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2019年3月 6日 (水)

支那・朝鮮人らは、過去を否定し、都合良く過去をでっちあげる

ーー以下「ttensanブログ」より抜粋編集

支那・朝鮮人らは、何時まで経っても、自由、法治、民衆政治democracyが実行できないでいる。

一方日本では、天皇の五箇条の御誓文に基づき明治維新が実行され、堂々たる民衆政治democracy国になった。

日本は、支那・朝鮮とどこが違っていたからこうなったのか。

ーー

それは支那人の次の文章を読むと少し理解できる。

支那メディアの快資訊は2018年8月13日、「日本はなぜ元号を廃止しないのか」と題した記事を掲載した。

ーー以下抜粋

【日本はなぜ元号を廃止しないのか】

「日本では2019年5月1日かから新元号が始まる」

「改元に伴い、新元号を予想する人がいる一方、そもそもなぜ和暦と西暦の2種類があるのか」

「西暦に一本化した方が良いのではないかという「元号廃止論」もみられる」

「世界は西暦が主流となっているのに、なぜ日本ばかりが元号を継続しているのだろうか」

「それは、変わろうとしないのが日本人だからだ」 

(編集担当:村山健二) (2018/8/18 サーチナ)

ーーここまで抜粋

日本には、全国至る所に100年以上続く老舗(しにせ)があるのだが、支那・朝鮮にはそれがない。

そして支那・朝鮮人らは、老舗が、その商売のやり方を変えていないと思い込んでいる。

ところが老舗というのは、最も創意工夫をして自ら変化し続け、人々に受け入れられ生き残った店なのだ。

ーー

西洋列強が日本に開港を求めてきたとき、日本は西洋列強と一戦(薩英戦争、馬関戦争)を交えることで、西洋の実力が日本以上であることを知る。

そして薩摩藩は決して負けはしなかったものの、また長州藩は負けたものの、西洋からは学ぶべきものがあると理解した。

自らを変えなければ植民地にされてしまうと自覚し、西洋に有為(ゆうい、才能のある)の人材を藩費留学させた。

それが明治維新の文明開化へとつながった。

ーー

一方、支那・朝鮮(支那の属国)は、西洋と関わりアヘン戦争で負けるという経験をした。

それでも彼らは、自分たちのやり方を変えようとはしなかった。

というのも、支那・朝鮮というのはいわば異民族が支配する植民地国であったからだ。

当時支那は女真人が支配しており、朝鮮は蒙古人が支配していた。

支那・朝鮮の(異民族)支配者は、人民(原住民)からの収奪に明け暮れ、人民の暮らしを良くするなどという発想自体がなかったのだ。

ーー

つまり支那・朝鮮は歴史上一度も国民国であったことがなかった。

だから、西洋の植民地にされるなどという考えすら思いつかなかったことになる。

その人民収奪は、共産党政権になっても変わらなかった。

支那共産党は、収奪されている人民を開放すると言った。

しかし、文化大革命では、人民から作物を収奪することで3500万人以上を餓死させている。

つまり女真人支配から、共産党支配に代わったに過ぎない。

ーー

支那共産党は、過去をとてつもなく悪かったとし、これまでの王朝を全否定することで自分達の支配を正当化している。

支那・朝鮮人らはこれで変わったつもりなのだろう。

しかし支那共産党の人民から収奪するやり方は、それまでの支那の王朝がやってきたことと全く変わっていないのだ。

ーー

しかもこうして過去を否定しておきながら支那・朝鮮人らは、当初の2000年と言っていた歴史を膨らまし、今や4000年の歴史と言って自慢している。

ーー

彼らは、対等という概念がないので、物事を相対的にしか見ることができない。

相手より優位であろうとして、例えば道徳的に優れていることを誇るために南京大虐殺などという話をでっちあげる。

「日本人は虐殺をするような(われわれより)劣った人種である」と。

ーー

しかし、当時の南京の人口は彼らが虐殺したと主張する人口以下だったことが分かっている。

彼らは堂々と嘘を吐くのだ。

それに彼らが行っていることは、3500万人の虐殺や天安門事件を隠すことだったりする。

ーー

支那・朝鮮人らは、都合の悪い過去を否定するだけではない。

良い過去がなにもないので、過去を自分たちに都合の良いようにでっちあげることをする。

そんなことを数千年にわたり変わらずやってきた。

それが支那・朝鮮人らなのである。

ーー

それなのに、日本に対して、いつまでも変わろうとしないという。

日本人からすると、変わっていないのは「お前らの方だ」と言いたくなる。

ーー

ブログ主(ttensan)は、成人以後の人というのは、向上しようとし続けないと劣化するだけだと考えている。

ーー

先人が築いた文化も、我々の世代がそれを維持し、さらに良くしようと努力しなければ、朽ちていく。

文化というのは、気に入らないからといって破壊(革命)してそれで良くなることなどないのだ。

それほど、簡単なものではない。

ーー

気に入らないからといって2千年以上も続く文化を破壊(革命)して、それでいい時代が来るという人たちがいる。

私は、それは、共産主義者の妄想に過ぎないと思っている。

例えば(志位の独裁19年の)日本共産党は皇室の廃止や元号をやめろと主張している。

共産党は、皇室をなくして一体どのような文化を築こうというのだろう。

そう考えるだけで、反吐(へど)が出る。

ーー

文化の中には一見すると時代に即していないものもある。

日本人は、外国由来の文化であっても、長い年月の間に日本人に合うように変えて日本文化の一部にしてきた。

気に入らない過去を破壊する事では文化は築けない。

革命では、文化は築けないのだ。

ーー

共産主義を知るものは共産主義者にはならない。

ーー

日本共産党員は恐らくマルクスの「資本論」を読んでいない。

だから共産主義者になっている。

読んでいれば、現体制を破壊した後どうなるのか不安になり、共産主義者になどならないからだ。

ーー

支那・朝鮮人らは、過去を否定し、都合良く過去をでっちあげる。

現在の文化を破壊した後どうなるのか全く分からないことを利用して、自分の欲求を満たそうとする。

そして自分の欲求を満たすために過去をでっちあげることになんのためらいもない。

そんな人たちの主張を信じる人間はこの日本には一人もいない。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>文化が有る処にしか伝統は無い
 ttensanの文章は、何時も論旨が明瞭で、結論が先に来るのでとても分り易いですね、何時も冗長な私は、見習いたいですね(苦笑)

 もし文化と言う、子孫に継承するものが無ければ、固より伝統は存在し無いし、子孫にモノを生み出す能力が備わって居れば、時代の変化や環境変化、社会情勢の変化に応じて、工夫を来ないって改善や改良等を行い、更新を続けてこそ、伝統が維持されると思って居ます。

 その過程で、時代の要請に拠って、新たな用途が生み出されて、寧ろそちらの方が主流になる。 例えば、現在は世界有数の自動車メーカーであるトヨタの元の職分は、豊田自動織機で有った事を考えれば、一目瞭然の話でしょう。

 「日本が変わらない」のは、元号などの伝統を大事にする心だけでなく、自然の変化に対応する為に、色々な工夫を凝らして生き延びて来た、農耕民族としての「時々の変化を読み取って、自分達を順応させる為の、観察力であり、工夫を生み出す試みる心」だと思います。

 彼らの様な、文化創造力も発信力も無く、持って居るのは、戦闘力と剽窃力だけと言う民族は、幾ら表面を取り繕った処で、出てくる結果は、正直だと思います。 つまり、底が浅いので、直ぐに馬脚を露わす。

 シナが世界覇権を目指して、散々あちこちから先端技術を盗みまくって来た現状で、この前TVで、シナが本物そっくりのアンドロイドがTVニュースを読んだ居たが、世界一、人手が余って居るシナで、省力化に何の意味が有るのかと、一体何の意味が有るのかと、思わず嗤って終った。

 つまりは、必要に応じて開発した技術では無いと言う事ダカラ、剽窃して来たモノだと自白しているだけだろう。

 彼ら非農耕民の特徴としては、長期の共同作業などが出来無いと言う、大きな欠点がある。 何でも競争が好きで、上か下かを決めなければ落ち着かない、農耕民も人によってはそういう傾向の人も居るが、遊牧民は例外無く好戦的である。

 そして勝つと今度は相手を見下し、時に、殲滅に懸る、ダカラ、競技を愉しんで、戦いの相手を称揚する習慣が無い。 敵には、敵愾心だけしか持ってはいけないと、固く思って居て、戦いを通じた友情な度、生まれるのは稀有な事だろう。 

 敵に情けを懸ければ、それが元で自分が命を失う、家族が悲惨な目に遭う、其れは、常に限界的な生活を生きて居る遊牧民と言う生業の宿命なのだ。 

 この宿命を変える手立ては、自分達の真実の歴史を知って、その民族の欠陥や不備な部分を剔抉し、改善・改良する事だろうが、肝心の真正の歴史が遺されて居ないのでは、反省のしようが無いし、必要に応じて嘘を吐いて居れば自分の生きて居る裡は、何とかなるので、歴史を事実の積み重ねにする考えなど、及びもつかないであろう。

 自分の事しか考えて居ない人たちが紡いだ歴史は、全く信用が置けないのは、言うまでも無い事である。 すると、歴史は嘘の塊と言う事に成り、伝統についても、継承するのがやっとになる。 彼らにとっての伝統とは、伝わって来たモノを、何の変化も加えず、次世代に伝える事しか意味して居ない。 是では、歴史が何千年、何万年あろうが、何にもならない、嘘は嘘だからである。 

 だから、此の度韓国や朝鮮が亡国の危機に瀕して居ても、誰も、真剣に危機についてkンが得ようとはして居ず、却って亡国を助長する様な、言動をして居るのは、固より、建国は自分達が望んだモノでは無いカラであろう。

 是は、凡そ270~300年置きに、大陸内で起こった異常気象に拠って、飢えて南下した異民族に、都度、王朝を変えられて来たシナ民衆にとって意味する「国家」と、然程変わらないだろう。

 今のシナには、漢民族など居ないし、建国して70年、文化創造力も発信力も無いのは、看ての通りである。 嘘の塊が、共産シナの実体なのですね。

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