提示した具体案が、世界に受け容れられない状況で、「黄禍論」を持って居る白人文明の手に委ねれば、シナ大衆が生き残れる道は、拓けないでしょうね。 両者の野蛮さを考えたら、どんな殺戮劇が起こるか、想像するに、身震いすら起きる話です。

>支那での儒教は、上下関係を態度で示すための「礼教」に化けた。>上位の者は、下位の者に、「礼(態度)」を要求することで、人々を暴力的に支配したのだ。

儒教は、政権が上下関係を固定させるものとなり、上位の者が下位の者を支配するためのものになった。
此は、礼節を示すものという形で、支配するのですね。

支那は国が大きすぎて、国が国民を統治できず、国民は国の統治を信用できなくなっているのですね。

で、国民は一族への忠誠はあっても、その意識を国に拡げることはないと言うのでは、国がまとまりませんから、国は国民が忠誠を保てる程度の、大きさであることが必要だと思います。

ユーラシア大陸の今後の展望と青写真

白いユダヤ人(ハザール人)と黄色いユダヤ人(シナ人)と
云った構図。
行動パターンが相似形。大小の差があるのみ。

毛沢東に共産主義という幻想による暴力的恐怖支配を教示
したのは白いユダヤ人ですから、行動形態が似てくるのも当然です。

中国国内では現習近平率いる北京派と、江沢民上海派との対立。
一説による処、江沢民上海派は、韓国と北朝鮮の双方を牛耳るに
至っているという。

江沢民の後ろ盾は、米国民主党&ウォール街とも聞き及びます。
そして、法輪功に始まり、チベット、ウィグル弾圧、人身売買、臓器
売買に至る犯罪的行為の主役は江沢民派が始発であり、そのバッ
クアップ及び利益に与っていたのは、米国民主党と金融街であると
賢察する向きもあるようです。

一瞥しただけでも、習近平さん、敗色濃厚。

北朝鮮に目を向けますと、近々の情報では、19号さんは、「核廃棄
なんて、元からその気無し」発言との情報。
何故?勝算は??・・江沢民派の圧力が旺盛??

そして韓国はというと・・日本からも「すわっ制裁か!」という瀬戸際。
米国からもFTAに関わる協議の申請を受けている真っ青チックな
状況。

して、米国では対北朝鮮制裁強化で「ワームビア法」再発議。
・・要するに従前は、大統領の裁量に任されていた制裁事案が、
義務になるという法案です。かなり重篤に効きます。・・

米国トランプ大統領はこの構図から
如何様にランディングさせるのか。

以下、妄想・・・
19号も、文在寅、習近平、トランプ&安倍首相それぞれが水面下
で連携。
 
・目的:ウォール街傀儡の米国民主党の勢力を打ち破る。

・方法;韓国経済を追い込むことにより、韓国銀行及び金融を牛耳る
禿鷹株主を撤退もしくは損失の増大に仕向ける。

韓国経済を追い込むには「ワームビア法」の決議が決定打。
それを誘引する19号の「核廃棄拒絶発言」の発信。

日本国内の傀儡連中にも大打撃。

中国の人権侵害に於ける制裁、IT部門に於ける制裁等、標的の
照準を江沢民派の牛耳る分野に合わせる。

あまり知られてはいないという話で、人権に関する習近平の姿勢
は江沢民派とはベクトルが全く違うと訊く。

トランプと直に話し合いの場を設けた人物群であることから、何ら
かの密談、約束ごとがあっても不思議ではないでしょう。

北主導の半島統一路線に向かうに能って、障害を取り除き、且つ
平和裡に事を進めていくスぺクタル一大連携劇場。

とは言いましても、日本以外に、損得勘定抜きでこの劇場に賛同、
参加する訳はなく、皆それぞれの思惑と利害が一致、という処に
落としどころを見出したのではないでしょうか。

そうするとですね、巷でたまに取り沙汰されている、石平氏の習近
平氏に対する批判が江沢民派と比べるとかなり痛烈であることから、
江沢民派からの工作員なのでは???という疑念を抱く方々もよく
お見かけ致します。

単に中国自体を批判しており、偶々現政権が習政権であることから
そこに集中しているのだろうかとも思えますが、

なんせ、あの狡猾老獪なシナご出身ですからね、甘くはないかも・・。

あっ。そうそう。プーチンさんも恐らく一枚噛んでるかも・・でしょうね。

以上です 妄想劇場でした。
  

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