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2019年3月23日 (土)

伴天連らは、海賊船と組んで、日本人を拉致、誘拐あるいは武器弾薬と交換し、奴隷として売っていた

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集書評

三浦小太郎『なぜ秀吉はバテレンを追放したのか』(ハート出版)

副題に「世界遺産『潜伏キリシタン』の真実」とある。

戦後、在日・反日勢力が言論・メディアを支配して以来、キリスト教が「善」という前提が作られた。

そして、戦国時代から江戸時代のキリシタン弾圧が悪とされ、それに反抗して殉教した者に対する美談が仕立て上げられたのだった。

ーー

しかしそれは嘘である。

三浦小太郎氏は事実を淡々と暴く。

三浦氏は秀吉の禁教の真の目的が国家安全保障だったことを様々な文献を基に立証してみせる。

ーー

江戸時代の鎖国は祖国防衛に他ならない。

伴天連らは、海賊船と組んで、日本人を拉致、誘拐あるいは武器弾薬と交換し、奴隷として売っていた。

その実態が、なぜ隠されなければならなかったのかに関して、三浦氏は、その闇を衝いた。

戦後在日・反日勢力に支配された日本社会は、こうした歴史的事実を歴史教科書で教えることはなかった。

三浦氏は当時の時代背景を「東西文化の衝突であった」と記述する。

ーー

「『キリスト教の騎士団』たるイエズス会が、乱世の時代に日本を訪れたことは、まさに東西文化の衝突であり、そこでは様々なドラマが生まれた」

ーー

またイエズス会の創始者であるロヨラの人生、その霊感体験と使命感、イエズス会が軍隊組織であったことを縷々説明した箇所は、類書にはない。

こうして、著者は、イエズス会の源流にある思想に迫る。

ーー

問題は、一部の戦国大名の領地に限定されたとはいえ、なぜキリスト教が、日本の神仏混交という宗教環境に受け入れられたかということである。

それは日本人が「デウス」を「大臼」と翻訳したように、耶蘇(やそ、キリスト)も仏様(ほとけさま)のたぐいと誤認したからだった。

ーー

「天道とは、人間の運命を決定する摂理であり、神仏と同等の存在であ(る)」

「かつ世俗道徳の実践に則し、最後には祈祷など外面の行為のおりも内面を重んじる」

「当時の日本人は、この天道の存在を、太陽や月をはじめとする天体の運行に実感するとともに、人知を超えた存在と見なしていた」

ーー

評者(宮崎)はたまたま次回作『明智光秀 五百年の孤独』(仮題、三月下旬上梓予定)を脱稿したところで、この書にめぐりあった。

拙著では、明智光秀が伴天連の日本侵略の野望を早くから見抜き、文化防衛の立場から信長の布教容認に危機感を抱いたことに一章を割いたばかりであった。      

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>日本の国防史、中世、キリスト教
 天草のキリシタン、バテレンが起こした「天草の乱」は、契機は地方代官が、国の「キリシタン禁教」の御触れを、厳しくした事に拠って、集まって居た、負け戦で職を失った、不定浪人や、今で言う新興宗教の様な存在で有ったキリスト教に感化された人々が、起こした内戦だった。

 社会の秩序を保つ為とはいえ、地方領主は、割に緩やかに行って居た禁教令だったのを、殊更に「弾圧」と煽り立てて、事実上の内戦に持ち込んだのは、日本侵略を目論んで居た、侵略組織イエスズ会の戦略だったのは、間違いないと思われます。

 それにしても、キリスト教を仏教に一派と錯誤したというのは、言葉の壁存在も然り乍、当時の仏教諸派が如何に、政治的に走った余り、肝心の布教部分が堕落して居たか、と言う証拠なる話でもありますね。

 然し、日本人にとっての宗教と言うのは、三浦さんが指摘して居る様に、神道の基本である「天道」です。 

 つまりは、日月や森羅万象、即ち自然を神と見立てて居るので、日本人にとっての神とは、異星人か異種の高等生物の様な、西洋の神では無く、日本減の生活に寄り添い、共に泣き笑う生活を共にする親しき、親の様なモノですから、日本で上に立つモノは、その神の仮託を受けたモノとして、スメラミコトを代表とする様に、民を愛さねばならないのですが、この道理に達して居ない様な為政者なら、民衆から反発を買うでしょうね。

 しかし、悍ましきは、高山右近や有馬某らの戦国大名で、己の出世の為に、信者を騙して、火薬一樽と女性50人を奴隷として、物々交換したのですから、許し難い男ですね。 

 此の件に関して、何故、是を知った秀吉が、右近をルソンに島流しで済ませたのか、不思議だったのですが、当時は、刑死させると義人扱いや聖人扱いにする風潮が有ったので、敢えて島流しにしたのでしょう。 秀吉が鋭い現実感覚に溢れた、優れた政治家であった事の証左でもありますね。

 其れにしても、宗教の威力と言うのは恐ろしい、伊達政宗の家臣の本居宣長が、伴天連に唆されて、「日本国王」として、親書をローマ法王に書き、其れを届けるべく、大船を造って、太平洋を渡り、現在のメキシコ「=当時のノエビスパパン」に辿り着いた時、天草の乱の話が既に現地のキリスト教徒に広まっており、一向は歓迎される処か、迫害されたとの記録があります。

 現実は、現地人だって、スペインに騙されて居たわけですし、何が隣人愛だよ、と言いたくなりますね。 でも、宗教ってこんなものです。

 翻って考えるに、日本は、3万年の天道「=自然信仰」を基本とする信仰の国ですカラ、自然の道理に適う事なら、何教と名前が着こうが、自然に「神のご意志」と解釈する処があります。 

 ダカラ、どんな宗教も最初の裡は分け隔てなく受け容れますが。大抵途中で化けの皮が剥がれて、衰退してしまいます。 

 キリスト教だって、結局、基になった、民族宗教のユダヤ教の排他性を利用して、侵略の手段に使われて居たのですから、彼らの言う隣人愛が、仏教に云う利他愛とは、全く違うモノである事を知った途端、キリスト教は、人類を滅ぼす邪宗門に堕ちますね。

 然し、社会が激しい階層間差別を肯定している朝鮮は、差別を正当化している儒教(朱子学)信奉で有ったが。近年、欧化する為に、異民族・異宗教を「同じ人類とは認めない」キリスト教に、既に、国民の6割が回収していると聴く。 

 そして、嗤うべき事に、肝心のカソリックの本山である法王から、「韓国のキリスト教は異端にちかい」と烙印を押されて終って居るのだ。

 朝鮮族は、経済、政治、軍事、外交、そして宗教までも、世界からも見捨てられていると言う事に成って居るのであるが、この現実に気付いて居る朝鮮人等、ごくわずかにすぎないで有ろうし、気が着いても、モゥどうしようもない事態に成って居る事は否めない事実であろう。この処、毎日韓国野絶望的な現実が形に成って現れ堕しているのは、終わりが近い何よりの証拠で、カウントダゥンは、残り僅かであろう。

縦椅子 様  ブログの更新をありがとうございます。

>戦後、在日・反日勢力が言論・メディアを支配して以来、キリスト教が「善」という前提が作られた。

十代の頃、何故かキリスト教に良い印象を持っていたし、聖書も少し齧って、キリスト教は素晴らしい宗教だと思っていたことがあります。
この、キリスト教は素晴らしい宗教だと思っていた理由は、戦後の在日・反日勢力だけでなく、GHQによる政策が元だったらそうだったのかと納得します。

それが、60歳近くになってからお花畑に終止符を打って、正しい歴史を少し知って、色々と勉強していく内にキリスト教の歴史的な事実が判ってきまして、今は多少のことでは驚かなくなりました。

>三浦氏は秀吉の禁教の真の目的が国家安全保障だったことを様々な文献を基に立証してみせる。

秀吉の禁教や朝鮮出兵は、日本の安全保障のためだったと知ったとき、始めは理解しがたく思いましたが、説明されますと成る程と思いますけれど、鉄砲の弾のために同胞を奴隷として売っていては、どんなに良いことを言っていても肯定することは出来ないと思ってことを覚えています。

秀吉がキリスト教を、侵略者として捉えてくれたことに感謝です。
そして、家光が禁教後に島原の乱を鎮圧してくれたことにも、喜びます。

戦後の歴史では、何事に於いても日本が悪く、外国のなすことは良いとされてきましたけれど、秀吉が何故、朝鮮出兵をしたのか、ヨーロッパから来たキリスト教の宣教師は、日本を侵略する先陣を切っていたことも、日本の歴史教育の中で教育をしていかないと、日本は無闇に荒っぽいことをしていたようなことを教育されますと、日本のために必死に戦ってきた先人のことが、悪意で済まされることになり、寂しい思いに駆り立てられます。

呆れてる“イエス”です。

さすが「劣等性の地球人霊」。
悪用しか考えないなぁ、という感想ですね。
宗教信仰者には、残念なお話ですが、地球上に
まともな宗教は皆無です。
“イエス”自体が「宗教」を否定してます。

過日、どこかで記したことがありますが、完全に
イエス(神の遣い)の忠告を無視した教示内容で
洗脳道具として大改造しまくりです。

神には選民思想などありません。

人類は総て神の分身(霊)であります。
『神自身』なのです。

全智全能である神(エネルギー体)は果てしない
向上を求め、自身の未熟な箇所を修行の名の元
に物質内に閉じ入らせ、不自由さの中、自己鍛
錬しているのです。
それが地球に存在する全物質です。

苦しくてつらい人生が当たり前です。
遊びに来てるんじゃないのですから。

話は戻しますが、そのイエスの忠告を変造宗教化
して無辜な人々を洗脳し、自在に操り、我欲の為
に利用する。さすがは劣等性です。ですから、イエ
スは失望しているのです。

よって、戦術を変えて、個人単位で個人付の霊に
『気付き』を託すことにしました。

秀吉も家康も、彼らの目論みにたいした措置は、
さすがと謂わざるをを得ません。
劣等性の中で最もましな霊性を持つ大和民族が、
洗脳されては最悪ですから。

然しながら、『悪』という名の未熟さは、向上するた
めの鍛錬にはもってこいのエキササイズマシーンです。

「悪」に塗れ、哭いて、しっかり苦しんでこそ、この世
の醍醐味です。

我々にとって、完全なる『善』までの途は遥か彼方。

完璧な人はこの世には存在しません。

完璧ならば、此処(現世)で鍛錬する必要性はないです。

“イエス”も完璧ではありません。
ですから、“地球”を担当するお役目をしているのです。
イエス(高級霊)にとっての修行なのです。

多くの方は仏教、イスラム教、神道、
キリスト教、ユダヤ教、etc.と勝手に(失礼)分枝分類して
ますが、それぞれ、“イエス”クラスの高級霊たちによる忠
告から派生しているのです。

其処は劣等性のすること、・・好き勝手に解釈しまくってく
れちゃって・・呆れてます。

ハッキリ言いますと、何を権威ぶっての御大層な建物、建
てちゃってんの?そんなもの必要ありません。
法王?教皇?なにそれ??といった具合です。

もうね、「イエズス会」自体が悪の権化でしょう。
あの世でも似たような集団で地獄界(実際にはそんな呼称は
ホントはない)に君臨してますね。
この世とあの世は映し絵にもなっているから、厄介なんですヨ。

>日本国民さん ソロです。
 私は所属している信仰集団の「崇教 真光」の教えに導かれている部分は有りますが、自分で納得出来無いと、信用しない厄介な正確なもので、この世に生まれてきた意味について、み教えと大した齟齬は有りませんが、自分形の解釈をして居ます。

 其れは、偶然かどうかは分りませんが、仏教の教えと、共通点が多いですね。 つまり、「自分の境遇は、自分が創るモノであるから、自分の波動が悪ければ、悪い波動のモノが集まり、さらに増幅する」とか、「自分が他に成した事は、倍旧して何れ自分に帰って来るのは、是も波動の為せる業である」と言う、波動説何ですが、先端の量子論では、「宇宙の現象の最小単位は、エネルギーであり、波動である」と言って居ます。

 つまり、宇宙の現象全ては、波動で出来て居ると言う事ですね。 物質を構成して居る様に見えるけれども、実は波動の集まりで、つまり、森羅万象、生けるものも含めて、その素は、波動なのだと思います。 

 其れは例えば、感覚機能を人間に齎して居るのは、神経と脳が分泌する伝達物質と信号を受け取る側にある、アクセプタと言う孔で、伝達物質が孔に入った時に、電流が流れて、脳が、感覚を認識する仕組みになって居るそうです。 是は、半導体で負の電子が、正の正孔に入って、電流が流れる仕組みと全く同じです。

 では、この電子の素になる生体電流の電源は、何処に有るのか、と言えば、「脳の中央部に有る脳幹に有る」と言われる、魂が関与しているとしか、云い様がない。 此処で考えるに、電流も波動なら、それを意志を以て制御する自我「=魂」も、全て波動で有ると考えれば、私は、なんとなく納得出来ました。

 で、物理学で習った、波動と言うのは、様々な外部の波動から影響を受けて、減衰もすれば増幅もします。  そして、正しい事象を齎す波動と言うのは決まって居て、その波動の究極が、神なのだと言う事ですね。 

 ご存じかと思いますが、波動には「干渉現象」と言う特性があって、正しい波動に遭うと、弱った波動や歪んだ悪い波動が矯正されて正しい波動に戻りますが、悪い波動なら、そっちの影響を受けて終います。

 人はこの世には、修行する為に降ろされて来たと言う考えは、固より、教団の教えを受ける以前からの私の認識でもあったのですが、その修業とは具体的にどういう事なのかと言えば、悪の干渉を受けない、高い強度を持った波動の持主になる事だと思います。

>ソロさん、 日本国民です。
レス有難うございます。

さすが、“気”の強い方の仰る事には圧倒的な力を感じます。 
他の皆様もそれくらいの厚みがあればいいのですが、再生
経験数の違いでしょうね・・。

物理学的に説明戴きましたが、ほぼ的を射ていると思います。
ただ、理屈は理解できていても実際のヒトとしての生活の中
で、それを実践していくだけの魂の剛健さ、柔軟性を維持で
きないのが、今生の人霊です。

思うに任せない状況では、ヒトは素の行動に出ます。その
「素」の自己の気付き、それが負の傾向があるときにはそれ
を解消していくことが目的となりますので、結論として悪の波
動干渉を受けない強さを持つことという結論付けは正しいと
いえます。
問題は、いかにしてその強さを身に着けるかという事ですね。
そうすると、やはり実践が一番効くという事です。

「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」と云いますが、人霊
は総て愚者の範疇です。ですから、“殴られたら痛い”という事
を、殴られることで知るように、多くの経験を積む為にこの世へ
やって来ているのです。

あらかじめ人生のシナリオを描いてやって来ます。因って今生
で出くわすことは自身と仲間内で決めてきますので、乗り越えら
れない困難には通常出会いません。ですが、想定外の事をし
でかした場合には、因果応報のお世話になります。
シナリオを決めていても線路を敷いた変更不可事項とは違い
ますので、自身の努力によって良きものを引き寄せたり、その
逆もあり得ます。

多くの経験と前向きな苦労は、お宝ですね。

究極は「利他愛」を常に抱けることでしょうか。

賢く、強く、正しく、慈悲深く、情義に厚い美しい魂が、理想です。

ソロさんは、波乱に満ちた人生の中で多くの経験値を上げてこ
られている事を、語っていらっしゃる内容から推察いたしました。
欲張って計画されて(この世に)来られたのでしょうね。
多分、何度も再生を果たしてみえるのだと思います。

「一回生」は総じて、不慣れなために無難な人生を試験的に歩
むので、波乱に満ちた方を見ると、向上心の強い前向きな魂が
故に、眩しさすら感じることがあります。でも、カルマ解消の目的
の方は大変です。それでも解消目的で再生してくる意欲は素晴
らしいものと思います。

過ごした人生の中で、自身の欠点にも多分気づく機会も多くお
持ちのようですので、次回はそういった処を重点的に解消する
ための人生でしょうね。

私なんかは、数えればきりが無いほどに要改善個所が目白押
しで、ため息が出ます。
しかし、他人の幸福そうな姿を観ることが大好きで、悲しむ姿は
見るのもつらいという感性を持てている事はまともなんだなと自
認しています。

生き物が好きで、動物も植物も虫も鳥も愛おしい限りです。爬虫
類も、両生類も好きかな。魚類もね。
あっ、「食べる」という意味ではないですよ。念のため。

語りつくせないことがたくさんありますが、この辺りで失礼いたした
いと思います。では・・・・。


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