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2019年3月16日 (土)

自分勝手なまねがしたい、義務なんか放り出したいとなると、いつも民主主義をもち出す

米国暮らしの姉の息子が、家族を連れて帰国した時「おじさん、日本の男は変わってしまったね」と言ったことがある。

お前も日本人のくせに何をいうのかと思って考えてみた。

確かに、かつて日本の男が持っていた「どんな人生であろうと引き受けて生きて見せる」というような強(したた)かさがみられなくなった。

その日本男児の変化について「ばら」さんが投稿してくれているのでお目にかける。

ーー以下読者投稿より抜粋編集

「ばら」です。

カズオイシグロ著「遠い山なみの光」(ハヤカワ文庫、小野寺健訳)から

p38被ばく数年後の長崎の狭い家に住む夫婦に、夫の父が訪ねてくる。

「この頃の連中は、教えを受けた人のことを簡単に忘れる」

ーー

「ええ、まさにその通りです」夫(二郎)は食事を終えて箸を置いた、わたしがお茶をつぐ。

ーー

「この間、妙なことがあってな」

「いま考えてみると、むしろこっけいな話だがね」

「長崎の図書館で、ある雑誌を見つけたんだよ」

「教師たちがつくってる雑誌さ、知らない雑誌でね、昔はなかったものだ」

「あれを読んだら、日本の教師はみんな共産主義者になったのかと思うだろうな」

ーー

「たしかに日本では共産主義がさかんになっていますよ」

ーー

「おまえの友だちの松田重夫もこの雑誌に書いているんだ、ところが、驚いたね、その論文の中にわたしの名前が出てきたんだよ」

「自分がそれほどの有名人とは知らなかったな」

ーー

「長崎には、今でもお義父様のことを覚えてる人がたくさんいますわ」わたしは口をはさんだ。

ーー

「実に驚いた話さ、遠藤博士とわたしのことが書いてある、わたしたちの退職のことだ」

「わたしの誤解でなければ、松田はわたしたちが職を失ったのは当然だと言いたいらしい」

「それどころか、わたしたちは終戦と同時に追放されるべきだったという口ぶりなんだ、まったく驚いたね」

ーー

「たしかにあの松田重夫ですか」

ーー

「あの男だ、栗山高校だから、驚いたな、よく家へ来ちゃ、おまえと遊んでたじゃないか、お母さんもあれをとてもかわいがっていた」

ーー

p40「恩知らずじゃないかしら」

ーー

「栗山高校の校長にあの男を紹介したのは、このわたしなんだからな」

ーー

p83「困ったもんだ、しかし今の日本にゃ、わかいものに影響をあたえるものが多すぎる」

「今の若い連中は、みんな思想だの理論だのに押し流されている」

「だがあの男もいずれは目がさめて謝るだろう」

「松田は自分のしていることの意味を考えてみたことがないんじゃないかと思うんだよ」

「あの論文だって、右手にペンを持ち、左手に共産主義に関する本を持って書いたんじゃないのかね」

ーー

p91「アメリカ人というやつには、日本の事情がまるでわかっていない、わかったためしがないんだ」

「連中のやりかたはアメリカ人相手にはいいかもしれんが、日本では事情が違う、まるで違うんだ」

ーー

「規律とか忠誠心、こういうもので昔の日本はまとまっていた」

「嘘のようだが、そうだったんだ、誰にも義務感があった、家族に対しても、目上の人間にたいしても、国にたいしてもだな」

「ところが今じゃ、誰も彼も民主主義、民主主義だ、自分勝手なまねがしたい、義務なんか放り出したいとなると、いつも民主主義をもち出す」

ーー

p92「ええお父さんの言う通りです」

ーー

「教育にしたってそうだ、われわれは何十年もかけてひとつの制度を作り上げ、大事にしてきた」

「アメリカ人がやってくるとこれを引っ剥がして、あっさりずたずたにしてしまった」

「日本の学校もアメリカの学校と同じにして、子供たちにもアメリカの子供と同じことを教えるんだと決めてしまった」

「それをまた、日本人は何もかも歓迎したんだ、民主主義、民主主義で大歓迎した」

ーー

「日本の学校のいい伝統はめちゃめちゃに壊されてしまった」

「わたしは子供の教育に一生を捧げてきた、ところがそれをアメリカ人にずたずたにされるのを見る羽目になった」

「いまの学校教育はじつに異常だよ、今じゃ子供たちを日本人として躾(しつけ)ようとしていない」

「いいかね、子供たちは自分の国の歴史を何も知らずに卒業していくんだよ」

ーー

p93「たしかに困ったことかも知れませんね」

「しかし、ぼくらが学校にいたころにも妙なことはありましたよ、たとえば、日本は神様が造った国だなんて教えられて、日本は神の国で、最高の民族だなんてね」

「教科書は隅から隅まで暗記させられたし、失なってもいいものだって、あるんじゃないかなあ」

ーー

「しかし二郎、物事はそう単純じゃないぞ、おまえにはそういうものの持っていた意味がやはりわかっていない」

「わたしたちは大事なものが次の世代に引きつがれていくように、子供たちが自分の国にたいしても、正しい姿勢を身に着けるように、身を捧げてきたんだ」

「昔の日本には精神があった、それが国民を団結させていたんだ」

ーー

「今の子供たちは、どうなると思う、何が大切なのかということを学校で教わらない」

「まあ好き勝手に生きるために、社会になんでも要求しろということは、教わるんだろうがね」

ーー抜粋ここまで

ここに緒方(イシグロ)さんの怒りを掲載出来て感謝です。

長い文読んでくださいましてありがとうございます。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>日経英国人カズオ・イシグロの視点
 正直に言うと、私はカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を貰うまでは、その作品処gか、お名前も全く知らずにいましたから、受賞を訊いた時「え? 誰」と言う反応だった事を覚えて居ます。

 そして、私が大嫌いな大江健三郎に賞を与える様な、選考基準だし、毎年、是も大嫌いな村上春樹が最終候補に残って居るので、不信感一杯でしたので、目が良く無くなった事も有り、無理して本を読む様な事は、無かったですね。

 ですから、ばら様の、本のご紹介はとても有り難かったです。

 作品中の緒方さんの御怒りは、私も祖父から良く聞かされたので判りますが、何故是を、英国生まれで英国育ちの筈の、イシグロさんが、本に書ける程情報を蓄積できるのかが、チョット不思議な気がしました。 しかも、舞台は戦後間もない長崎ですからね。 原爆投下被害の余韻覚めやらぬ状況での話で、日本人の我々も知らない話がゴロゴロして居そうですね。

 戦後、GHQ占領支配下で、皆が生き延びるのに懸命な余り、決まりを破って、闇商売をして居た話も、良く聞かされました、とはいっても、田舎で取れた余った農産物を安く買い上げ、約50㎞の道のりをリヤカーを曳いて、都会「=鹿児島市」に売りに行く、労多くして薄利の仕事ですが、其れでも、色々な妨害に遭ったと、母達が零して居ましたね。

 就中、GHQのWGIPに協力するモノは、条件面でも、給与面でも。優遇されると言う咋な傾向が有った事は、私も、母親から聞いて知って居ます。 母も、進駐軍の牧師から言い寄られた時に、「実名を挙げて、マッカーサーに直訴する」と脅したら、すごすごと引き下がったそうですが、爾来、キリスト教徒は、胡散臭いと言って居ましたね。ww

 大連からの引揚者である私の母方の一族は揃って反日でしたが、其れは、WGIPへの迎合では無く、日本政府の満州からの引揚者に対する、不当に冷たく無責任とも言える扱いに、抗議していたからです。 だって、引き揚げ時の死者は20万人にも、上るのですからね。

 昭和30年に、立法化されて、引揚者の身分保障が為されるまでは、満州国人として、外国人扱いだったのですので、公的な措置の際に色々な障害が有ったと言って居ました。 

 まぁ、物事には順序と言うものが有るのでしょうが、もし、母達が団体を作って圧力をかけて居なかったら、政府の立法~承認は、さらに遅れて居たでしょう事は、その後の中南米移民の失敗の後始末など観て居れば、厚生省や外務省官僚の対応が、如何に、無責任で怠惰なモノだったかが分ります。

 そういう意味では、日本人向けに書いた作品なら、その辺りも書かないとバランスが取れませんが、是は、英語圏の読者向けの話でしょうから、如何に、米国が強行した国際法違反のWGIPが、日本の既成の伝統精神の美風を、何の斟酌もせず破壊したか、と言う告発をして居ると言う意味では、今迄には見られない作品で、戦後今迄の日本では、決して、発行出来ない本の内容だと、思います。 いわば、日系英国人のイシグロさんダカラこそ、書けた作品だし、英国ダカラ発行できたのろうと思います。

 然も、この作家がノーベル文学賞を受賞したと言う事は、戦前の日本文化や伝統精神の存在を明らかにした、或いは、戦後のGHQが行った日本の文化破壊の内容を告発する事が、世界で公認された、と、受け取って良いのだろうかと、思いました。

 仄聞するに、ノーベル財団は今や、英系ロスチャイルドの庇護下に有るとの事、イシグロさんの受賞を契機に、戦後日本で行われた、FDルーズベルト一派で構成されるGHQ民政局の、日本民族の伝統文化の破壊の実態が、如何に野蛮に行われて居たか、そして、その行為によって、如何に多くの日本人達が、辛酸を舐めて、終に、三島由紀夫の様に憤死するものまで出たと言う事を、世界が知る必要があると思います。

 少しづつ、ですが世界の夜が明けて来ている様な気がしますね。 ジャズのスタンダードナンバーの「the world is waiting for a morning sunrise」(世界は夜明けを待って居る)の曲が聞こえ始めて居る様な気がしますw

ナポレオン・ソロさま

 いつも貴重な、豊富な経験や、頭の良い明晰な分析による正確な情報の提供をしていただき、有難うございます。その人生経験豊かな、人情味溢れる語り口に魅せられ、ソロさまは本当に素晴らしいA man of characterでいらっしゃると尊敬致しております。
 今年の2月8日の産経新聞によりますと、「カズオイシグロ氏に英王室のチャールズ皇太子は7日ノーベル文学賞を2017年に受賞した長崎出身の英国人作家カズオ・イシグロさんにナイトの爵位を授与したとPA通信は伝えた。イシグロさんは5歳の時、父親の仕事の関係で渡英、1980年代に英国籍を取得した。
PA通信によると、イシグロさんは、英国で第二次世界大戦以降「敵文化」とみられていた日本から移り住み、成功を収めることが出来たことに「どことない快さ」があると指摘し「恵まれた仕事」に就けたとも語った」とあります。
 氏は1954年11月8日長崎生まれ。1960年に五歳の時渡英されたのですが、被爆でダメージを受けた映像は深く脳にインプットされ、その焼け焦げた匂いは作品のどこかに再現されています。氏は人々の傷ついた感情を克明に物語ってくださっているのです!
 日本を離れる5歳の惜別の情籠る眼差しには、縦椅子様がご紹介くださった、米海軍カメラマンのジョー・オダネル氏の心をゆさぶった「焼き場の少年」の「少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた」あの少年の眼差しと重なるように思います。
 イシグロ少年の心の中には「いつかはこのニッポンの事を…」と思はれていたことが成就出来たことに、「どことない快さ」があると指摘されていることからわかるような、気がします。
 イシグロさんはお父さんの仕事に都合で渡英されたとありますが、お父さんは日本の著名な海洋学者で、英国から請われて渡英されたと、どこかで見ました。コメントの緒方さんの怒りは、海洋学者のお父さんの日本の教育の行く末を案じた怒りを代弁しているように思えます。
 ソロさまのお母上様も満州からの引き上げで大変ご苦労をされたご様子で、心が痛みます。戦後は日本が焦土と化し、日々の食料もままならず、悲惨な状況が続きました。多くの犠牲者を出しました。戦後75年…今あるのは日本の為に戦ってくださった多くの人々のおかげです。有難く感謝もうしあげます。
 ≪然も、この作家がノーベル文学賞を受賞したと言う事は、戦前の日本文化や伝統精神の存在を明らかにした、或いは、戦後のGHQが行った日本の文化破壊の内容を告発する事が、世界で公認された、と、受け取って良いのだろうかと、思いました≫-は、まったくご指摘の通りだと思いました。感謝!!

>ばら様 ソロです。
 私の如き、フーテン老人の拙文に、過分なお言葉を頂戴しまして、恐縮の極みです。 

 その上で、私の疑問、「なぜ、カズオ少年は、こんな本をかけるほど、戦前~戦後の記憶を持っているのだろう」に、カズオ少年の来歴やお父様の職業など、明らかにしていただき、「なる程」の連続でしたが、オマケに、カズオ少年は、私と同い年ですねwww。

 カズオ少年が感じた「快さ」は、紛れもなく、「焼き場の少年」の写真から、感じられる「焦げた匂い」や「気を付けして、弟を見送った兄の無念さ」を、そして、そうした日本人の感性を、世界の人に伝えたかった思いが、ノーベル文学賞の受賞で、世界が理解した事で、「やり遂げた」という達成感が、湧き上がってきたのではないでしょうか。

 日本人の本当の悲しみ、本当の痛み、本当の悔しさなど、現場に立ち会った人以外、外国人には理解しよう、がないでしょうが、それを文章で伝えるというのが、文芸であり、才能や感性なのでしょう。 彼は天賦の力を思う存分、発揮する事が出来、神身に嘉された人なのでしょうね。

 カズオ・イシグロ氏について何も知らなかった、私に、いろいろな感動と共感をいただきまして、朝から感涙にむせんでおります。ww  有難うございました。

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