つまり日本人にとっての戦争というのは勝つためにやるのではないのです
ーー以下「中杉弘ブログ」より抜粋編集
先の大戦で戦況が不利になると日本人は、「1億玉砕」と言った。
「一億玉砕」というのは「日本民族が滅びるまでこの戦争は続ける」ということを意味します。
戦況は不利ではあるが、1億玉砕派から見ると「戦争はまだ始まったばかり」ということになる。
つまり日本人にとっての戦争というのは勝つためにやるのではないのです。
ーー
硫黄島の戦いでは、日本軍の戦力22,786人、米軍の戦力110,000人⇒日本軍の死傷者17,845人、米軍の死傷者26,038人と、米軍の死傷者のほうが多かった。
硫黄島を多数の米艦隊が囲み艦砲射撃を数日にわたって行い、硫黄島を焦土と化した。
日本兵は武器もないので穴の中に隠れた、日本軍は皆殺しにされたはずなのに、死傷者は米軍のほうが多かったのです。
ーー
ノモンハン事件の時も、日本軍の戦力58,000人、ソ連軍の戦力69,101人⇒日本軍の死傷者16,343人、ソ連軍の死傷者25,655人とソ連側の死傷者のほうが多かった。
司馬遼太郎はノモンハン事件について、「あんなひどい負け戦はない」と言ったが、そうではなかった。
司馬遼太郎の言うことは全てウソです。
ーー
現実の結果はそうなのです。
日本は「勝とうとはしていなかった」ことがわかります。
それではなぜ戦争したのか。
「我慢するのももうここまでだ」と「我慢に我慢を重ねて、もう我慢できない」として決起したのです。
それまで日本は貶(おとし)められてもジーと耐えてきたのです。
ーー
米国は、戦前に「鉄クズは売らない、石油も売らない」と言ってきた。
預金封鎖に加えて、鉄、石油が輸入できない、これでは安全保障ができず他国の侵略を黙認するほかなくなる。
それでも日本は開戦しない。
それで米国は、満州から手を引けといってきた、致命傷です。
これはもうやるしかないというところまで、追い詰められていった。
ーー
アメリカへ渡った日本人移民たちがいます。
彼らは、カリフォルニアで農業を大規模に行い成功する。
ところが、戦争になると、白人らは、日本人移民の土地を取り上げ、預金を封鎖し、強制収容所に閉じ込めてしまう。
さらにアメリカは移民法をつくり、それで日本人を罰したのです。
ーー
つまり先の大戦は、勝つためにやったのではないのです。
あまりに侮辱されたために、日本人は決起したのです。
日本人は、耐えられる限り耐え忍ぶ、しかしどこまでも耐え続けるわけではない。
今後も日本人の行動様式は変わりません。
ーー
これまで日本人は、支那・朝鮮人に有りもしない罪を着せられ、侮辱され、彼らの反日無罪や拉致にもじっと耐えてきた。
国内は、在日・反日勢力によって支配され、言論・メディアは支那・朝鮮人に都合の良いことばかり報じている。
南朝鮮は竹島ばかりか対馬を盗ろうとしており、共産支那は尖閣諸島や沖縄を盗ろうとしている。
実際支那共産党空軍はこの一年で900回も領空侵犯してきている。
ーー
普通ならば、竹島を盗られた時点で戦争だ。
卑怯にも、朝鮮人は、日本が敗戦直後で武装解除の状態であることを狙いすまして竹島を取った。
朝鮮人が正々堂々と日本を侵略するなど不可能であるからだ。
朝鮮人による侮辱に対しても、日本人は終戦の詔勅に従い、耐えがたきを耐え、それぞれの人生を賭けて焦土と化した日本を復興さすために働いた。
ーー
75年もの間、支那・南北朝鮮は、日本や日本人に対して、やりたい放題してきた。
日本は、尖閣諸島に支那船が侵入してきても、排他的経済水域内のサンゴ礁を荒らされても黙ってきた。
いま、日本政府は黙って軍事力の増強に余念がない、支那・南北朝鮮の侵略への備えを着々としている。
在日・反日勢力が支配する言論・メディアは、政府の軍事力増強に反対したままだ。
ーー
ところが日本人は、忍耐の限度を超えると爆発する。
その時には損得はありません。
日本人は「やるのだ!」と決めたら「損も得もない」もう死を恐れなくなる。
だから日本は強いのです。
ーー
他の国にはそれがありません。
支那・朝鮮人は、自分だけは助かろうとする。
負けると分かると兵はみな逃げてしまう。
しかも、支配者が一番先に逃げてしまう。
その後残された兵は、バラバラに逃げて拡散してしまう。
だから支那・朝鮮人の軍は見掛け倒しで弱い。
ーー
「もう我慢の限界だ」この声に日本国民が「そうだ!」となれば、もう怖いものなどなくなる。
「こうすれば勝てる」など考えない、だから、日本人は、勝つための戦争は下手なのです。
しかし、日本人は強いのです。
日本人は女も子供も年よりも関係なくなる、みんな一丸となって「やってしまえ!」となる。
だから、日本人を侮ってはいけないのです。
ーー
忍耐の限界に達すると、日本人は全員が立ち上がり、死を恐れない戦士となる。
昭和天皇は、原爆について、「こんなものを世界で初めて使ったら永久に日本がつくった原爆だと言われる、こんなものは使ってはならない」と言われた。
だから、日本の帝国軍部は原爆を使うことを止めた。
ーー
そして日本は世界で唯一の被爆国となった。
つまり日本は、「原爆を使ってもよい世界で唯一の国となった」のです。
ーー
死を恐れない、これは武士道に原点を持つ考えです。
主君のために死ぬことこそが武士の生き方とされた。
これが日本国民のために死ぬと変化しても、不思議ではなかった、そして、先の大戦では、先人たちは、日本国のために死をおそれることなく戦った。
ーー
その結果、陛下をお守りすることができた。
ーー
そしていま、日本は、革命を成功させたと自慢している国々をしり目に、自由、法治、民衆政治の堂々たる先進国となっているのです。
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>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>日本人の本性
この中杉さんの言いたい事は分るんですが、表現法に聊か引っかかる処が有って、全面的に賛同を躊躇わせるものが、在りますね。 まぁ、其れは個人的な感想に過ぎませんが。
唯、中杉さんが仰有る「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで」その現回転に達した時に、日本人は、決意を固める。「そんな外道共は、生かしちゃ置けねぇ、叩っ斬ってやる」と、たった一人でも、何十人もの敵が待つ処へ、日本刀一振りをぶら下げて斬り込みに行く、勿論、固より死を覚悟して。
是って、戦争中に島嶼で幾度も繰り返された「万歳突撃」に拠る玉砕だし、戦後の一昔前に流行った、東映の看板だった、任侠路線の不動の筋書です。
皆、最初から筋書きが分って居るのに、熱狂したのは、神の子として生きて居る事を前提に、武に拠って糺さねばならないと判断をする迄、我慢に我慢を重ねて、武を行使するとなれば、自分の生死も顧みる事は無い。 こうした筋書きに、高倉健のそのストイックな顔立ちや物言い、佇まいが、よく似合った。
武と言うものが、固より、「歪んだモノ、不正なものを糺す」為に、神に許された行為だからである。 だからその行為や決断は、神の使命にして、神聖なのであるし、人間の意思で勝手に変えられるものでも無い。
当然其処に、戦略や計算などと言った小賢しいものは微塵も入って居ない、神に与えられた自分の命を、神の使命の為に使い切るのみ、と言う、モゥ天啓に近いものなのです。
原子爆弾の件も、先帝陛下がお示しになられた事は、「人類は祖の様なモノを使って、結果共滅の基となる、ダカラ使ってはならぬ」であった。 決して、日本が先に使ったから云々、では無い。 但し、現状の様に核兵器が、是だけ世界に拡散してしまったら、自身を守る兵器として、流石の陛下も、所有を許したかもしれない。
然し、核兵器は間違いなく、地球環境を不可逆に破壊して、人類だけでなく、多くの他の生物の生存すら許さない環境にして終う、謂わば、人類の勝手な意志による自殺で有る。 他の生物が、巻き添えを食らう事に成り、五度目の「大絶滅」が起きるダケで有る。
世界では自身が信じる宗教に拘って、ああだ、こうだ、と、神を盾にして自己正当化しているが、その魂胆が、神様のご意志であるべき、「皆が仲良く援け合い、強者と共に弱者を救い、生老病死、病貧争災を乗り越えて、幸せな境涯を築く事」とは、真逆の結果しか齎さないのは、誰が考えても分る事で有る。
仄聞するに、カソリックの本山であるバチカンでも、未だに、古代ローマの第二次ポエニ戦争でも、行われて居たと言う、人間の子供や若者を生贄として捧げる、悪魔儀式が密かに行われていると言う。
是が、果たして神がお望みになられる事なのか、普通の常識で考えれば、気付く話であろうが、固より、西洋の神=YHWHは、地球上の生き物では無いので、その犠牲者の新鮮で純粋な魂を食事として好むと言う話なのかもしれない。
然しならば、イエスが云って居る「天の父」とは明らかに別な存在で有ろう。 そんな判断すら出来ないのなら、そのキリスト教は、明らかに、人類の敵であるとしか、言いようがない。 でも、現実世界では、こうした宗教の信者が、20億人を超して居ると言う、誤った神の教え等有ろう筈がないが、伝えて居るのは人間である事を考えるべきだろう。
日本の神は、人に死を強制したりはしていない、只、神の教えに背く事、間違って居て、このママでは、神の御経綸の妨げになる事を糺す事を御命じになる。 だから、神の使徒である日本人は、自分の死生の如何は、神の御経綸を成就する為に下生したのですから、固より、眼中には無いのである。
こうした考えが、戦前の「神兵、神軍」思想に繋がったのだと思いますね。 考えて看れんば、死を恐れない日本軍が強いのは当たり前だったのです。
然し、同時に日本人は、決して徒に、他を侵略をする様な民族ではありません。 中杉さんが仰有る様に、日本が軍備を増強している、或いは増強しなくてはならないのは、事実ですが、それは、この状況なら、抑止力を持つ事が、最も、避戦手段に近いやり方だからです。
是は、中杉さんが仰有って居る様な、シナ・朝鮮を侵略する為では、断じてない。 第一既に、侵略する価値も無い土地です。
そんな、泥沼に引き摺り込まれる様な、戦前の愚を繰り返すなら、全く歴史に学べていない事に成るだろう。 現代の政治中枢にも、近衛文麿の様なコミンテルンの細胞が居るのなら分かりませんがね。
安倍政権・安倍チームは、此処まで、日本を不正に支配して居た勢力が居たからこそ、目標を過たずこれたとおいえましょうが、その功あって野党は その売国の正体が明らかになり、戦後の日本を支配抑制して来たマスコミも、その黒幕も、天佑神助あって、次々とこの世を去って居ます。
そして、金の為に保守的論調を騙って居る連中も、次々にその化けの皮がはがされて、人々の信頼を失って居ます。
デモだから、この先は、未知の敵が現れる、或いは既に現れているが。潜在しているのかもしれません。 然も、安倍政権・安倍チームの命数は、残り2年と数カ月しかありません。 図らずも、安倍4選を望む声が上がり始めて居ますが、其れも、限度と言うものが有るでしょう。
思うに安倍さんを保たせているのは、彼の語学力や知見の広さだけでは無く、彼の人間力に有ると私は思って居ます。 そうした人間力のある人は、自ずと敵対勢力を含む」周囲から、目立つ存在に成る筈です。
安倍政権は、そういう人材が現れて、育つまでは、続けて貰う他は無いなぁ、と私は思って居ます。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2019年3月31日 (日) 09時19分
人類の原始的欲求である処の自我のもたらす我欲に則り、地球上を我がものとせんとする勢力が、跋扈する中、どこまで健闘し、是正の方向へ舵を切ることができるのか。
まぁ、要するに魂の原始人vs魂の覚醒組と云った戦いの様相ですね。
魂の原始人はイエスの教えを、我がために有利な内容にねつ造編集し、この世の春を謳歌せんがために世界中にその食指を拡げて来ました。何よりも我欲と云った原始的欲求に、抗える者はごくわずかという地球学院ですから、捗った事でしょう。
その原始(稚拙)魂は、バチカンをも従えて君臨するイエズス会ですね。
他のブログでも多少記しましたが・・・・、
1789年1月23日 ジョン・キャロル大司教が、ジョージタウン大学を創設。
アメリカ合衆国におけるカトリック教会及び、イエズス会創設の大学である。
ワシントンのジョージタウン大学内に、CSISがある。
CSISは元々、エドマンド・ウォルシュ外交学院と言う名前で創立されました。
エドマンド・ウォルシュはイエズス会の神父でもあった。
CSISは、南アのスパイ組織=国家安全局BOSSと協力し、南アの金塊・ダイヤモンド・ウランと、中国製麻薬の利益=兵器と「バーター取引」を行う、諜報・スパイ組織。
CSISは、イスラエルに兵器を供給し、中東戦争によって「石油価格を高騰させる」、石油王ロックフェラーのための「石油価格コントロール」センターであった。
現在、CSISは、米陸軍・海軍直系の軍事戦略研究所でもあり、米軍の持つ膨大な数の生物化学兵器の管理センターともなっている。
CSISの顧問には、ヘンリー・キッシンジャー、その弟子でライス国務長官の師匠であるブレント・スコウクロフトが名前を連ねていた。
ロックフェラー・ロスチャイルドの世界帝国建設のための軍事戦略を「描いた」ズビグニュー・ブレジンスキー(大統領バラク・オバマのブレーン)が、CSISの理事を務めていていた。
アメリカにおける国内独裁と国土管理のための備えとして重要な組織の一つが、連邦緊急事態管理庁(FEMA)である。
FEMA創設の中心人物はCSISの理事であるズビグニュー・ブレジンスキーであった。
アメリカに戒厳令が発令されFEMAが活動するときは、CSIS=イエズス会の指令で動く。
1754年、英国国王ジョージ2世の特許状に基づき、英国による米国の植民地支配のための「ノウハウ・スクール、英国直結の米国監視・スパイ養成学校」として設立されたコロンビア大学は、アビール・ロウ一族の麻薬資金によって「大規模化」されてゆく。
米国が英国から「独立」するに従い、コロンビア大学は米国による「植民地支配国の管理ノウハウ・スクール」に転じる。
第二次世界大戦中、日本語の堪能な人材が、この大学に集められ、当時、米国の敵国であった日本に対する「対日暗号解読部隊」が、この大学を舞台に結成された事でも分かる。
この大学は、事実上、対日戦略情報部隊の中心地であった。
つまり「米国による日本の支配のための人材育成大学」が、この大学の正体である。
小泉元首相が自分の後継者・進次郎を、コロンビア大学・大学院に「送り込んだ」所には、「米国による日本支配のための、アヤツリ人形」であった小泉の正体が「明確に出ている」。
コロンビア大学卒業後に、進次郎はCSISで働く。
イエズス会の元司祭のマラキ・マーティン、彼は17か国語を話す。1997年に亡くなる直前、著作で明かす。
・・・・・・・・・
イエズス会修道士の入会者は入会式で、イエズス会とローマ教皇の共通の敵との戦いに従事するという、テロリストのごとき冷酷無比な血の宣誓をさせられます。
私は機会ある限り、ひそかにあるいは公然と、指示された通りに、全ての異教徒やプロテスタント、自由主義者をこの地上から根絶させ撲滅するまで、徹底的に戦い続けることを誓い、宣言する。相手がどのような年齢、性別、健康状態でも決して容赦しない。忌まわしき異教徒をつるし上げ、麻痺させ、皮を剥ぎ、首を絞め、生きたまま地中に埋める。女の腹と子宮を裂き、子供の頭を壁に打ち付けて粉砕し、呪うべき者たちを永久に根絶させる。
公然と行なえないときは陰に隠れ、毒を盛った盃を、短剣の刃を、絞殺のためのロープを、鉛の弾丸を使う。相手の地位、品格、権威にかかわりなく、彼らの状況がどのようなものであろうと、公私にかかわらず実行する。私は常に教皇の、あるいは聖なる修道会であるイエズス会の長の代理人の命ずるままに動く。
現在世界112カ国に約25,000人のイエズス会士がいます。ロヨラが会士は死体のように従順であれと命じたように、イエズス会はローマ教皇と組織内上位者への絶対的服従を旨とする独裁体制が今でも貫徹されています。
この通りだとすると、立派な悪魔集団ですね。魂の原始人を通り越してます。
実に、“物欲”とは怖ろしいものよ。
本音と致しましては、彼らだけ他の惑星の位相で修行してもらえないかなぁ・・というボヤキすら出ます。
しかし、我ら地球学院の全員の連帯責任として解決してこその修行というもの・・・神の御業に無駄はなし、・・・ですかね。
最後に、ソロさんの考え方や論説に、肯く事が多く、
このような方の輩出を、今後も期待する処です。
とても芯の太く、情ぬ深い方と推察いたします。
瞬間湯沸かし器的要素も見逃せませんが、前向きでいられる処など、こちらも多くを学ばせて頂く事が出来ます。
感謝です。
投稿: 日本国民 | 2019年3月31日 (日) 17時08分
>つまり日本人にとっての戦争というのは勝つためにやるのではないのです。
このように表現されますと、日本人は戦争をしたがるというように捉える人がいますので、誤解されたくないと思います。
少なくとも、戦争をしなければならないように追い込まれなければ、戦争をしないと思うのです。
そして、戦争をやるからには、勝つための方策を考え抜いて戦っているのです。でも、戦争は日本だけでなく、相手も考え抜いての作戦の結果ですから負けることもありますし、勝敗は時の運だと思います。
硫黄島の戦いは、戦力比では当然米軍が圧倒していました。それにも関わらず、死傷者数は米軍の方が多いのですけれど、タヒ者の数は日本の方が3倍程多いのです。米軍は、戦争では負傷すれば戦場離脱になりますからタヒ傷数を重視しますが、日本は戦タヒを重視する傾向があるから、米軍の被害を日本より大きく捉えられたのではないでしょうか。
勿論、硫黄島の戦いは、日本軍は戦力は米軍より少なく、補給もなく、守る一方の戦いでしたから、良く戦ったことを否定するものではないのですし、戦いの目標を玉砕に置かずに、長期間持ちこたえることとした作戦を、凄いと思っています。
次に、ノモンハン事件については司馬遼太郎氏のことを嘘つきにしていますが、此は司馬氏が可哀想です。
ノモンハン事件の結果を、ソ連は隠していました。此の結果が表に出てきたのは、1991年頃だったと記憶しているのですが、その結果、日本の被害よりソ連の被害の方が大きかったことが分かったのです。
それまでは、ソ連は日本よりも少ない被害を発表していたから、正直に被害を発表していた日本は、ソ連に負けていたと思っていたし、実際、日本の被害は大きかったからノモンハン事件は悲惨な負け戦との認識でした。
ノモンハン事件について司馬遼太郎氏は、日本が負けたとされることしか知らなかったのですから、仕方がないと思いますし、嘘つきというのは可哀想だと思います。
ソ連の嘘に、日本は騙されたのであって、その一人が司馬氏です。
日本は戦争を好んではいません。
でも、日本が好まなくても、世界は日本のことを斟酌しませんし、その結果戦争に巻き込まれることもあります。
大東亜戦争の初期における、支那事変でもそうであり、支那共産党が起こした盧溝橋事件において日本は不拡大路線を取りましたが、中国軍は郎坊事件や広安門事件、通州事件を起こして日本軍を支那領土内に誘導し、更に大軍で待ち構えていた上海に日本軍を誘引したと考えます。此は、上海でおびき出した日本軍を全滅するつもりだったからです。
しかし、日本軍は中国軍を相手に勝利したため、中国軍は南京に逃げ、日本軍は此を追撃したのです。
日本軍が支那領土に侵略したと考えるより、支那軍が日本軍を荻来だしたと考える方が、両軍の動きを見ますと合理的なのです。
ただし、戦うのならば戦いに勝たないと、終わることが出来ませんから、戦争を始めれば勝つことは目的になります。
しかし、戦況が不利な状況になりますと、負けたくなければ被害を顧みることなく、戦い続ければ負けません。
戦況が不利になってからの日本の失敗は、講和条約の仲介をソ連に頼ったことだったと思います。
ソ連は、終戦直前に日本に対して中立条約を一方的に廃棄して、満洲や樺太等に攻め込みましたが、国際条約を守らない国に碌な国はありません。
それから、日本人は忍耐強い民族です。
ですから、相手に非があっても、それだけで戦いの理由にしますと、戦いの理由には認められないのです。それで、誰が見ても戦うのは仕方がないと、認識されなければ戦えないのです。
その仕方がないとされる基準が、海乱鬼(かいらぎ)とされるのではないでしょうか。
投稿: ポッポ | 2019年3月31日 (日) 23時55分