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2019年3月26日 (火)

支那・南北朝鮮人が近代を表現しようとすれば必ず和製漢語が必要になる

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

黄文雄『なぜ韓国は未来永劫幸せになれないのか』(ビジネス社)

日本は北京とソウル・平城から喧嘩を売られている。

これにどう対処すればよいのか。

日本国内には支那・南北朝鮮の反日工作を支援している在日・反日勢力が存在する。

これでは日本は、支那・南北朝鮮相手に有効な攻撃などできそうもない。

ーー

しかし、国内に抱える在日・反日勢力の裏をかくような、彼らを自ら自滅させる準備をしては如何と、黄文雄氏は皮肉たっぷりに提案する。

「『褒め殺し』という手段もあります」と。

表題には、韓国だけだが、本書は支那・南北朝鮮を一緒にして論じている。  

ーー

ならば黄文雄氏の話を聞こう。  

ーー

「支那国内でのもっとも基本的な(争い事は)南北対立であった」

「稲作の南支と雑穀の北支では紹興酒と白酒の違いがあるように、文化が異なる」

「つまり人種が異なるのだ」

「(そればかりか)経済的、人文的対立が二十世紀まで続いていた」

「(これは)決して『南船北馬』という詩的な表現で語り尽くせるものではない」(p128)

ーー

中国は日本の一地方名である。

なぜ共産支那は、それを国名とし、表意文字である漢字を今日に至るまで使用し続けてきたのだろうか。

黄氏は、それは、文字と言葉の違いから来ているとする。

(文字と言葉が違うために漢字を使わないと・お互いの意思疎通ができないのだ)

ーー

「甲骨文字を使う商(殷)は、おそらくチベット、ビルマ・タイ系ではないか」

「(殷の)文字の配列は、つまり文法は、むしろ南方系と考えられるからである」

「商(殷)人は北方系(アルタイ系の東胡)ではない」

「学界では、最近の言語学研究の成果から、(商人は)台湾先住民であるマレー・ポリネシア系(南島語系)語族に属すという説が主流になりつつある」

「支那人の多くは南の越系か、台湾から北上してきた越族の可能性(が出てきたのだ)」と。

ーー

なるほど、殷が南支からきたとは、従来の通説をひっくり返す。

ーー

支那には統一言語はない。

共産党政権で、ようやくマンダリン(満大人、つまり満州人の話し言葉、北京語)が共通語にされた。

と言っても、教育を受けていない地方へ行くとまるっきり通じない。

通訳を介してしか意思疎通はできない、現代支那の言語状況はいまも大混乱なのだ。

ーー

そんな支那の言語状況の中で目立つのは、和製漢語が広く深く使われているという事実だ。

「自然科学や社会科学の用語だけでなく、マスメディアから日常生活まで和製漢語がなければ、殆ど伝達は不可能とまで断言しても決して過言ではない」

「漢字の本家である支那は、それを『新辞』、『新語』と称し字引まで出している」

「(例えば)中華人民共和国(人民も共和国も和製漢語)の憲法は75%まで和製漢語の新辞によって書かれている」(p132)

ーー

黄氏曰く、「日本の『漢字かな交じり文』が『史上最大の発明』だということが判然とする」と。

「支那・南北朝鮮人が近代を表現しようとすれば必ず和製漢語が必要になる(のだ)」

支那・南北朝鮮の憲法、法律、化学、科学、工学、数学、医学、音楽等は全てこの和製漢語で書かれているという。

言語史としても大いに有益だった。

「褒め殺し」の詳細については本書を買ってお読みください。 

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>和製漢語に依存するシナ文明
 私が現在のシナでは簡体字を使って居る事を知ったのは、30代の半端で、良く通って居た瀋陽出身の人が経営する呑み屋の女の子に原語で漢詩を読ませてみようと思い、十編程度の詩を書いた処、「この字しらない」と、何回も訊かれて意味を説明したら、観た事も無い漢字を書いたので、「これ何?」と訊くと、「是が正式な字ですよ、知らないの?」と、馬鹿にされましたが、ママに訊くと、「あぁ、其れは簡体字って言うのよ」と教えて貰いました。ww

 同じチャイナ・パブでも、台湾系の人がやって居る処では日本の漢字が通じるし、日本では、使わなくなった旧体字を書くので、逆に読めませんでした。w 

 台湾の女の子は、漢詩をすらすら読んで、「この部分、私達が習ったものとちょっと違う」とか云いだして、話に花が咲きましたね。

 まぁ、メイン・ランドの子は「長崎は今日も雨だった」が有線でかかると、「この歌、中国の歌ですよ、日本の歌、中国の真似ばかり」とかいうので「阿保か、是は20年位前の日本の歌やで、真似しとるのは、シナの方や」と、呆れたこ事が多かったですね。

 シナの勢力が、南と北では、文化も、言語も、習俗も、まるで違うと言うのは、その瀋陽の店に来た、上海からのお客さんが、中に居る女の子の彼氏と、大喧嘩になって、2人とも血塗れになって居る処を、止を刺しに上海の男が、大きなガラスの灰皿で殴ろうとしてのを思わず、羽交い絞めにして止めたら、「お前も味方か?」とこっちに向かって来ました。

 すると、元は中国残留孤児だと言う男が、止めに入って、「なぜ止める?」と訊くので、「目の前で人殺しなんか見たくない、喧嘩なら店の外でやれ、死人が出たら、俺たち迄、警察に足止めを食らうやろ、迷惑なんや!」と、怒鳴ったら、店から出て行きましたが、外で待って居る様子でしたね。  かえ¥れ

 先に手を出したのは、彼氏の方だったのに、店のママは、上海のお客を、一方的に非難して居ましたね。 彼氏は裏口から、抱えられて出て行きましたがね。

 確かに、民族が違うと言われたら納得出来ますね、

 然し、殷(商)の民族が台湾出自だとはね、私はてっきり、長江民族の海洋民の越が、黄河を遡って、長安台地に創った都市が、交易の拠点になり、商と呼ばれる場所になり、或る時、狩猟採集民の北狄族が、乗っ取ったのが殷になった、と、その年代も、BC19世紀であると言う推定をして居る人も居ましたね。 

 それに、殷を創った民族は殷の建国を巡る争いで、遊牧民西戎族の匈奴の一部族、壮族を大量に捕虜にした時、壮族の部族信仰では、首を落とされると「あの世で困る」と言うので、哀願するのを無視して、全員の首を刎ねた事が有りましたが、其れから約2千5百年後に、シナを統一した唐王朝の李氏は、この壮族の出身だったので、北狄の子孫の百濟を執拗に滅ぼそうとした、と言う話まであります。

 唯この話には、北から南に移り住んだと言う、反対の例も存在します。 シナ人の中には、客家(ハッカ)と呼ばれる、普通のシナ人とは違う種類の城郭の中に棲む部族が居て、一般のシナ人とは、考え方も、言語も、習俗も、全く違う集団が、世界中に居る事を知って居ますが、彼らは、その勤勉さや、積極的性質から、数多の偉人や企業人を生んで居ます、シンガポールの父、リークワンユー、シナの鄧小平、台湾の李登輝等々、あ、是も高文雄さんの本で言った事ですがね。


 然し、シナ人の歴史のええ加減さは、呑み屋の女の子の「何でもシナ起源」と大差ない様菅、あちこちに見られ、黄さんではありませんが、呆れるばかりですね。 日本では、モゥシナを歴史大国と言う人は、流石に居なくなった様ですが、海外には、未だ沢山いるんでしょうね。

 和製漢語は、一説に拠れば、現代のシナ語の単語の9割を占めて居ると言うのに、「新辞」と言って、シナ製である科の如く装って居るのは、時間が経過したら、自分達のオリジナルにする心算なのでしょうね。

 随い、シナの文物は、全てこの調子なの「剽窃」の塊なのだろうと思います。  彼らは既に、文化創造力も発信力も無い、遊牧民の出自である事が、明らかになって居るのですから。

 処で、台湾の内省人である黄文雄さんが、「日本のひらがなの発明は、世界でも画期的である」と、言って居る位ですから、何故、明治期まで、殆どの大衆が文盲だった朝鮮族が、ハングルを使うのに、ひらがな的に、漢字の補助として使う事を、考えなかったのか分りませんね。

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